「おお、早いな……何を読んでるんだ?」
遅れて起きてきたレドナップが、あくび混じりに聞いた。
「新聞だよ。ゴシップ記事が減ったなぁと思って。代わりに行方不明者とか変死体の記事が増えてる」
「ああ、そうだな……。それはそうと、お前がゴシップ記事に興味があるとは意外だな」
「別に興味なんてないよ」
「だろうな」
基本的には実用的な本しか読まない。
物語にはあまり魅力を感じないのだ。
作り話を読んでいったいどうなるというのだ、と思うのだが、これを言うとリリーは哀れむような目をする。
は本当におもしろい物語に会ったことがないのだ、と。
そしてリリーはいくつかの小説を勧めてくれたが、やはりにはいまいちピンとこなかった。
そのためか、詩的な才能を求められる古代ルーン文字学はなかなか良い成績が取れない。
一つの文字にさまざまな意味があり、それらを組み合わせて新たな力とするこの科目を選択したはいいが、とても苦労していた。
宿題もなかなか捗らない。
レドナップも何回か相談を受けたが、との相性の悪さにため息を吐くほどだった。
無理して授業を取らなくてもいいと言ったが、うまくいくと強力な魔法ができあがるからもう少しねばりたいと言われては、それ以上は言えなかった。
「今日はエヴァンズとホグズミードに行くんだろう。変なところに入り込むなよ」
「入らないよ。だいたい、変なところってどこ?」
「お前が興味持ちそうなとこだ」
きっぱりと言い切られ、さすがにはムッとした。
「私、そんなにバカじゃないよ。それに、ナビはリリーだしね」
「そりゃあ安心だ。ところで、泊りがけの計画はどうなった?」
「日帰りになった。リリーも家族と旅行するんだって。宿題もあるし、忙しい旅行になりそうだって言ってたよ」
このことは、手紙で知らされた。
困ったように笑う顔が目に浮かぶ文面だった。
「旅行先で遊んでばかりいられないのは、学生の宿命だな。そういうのは老後にとっとけ」
レドナップも様子が想像できたのか、苦笑している。
「イタリアに行くんだって。ゴンドラに乗るって言ってた」
「ベネツィアか。いい旅になりそうだな」
レドナップも行ったことがあるのだろう。
懐かしむような顔だ。
「漏れ鍋で待ち合わせなんだ。昼ごはんと夕飯は食べて帰るよ」
「多少の羽目を外すのはかまわんが、あまり遅くなるなよ」
ゆるい注意に小さく笑ったは、朝食の準備に取り掛かった。
今日は彼女の担当だ。
料理はほとんどしたことがなかったが、レドナップの手解きにより何品か習得していた。
料理本の見方もわかったため、本を見ながら新しい一品に挑戦もできる。
しかし今朝は定番のベーコンエッグとサラダ、トーストで済ませることにした。
サラダ用のドレッシングを作っている時、レドナップが思い出したように言った。
「馴染みのばあさんが、今度ブルーベリーを送ってくれるそうなんだ。ジャムにしてみないか?」
「ジャムってどうやって作るの?」
「教えてやる」
が作れるものがまた一つ増えそうだ。
お昼前には煙突飛行で漏れ鍋へ飛んだ。
「こんにちは、トムさん」
マスターのトムに挨拶をすると、年の割にしわの多い顔をさらにしわくちゃにしてにっこりと笑顔を返してくれた。
軽く店内を見回すが、リリーの姿は見えない。
「待ち合わせなんだけど、まだ来てないみたい」
「何か飲むかい?」
「じゃあ、オレンジジュースを」
は入口からよく見えるテーブル席に座り、よく冷えたオレンジジュースを飲んだ。
店内の雰囲気は、前に来た時とあまり変わらないようだ。
しばらくすると店の扉を開けて、特徴的な赤毛のリリーが顔を見せた。
「リリー、こっち!」
「! 夏休みに入ってからちょっとしか経ってないのに、ずい分久しぶりに感じるわね」
「そうだね。でも、元気そうで良かった」
「風邪ひとつ引いてないわよ」
リリーが向かい側の席に着くと、2人はすぐにメニュー表を開いた。
トムがほんのりレモンの効いた水を持ってきた。
「ホットドッグとサラダを」
「私はこのパスタをお願いするわ」
「はいよ。ちょいと待ってておくれ」
料理が来るまでの間、2人の話題はもっぱらガードナー家のパーティのことだった。
リリーは心配していたのだ。
「あなたが大暴れしたんじゃないかと思って……」
「私、そんなに非常識じゃない……」
「え、ええ、わかってるわ。でも、ブラックも嫌々の出席だったんでしょ。何かあった時、止めてくれる人がいないじゃない」
「もう、心配しすぎ!」
リリーの気のもみようが大げさに思えて、はつい笑ってしまった。
トムが料理を運んでくると、2人は会話はそこそこに食べることに集中した。
食事が終わると暖炉を借りてさっそくホグズミードへ飛んだ。
