「……誰?」
気を抜けないノクターン横丁でいきなりフルネームを呼ばれたのだ。たとえ相手がどう見てもこの場にふさわしくないお人好しそうなヤツでも、自然と警戒してしまう。このことはバイトを始めてから店長が口を酸っぱくして言い続けていたことだ。
剣を握るの手に力がこもる。
男の子はの剣呑な雰囲気に気づき、慌てて両手を上げて害意がないことを示した。
「僕はバリー・ハウエル。キミと同学年のハッフルパフ生だ。合同授業や選択授業で一緒なんだけど……」
「バリー・ハウエル?」
名前を繰り返し、は記憶を探った。
ハッフルパフとの合同授業は薬草学──記憶にない。グループを作る時はいつもグリフィンドールだけのメンバーだったのだ。では、選択授業は?
の脳裏に引っ掛かるものがあった。引っ掛かったそれは、スルスルと一連の記憶を引きずり出す。
「ああ、数占いの。先生に凄い質問した人」
「そうそう! ……あれは怖かったねぇ」
の雰囲気が多少やわらかくなったことで、彼は肩の力を抜いた。
男の子はホッとした様子だったが、はまだ警戒を解いてはいなかった。彼に気づかれないように本人確認を取ることを試みる。
「あの時、先生に何て言われたの? よく聞こえなかったんだよね」
ギクリ、と男の子の体が強張った。
目が泳いでいる。
がじっと見つめていると、やがて観念したようにバリーは口を開いた。
「テメェに呪いかけて授業の教材にしてやろうか」
は一瞬頬を引きつらせた後、警戒も忘れて哀れみの視線をバリーへ向けた。
数占いの先生は若くて美人だ。
何回目かの授業で少しばかり話が先生のプライベートなことにそれた時、バリーが質問した。
「恋人はいるんですか?」
彼は地雷を踏んだ。
どうやら恋人関連の話題は禁忌だったようだ。その理由はわからなかったが。なぜなら、質問したバリーの耳元で上のような返事をボソッと言ったため、バリーがそれっきり口を閉ざしてしまったからだ。恐ろしいその返事は、バリーとその両隣くらいしか聞こえていなかっただろう。また、聞こえなかった他の生徒達も、ただならぬ雰囲気にそれ以上その話題を続ける気にはなれなかったのだ。
は剣を握る手の力を抜いた。
このバリーは本物だとわかったからだ。
は彼が聞いた恐怖のセリフを知っている。隣に座っていたわけではないが、体質故に耳が良いために聞こえてしまったからだ。
ノクターン横丁で親しくない者が自分の名を呼んだら要注意である。特に闇の陣営が勢力を増しつつある今は。
もともとそれほどバリーを疑っていたわけではないが、これで完全に疑いは晴れた。
そこでは本来聞きたかったことを聞いた。
「それで、教材のバリー君はこんなとこで何やってんの?」
「教材じゃないっ。やめてくれ、怖いからっ」
「はいはい。それで?」
「……煙突飛行に失敗したんだ」
「迷子か」
「迷子だ」
ぶすっとしながらもバリーは自身の現状を認めた。
やれやれ、と肩をすくめる。
知り合ったばかりとはいえ、こんなところに置き去りにはできない。これで明日の予言者新聞に彼の死亡記事などが載った日には寝覚めが悪くてたまらない。
「ダイアゴン横丁でいいんだよね? 案内するから、その前にちょっとこっちに来てくれる?」
と、店を指差す。
はまだ勤務中だ。すぐにバリーをダイアゴン横丁まで連れて行きたくともできない。
バリーはその事情を知らないながらも、今頼りになるのはだけなのでおとなしく彼女についていった。
店の扉はいつの間にか直っている。騒ぎを聞きつけた店長が事務室から出てきて直したのだろう。あるいはセブルスが呼びに行ったか。にはどちらでも良かった。偽死喰い人を派手に追い返すことに、店長は寛容だった。なのでも好きにやらせてもらっている。そこからわかったのは、あの店長は商品が傷つかないかぎり、扉が大破しようが天井に穴が開こうが床が抉れようがビクともしないということだった。
給料が減らされたこともない。
店に戻るとセブルスが先ほどと同じ位置に腰掛けていた。店長はいない。さっさと事務室へ引っ込んでしまったようだ。
その店長が渡したと思われる本に目を落としていたセブルスが、帰ってきたに顔を上げ、その後ろに不安そうについてきているバリーに気づくとわずかに眉を寄せた。
実に小さな変化だが、それに気づいたはバリーを紹介して状況を教えた。
「ふん」
つまらなさそうに鼻を鳴らしたセブルスに、は苦笑する。
「ところで店長は奥?」
「ああ。僕は帰る。用は済んだ」
「わかった。まぁ、またおいでよ。店長が籠もってる時って新商品入荷の検討をしてる時が多いんだ。次に来た時は何かあるかもしれないよ」
「来る用事があったらな」
「じゃあね」
本をカウンターの上に置き、セブルスはバリーには一言もなく帰っていった。
