8.まさかの事実

4年生編第8話  翌日の朝食時の大広間で、は珍しく女子の輪に混じっていた。先に来ていたリリーとに、後から来た同寮生の女子グループが合流してきたのだ。
 彼女達はいつも様々な話題で盛り上がっている明るいグループだが、今日の話題は今流行の男性アイドルについてだった。もちろん魔法界での。
 食事の終わったテーブルに雑誌を広げ、みんなでその見開きページを飾るスターの写真を眺める。明るいブラウンの髪に青い瞳、深いワイン色のローブ。ゴールドのアクセサリー。
 アイドルだけあって端正な顔立ちの若者だったが、残念ながらにとってはそれだけの人物だった。そもそも彼がどんな活動をしてきたのか知らないのだ。好きも嫌いも生まれない。
 頬杖ついて気のない表情で紙面を歩き回る彼を見るに、女子の一人がやや不満げに声をかけてきた。
「もう、は彼を見て何も感じないの? かっこいいな、とか素敵だな、とか」
「う〜ん。確かに見た目はいいね。でも私、この人のこと全然知らないし」
「そういうことじゃなくて……こう、目が合った瞬間にドキドキするような感じ、しない?」
 期待するような目で見られ、はアイドルと目を合わせようと顔の位置を下げた。
 の動きに気づいた彼がくるりと振り返り、綺麗な微笑みを見せる。振り向き方も笑顔も、きちんと訓練されたものに見えた。
「……嫌味のない、綺麗な笑顔だね」
 たとえそれが営業用だとしても、この笑顔で人を幸せな気持ちにさせるなら、さすがプロだとは思った。
 しかしの返事は質問した女子の意に沿うものではなかったようで、彼女はガックリとうなだれてしまった。
 2人を見ていたリリーがクスクス笑う。
にそういうのを求めても無理よ」
「言えてる。感覚的なものって苦手そうだもんね。詩とか音楽とか。あ、でも図工は得意そう」
「美術的なものは駄目そうね」
「……ずいぶん好き勝手言ってくれるねぇ」
「本当のことでしょ?」
 リリーを始め、周りの女子達を軽く睨むけれど、彼女達は楽しそうにからかうように笑い声を立てるだけだった。
 それもそうだ、ともつられて笑みがこぼれる。
 笑いの輪が静まりかけた時、また一人が楽しげに言った。
「この人も憧れるけど、でも、私達にはとっても身近に王子様がいるのよね〜」
 言わずもがな、シリウスのことだ。
 今のホグワーツで王子と例えられるのは彼しかいない。
 同意する彼女達とは対照的に、リリーは不機嫌そうに眉をひそめた。
 ついさっきまで彼女達と一緒になってをからかっていたくせに、話題がシリウス──いや、悪戯仕掛け人の話になるととたんに態度を180度変えるリリーに、は口元に運んだティーカップに隠れて笑った。
 ところが、彼女達の笑顔は急激にしぼみ、一変して落ち込んだ空気が漂い始めた。
「……どうしたの?」
 首を傾げるとリリーに、彼女達は言うのを躊躇うように曖昧な笑みを浮かべていたが、目配せし合った後に一人が声をひそめて話し始めた。
「実はね、そのシリウスが女子生徒を襲ったっていうのよ。信じられる?」
 とリリーはほぼ同時に驚愕に息を飲んだが、その内容はまるで違うものだった。
 リリーは純粋に「まさか」の驚きで。
 は「あいつ、やりやがった!」の驚きで。もちろん、この「あいつ」はエレイン・ガードナーを指している。昨日の様子のシリウスが、わざわざ人に言いふらすはずがないからだ。ジェームズ達なら知っているかもしれないが、彼らとて外部の人間に話すことなどしないだろう。
