7.本心不明の告白

五年生編第7話  新学期が始まって一週間が過ぎた。
 の周りは特にこれといった騒動もなく、時間は平和に流れていった。
 ただ、気になることがあるとすれば──シリウスの表情が冴えないことだ。
 ずっと何かに悩んでいるような様子だった。
 そんな彼の悩みを何とかしようとジェームズがしきりに何かを勧めていたが、シリウスは難しい表情で唸るばかり。
 しかし、そんなジェームズも実は内心穏やかではなかったりする。
 というのも、最近リリーがレイブンクローの監督性アレンと急接近をしているからだ。
 は一人でいる時、よく二人の様子について聞かれていた。
 もっとも、とてリリーとアレンの親密度など知らない。
 いくら仲が良くても、個人的な交友関係まで首を突っ込む気はなかった。
 もしアレンが裏のある人物なら話は別だが、は彼から嫌な印象は受けなかった。
 ところで、クィディッチのほうはどうなったかというと、前キャプテンからジェームズが次のキャプテンに指名されていた。
 とシリウスは引き続きチェイサーに着く予定だ。
 今年はO.W.L試験があるので、とんでもなく忙しくなりそうだ。
 そんなある日の放課後、談話室でシリウスが深刻な表情でを呼んだ。
「どうしたの、大丈夫?」
 思いつめたような顔に、は心配になった。
 シリウスはそれには曖昧に返して用件を切り出そうとして……何度もためらった。
「シリウス、落ち着いて。ちゃんと聞いてるから、慌てなくていいよ」
「ああ……」
 そこでシリウスは一度大きく深呼吸をすると、を見据えて話し始めた。
「夏休み、パーティのパートナーになってくれただろ?」
「ああ、うん」
「俺としては、親が連れてくる誰だかわからない奴よりも、お前ならうまくやってくれるだろうと思って頼んだんだ」
「そういう話だったね。一日奴隷を条件にね」
「う……それは……それは今はいい」
「うん。それで、何かまずいことになったの?」
 たぶんそうなんだろうなと思ってが聞くと、シリウスは何故か睨むような目になった。
 思わずたじろいだの腕を、逃がさないとばかりに掴み取る。
「わざとだ……あいつら、俺の考えなんか知った上で無茶苦茶言ってきやがったんだ!」
「そ、そうなの? それよりも、ちょっと痛いよ」
 が顔をしかめると、シリウスはハッとして手の力を緩めた。
 しかし離さないところからして、用件はまだ始まってもいないようだ。
 シリウスは苦し気な顔でうつむくと、やがて絞り出すように言った。
「俺と、付き合ってるふり……今年も、続けてくれ……クッ」
「そんな悔しそうに言われると、いくら私でも気分が悪いんだけど」
「わ、悪い。けど、そうじゃないんだ。こんなこと頼めるのは本当にお前しかいないと思ってる。俺が悔しいのは、お前を巻き込むことと嘘をつくことに対してだ」
「あ、一応、私にも悪いと思ってくれてるんだ」
「お前は俺を何だと……まぁいい。それで、頼まれてくれるか?」
 正直、嫌だった。
 だって付き合ってもいない相手と付き合ってるふりをするのは面倒くさい。
 シリウスははっきりとは言わなかったが、おそらく両親に何か言われたのだろう。
 返事に詰まってしまった時、ジェームズの声が割り込んできた。
「シリウス、そんなんじゃ周りを騙せないよ。一時でもいいから、本気に見せないと!」
「いや、さすがにそれは……」
 その時、はとても嫌な予感がした。
 だからその勘に従いシリウスの手を振りほどき立ち去ろうとしたのだが、気づいたジェームズが素早く手に持っていた何かをの口に突っ込もうとした。
「二度もやられるか!」
 以前、はジェームズ達に変な魔法薬を飲まされ、酷い目にあったことがある。
 もう繰り返さない、とジェームズの腕を掴むとその角度を変えてやった。
 としては、これで魔法薬の小瓶を落としてくれることを願っていたのだが、そうはならず、なんと小瓶はシリウスの口に押し込まれてしまった。
 口のあいていた小瓶の中身がシリウスの口の中に広がり、反射的に彼は飲み込んだ。
「シ、シリウス、吐き出せ!」
が飲まないから!」
「元はと言えばジェームズが!」
 ぎゃあぎゃあ騒いでいると、突然の肩をシリウスが掴んだ。
