8.レストラン個室にて

5年生編第8話  クィディッチのレギュラーと補欠が決まり、練習が始まった。
 O.W.L試験対策が本格化した。
 ジェームズのリリー病が悪化した。
 それに加え、シリウスの病も加速しつつある。
 リーマスとピーターは飛び火しないように遠巻きにしている。
 そして、今年度最初のホグズミード行きの日が近づいていた。
、ボグズミードの日は一緒に……」
「行かない」
「リリー、僕と一緒に……」
「気安く名前で呼ばないで。それと、お断りです」
 シリウスとジェームズは、そろって撃沈した。
「何だよ、遊びに行くくらいいいだろ」
「私、リリーと行くから」
 不満げなシリウスにが素っ気なく答えると、リリーも頷きと手を繋いで言った。
「ついてくるなんて言わないでね。女の子だけで遊びたいから。あなた達は邪魔よ」
 とリリーはにっこりと微笑み合うと、さっさと廊下を歩いてその場から去るのだった。
 そして、逃げ込むように寮の自室へ入り、同時に大きく息を吐く。
「……合わせてくれてありがとう」
 ホグズミードにリリーと行くと言ったのは、とっさについた嘘だった。
 何故なら、リリーはその日、レイブンクローの監督生のアレンと行くのだから。
「私こそ助かったわ、。アレンと行くって言ったら、またポッターがうるさいもの」
「あはは……絶対邪魔しに来るよね」
「でも、は当日どうするの?」
「うーん、どうしようかな。ま、何とかなるでしょ」
 二人はリリーのベッドに腰かけると、話題はまたシリウスのことになった。
「もう10月も半ばになるけど、ブラックの様子は変わらないわね。……私、絶対何かあると思うの。ポッターの魔法薬なんてほんのきっかけで……」
「やっぱり、演技だと思う?」
 二人の会話を聞いている者などいないが、は声を潜めてリリーの目を見た。
 リリーも真剣な顔つきで頷く。
「あの短気なブラックが、こんなに粘るのがちょっと信じられないけど……」
 もそこが引っかかる点であった。
 シリウスは基本的に嘘が下手だし、何より嘘を吐くことを本人が嫌っている。
 ところが今や、シリウスがを好きである、ということは真実として周知されてしまっているのだ。
「その……一応聞くけど、はどう思ってるの? ブラックのこと。もともと仲は悪くなかったわよね。最近は特にあなたにやさしいし……」
 聞きにくそうに尋ねるリリーに、は苦笑して首を振る。
「シリウスはいいヤツだよ。けど、それだけ」
「そう……よかった。私、ブラックはあまり好きじゃないもの。あなたの言うことを疑うわけじゃないけど、いい人とは思えないの」
 なるほど、とは納得した。
 人というのは、見る人によってこんなにも評価が違うものなのだと、改めて実感したのだ。
 それはが今見ているシリウスが、彼のすべてではないということでもある。
「……真相を探りに行く手もあるか……」
 小さく落とされた言葉に、リリーがぴくりと反応する。
「まさか……行くつもり?」
「このまま一年間なんて、やりにくくて仕方ないしね」
「それはそうだけど……。わかった、気を付けてね。変なことされたら全力でぶっ飛ばすのよ」
 たくましいアドバイスに、は苦笑した。


 ホグズミード行きの日、とシリウスは連れ立ってホグワーツ城を出た。
 あの後、一緒に行くことを了解すると伝えに行くと、シリウスは不意を衝かれたような顔をした。
 何とも間抜けた顔だった、とは部屋に戻ってから何度か思い出し笑いをしたのだ。
「どこか行きたいところはある?」
「そうだねぇ……土産物屋さんかな」
 シリウスに聞かれて答えたは、呆れ顔を向けられた。
「いきなりシメの店に行くかぁ? 何でそこなんだよ」
「おいしいお菓子があったら、なくなる前に買っておきたいしね」
「うまいお菓子の店なら、いいとこ知ってるぜ」
「シリウスの勧める店は高そうだよね……」
「ふ、ふつうだって。あっちだよ」
 シリウスが案内するほうへ、はひとまずついていくことにした。
 急ぐ必要はないので、二人は古い石畳の道をのんびり歩く。
 冬の始まりを匂わせる冷たい風が吹いた。
 天気も良く、見上げた空は高く澄んでいる。
 サングラス越しにそれを眺めるは、はるか上空に鳥が飛んでいるのを見つけた。
「大丈夫か? もっと日陰のほうの道を行こうか?」
 のサングラスがおしゃれのためではないことを思い出したシリウスが、気遣うように言った。
「これくらい平気だよ」
「ならいいけど。そうだ、普段用のおしゃれなサングラスでも買うか?」
「おしゃれな……? ふぅん、どんなのがあるかな」
「よし、そこも回ろう」
 シリウスはとても機嫌が良い。