 そんな2人の驚きを、同じものと捉えた彼女はさらに続ける。
「ハッフルパフの子らしいよ。シリウスって硬派なイメージあったけど、実際は違ったのかな……」
 シリウスはやってない、とすぐにでも否定したかったが、そうすると何故言い切れるのかという話になり、全部説明しなければならなくなるだろう。そして、事は大きくなってしまうのだ。
 マクゴナガルは、大事にしないことを望んだ。真実がどうあれ、繊細な問題だからだ。
 それを被害者であるはずのエレインが広めたということは……。
「……アバズレが」
 怒りを込めて呟かれた悪態は、小さすぎて誰にも聞き取られることはなかった。
 その時、女子の一人が「あっ」と口を開けた。
 視線をたどれば大広間の扉で、ちょうどジェームズ達4人が入ってきたところだった。
 いつもなら女子生徒達のピンク色の視線が集まるところだが、どれだけ噂が広まっているのか、灰色の視線がちらほら混じっている。特にハッフルパフからの視線は黒に近い灰色だ。
 シリウスもその微妙な視線と空気に気づいたのだろう、訝しげな表情をしている。
 隣の友人と肘を突付き合って意味ありげにニヤニヤしあうスリザリン生、関係ないよという顔をしながら耳だけはしっかりダンボになっているレイブンクロー生、敵意と疑心の眼差しのハッフルパフ生、戸惑うグリフィンドール生。
 各寮の反応は、おおまかにこんな感じに分かれた。
 がじっとシリウスを見つめていると、ようやく彼のほうも気づき、そしてこの微妙な空気の正体を察して目を見開いた。
 何も反応するな、と小さく首を横に振る
 悔しさと苛立ちにシリウスが奥歯を噛みしめるのが見てとれた。
 しかし彼は何もしなかった。かすかにに頷き返して、ジェームズ達と朝食の席に着く。
 リーマスとピーターが気遣わしげな目をちらちらとシリウスに向けていることから、仲間内には話したのだとは察した。
「そろそろ行こうか」
 あまりこの場にいたくなくて、はリリー達を誘う。
 みんなも同じ気持ちだったのか、頷いて席を立った。
 彼女達と連れ立って歩きながら、最初の授業は何だったっけと考える。考えながら、シリウスの後ろを通り過ぎる時、は励ましの意を込めて彼の肩を軽く叩いた。


 あれから、特にシリウスの身に何かが起こるようなことはなかった。ヒソヒソと会話が交わされること以外は。
 事態がこれ以上面倒なことにならないようにシリウスが自重していたというのもあるだろうし、ジェームズ、リーマス、ピーターが傍を離れなかったというのもあるだろう。特に、カッとなったシリウスを止めるのにジェームズは欠かせない。ふだんなら煽るジェームズも、問題が問題なだけに慎重になっているようだ。
「俺は何もしてないってのに、こういう時女はずるい」
「泣いた女の子には世間は甘いよね」
「アンタが相手しなければ、そのうち落ち着くよ」
 放課後の談話室でシリウス、ジェームズ、は隅のほうのテーブルにかたまって座っていた。
 はじめはチェイサーのフォーメーションについて話し合っていたのだが、いつの間にか悪戯の話になっていた。この話題にが参加しているのは珍しいことだ。
 の目下の敵は闇の魔術に対する防衛術の教師であるバートルミー・レドナップだ。ことあるごとに「あの偽善者」と罵っている。そして、廊下で見かけては攻撃を仕掛けているのだ。