入れ替わるようにがカウンター内に入り、客からは見えない位置に剣を立てかける。
バリー静かに閉じた扉をムッとした表情で見ていた。
それからを見てため息をつく。
「いろいろ聞きたいことがあるんだけど」
「答えられることなら。でもそれは後ででもいいかな? 店長に言ってくるから、そこで待ってて。商品見ててもいいけど触ったらダメだよ。痛い思いしても知らないからね」
一気にそれだけ言っては事務室のドアをノックした。
ドアの向こうから「入っていいよ」と許可の言葉があり、開けてみると店長は広い机いっぱいに何冊ものカタログを広げていた。
どうやらの予想は当たっていたようだ。
「店長、迷子を発見したんでダイアゴン横丁まで案内したいんですけど」
「うん?」
どこか上の空の返事の後、顔を上げた店長は壁の時計に目をやった。
もうすぐ5時だ。あと1時間ほどでの勤務時間が終わる。
「ああ、そうかい。じゃあ少し早いけど今日はもう上がっていいよ。友達かね?」
「いいえ。でも同学年です。選択授業が一緒なくらい」
「そう。ま、しっかり連れてってやりなさい」
「それじゃあ、お先に失礼します」
事務室を出たは、帰り支度を手早くすませると物珍しそうに商品棚を見て回っているバリーに声をかけた。
「おまたせ。さ、行こうか」
さっさと店外へ行ってしまったを、バリーは慌てて追いかけた。
薄暗いノクターン横丁を足早に迷いなく進むと、その後ろをおっかなびっくりついて歩くバリーの組み合わせは、少々奇妙だった。けれどその2人に近づいてくる者はいない。
この通りに慣れている様子のを不審に思いつつ、バリーは質問を口にした。
「あの店で働いてるの?」
「そうだよ。内緒にしててね」
まっすぐ前を見たまま答えるからは、あまり真剣さが感じられない。けれどそれは続いて出てきた言葉に覆される。
「もし言いふらしたら、全力で復讐するから」
「……言わないよ」
バリーは剣を振り回して男2人を追い払ったの姿を思い出して背筋を寒くする。
「スネイプとは友達?」
「そうだねぇ……だいぶ一方的な友達かなぁ。でも険悪ではないよ」
「ふぅん。グリフィンドールとスリザリンがねぇ」
「寮で友達選ぶわけじゃないから」
言い切ったに、バリーは小さく笑みを浮かべた。彼はの後ろにいるので、彼女がどんな顔で今のセリフを言ったのかはわからないが、好感の持てる言葉であることは確かだった。
バリーは大きく踏み出しての横に並ぶ。
「あのさ」
「悪いけど少し黙ってて。あんまり明るくおしゃべりしてると、ヘンなのに目をつけられるから」
ピシャッと言われ、バリーはサッと口を閉じる。そして、『ヘンなの』が周囲にいないか目で探した。
そんな彼に相変わらず前だけを見ているがため息混じりに言った。
「今は誰もいないよ。ほら、もうすぐダイアゴン横丁だよ」
が指差すほうを見やれば、ぼんやり明るく輝く通りがあった。
「まっすぐだったんだ……」
「たいした方向感覚だね」
が皮肉たっぷりに言えば、バリーはムスッとして唇を尖らせる。
その子供っぽい表情には楽しそうに口元だけで笑んだ。
そして今、何故かはバリーと一緒にアイスクリーム・パーラーにいる。
ダイアゴン横丁まで連れてきてくれたお礼だと言うので、ここはバリーのおごりだ。
ここに着いたらすぐ別れるつもりでいただったが、おごりと聞いてあっさりその意志を変えた。
ダブルのカップアイスを堪能するの前で、おいしそうにバリーはキャラメルサンデーを頬張る。
それだけなら良かったのだが。
見知ったところに出られて安心したバリーは、の予想もつかない素を現した。
彼はの後ろに目を向け、にへらっとだらしなく頬を緩める。
「後ろ見て。あの人、いいねぇ。あれは美人と見た。う〜ん、もうちょっとこっち向いてくれないかな。帽子のつばが邪魔して顔が見えない」
ずっとこの調子だった。
さらに。
「ああ……あの見事な脚線美! 写真に撮らせてくれないかなぁ」
いったいどんな反応をしたらいいのか、には皆目見当もつかない。
こんな人は初めてだった。
の周りの男の子は、みんなそれなりに女の子を好きだが、こんなに露骨な人はいない。
そもそもそういうことを女であるの前で垂れ流すものなのだろうか。
ジェームズのリリー賛美とはまるで違う。
ふと、バリーは視線をに合わせてニッコリした。直前までの気味悪いくらいにうっとりしたものではなく、年相応の笑顔だった。
「綺麗な女の人っていいね。幸せな気持ちになるよ」
「ああ、そう……年上が好みなの?」
半ばヤケクソな気持ちでが問えば、バリーは楽しそうに笑い声をあげた。
「歳なんておまけだよ。好きになった相手がたまたま年上だったり年下だったりするだけ」
「ふぅん。じゃあもう付き合ってる人はいるんだ?」
