2.わたしはしゅくじょ

五年生編第2話  ついに特訓の成果を試す日がやって来た。
 は夫人が仕立て直したドレスローブに身を包み、薄く化粧をしてもらったところだ。
 鏡の前で自身をチェックするの表情は、パーティに行く者というより戦場に行く者といったふうだった。
 それを見た夫人が苦笑する。
、笑顔を忘れてはダメよ。そんな勇ましい顔してたら、誰もダンスに誘ってくれないわよ」
 ハッとしたは、夫人に向き直ると口元に微笑みを浮かべて淑女の礼をとる。
「そう、その調子よ。完璧だわ。さ、下におりてあの子達に披露しましょう」
 驚くわよ、とウキウキした様子で部屋を出る夫人。
 その後をが追う。
 彼女はダンスのレッスンに加えて礼儀作法も勉強していた。
 今までそういったものとは無縁でいただったが、今回のパーティには目的があり、そのためにも礼儀作法は必要だったため熱心に学んだのだ。
 リビングのドアを開けて入った夫人に続いたに、ジェームズ達は振り返り──目をまん丸にして固まった。
 そんな反応に気を良くしたは、先ほどのように『美しく見える』微笑を浮かべて完璧な淑女の礼をとってみせた。
 が着ているのは、最初に目にとまった水色をベースにして白と金で縁取りやラインを入れたドレスローブだ。
 中性的な顔立ちのが着たことで、凛とした雰囲気を漂わせていた。
 試しに夫人が勧めた黒地に金糸のレースのものも着てみたが、存在感ありすぎると判断してやめたのだ。目立ったところで意味がない。
 いまだポカンと口を開けているジェームズ達を夫人が笑う。
「どう? どこから見てもいいところのお嬢様でしょう」
、いつの間にそんな芸を……」
 失礼なことを口にするジェームズだったが、は得意気に一言。
「ちょろいもんよ」
 一瞬にしていつもの彼女に戻ってしまった。
 夫人はため息を吐き、ジェームズ達は顔を見合わせて苦笑する。
、言葉遣いも気をつけてね」
「学校の人達がいるんだし、今さらだと思いますけど……」
「綺麗な服が台無しよ。挨拶だけ完璧なんてちぐはぐだわ」
「それもそうか。気をつけます」
 が頷くと、シリウスが立ち上がった。
 こちらも持ってきたドレスローブ姿だ。
「おお、男前じゃないか。いい感じだよ」
 が褒めるが、シリウスの表情は冴えない。
「愛想がないけど、いつものことか。今日は楽しもう!」
「……よくそんな気になれるな」
「こんな時でもなければ見れないような、嘘と虚栄の人間関係をたっぷり観察するんだ」
「最悪の趣味だな」
 吐き捨てるように言ったシリウスに、は不満そうに口を尖らせる。
「シリウス、敵情視察だよ。今日のパーティに誰が来ているのか、ちゃんと見ておくんだ。思わぬ人が闇側に傾いているかもしれないでしょ」
 シリウスは意表を突かれたような顔をした。
「力関係も把握できるといいね」
「お前……そんなこと考えてたのか」
「利用されないためにもね。だから、アンタもしっかり目を開いててよ。あとは……料理が楽しみ!」
「頼むから、学校みたいにがっつくなよ」
 心配するシリウスに、しかしはニヤリとしただけだった。
 そろそろ時間だ。
 は暖炉の前に立つと、脇に置いてある箱からフルーパウダーを一掴み握った。
「それじゃ、行ってくるね。宿題やっといてくれると嬉しいなー」
「一日でどうしろって言うんだい? それより、帰ったらいろいろ話を聞かせてよ」
「もちろん」
 答えたは、ガードナーの家、と叫んで暖炉の中に吸い込まれていった。
 宿題をねだられたジェームズは肩をすくめてシリウスに向き直る。
って本当に抜け目ないね。シリウスも負けてらんないね」
「何の話だよ」
「君って時々ほんっっとに鈍いと思うよ」
 心の底から呆れたと言いたげな顔をするジェームズに、シリウスはイラついたように一つ舌打ちをした。
「わかってるよ。関わりたくもない連中が強引に関わってくるから対策を練るんだろ」
「何だ、さっきのの話、ちゃんと理解してたんだ」
 わざとらしく目を丸くするジェームズに、シリウスはますます苛立つ。