 はふと、今頃リリーはどうしているかなと思った。
 ジェームズの妨害を受けずに、アレンと楽しんでいるだろうか。
 もしジェームズが邪魔しようものなら、今日が彼の命日になるかもしれない。
「どうした、。気になることでもあるのか?」
 リリーのことを考えている間の沈黙をどう捉えたのか、シリウスが心配そうに尋ねてきた。
「ううん、何でもない。ところでさ……」
 は声を潜めると、シリウスの腕を軽く引いて身を寄せた。
 急な接近に焦るシリウスに、
「そのまま聞いて」
 と、はやや鋭い声で囁いた。
 シリウスは何事かと緊張した面持ちで、それでもの指示通り平静を装ってのんびりと足を進めた。
「──誰かついてきてるみたい。ジェームズ達かな?」
「え。それはないと思う。あいつらはゾンコに行くって言ってたから」
「そう。それじゃ、誰だろう。尾けられる心当たりはある?」
「……」
 シリウスは苦虫を噛み潰したような顔で黙り込んだ。
 どうやら心当たりがあるようだ。
「もしかして、私も知ってる人?」
「ああ……」
「ガードナー?」
「いや、違う」
「違うの? じゃあ誰だろう……」
「……メイヒューだ」
 それは思いも寄らない名前だった。
 オーレリア・メイヒュー。
 スリザリン生で、古くから続く家の娘だ。
 当然純血主義で、そのことで入学早々とケンカした人物だ。
 しかしその後は特にもめることはなく、お互い不干渉を貫いてきた。
 彼女は今やスリザリンの女帝的立場にいると聞いていた。
「でも、変だなぁ。あいつ、すっごいプライド高いから、こそこそと人の後を尾つけるなんてマネはしないと思うんだけど」
 が知るメイヒューなら、そういうことは人にやらせるはずだ。
 シリウスを窺うと、何やら非常に顔色が悪かった。
 もしや、とはピンときた。
 ここ一ヶ月ほど自信を悩ませているシリウスの態度に何か関係があるのかもしれないと。
「シリウス……詳しく聞かせてくれるよね? どこか個室でも借りて二人っきりで話し合おうか」
「個室って……っ」
「お金はあるよね、ブラック君?」
 ブラック君の部分を強調して言ったに、シリウスはこれでもかとしかめっ面になった。
「お前っ、時々ほんっと嫌なヤツになるよなっ」
「お? やっと本性をあらわしてきたかな?」
「クッ。……いいか、聞いたら何が何でも協力してもらうからな」
 開き直ったのか、シリウスは異様な迫力でに念を押した。
 そして二人は個室がありそうで、値段が安そうなレストランを選び、店内に入った。
 店の外観から直感で決めたレストランだったが、どうやら当たりのようだった。
 昼食時より少し早いこの時間は、まだ客はまばらだ。
 個室に案内されたは、ぐるりと室内を見回す。
 なかなかこざっぱりとした内装は、好みだ。
 壁に活けてある薔薇は造花だろうか。香りがしない。
 通常、衛生面や料理の香りを邪魔しないことなどを考慮して、生きた植物は置かないと聞いたことを思い出した。
 2人は少し早めの昼食をとることにして、料理が来るまでの間にはさっそく話を切り出した。
「……で、何でメイヒューに追われるようなことになったの? ジェームズ達は知ってるの?」
「ジェームズ達は知らない。新学期が始まって間もなくの頃、俺がお前に頼みごとをしに行ったのを覚えてるか?」
「もちろん。今の状況の始まりだからね」
「夏休み最後の日だった……」
 沈鬱な表情と共に、シリウスの声のトーンも落ちる。
 は黙って耳を傾けた。
「メイヒューを、婚約者の候補に入れると言ってきたんだ」
「こっ、婚約者!? あいつを? でも、メイヒューってアンタのことはたぶん嫌いだと思うよ」
 メイヒューはいかにも貴族ですといったたたずまいだ。
 シリウスのような、言ってみれば貴族らしからぬ振る舞いをする人は好まないと思われる。
 例えば、もう卒業しているがルシウス・マルフォイみたいな人なら、メイヒューも認めるだろう。
 思想はともかく、彼のスリザリン生に対する態度は紳士だったと聞いている。
「好きとか嫌いとか、関係ない場合もあるんだ。家のためにってヤツだ」
「ああ……なるほどね」
 純血主義は血筋を大切にするため、婚姻を結ぶ相手も限られる。
 今の魔法界に純血は少ないからだ。
 ポッター家も純血だそうだから、先祖を遡ればマルフォイ家やブラック家の人がいるかもしれない。
「だから、その話を断るために、俺には決めたヤツがいるって言ったんだ」
「まさか……」
「悪い……」
「ちょっとちょっと、それ最悪のパターンでしょ」
「だから悪かったって。けど、本当にこんなこと頼めるのはお前しかいないんだ」
