6.監督生

5年生編第6話  キングズ・クロス駅9と4分の3番線ホームにて。
「しっかり勉強しろよ」
 まるで父親のような顔で、レドナップはを見て言った。
「するよ。アンタを一発でノックアウトできるような魔法を覚えてくるんだ」
「ふん。やってみろ」
 反抗的な返事をするに、レドナップは余裕の笑みを返す。
 現役を引退したとはいえ、まだまだ半人前の魔法使いに負ける気はないようだ。
 それから彼は、リリーを見てやわらかく微笑んだ。
「今年は特に大切な年だ。最後までふんばれ」
「はい。夏休み中はいろいろとお世話になりました」
「また来い。じゃあな」
 いってきます、とリリーとは声をそろえて言い、ホグワーツ特急に乗り込んだ。
 2ヶ月ぶりの車内の匂いがひどく懐かしい。
「──あら、先生、もう帰っちゃったみたい」
 ふと窓の外を見たリリーが言った。
「ジジイはせっかちなんだよ」
「またそんなふうに言って……本当は楽しかったくせに」
 リリーの見透かすような言葉に、は照れたように笑った。
 車内はそこそこ生徒が乗り込んでいる。彼らの間を縫って進んだ2人は、真ん中あたりのコンパートメントを陣取ることにした。
 しばらくすると、続々と生徒達が乗り込んできた。
 ドアの向こう側も騒がしくなり、列車もゆらゆらと左右に揺れる。
 小説を読んでいたリリーが思い出したように顔をあげて言った。
、今年は馬鹿な真似したらダメよ。試験で良い点取っても、先生方の印象が悪かったら就職に響くわよ」
「今年はって……私、いつもふつうにしてるよ」
 心外だ、とは唇を尖らせる。
「あなたの周りって、いっつも騒がしいのよね……。とにかく、ケンカを売られても買わないこと。いい?」
「う、うん……」
 あまり自信はないが、はとりあえず頷いておいた。
 今年が大事な年なのは彼女もわかっている。
 がんばろう、と心に決めた時、騒動の原因の一つがドアを開け放って現れた。
「やあ、ここにいたんだね! 5年生もまた一つ、よろしく頼むよ」
 軽く髪をかき上げながら唐突なセリフを吐いたジェームズに、は吹き出しそうになった。
 おそらく彼は、リリーがいるから精一杯かっこつけてみたのだろう。
 そして見事に自滅した。
 リリーの視線は永久凍土のように冷たい。
 ジェームズの後ろではシリウスとピーターが笑い声をこらえて肩を震わせていた。
「あれ、リーマスはどうしたの?」
 今日は満月の日ではない。
 すると、とたんにジェームズとシリウスはニヤニヤし始め、ピーターは嬉しいことでもあったかのようにニコニコし始めた。
「ふっふふふ……聞いてくれ、我が朋友よ!」
 両腕を大きく開き、芝居がかって言うジェームズ。
「我らがムーニーは栄えある監督生に選ばれたのだ! いや、彼ならやってくれると思っていたよ!」
 ムーニーって何だと思ったが、それよりもは監督生という言葉に驚いた。
 リリーもポカンとしている。
 2人の表情は、ジェームズをとても満足させた。
「これであの根暗なスリザリンをどんどん減点してくれるに違いない。今から楽しみだ、クフフッ」
 ジェームズは気味悪く笑う。
 は、それはないと思った。
 リーマスは争いを好まない性格だ。
 むやみに他寮を減点したりしないだろう。
 それどころか、もしもグリフィンドール生が目に余る行為をしたら、そっちを減点するかもしれない。
 そこでは、ある可能性に気がついた。
 リーマスが選ばれたのは、この目の前の問題児対策ではないか、と。
 そう考えると、同じ悪戯仕掛人のメンバーである彼が選ばれた理由も納得できる。
 ピーターでは流されるのが目に見えているが、リーマスなら行き過ぎと思ったら止めてくれるかもしれないと、先生方は考えたのではないだろうか。
 何だかすっかり得意になっている3人(特にジェームズとシリウス)が哀れに見えてくるだった。
「じゃ、ホグワーツでまた会おう」
 ジェームズはキザったらしい手の振り方をして去っていった。
 閉められたドアを呆然と眺めていたリリーは、やがて不愉快そうに眉をしかめた。
「何あれ。天下とったみたいな顔して。監督生になったのはルーピンじゃないの」
 ふん、と一つ荒々しく鼻を鳴らした時、ドンッとドアに何かが強くぶつかる音がした。
 それから、人のざわめき。
 リリーとは顔を見合わせた。
 ジェームズ達ではないだろう。
 では、誰かの持ち物が激突したのだろうか。
 それにしては外の様子が変だ。