あまり考えずに口にしたの質問に、とたんにバリーは萎れていく。
もしかして失恋直後だったか、とが内心で焦っているとバリーは「それがねぇ」とため息と共に吐き出した。
「僕の告白を誰も本気だと思ってくれないんだよ。みんな笑いながら行っちゃうんだ」
「アンタの誠意が足りないんじゃない?」
「そんなことはない!」
シレッと言って最後の一口を味わったに、バリーはテーブルを叩いて否定した。食器がカチャンと鳴る。
「僕は交際の申し込みをそんな軽く考えたことはないよ。その時は本気でその人だけなんだ」
「じゃあ何で断られるんだろうね?」
「そんなの知らないよ。……あ〜あ、どっかに美人でやさしくて僕の気持ちを疑わないステキな女の子はいないかなぁ」
「そのうち見つかるでしょ」
投げやりに返したの言葉にも、切なさに浸っているバリーは気づかずにため息をついた。
しかしそれも束の間。
スッと脇を通り過ぎた二十歳くらいの細身の女に目は釘付けになっていた。
同じ切なさでも、今度は甘く切ないため息をこぼす。
「美しい……特に胸のラインがすばらしい」
は飲みかけの水を噴き出しそうになった。
そして、何故バリーに彼女ができないのか何となく理解した。
が呆れた目でバリーを見ていると、彼は真剣な顔でこう返してきた。
「美しいものを褒めて何が悪い」
ダメだこりゃ。
は早々にこの話題を打ち切りたくなった。そして帰りたい。
「は誰か好きな人はいるの?」
「いないよ」
「気になった人とかは? ときめいちゃった人とか」
「特には」
即答したとたん、バリーはびっくりするくらいに嘆きの声をあげた。
「もったいないっ。何てもったいないんだ! あのトキメキを知らないだなんて! いったい何のためにホグワーツに行ってるんだか! もう、キミ全然ダメ!」
「何でアンタにダメ出しされなきゃなんないんだ」
帰りたい、ではなく「お前もう帰れ」とは思い始めた。
大声で嘆かれたり、意味不明なダメ出しされたりと恥ずかしすぎる。周囲の視線も気になる。
ジェームズのリリー話より厄介だな、と思った。
そんなの気持ちも知らず、バリーは真剣な目をして身を乗り出してきた。
「は学校でふだん何してるの?」
「だいたいは課題やっつけてんじゃないかな?」
科目数多いし、とつけ加えるとバリーはその目に不満の色を見せた。
「でも、それが全てじゃないだろ。他は?」
「趣味の研究に費やしたり、クィディッチの練習したり……」
「な……なんて華のない生活を……修道士か?」
ヨロヨロと身を引き、椅子にへたり込むバリー。
彼の人生ではないのに、ずいぶんなへこみようだ。
しかし彼はすぐに立ち直り、再びグッと顔を近づけてくる。
「そうだ、クィディッチ! クィディッチでラブレターの一つや二つ、もらったりしなかったの?」
「そんなのないよ。アンタ、私をどうしたいわけ?」
「え? いや、どうしたいっていうか……」
の疑問にバリーは視線をさまよわせ、からになったサンデーの器の底をスプーンで突付いた。
答えを待つに、やがてバリーはずいぶんと緊張感のない笑顔で言った。
「もったいないじゃないか。女の子達のかわいらしい笑顔を見た時のあの幸福感。へこんだ気持ちも吹き飛んでいくよ。いいよねぇ、女の子って」
バリーの脳内でどんな光景が展開されているのか、には推し量ることもできないが、とりあえず恍惚とした表情から幸せなんだということはわかった。
が、それはバリーの幸せであっての幸せではない。
いいよねぇ、と言われても困るだけだ。女の子に囲まれても同性であるし、そっちの気もないので答えようがない。
それよりも、そんな想像にうっとりしている彼は変態ではないかと疑ってしまう。
私はここで何をしているんだろうか、と虚しい気持ちになってくる。
ボーッとバリーの間抜け面を眺めていると、彼はハッと現実に戻りやる気のない顔のと目を合わせた。
「、恋はいいよ! 絶対に経験するべきだ。いつだったかルーピンと噂になっただろ」
「あれは何でもないよ。ジェームズ達が勝手に騒いだだけ」
「だろうね。キミ達の間に全然そんな空気なかったし。でもホント、いいもんだって」
「……ああそう」
「そろそろ帰ろうか」
バリーが席を立つ。
ようやく解放される、と心底ホッとする。
しかしバリーはこのおしゃべりの時間が楽しかったのか、にこにこしている。
「今日は助けてくれてありがとう。もし気になる人ができたら相談に乗るよ。女の子同士よりも確実な情報をあげられるかもしれないし」
「はぁ」
「お互い良い恋しようぜ、同士よ!」
バーン、と力強くの肩を叩き、バリーは手を振って帰っていった。
は意味不明な同士にされた。
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