行き先は三本の箒だ。
店は混んでいた。
夏休みだからか、親子連れが多く見られる。
「どこに行く?」
リリーの案内を期待して問いかけると、彼女も心得たとばかりに微笑んで答えた。
「おもしろい雑貨屋があるの。きっと気に入ると思うわ」
というわけで、さっそくその雑貨屋に向かうことにした。
リリーが言うには、大通りは前に来た時より混雑しているとか。
「三本の箒も混んでたから、やっぱり夏休み効果かしらね」
「お店は掻き入れ時ってやつだね」
もっとも、のアルバイト先があるノクターン横丁には特に変化はない。
いつも陰気で薄暗いのだ。
万が一、人で賑わったら異常事態である。
リリーが案内した店は、入口に魔法で自動的に動く人形が置かれていて、店に入る客達に陽気に声をかけていた。
「ごきげんよう! ここに泊まりたくなるくらい気に入ってくれたら嬉しいぜ!」
こんな歓迎の言葉をもらい、2人は店の中に入った。
入口の脇に案内板があった。
2階建ての店内はいくつかのコーナーに分けられている。
1階が木製と金属のコーナー、2階が紙製とガラス製のコーナーといった具合だ。
手前の木製のコーナーから見て回ることにした。
「雑貨っていうより芸術品!?」
奥へ行くほど、そういう品が多くなっていった。
一番奥の棚には、木の籠の中で木彫りの小鳥達が飛んだりさえずったりしている一品があった。
それは一本の太い幹をくり抜いて作られたもので、よく見ると小鳥の尾と籠の一部が繋がっていた。
もちろん値段はゼロがたくさんだ。
金属製のコーナーでは、可憐な音色のオルゴールが印象的だった。
台座がオルゴールになっていて、メロディが流れると上の動物(これも金属製だ)が踊るようになっている。
他にも魔法仕掛けで花びらが舞うものもあった。
「おもしろいなぁ、どうやって作ってるんだろう」
「なら作れそうじゃない?」
「う〜ん、挑戦したいかも!」
はこういう仕掛けのあるおもちゃや道具作りは好きだった。
せっかくだから何か買っていこうということになり、リリーは季節によって花が変わる押し花のしおりを、はかき混ぜると綺麗なメロディが流れるガラス製のマドラーを買ったのだった。
リリーがちょっと首を傾げる。
「あなた、コーヒーや紅茶にお砂糖は入れないんじゃなかった?」
「そうなんだけど、これ見てたらミルクくらいは入れてみようかなって気持ちになった」
「綺麗な音色だったものね。飲み物がおいしくなりそうだわ」
買い物をした後も店内をブラブラしてから外へ出ると、すでに2時間が過ぎていた。
腕時計で時間を見たリリーが目を丸くしている。
もちろんもびっくりしていた。
「時間が早送りされたみたい」
「本当よね。じゃあ、ちょっと休憩しましょうか。後半戦に備えてね」
「三本の箒?」
「そこは学校が始まってからのお楽しみにとっておいて……今日はとってもおしゃれでケーキがおいしい喫茶店に案内するわ」
「お勧めのケーキは?」
歩き出したリリーの後に続きながらが尋ねると、振り返ったリリーがまるで店員のような顔で答えた。
「店のオーナー所有の牧場で作られた乳製品による、特製チーズケーキでございます」
とても期待できそうだ。
その喫茶店は雑貨屋からそれほど離れておらず、路地に入ってすぐのところにあった。
さすがに混んでいたが、ちょうど2人用のテーブルが空いていて、待つことなく店員に案内された。
クラシックな内装が、外の喧騒から隔絶された雰囲気をもたらしている。
壁に掛けられたオーケストラの絵画が、ぴったりのクラシック曲を演奏していた。
はもちろんチーズケーキを、リリーはベリータルトを注文した。
一口、チーズケーキを口に含んだは、考えていた以上のおいしさに目を丸くする。
口当たりが軽く、後味もしつこくないのだ。
ほどよい甘さと酸味とチーズのコクで、口の中がとても幸せになった。
「幸せに浸ってるとこ悪いんだけど……」
申し訳なさそうにリリーに声をかけられ、はハッとした。
「宿題、進んでる? 5年生はO.W.L試験があるから、さすがに去年より量が多いわよね」
「ああ……うん。毎日ちょっとずつやってるよ。わからないとこはレドナップに聞いてる」
「あっ、いいなぁ! ……旅行、早めに切り上げてのとこにお邪魔しようかしら」
「そんなもったいない! せっかくの海外旅行なんだから、あんなオッサンと顔突き合わせるより、思いっ切り楽しんできなよ」
「でも、やっぱり気になるのよ」
「もしかして、行き詰ってるの?」
「今のところは順調だけど……」
リリーのことだ、きっと完璧に仕上げたいのだろう、とは思った。