 ジェームズにいいようにあしらわれているその様子に、リーマスは思わず吹き出した。
「シリウス、ジェームズのおふざけにいちいち真面目に反応してたら、そのうち目が回っちゃうよ。それより、そろそろ行ったら?」
「ああ……そうだな」
 憂鬱そうにため息を吐いてフルーパウダーを掴んだシリウスを、ピーターが心配そうに見守っている。
「そんな顔すんなよ、ピーター。ちゃんと、てきじょーシサツしてくるから」
「暴れちゃダメだよ……?」
「お前は俺を何だと……まあいい、行ってくる」
 そしてシリウスも暖炉の中に吸い込まれていった。


 ようやく姿を見せたシリウスに、
「遅いよ」
 と、文句を言う
 すると、招待客の迎えのために立っていた執事がすかさず寄ってきて、杖を振ってシリウスの服についていた煤を払った。
 そして恭しく礼をして言う。
「シリウス・ブラック様でございますね。ご家族の方がお待ちでございます」
 シリウスは黙って頷くと、執事が導いた扉のほうへ歩き出す。
 続いたと2人そろって部屋を出る。
 暖炉から出た部屋は来客専用の一室のようだ。帰りもまた、ここから帰る。
 広間へ続く廊下にはメイドが控えていて2人を案内した。
 広間の出入り口の扉は開け放たれていた。
 メイドに促されて中に入ると、きらびやかな光景が広がっていた。
 色とりどりのドレスローブやアクセサリーで着飾った女性達。男性達もまた、正装に身を包み清潔感と威厳に満ちている。
 天井からは何百という蝋燭のシャンデリアがいくつも釣り下がり、広間をあたたかく照らしていた。
 立食形式のため、あちこちに配置されたテーブルには純白のテーブルクロスがかけられ、真ん中には花が美しく活けられている。
 度胸の塊のようなも、初めて見るこの光景に圧倒されてしまい思わず足が止まってしまった。
「こっちだ」
 シリウスの声に我に返り、足早に後を追う。
 彼の向こうに見覚えのある顔が二つあった。
 レギュラスとブラック夫人だ。傍らに立つもう一人の男性が当主でシリウスとレギュラスの父親だろう。
 レギュラスがに気づくと、驚いた顔をした後、嬉しそうに笑った。
さん!」
「久しぶり、元気そうだね。でも先に、お兄さんに挨拶したら……?」
「あ、そうですね。──約束通りちゃんと来たんですね、兄様」
 レギュラスはに対するものよりだいぶ冷ややかにシリウスに声をかけた。
 応じるシリウスも冷淡な表情だ。
 その間にはブラック夫妻に挨拶をした。
 ポッター夫人仕込みの完璧な礼だ。
 ブラック夫妻は満足そうに頷いている。
「まさかシリウスが言っていたパートナーがあなただとは思ってもみませんでしたわ」
「私も場違いではないかと遠慮したのですが、シリウスの熱意に負けました」
「まあ、そんなに熱心でしたの?」
 2人のそんな会話を、シリウスがギョッとした顔で見ている。
 としては、シリウスの一日奴隷がかかっているためボロを出すわけにはいかなかったのだ。
 ブラック夫人は値踏みするようにを見ている。
 はそんな視線を承知で微笑んでいた。
「これからも、息子と仲良くしてやってくださいね」
「愛想を尽かされないように努力します」
 ほんの少しの冗談も交えて2人の会話は終わった。
 夫妻は他の家の夫妻に呼ばれてそちらへ行ってしまった。
 子供達だけになったとたん、は大きく息を吐いてリラックスした。
「お前、あのババアとまともに会話するなんてすげぇよ……」
「兄様、お母様に対して何という言い方を!」
「いやー、かしこまった口調は肩凝るね」
 険悪になりかけた兄弟の空気を、ののん気な声がぶち壊す。
「でも、完璧だったでしょ。今日は淑女だからね」
「俺は今、女の裏側を見ているのか……」
「あれ、シリウスはそういうの見慣れてるんじゃないの?」
「こんなに真正面から見たことはねぇよ」
「ま、女に限らず、誰にだって裏側はあるもんだよ」
 知ったふうに言って頷く
 彼女が言うと、冗談か本気かわからない、とシリウスは思った。
 レギュラスも同様なのか、唖然としてを見ている。
 そんな兄弟を置いてけぼりに、は話を進めた。