 ドア側に座っていたリリーは立ち上がると、慎重にノブに手をかけて開いた。
 も後に続いて様子を覗い──あっ、と小さく声をあげた。
「どうしたの? 大丈夫?」
 新1年生か2年生と思われる女の子が倒れていた。
 あの音は倒れた時にドアにぶつかったものだったのだろう。
 何もせず、ただ遠巻きにしている生徒達を不甲斐ないと言うように見渡してからリリーが抱き起すと、ハッと息を飲んでへ振り返る。
「この子、熱があるわ! けっこう高いみたい」
「無理して出てきたんだね……意識もないの? リリー、先頭車両に行こう。監督生がいるし、お菓子のおばさんもいるかも。何か持ってるかもしれないよ」
「そうね、早く行きましょう」
 リリーは女の子を抱き上げると足早に車内を進んだ。
 その後をキャリーケースを押してが続く。
 リリーは、先頭車両で最初に見かけた上級生の男子に声をかけた。
「あのっ、この子熱が高いんです! 熱冷ましか何かありませんか?」
 上級生はリリーの腕の中の女の子の様子を見ると、サッと表情を厳しくした。
「こっちに来て。ベッドがあるから」
 彼はさらに奥に進むと、その先にあるドアを開けた。
 そこは簡易医務室だった。
 ベッドに寝かせた女の子の額に、上級生が冷たい水でぬらして固く絞ったタオルを乗せる。
「たまに具合が悪くなる人がいるからね。こんな重病人は初めて見たけど」
 真っ赤な顔で呼吸も荒く苦しそうな女の子の様子を、彼は心配そうに見つめる。
 学校に着けば頼もしいマダム・ポンフリーがいるが、彼女に会うにはあと2時間はかかるだろう。
「解熱剤はある?」
「あるけど、この子が目覚めないとね……」
 尋ねたはその返事を聞くと、女の子を起こしにかかった。
 軽く揺すって呼びかける。
「ねえ、起きて。薬飲もう。熱が下がるよ」
、無理に起こさなくても……」
「でも、このままだとずっと苦しいよ。薬があるなら飲んだほうがいい」
 再度、起きてと声をかけると、女の子のまぶたがうっすらと開く。
 彼女は何か言いかけたが、熱で力が入らないのか小さく口を動かすだけだった。
 はそんな女の子にやさしく笑いかけた。
「まだ列車の中だよ。解熱剤があるから、それ飲もう。きっと楽になるから……起きれるかな」
 女の子が起き上がろうとしたのをが助ける。
 上級生がが水の入ったコップと錠剤を差し出した。
 女の子がそれを飲み終わると、はゆっくりとベッドに横たえさせた。
「もう眠ってていいよ」
 冷たいタオルを再び額に乗せてそっと頭を撫でると、女の子のまぶたが落ちていった。
 ひとまず薬を飲んだことで、3人の緊張がほぐれた。
 軽く自己紹介をすると、この上級生は監督生でレイブンクローの7年生のアレン・エインズワースといった。
「アレンがいてくれて、本当によかったわ。ありがとう」
「いや、俺は別に何も。……ああ、この子のことは見ておくから、2人は戻ってもいいよ」
「ううん、ここにいるわ。戻ってもどうせ気になっちゃうし。はどうする?」
「私もここにいるよ。一人でいてもつまんないし」
「それじゃあ、俺はちょっと席を外すよ。もう一人の監督生に事情を話しておかないと探しちゃうから。また来るよ」
 そう言ってアレンはいったん医務室を出て行った。
 その背を見送ったリリーは感心したようにため息を吐いた。
「ここで会えたのがあの人でよかったわ」
「そうだね。とても落ち着いた人だった」
「実は私、すごく焦ってたの。あの子、あんなに苦しそうだったでしょ」
 そう言ってリリーは、今は穏やかに眠る少女を見やった。
 焦っていたのはも同じだ。
 早く学校に着けばいい……そう思った時、ドアが開いてアレンが戻ってきた。
「キミ達、喉渇いてない? 飲み物もらってきたけど、いるかな?」
「あ、ありがとう!」
 慌てて立ち上がったリリーは、スカートのポケットから財布を引き出した。
 アレンはその手に飲み物の紙パックを押しつけて、代金はいらないよと言った。
「下級生を助けたキミ達への労いの印だよ。遠慮せずどうぞ」
「……いいの? じゃあ、いただくわ。ちょうど何か飲みたいと思ってたの」
 リリーは嬉しそうにそれを受け取った。
 もお礼を言って受け取ると、アレンはホグワーツにふくろう便を飛ばしてきたことを報告した。
「これでマダム・ポンフリーが準備万端で迎えてくれるはずさ」
 とても頼もしい監督生だった。

 ホグズミード駅に特急列車が到着した時、女の子はまだ眠っていた。