「何なら、夏休み最後あたりに来る? それで、そのまま一緒にホグワーツに行くの。レドナップならきっと泊まらせてくれるよ」
の提案は、リリーにとってとても魅力的だった。
「そうできたら嬉しいけど、先生はご迷惑じゃないかしら」
「大丈夫じゃないかな。朝も、泊りがけの計画はどうなったか聞いてきたし。もしダメだったなら、その話をした時に断られてたと思うよ」
「そう。それなら、私もお父さんとお母さんに話してみるわ」
「私も確認しておくね。いつ頃がいい?」
「最後の2日間は?」
「いいよ。オッケーもらえたら手紙送るね」
話しがまとまり、紅茶をゆっくり飲んで2人は喫茶店を後にした。
何か思案気に歩き出したリリーについて行くと、彼女は小さく唸った後にに聞いた。
「ねえ、紅茶とハーブティの専門店なんて興味ある?」
「そうだねぇ……未知の世界かな。それだけに新しい発見に出会えそうな気がするよ」
少しばかり芝居がかった調子で言ってみると、リリーはクスッと笑みをこぼした。
「じゃあ行きましょう。こっちよ」
相変わらずの人ごみを縫って歩いている時、は何気なく脇に伸びる細い路地に目が行った。
ゴミが散らかった薄汚く暗いそこに、何人かの人が集まっていた。
彼らは、大通りには見向きもせず何かを話し合っている。
良い雰囲気ではない。
それだけなら良かったのに、はその中に見覚えのある横顔を見つけてしまった。
セブルス・スネイプだ。
「また変な連中と……」
彼が純血主義に傾倒してきていることは知っている。
何度か考えを改めるように話したこともあったが、いずれも失敗だった。
は見なかったことにした。
少し間があいてしまったリリーに追いつくため早足になった。
それにしても、と思うのは、何が彼をあんなふうに駆り立てるのかということだが、こればかりは考えたところで答えは出ない。
純血主義を推すということはセブルスも純血なのか……それもわからない。
今考えたところでどうしようもないことばかりなので、はいったん頭から追い払った。
しばらく行くと、紅茶独特の豊かな香りが漂ってきた。
それはやがて、道いっぱいに広がっていく。
「あそこよ」
と、リリーが指さしたほうを見ると、『tea−tea−tea』という看板を掲げたレンガ造りの建物があった。
とても歴史を感じさせる建物だ。
店内はもっと香りが濃かったが、不快ではなく、何とも言えない心地よい香りだった。
はしばらくその香りを堪能した。
そうしていると、ふと、視界に見知った鳶色の髪が入ってきた。
後ろ姿だが、間違えようがない。
「リーマス?」
呼びかけると、驚いたようにその人物は振り返り──やはり、リーマスだった。
「数日ぶり。紅茶買いに来たの?」
「そうだけど、まさかここで君に会うとは思わなかったよ」
リーマスは、本当に驚いたという顔をしている。
「私が連れてきたのよ」
店内を見て回っていたリリーが戻ってきて言った。
彼女の言葉に、リーマスは納得したように頷いた。
「そういえば、あなた紅茶が好きだったわね。もしかして、談話室で飲んでるのはここの紅茶?」
「そうだよ。ちょっと高めだけど、一度飲んだらやめられなくなってね」
「わかるわ! だって、本当においしいもの」
紅茶好き同士、通じるものがあるのか2人は微笑み合った。
「ねえ、もしルーピンが良ければだけど……魔法界の外にもおいしい紅茶を売っている店があるから、案内するわよ」
「いいのかい?」
リーマスの目が輝いた。
「ええ、自家製のお菓子もお勧めなの。でも、あなただけよ。ポッターとかポッター家の長男とかポッターとかいう眼鏡は連れて来ないでね」
「あはは……」
相変わらずのリリーの態度に、リーマスの笑顔も引きつってしまう。
しかし彼は心の中で親友に謝り、おいしい紅茶のほうを取ったのだった。
リーマスとはそこで別れた。
まだ他にも行くところがあるそうだ。
リリーとは買い物を再開し、はレドナップに茶葉をお土産に買っていくことにした。
「いい心がけじゃない。きっと喜ぶわよ」
「今日のおこづかい出してくれたからね」
「仲良くやれてるのね」
「仲良くっていうか……まあ、それなりに」
わだかまりがあっても何とかやっていると聞いて、リリーは安心した。
の本意ではないことを強く勧めたこともあり、気になっていたのだ。
「どの紅茶がいいかな? どうせなら、むせちゃうくらいの強烈な味のものを……」
「またそういうことを……。ここのダージリンはおいしいわよ」
を軽く小突き、リリーはダージリンが置いてある棚へ素直じゃない友達を連れて行った。
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