「ガードナーにもアイサツするべきだよね」
「……おい、アイサツって喧嘩売りに行くんじゃねぇぞ」
「そんなことしないよ。シリウスこそ、メンチ切ったりしたらダメだよ。嫌な奴だけど女の子なんだから」
「俺が不良みたいな言い方するなよ」
「不良じゃないか。レギュラスはもうアイサツした?」
「そいつも連れて行く気か?」
 シリウスは心底嫌そうな顔をしたが、は見向きもせずにレギュラスの答えを待つ。
「ええ、ここに着いてすぐに両親と一緒に……でも、ご一緒します。ほら、あそこにいますよ」
「あ、本当だ。……ああ、この前のお茶会の面子か……」
 レギュラスが指したほうには、エレイン・ガードナーが友人達と談笑している姿があった。
 そして、2人が歩き出すとシリウスも仏頂面でついてくる。
 が声をかける前にガードナーが気づいた。
「あら、シリウスのパートナーってあなただったのね。今ちょうどそのことを話していたのよ」
「ちょっと緊張してるよ」
「冗談ばっかり。今日は楽しんでいってね」
 は本当のことを言ったのだが、ガードナーはそう思わなかったようだ。
 そんなやり取りをしているの横に、シリウスがずいっと進み出た。
「派手にやってるな」
「ふふっ。お父様はこういうことは景気良くやるのがお好きなの。シリウス、ダンスの時は私とも踊ってくれると嬉しいわ」
 シリウスの嫌味は見事に粉砕された。
 続く言葉を失ったシリウスにが笑いをこらえていると、少し強く肘で突かれた。
「だって……ふふふっ。ガードナーもやるねぇ」
 ついに声を立てて笑い出したに、ガードナーも微笑み返す。
 シリウスの機嫌はますます斜めになっていった。
「お前ら何で仲良くなってんだよ」
「兄様、みっともないですよ」
 レギュラスにまでたしなめられ、散々なシリウスだった。
「ごめんごめん。ねえ、何か飲もうよ」
 が言うと、ガードナーが慌てて給仕を呼んだ。
「私ったら気づかずにごめんなさい。ワインとジュース、どちらにする?」
「オレンジジュースはある?」
「ええ。お2人は?」
 ガードナーに尋ねられ、ブラック兄弟はワインを頼んだ。ワインと言ってもアルコール分はとても薄い。
 飲み物のグラスを受け取った時、ガードナー氏がパーティ開始の挨拶を始めた。
 どことなく商売っ気のある人だった。
 闇側に偏りつつあるガードナー家だが、ガードナー氏はが知るノクターン横丁の住人が持つ薄暗い雰囲気を持っていなかった。
 そのことを不思議に思っているうちに短い挨拶は終わった。
 そして、それを見計らっていたかのようにテーブルの上に作りたての料理が現れる。
 ホグワーツに引けを取らない豪華さだ。
「おいしそう!」
 の目が輝く。
「取り分けてきましょう。何が欲しいですか?」
 すかさずレギュラスがに聞いた。
 は一通り少しずつ、と頼んだ。
 と、ガードナーの友人達からうらやむ声が漏れ聞こえてきた。
「あの人、何でもそつなくこなしてしまうのよね。それなのに嫌味がないの」
さん、いいなぁ」
 それを聞いたは妙に納得してしまう。
「躾ももちろんだろうけど、あれは天性のものだね」
さんはいつレギュラスさんとお知り合いに?」
「図書館で会って、それからかな」
「グリフィンドールとスリザリンなのに不思議ね」
「私からすれば寮で必要以上に垣根を作るほうが不思議だよ」
 決して仲が良いとは言えないはずのガードナーの友人達と何もないように話すを、シリウスは呆気にとられて見ていた。
 彼なら、そんなことはできないからだ。
 話しくらいはできても警戒心はぬぐえないし、隠そうとしても表に出てしまうだろう。
 しかし、今のに警戒心は見えず、まるでただの友人だ。
 シリウスは、が何を考えているのかわからなくなっていた。
「お待たせしました。さん、どうぞ」
「ありがとう、レギュラス。いい匂い! ……シリウス、ぼーっとしてどうしたの?」
「……何でもない」
 それだけ言って、シリウスはグラスの中身を一気に飲み干した。
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