エヴァンス夫妻は、ホグワーツの教師だったのならと泊まりを許可してくれたのだ。
リリーは午前11時頃に来た。それから荷物整理や近況報告という名のおしゃべりをしていたら、あっという間にお昼ご飯の時間になっていた。
レドナップが呼びに来なかったら、もっと長いこと続いていただろう。
昼食後、ようやく本来の目的である宿題の答え合わせが始まった。
『ある魔法薬の使用方法と使用目的、誤用した時の対処法のまとめ』
『ある魔法の使用例を挙げられるだけあげる』
『ある薬草の育て方とその注意点、病気とその治療法のまとめ』
などなど。
……いったい羊皮紙を何枚使っただろうか。
「ねえ、リリー。今日はもうこれくらいで勘弁してやってもいいと思わない?」
「勘弁してもらいたいのは、私達のほうだけどね」
苦笑して、リリーは羽ペンを置いた。
時計を見れば、5時を指していた。
「少し散歩に行こうか」
「賛成。体がかちこちになっちゃったわ」
リリーが肩を回すとゴキッと音が鳴り、2人はまた苦笑した。
レドナップに一言告げて、外へ出る。
昼間よりだいぶ涼しい。
そのせいか、通りは人であふれていた。
「もうじき、この騒がしさともお別れね」
「寂しい?」
「ちょっとね。ずっと、こういうところで暮らしてたんだもの。テレビも電話もない世界って、夏休み明けは少し戸惑うの」
「わかるよ! 魔法界って、通信手段に関してはすごく原始的だよね」
「モールス信号さえ見たことないわ」
は大きく頷いた。
その時、人ごみの中に見知った顔を見つけた。
その人は、ふて腐れたような顔でこちらに歩いてきている。
「シリウス?」
呼びかけると、その人は俯きがちだった顔をあげた。
「やっぱりシリウスだ。こんなとこで会うなんてね」
「この近くに住んでるの?」
とリリーは口々に話しかけながらシリウスのもとへ足早に向かった。
シリウスは2人を見ると、何故かホッとしたような顔をした。
には、その顔が泣き出す寸前に見えた。
「どうしたの?」
「……別に。お前らこそ、こんなとこで何してんだ?」
シリウスはすぐにいつもの表情を作って言った。
「勉強に疲れたから散歩にね」
「そうか。今回、すげぇ量だったからな。俺も頭痛くなったよ」
思い出したのか、顔をしかめるシリウス。
「O.W.L試験のためよ」
「エヴァンスはやる気満々だな」
茶化すシリウスに、リリーは「当然よ。将来がかかってるのよ」と言い切る。
とたん、シリウスの表情がわずかに曇った。
は話題を変えようと、近くにあるアイスクリームショップを指した。
「まだ暑いし、食べていこうよ。シリウス、お金ある?」
「ある」
3人は涼しさを求めてアイスクリームショップへ急いだ。
それぞれ好きなアイスを買って店を出たが、シリウスの雰囲気はやはりどこか沈んでいる。
彼のことをあまり良く思っていないリリーも、さすがに少し気になったようで、心配そうにちらちらと覗っていた。
も素知らぬフリをしていたが、やはり気になっていた。
シリウスがこんなふうに気落ちする要因と言えば、夏休みという時期からして家族との問題がまず浮かぶ。
しかし、容易に口を挟めない問題であることもにはわかっていた。
何より『家族』というものをよく知らないため、どう言っていいのかもわからない。
数年前はいろいろ言ったような気もするが、あれは幼さ故の気楽さだ。
それはシリウスも同様で、年々こじれていく家族との関係に、それに関する話題にはだんだんと口が重くなっていた。
戸惑う2人の様子に、シリウスはフッと自嘲的に笑った。
「大丈夫だ。ちょっと……おもしろくないことがあって、気分転換に外に出ただけだから」
「そっか。何なら今夜はうちに泊まっていく? 家って言ってもレドナップのとこだけど」
「嬉しいけど、やめとくよ。余計にやかましくなるからな。なーに、もうすぐホグワーツだ」
自分を励ますように笑うシリウスに、も応援するように笑みを返した。
それからシリウスは、とレドナップとの生活に興味を示した。
「毛嫌いしてたけど、どうなんだ? うまくやれてるのか?」
「いい感じよ」
答えたのはリリーだ。
「あの先生がいれば、が道を踏み外すことはないわね」
「ちょっとリリー……人を不良予備軍みたいに言わないでよ」
心外だ、とは口を尖らせるが、リリーは自分が言ったことは正しいと言わんばかりにツンとすましてみせた。