 悔しいことに、その攻撃はすべて失敗に終わっている。
「それにしても、とうとうも悪戯のおもしろさに気がついたんだね。僕は嬉しいよ。キミが加わってくれればまさに無敵だ。もう誰も僕らを止められないね」
「全然違うよ。私の敵はレドナップだけ。他はどうでもいいよ」
 ウキウキと言ったジェームズのセリフをばっさり切り捨てる
 彼女の容赦のなさは今に始まったことではないので、ジェームズも今さらめげたりはしない。
「なあ、こんなのどうだ? ちょっと練習すりゃできるんじゃねぇの?」
 シリウスが手にしていた呪文集を広げてに見せる。
 そこにあったのは、床の摩擦をゼロにする魔法。
 4年生には少し難しい魔法だが、やってやれないことはないだろう。
「より引っ掛かりやすいようにマグル式トラップでも仕掛けようかな」
 ニヤリとしたに、ジェームズとシリウスも新しいオモチャを見つけたようにニヤニヤしながら頭を寄せた。
「もちろん僕達も参加していいんだよね?」
「反撃されてもいいならね」
 バートルミーはの攻撃をかわすだけではなく、反撃までしてくる型破りな先生だった。だから、フィルチにはすこぶる評判が悪い。
 しかしそのことは、ジェームズとシリウスの冒険心を刺激した。
 それじゃあさっそく具体的な計画を、といった時、談話室の出入り口のほうからシリウスを呼ぶ声がした。
「お客さーん!」
 とたんにシリウスがげんなりする。こう呼ばれる時はたいてい告白タイムなのだ。
「強姦未遂の噂なんて関係なさそうだね」
……直接的すぎ。──ったく、面倒くせぇな」
 ため息をつきながら立ち上がるシリウス。
 いったいどんな子なのか、と尽きない好奇心というか野次馬根性というか、そんなものに動かされシリウスについていくジェームズ。
 も、わざわざこんな微妙な時に告白してくるような図太い人はどこの誰だろう、と気になり2人についていくことにした。
 とはいえ、まさか横で聞いているわけにもいかないので、シリウスが廊下に下りた少し後に2人は談話室を出た。10mくらい先をシリウスと女子生徒が歩いている。
「あれ?」
 はその後ろ姿に見覚えがあった。不快感に顔が歪む。
 もしかしたら、シリウスとその女子は歩きながら話していたのかもしれない。
 突然、シリウスが達のほうに振り向き、ジェームズと2人、ごまかす間もなくあっという間に距離を詰められる。
 それこそ、逃げる余裕もなかった。
 ジェームズとは、シリウスに怒られるのを覚悟して背筋を硬くした。
 が、シリウスは2人に怒る様子などまったくなく、身構える2人のうちに手を伸ばすと、グイッと肩を掴んで引き寄せた。
 まるで、抱きしめるように。
「……は? え?」
「シ、シリウス……?」
 自分の身に何が起こっているのかわからず目を白黒させると、親友の行動が理解できず戸惑うジェームズをまるごと無視して、シリウスははっきりと宣言した。
「悪いけど、俺、今こいつに夢中なの。だから、お前の脅しなんか意味ないから。それに、嘘はいつかばれるぜ。その時、お前に居場所はあるかな?」
 ビシッと音を立てて空気に大きな亀裂が入る音が聞こえた気がした。シリウス以外の全員の耳が、確かにその音を聞いた。
 ジェームズとはそっくりな表情をしていた。
 ──この男はいったい何を言っているんだ? 血迷ったか?