「いないんだって……それで私とアンタが結婚することになったらどうすんの? 偽装結婚までは付き合えないよ!?」
「俺もそこまで付き合ってくれとは言わないよ。その前に、何とかする」
 何とかすると言うわりに、今のシリウスには何の案もなさそうに見える。
 けれど、これではっきりした。
 やはり今までのシリウスは演技だったのだ。
 は残る疑問の解消に乗り出した。
 どういうふうに切り出そうかと少し迷ったが、単刀直入に聞くことにした。
「ところで私、シリウスはとっても嘘がヘタクソだと思ってたんだけど、今回はどんな手を使ってあんな態度を毎日とっていられたのかな?」
「とってもヘタクソで悪かったな。……まぁいい。あれは……ちょっとした暗示だ」
「暗示……?」
 思ってもみない返答に、は目を丸くする。
 その顔に満足げな笑みを浮かべたシリウスは、タネ明かしを続けた。
「毎朝鏡を見るだろ。その時にな」
「そんなんでうまくいくの?」
「うまくいってただろ? ジェームズ達だって、何度も聞いてきたんだぜ。本気なのかって」
「……」
 は頭を抱えた。
 これは、怒ればいいのか感心すればいいのか。
「最初、ジェームズの変な魔法薬を飲んじゃった時は……わけわかんない状態だった。どうしようもなくが気になってしょうがなくなってたんだ。けど、薬の効果が切れた後も、その時の記憶はあったから、これは使えるかもと思って……」
 こいつは保身のためにここまでするのか、と憎たらしさも追加された。
 は頭の中を整理するため、軽くこめかみを揉んだ。
 小さくため息を吐いてから、感情を抑えて口を開く。
「あのさシリウス……結局のところ、アンタは不本意な婚約を避けるために私を盾にしようとしたってことだよね?」
「あ……う、ま、まぁ、そうなるかな……」
「知ってるかどうかわからないけど、アンタの友達で女子に大人気のジェームズ君に好かれているっていう理由で、リリーが嫌がらせにあってるのはご存知で?」
「あー……そうだったっけ?」
「そうだったんです。そして、自覚してるかわからないけど、女子に大人気のシリウス君のここ最近の振る舞いのおかげで、私も突き刺さるような視線を感じているのですよ」
「……」
 たぶんシリウスは、自分が女子にどう見られているかはわかっていても、その影響力までは考えていなかったのだろう。
 うつむき、何か考え込んだ後、彼は決心したような顔で言った。
「俺が守るから……」
「いらない」
 ピシャッと断られ、ショックを受けるシリウス。
「そんなことより、根本的な解決方法を考えようよ」
「今さらだけど、俺にこんなに厳しいのはお前くらいだと思うよ……。エヴァンズだってもうちょっと遠慮してる」
「それこそ今さらだよ。私が自分が一番大事なのはわかりきったことでしょ。アンタの彼女のフリして得になることなんてないんだもの」
「うぅっ、言葉が容赦なく突き刺さる……っ」
 シリウスは大げさに胸を押さえてテーブルに突っ伏した。
「うん……ちょっと言い過ぎた。ごめん。でも、彼女のフリは、本当に何の解決にもならないと思うんだ」
「……そうだな」
 シリウスは、のろのろと体を起こす。
 2人の間に沈黙がおりた。
 やがて、シリウスは緊張した空気をまとい、ひどく落ち着いた声でに聞いた。
「もし、俺が家からの要求を……今回みたいなやり方じゃなく突っぱね続けることを選んだら、お前は力を貸してくれるか?」
「ブラック家そのものと戦うってこと?」
「そうだ。それこそ何の得にもならない」
「あははっ、そんなことないよ。友達が巨大な敵と戦うのに力を貸すことが無意味だなんて、そんなことあるわけないでしょ」
 はきっぱりと言い切った。
「敵が大きいなら、こっちも味方を集めてしっかり準備しなくちゃね。ほら、去年、アンタとジェームズと私とでレドナップに挑んだ時みたいにさ。連携って大切だよね」
「第三勢力が入ってきたけどな」
 フィルチのことだ。
 2人はその時のことを思い出して笑い合った。
 その時、個室のドアが開いて料理が運ばれてきた。
 食欲をそそる匂いが部屋に満ち、とシリウスの目はおいしそうな料理に釘付けになった。
 再び部屋に2人だけになると、シリウスはアルコールを抜かれたシャンパングラスを掲げた。
「何に乾杯?」
 もシャンパングラスを持ち上げ、尋ねる。
「そうだな……俺達の完全勝利に、かな」
「オッケー。それじゃ、敵をこの世から抹殺するために!」
「かんぱーい!」
 誰かが聞いたら物騒この上ないことを誓い、2人はグラスを合わせた。
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