「な、何?」
 シリウスはいやに熱っぽい目でを見つめた。
 そして、見たこともないようなやさしげな微笑みを浮かべると、愛しそうにの髪を撫でた。
「綺麗な髪だ……真っ白で、穢れのない……」
「わあああああっ!」
「ぎゃああああっ!」
 とジェームズは同時に叫び、取り乱したはかなり本気でシリウスを突き飛ばした。
 シリウスは後ろにあったソファを巻き込んで転がった。
 しかし、心配するどころではない。
「い、今の何!? 誰!?」
「ま、まさかこんなに凄い効き目だなんて……」
「ジェームズ!」
「待って! 殴らないで! 説明するから!」
 その言葉に、は振り上げた拳をおろす。しかし目はしっかりとジェームズを睨み据えていた。
「キミに飲ませようとしたのは、子供だましみたいな惚れ薬だよ。悪戯グッズ制作初心者でも調合できるようなやつ」
「それって、こんなに人格変わるくらいに効くの?」
 は目を回したままのシリウスを見やり、先ほどの出来事を思い出して鳥肌をたてた。
 ジェームズは困ったような顔で頭をかく。
「ちょこーっとだけ改良したんだ……僕もびっくりだ」
「びっくりだじゃなーい!」
 はジェームズも突き飛ばそうとしたが、あいにくひらりとかわされた。
「ん……惚れ薬の効果はそれとして、もしかしたらシリウスが恋人を甘やかす時はああいう感じなのかもしれないね。珍しいものを見ちゃったよ」
 ブルッと身震いする
 ようやくシリウスの意識が戻り、軽く頭を振りながら起き上がった。
「何でこんなとこで寝っ転がって……?」
「正気に戻った?」
「正気……? 何のことかわからんが、気は狂ってないはずだ」
 そう言って立ち上がったシリウスの様子は、いつも通りに見えた。
 もともとが子供だましレベルなのだから、効果もごく短いものなのかもしれない。
「もうじき夕食だな。少し早いけど行くか」
 時計を見て言ったシリウスは、ごく自然にの手を取った。
 あれ、と思う間もなく出入り口の絵画のほうへ連れていかれる。
 が戸惑いの目でジェームズを見ると、彼もぽかんとしていた。
 廊下に出てからも手は握られたまま。
「シリウス、ちょっと待って!」
「ん? 忘れ物か?」
「そうじゃなくて、アンタ、大丈夫?」
「風邪は引いてないし、怪我もしてないけど」
「うん……その、まだジェームズの薬が効いてるんじゃない? 何で私と手を繋いで大広間まで行くの?」
 繋がれた手を持ち上げてが困ったように言うと、シリウスは何故かショックを受けたような顔をした。
「そうか、嫌だったのか……ごめん。気を付ける」
 シリウスは名残惜しそうに手を離した。
 どうやらまだ薬の効き目が切れていないようだ、とは思った。
 シリウスは少し寂しそうに微笑むと、行こうとを促した。
 にとって、今のシリウスはとてもやりにくい相手になってしまった。
 早く効き目がなくなることを願った。


 ところが、シリウスは次の日になってもまだ薬の効果が切れていなかった。
「いったいどうなってんの?」
「僕にもさっぱり……。効果だって、せいぜい一日に引き延ばした程度なんだよ」
 とジェームズが談話室の隅でこそこそと話していると、
「ねえ、あの人どうしたの?」
 と、リリーまで不審に思って加わってきた。
 他の女子はシリウスがを好きになったと騒いでいたが、リリーの目はごまかせなかったようだ。
 ジェームズが言いにくそうに説明すると、彼女は呆れて言葉も出ない様子になった。
「……信じられない! 何でそんなバカなことしたの? に頼むにしたって、それはブラックとが話し合って決めることでしょ。ほんっと、バカね!」
 返す言葉もございません、とジェームズはうなだれる。
 そこに、待たされていたシリウスがとうとうしびれを切らせて割り込んできた。
「まだ終わんねぇのか? 、早く行こうぜ」
 と、の腕を引いて朝食へ向かおうとする。
 昨日もそうだったが、シリウスは始終こんな調子でから離れたがらなかった。
 きっと明日には元に戻っているはず、とは明日に希望をつないだのだった。

 その日の最初の授業は変身術だった。
 授業後、次の教室へ向かう悪戯仕掛人達は何となく疲れていた。
「宿題、多いよ……」