見ると、シリウスも納得したように頷いている。
「お前はちょっと目を離すと何をしでかすかわかんねぇからな……」
「学校中を荒らし回ってるアンタに言われたくないよ」
「どっちもどっちよ。後先考えない行動はやめてほしいわ。同じ寮生として恥ずかしいのよ」
リリーにピシャリと言われ、とシリウスの言い合いは発展する前に終息してしまった。
その時、人ごみの中からを呼び止める声があった。
声の主を探すと、路地への入口でニヤニヤ笑いを浮かべている2人組がいた。達と同い年くらいだ。
「知り合い?」
「あー……知り合いと言うか何と言うか」
首を傾げるリリーに、は渋い表情をしてみせた。
近づいてくる2人の雰囲気に、シリウスは警戒心を露わにする。
2人はそんなシリウスに構わずに話しかけた。
「よぅ、最近見ないと思ったけど、尻尾巻いて逃げ出したわけじゃなかったんだな」
2人のうち金髪のほうが、小馬鹿にするように言った。
は小さく肩をすくめて返す。
「ちょっとすごいところにスカウトされちゃってね。才能あったんだ」
「ハハハッ。盗みの才能か?」
「ハハハ、まさか。私達、行くとこあるから。じゃあね」
素っ気なく言っては2人の前から立ち去ろうとしたが、案の定、彼らはそれを許さなかった。
「おい、待てよ。せっかく会えたんだ。少し遊んで行こうぜ」
「やだ。今日はこの2人と遊んでるからね。そっちはそっちで遊びなよ」
は、掴まれそうになった腕を払いのける。
それが気に入らなかった金髪の少年は、今度はリリーとシリウスに絡み始めた。
「ずい分お綺麗なオトモダチだな、えぇ? 何だ、金づるか? おいアンタら、こいつ俺らが預かっていいだろ。解放してやるよ」
「バカ言ってんじゃ……」
「無礼もたいがいにしなさいよ!」
シリウスの言葉を遮り、一歩前に出て少年を睨み据えるリリー。
シリウスもも目を丸くした。
リリーはすごい剣幕で続ける。
「だいたいあなた達、くさいのよ! においが移るから、これ以上私達にかまわないで!」
『くさい』にショックを受けたのか、金髪の少年はポカンとしていたが、その顔はすぐに怒りに染まっていった。
「こいつ……っ」
「……」
その時、今まで静観を決め込んでいた髪を赤く染めた少年が進み出てきた。暗い目の少年だ。
「ふん、生意気な女だ……」
少年はポケットに突っ込んでいた手を抜く。その手には、切っ先を鈍く光らせたナイフが──。
ほぼ同時にシリウスとが動いた。
2人は食べかけのアイスを、赤髪の少年の顔に思い切り押しつけた。
ギャッと叫ぶ彼に金髪のほうが気を取られた一瞬の隙をついて、シリウスが殴りつける。
はリリーの手を引いて、人の多い通りの中へと駆け出した。シリウスも、すぐに後を追ってきた。
3人は人をかき分けかき分け、ひたすら走った。
駆け足が歩みに変わったのは、息が苦しくなってきた頃だ。
後ろを見ても、あの2人が追いかけて来る気配はない。
3人はホッと息を吐いて、ようやく足を止めた。
そして、汗のにじんだ顔を見合わせたとたん、笑いが込み上げてきて吹き出した。
「リリーって、実はケンカっ早いよね! びっくりしたよ!」
「くさいって言われた時の、あいつの顔!」
思い出し、また笑う。
「あなた達だって、赤い髪の人の顔をアイスまみれにしたじゃない!」
「もったいなかったよね! あと半分残ってたのに!」
「あれ? エヴァンスのアイスは?」
シリウスは、リリーの手にもアイスがないことに気がついた。
「逃げる時にぶつけてやったわ」
「ダメ押しかよ、おっかねぇな」
は笑い過ぎて涙がにじむほどだった。
ようやく3人の笑いの発作が治まると、リリーは少し心配そうな顔でに言った。
「あの2人、知ってるのよね? いったい何なの?」
「ん……簡単に言うと、敵対グループだったんだ。昔、魔法界に連れて行かれる前の頃のね」
「呆れた……。いまだに絡まれるくらいケンカしてたっていうの?」
「うーん、そうだったんだねぇ。私、あいつらのことなんてすっかり忘れてたよ」
困り顔のに、リリーだけでなくシリウスもため息を吐いた。
「お前、問題を抱えるのが趣味なのか?」
「そんなわけないよ。いつの間にかいろんな問題が増えてちゃってるんだよ」
「まあ、ともかく……早いとこホグワーツ行きたいな」
「同感」
「ホグワーツ行ったからって、問題が解決するわけじゃないのよ」