 アレンは杖を振って担架を浮かせ、リリーとで彼女をそこに移す。
 しっかりと毛布でくるんだことを確認すると、アレンは慎重に担架を動かして下車した。
 そして降りた先にいたマダム・ポンフリーの姿に、3人は目を丸くした。
 彼女が迎えてくれるのは、ホグワーツの医務室だとばかり思っていたからだ。
 マダム・ポンフリーは担架の上の女子生徒を見て軽く頷くと、アレンから引き取った。
「この子が急病人ですね。後は私が責任を持って見ておきますから、あなた達は学校へ向かいなさい」
 いち早く我に返ったアレンが返事をする。
「わかりました。よろしくお願いします」
 マダム・ポンフリーは宙に浮かせた担架と共に立ち去りかけ、ふと思い出したように振り返って言った。
「ミス・。あなたは後で医務室に来てくださいね」
「は、はい……」
 呼ばれる心当たりがまったくないが戸惑いながらも頷くと、今度こそマダム・ポンフリーは3人に背を向けて去っていった。
「どこか悪いの?」
 リリーに聞かれるが、は首を傾げるしかなかった。
「そろそろ行こう。俺達が最後みたいだ。馬車が待ちくたびれてる」
 駅を出たところでぽつんと一台だけ残っている馬車を指してアレンが言った。
 他の生徒達は、もう全員行ってしまったようだ。
「入学式に遅れちゃう!」
 真っ先に走り出したリリーを、とアレンもすぐに追いかけた。
 馬車を引くのは今年もやっぱり気味の悪いセストラルだ。
 リリー達が乗り込んだ後、はダメ元でセストラルに声をかけた。
「待たせた上に悪いんだけど、ちょっと飛ばしてくれると助かるよ」
 この生き物が人の言葉を理解するかどうかはわからない。
 少なくとも、今話しかけたことには何の反応もなく、白く濁った目はどこを見ているのかさっぱりだ。
 は小さく苦笑すると馬車に乗り込んだ。
 リリーの隣に座ると、彼女が不思議そうに聞いてきた。
「外で何をしていたの?」
「セストラルにちょっとね……」
 とたん、アレンの目に気遣うような色が浮かぶ。
 は明るく笑い返して、大丈夫、と言った。
「気にしないで。それに、大人はほとんどの人が見えるんでしょ。それなら、見えるようになる時期が遅いか早いかってだけだから」
「……そうかい。俺の友達にも見える奴がいるけど、できれば見えないほうがいいって言ってたからさ」
「ああ、うん……そうだね。綺麗とは言えないね……」
 その綺麗とは言えない──悪魔の翼のような羽をはばたかせ、セストラルは馬車を引いて宙を駆けのぼる。
 達の視界がぐんぐん高くなっていく。
 セストラルがの言葉を聞いてくれたのかはわからないが、何となく去年より早くにホグワーツに着いたような気がした。

 3人は式の開始直前に大広間に滑り込むことができた。
 挨拶もそこそこに、グリフィンドールとレイブンクローに分かれる。
 リリーとは、グリフィンドールのテーブルの一番後ろに座った。
「何とか間に合ったわ……」
「ふぅ……走ったかいがあったね」
「ハッフルパフのゴーストに注意されちゃったけどね」
 もっとも、それを振り切って駆け抜けたからこそ間に合ったのだが。
 何となくおかしくなって2人で小さく笑い合っていると、向かい側に座っていた女子が少し興奮したように話しかけてきた。
「ねぇねぇ、一緒に入って来たのってレイブンクローのエインズワースよね? 何があったの?」
 どうやら彼女はアレンに興味があるようだ。
 リリーが列車での出来事を簡単に説明すると、彼女は「さすが優秀な監督生よね」と何度も頷いた。
「2人共知ってた? あの人、監督生でもあるけど、主席でもあるのよ! おまけにやさしいでしょ。私、ずっと憧れてたんだ。今年で卒業なんて寂しいわ」
「そんなに優秀な人だったのね……」
 列車での手際を思い出し、納得するリリー。
「たしかに、頼れるお兄さんって感じよね」
 しかし、そう言ったリリーの表情は、『お兄さん』に対するものにしてはずい分と甘いものに見えた。
「リリー、もしかして好きになっちゃった?」
 女子生徒にニヤニヤとした顔で聞かれたリリーは、
「ち、違うわよ、そういうんじゃないから!」
 と、否定するものの頬は赤い。
 まさか、とも目を瞠る。
までそんな顔して。誤解よ!」
 よほどリリーは混乱してしまったのか、はどーんと突き飛ばされ椅子から転げ落ちたのだった。
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