「さすがO.W.L試験学年といったところだね」
 肩を落として歩くピーターに、リーマスも力なく苦笑する。
「今年はさすがにおとなしく過ごすのかな?」
 前を歩くジェームズにリーマスが尋ねると、彼は曖昧な微笑で振り向いた。
 そして、ちらっと目で隣のシリウスを示す。
 シリウスは今、のことで頭がいっぱいだ……と、周囲に囁かれている。
 それがジェームズのいたずらグッズのせいだとは聞いていたが、そろそろリーマスはそれを疑い始めていた。
 いくら何でも効果が続きすぎるのだ。
 実はもう薬の効果は切れていて、シリウスは親の目を欺くために演技をしているのではないか──リーマスは、そのように考えていた。
 もしそうなら、には本当に同情する。
 タフな人だが、さすがに参ってしまうだろう。
「シリウス、あまりを困らせてはいけないよ。あの人、何だかんだで友達には甘いから……」
「リーマスは、俺が遊びでに絡んでるって言いたいのか?」
 振り向いたシリウスの目には、剣呑な光があった。
 自分の気持ちを疑われたことを不快に思ったようだ。
 リーマスはそれを敏感に察し、言葉を選んで続ける。
「あー、そういうつもりじゃないんだ。ただ、は図太いけど繊細なとこもあるだろ? だから、あまり積極的になっても逆効果かもしれないよ」
「そうだな……実はその通りなんだ。実際、最近は俺に対して逃げ腰っていうか……前みたいに気楽に話してくれなくなったんだ」
 シリウスは肩を落とし、寂しそうに呟いた。
 そして大きなため息を吐くと、思い悩んだまま歩き出す。
 いつもより小さく見える彼の背を眺め、リーマスは呆然として呟いた。
「もしかして、本気……?」
「え。それって、薬は関係なくってこと?」
 聞き返し、自分で言った言葉に愕然となるピーター。
 ジェームズも何とも言えない表情をしている。
 もはや彼らでさえ、シリウスの本心がわからなくなっていたのだ。

 その日の夜。
 談話室で古代ルーン文字学の参考書を読んでいたのところにシリウスがやって来た。
 彼はにっこり笑うと、向かい側に座りと同じ科目の、こちらは教科書を読み始める。
 は無表情に一瞥しただけで、読書を再開した。
 しばらくの間、二人は会話もなく目も合わさず、自分の本に集中した。
 やがて読み終えたが、静かに本を閉じる。
 一呼吸置いて顔を上げたシリウスが呼びかけた。
「あのさ……あ、いや……」
 言いよどむシリウスに、は軽くため息を吐いて口を開く。
「……ふざけてるわけじゃないんだよね? 親とか周りの目をごまかすためにやってるわけでもなく……」
「ああ、そんなんじゃない」
 真剣な顔つきで頷くシリウス。
 にはシリウスが自分に向ける気持ちを、薬の効果によるものかどうか確かめる術はない。
 だとしたら、できることは一つしかない。
 も誠実に応えるだけだ。
「わかった。じゃあ、私も真面目に答えるよ。──アンタとは付き合えない」
 静かに一つ呼吸した後、シリウスは落ち着いた表情で頷いた。
「そう言うと思ってた。けど、それであっさり引き下がれるような軽い気持ちじゃないんだ。だから……」
 不意に、シリウスは少し前までに見せていた気軽で挑戦的な表情になった。
に俺を好きになってもらう。それで万事解決だ」
「な……」
「これからガンガン攻めていくから──逃げるなよ」
「私、付き合えないって言ったよね!?」
「それは今の話だろ? 今後はわからないよな?」
「いや、わかるよ。アンタと付き合うなんてありえないから」
「そ、そこまでキッパリ言われると、さすがにへこみそうになるんだけど……」
「へこんでいいよ。むしろへこんで諦めてよ!」
「それはできない。お前こそ諦めて俺と付き合え」
「何、その偉そうな態度。心を洗って出直してこいや」
「それで付き合ってくれるなら、何度だって出直してやるよ。が納得するまでな」
「……」
 もはやはどう言い返したらいいのかわからなかった。
「それじゃ、おやすみ」
 シリウスはやさしく微笑んで自室に戻っていった。
 は、それを間抜けな顔で見送ることしかできなかった。
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