 一方、シリウスを呼び出した女子、エレインは蒼白になってカタカタと震えていた。指先まで青ざめている。
 何がどうしてこんなことになったのか。
 どんな思考の末にシリウスはこんなことを口にしたのか。
 の頭に疑問ばかりが浮かんでくる。そのどれもが、考えてもわからないものばかりだ。
「あのぅ……」
 の発言を止めるように、シリウスの手に力が加わる。シリウスとはあまり背丈が変わらないので、少し苦しい体勢になっている。
 同時にヒステリックなエレインの叫びが廊下に響いた。
「丸く収めようという私の思いを拒否するのね!? やるだけやって、次はその子ってわけ? そんな子、遊び相手にする価値もないわよ!」
 そんな子、にどれだけの侮辱が込められているか、だけでなくシリウスやジェームズも感じ取った。2人の気配がサッと剣呑なものに変わる。
 一方は、エレインに嫌悪は感じたものの気持ちは急速に冷めていっていた。初めてオーレリア・メイヒューに会った時のように。その効果か、冷静になった頭はシリウスの考えを察した。
 今にもシリウスはエレインに手を上げそうな雰囲気だったが、どうにかそれを押し込み、威嚇するように彼は言った。
「お前よりは百万倍マシだ。いや、比べるのも悪いな。それに何度も言うが、俺は純血だの何だのに微塵も価値は感じてねぇ。くそくらえだ。狂った思想のお前らなんか滅んでしまえ。地獄に落ちろ」
「……その言葉、きっと後悔するわよ」
「後悔するのはお前だ」
 エレインはきつくシリウスを睨みつけると、すでに杖を抜いているジェームズと冷めた表情のを一瞥して去っていった。
 その背が廊下の角を曲がって見えなくなったところで、ようやくはシリウスから解放された。
 ローブのシワを整えるに、ニカッと笑ってシリウスは言ってのけた。
「まあ、そういうわけだ。よろしくな」
「少しは謝れ。私、あいつに目を付けられたよ。めんどくさい。メイヒューより性質悪そうだよ」
「けど、適任が他にいなかったんだ」
「アンタのファンにでも頼めば良かったでしょ」
「それじゃダメなんだ!」
「ちょ、ちょっと待って。僕にもわかるように説明してよ」
 言い合うシリウスとの間に慌ててジェームズが割り込む。
 何やら言いにくそうにしているシリウスに代わって、が説明を始めた。
「シリウスとガードナーの件は知ってる?」
「シリウスから聞いたよ」
 それなら話は早い、とは頷く。
「シリウスはガードナーの脅迫のこもったラブアタックから逃れるために私を使ったってわけ。付き合ってる人がいるとなればガードナーも手を引くと思ったんだろうけど──甘い!」
 甘い、と言うと同時にはシリウスの鼻先に人差し指を突きつけた。もう一歩指を進めて鼻をグリグリと押す。
「私があいつより身分あるお貴族様で純血主義なら引いただろうけど、あいにく違うからね、かえって煽っただけじゃないかな」
「うっ、鼻を押すな。……確かにそうだけど、言ったろ。他に適任がいなかったって」
 の手を払いのけながらシリウスはブツブツと言い返す。
 その横で事情を飲み込んだジェームズが「なるほど」と言いながら手を打った。
はこれまでの『実績』があるからね」
 ニヤリと人の悪い笑みを浮かべる。
 は渋い顔になった。
 黒歴史と言うべき『実績』。
 2年生の時の一件。その関連で闇の魔術に造詣が深いと言われ、また本人の性格とは関係なく怖がられているクライブ・フラナガンと仲が良いという件。3年生末の教室爆破事件。その他、小さな件もろもろ。特に教室爆破事件での評判はすこぶる悪い。どん底まで落ちたと言ってもいい。グリフィンドール内ではそうでもないが、他寮生には良く思われていないのだ。
 いくら気に食わないからといって、そんな人物においそれとちょっかいを出す者はいないだろう。仮に手を出したとしてもなら完膚なきまでに叩きのめすはず。
 そう判断してシリウスはを巻き込んだのだ。悪く言えば生贄に。
 何よりはシリウスを友達以上に思っていない。
 ムスッとしているの背を、バーンとシリウスが叩いた。
「だーいじょうぶだって。何かされたら俺も仕返しするから!」
「もちろん僕らも混ざるよ。親友の危機に駆けつけないでどうするのさ」
 それはそれは楽しそうなジェームズ。ちゃっかりリーマスとピーターも巻き込んでいる。
 彼も彼できっとの心配など微塵もしていないのだろう。それどころか何かしら騒動が起こるのを期待しているふしがある。性質が悪い。
 は肩を落として長いため息をついた。
「何でこんな茶番に付き合わなくちゃならないんだ……」
 そんなぼやきなど、テンションの上がったジェームズとシリウスに通じるはずもなく。
 翌日には、シリウスとは付き合っている、と全校生徒に知れ渡ったのだった。
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