投げやりな雰囲気の2人に、リリーはピシャリと現実を突きつけたのだった。
それから3人はあてもなく通りをぶらぶらと歩いた。
会話の内容はホグワーツのことが中心で、特にクィディッチや闇の魔術に対する防衛術の新任はどんな人かについて盛り上がった。
「クィデッチは……また選抜試験をやるんだよね? ダリルとデューイは続けるのかな?」
ダリルとはシーカーを務めている女子で、今度6年生になる。デューイはビーターで、7年生になる男子だ。
「デューイは7年生だから、どうだろうな? N.E.W.Tもあるしな」
「シリウスはもちろん参加するよね?」
が聞くと、シリウスはニヤッと笑ってみせた。
「ただの助っ人で終わるつもりだったんだけどなぁ」
「あれだけのプレイを見せられたら、そんなの誰も許さないよ」
「また騒がれちゃうわね」
「やめろエヴァンス……その話はするな」
クスクス笑いながらリリーが言うと、シリウスはとたんに渋い顔になった。
昨シーズンも、試合後のシリウスは魅了された女の子達に囲まれて大変だったのだ。
ジェームズさえも逃げ出したほどだ。
シリウスが困り果てているのは明らかなのだが、もあの女子の群をどうにかする気はなかったし、そもそも不可能だと思っていた。
下手につつけば、彼女達全員を敵に回してしまう。
「女の子達にちやほやされるのって、男の子は嬉しいものだと思ってたけど、そうでもなさそうね」
「じゃあエヴァンスは、何かあるたびに野郎共に囲まれて褒めちぎられたら嬉しいか?」
不思議がるリリーはシリウスに逆に問い返され、想像してみた。
しだいに彼女の表情が、うっとうしいわね、と言いたげなものになっていく。
褒められて持ち上げられて嬉しくないわけではないが、程度というものがある。
「私だったら、そいつら使って学校シメちゃうかな」
「そういう心づもりだから、は遠巻きにされるのよ」
呆れ顔でリリーが言う。
シリウスも同意するように頷いた。
「エヴァンスはアイドルになれるけど、お前は無理だ」
「う、うるさいな。はっきり言わなくていいよっ」
拗ねてみせるに、2人は小さく吹き出した。
いつの間にか、だいぶ空は暗くなっていた。
「そろそろ帰らなくちゃな……」
空を見上げ、ため息交じりに言うシリウス。
一度は断られたが、は心配になってもう一度誘ってみることにした。
「あのさ……」
「大丈夫、心配すんなって」
シリウスは、空を見上げていた時とは打って変わって、何の憂いもない笑顔で言った。
ああ、彼は戦ってるんだな、とは思い、黙って見送ることに決めた。
「じゃあ、またホグワーツで」
「ああ、またな」
とリリーは、そこでシリウスと別れた。
人ごみの中に彼の姿が消えた後、リリーがぽつりと言った。
「あの人のこと、あんまり好きじゃなかったけど……辛い思いをしてることはわかったわ」
「うん……だからね、私は決めてるんだ。シリウスが一人で戦えなくなった時には加勢するって。友達だから」
それと、とは今度はじっとリリーを見つめて言った。
「リリーもね。一人で思い詰めたらダメだよ」
ホグワーツに戻れば、またガードナーやメイヒューらにわずらわされることもあるだろう。
実際、リリーはわずらわされている。
を取り込むために狙われてしまった。
「向こうは徒党を組んでやって来るんだから、こっちもしっかり連携しないと」
は彼女達に屈する気はない。
けれど、彼女は対抗するのに有効だと思えば、多少危険なものにも手を出す傾向がある。例えば──闇の魔術。
闇の魔術がどういうものかは、リリーも調べたことがある。
あれは、心を蝕む魔法だ。
それが彼女の結論だった。
そんなもの、にはもう二度と触れてほしくない。
しかし、それが叶わないだろうこともわかっているから……。
「私達、もっと勉強して無敵にならないとね。も、また一人で突っ走ったらダメよ」
「……もう大丈夫だよ」
は決まり悪そうに苦笑した。
3年生の時、憎しみのままに突き進み、自滅した。
復讐の念が消えたわけではないが、あの時よりは落ち着いて自分の中の激情と向き合える──はそう思っている。
何があっても、離れてはいけない。
2人はそう決意した。
「帰ろうか。あんまり遅くなるとヤツがうるさいし」
「ヤツなんて言ったらダメよ」
ぼやくをたしなめるリリー。
2人は途中でピザを買って帰ることにした。
■■
目次へ 次へ 前へ