久しぶりに見たマグルの商店街は懐かしく、は始終笑顔でいた。それはリリーも同じだった。2人が特に注目したのは洋服屋と雑貨屋だ。飲食店はマグルのものも魔法界のものもたいして変わりはないが、服と雑貨は大変な違いがあった。ローブというものはないし、物が何もしていないのに動くこともないし、写真も静止したままだ。
ずっとそれが常識だったが、魔法界に触れたことで一変してしまった。
良いと思うものもあるし、遠慮したいものもある。
「ねぇ、これ見て。かわいいわね」
「ホントだ。妖精だね」
「防衛術でやったピクシーとは全然違うわね」
陶器でできた置物を見ながらリリーとはクスクスと笑いあった。
2年生の時の闇の魔術に対する防衛術の授業で先生が説明したピクシーは、凶暴なほどの悪戯好きだった。能力的には弱いのだが、群れて現れたりしたらかなり痛い目にあうだろう。
2人は文房具店で授業用に色ペンを数本購入した後、リリーの希望でアクセサリー店に入った。
アクセサリー店といっても庶民でも手が届くくらいの品を扱っている店だ。もちろん掛け合えばそれなりの値のものも見せてくれるだろうが、親同伴でもない十代半ばの彼女達にそんなものを見せるわけもなく、また必要でもなかった。
おこづかいで買える範囲のもので充分なのだ。日常で使うのだから。
リリーが向かったのはヘアピンのコーナーだった。
いくつか物色すると、リリーはへ振り返って言った。
「ねぇ、どれがいい? 私はこのへんの物が似合うと思うんだけど」
「ん? う〜ん……リリーにはあんまり似合わなさそうな色だねぇ」
「違うわよ、の物を選んでるの。前髪、邪魔そうにしてたから」
「ああ、私か」
どうりでリリーにしてはヘンな物選んでるなと思ったよ、と笑ってからはリリーの推薦した3本のヘアピンに目を向けた。
いずれもが好みそうな落ち着いた色だ。紺と深いワインレッドとの瞳の色と似た琥珀色。
「私はいいよ。前にリリーにもらったのがあるし」
「ダメよ。あれはもう子供っぽいわ。だから、プレゼント。ン……誕生日プレゼント」
はきょとんとして瞬きを繰り返した。
「誕生日、教えたっけ?」
「いいえ。いつなの?」
「知らない」
さらりと言ったの返事に、ついリリーは「そうなの」と普通に流しそうになり、ハッとした。流していいことではない。
目を丸くしたリリーの口が動く前にが説明した。
「名札とか何もついてなかったんだよね。自分の名前が何とか言えたくらいで。その時が3歳だったっていうのも、ホントのとこ、怪しいんだ。孤児院ではそういう子は1月1日を誕生日にしてたから、私もそうなるはず。だから、誕生日プレゼントにはちょっと早いね」
ふふふ、と笑うにリリーは何と返してよいのか言葉に詰まった。
思い返してみればの背景は暗く重いものばかりだが、本人がまるで気にしていないように振舞うから、慰めるべきなのか一緒に笑うべきなのかリリーは困ってしまうのだ。
だからといってプレゼントしたいという気持ちは揺らいだりはしなかった。そもそも誕生日プレゼントなどと言ったのは、ただの口実だからだ。
リリーは改めて、素直にそのことを伝えた。
「これはただのプレゼント。──ね、おそろいなんてどう? 私は同じ型のこっちの色にするわ」
言って、リリーが見せたのは深い緑色。
はやわらかく目を細くして琥珀色のヘアピンを選んだ。
「ありがとう、大切にする」
アクセサリー店を出た2人は、オープンカフェで一休みすることにした。
リリーはアイスレモンティーを、はアイスミルクティーを注文してパラソルの影になった席で品が来るのを待つ。
椅子に腰を下ろしたとたん、どっと疲れが出て2人はしばらく無言のまま、通りを行き交う人々の流れを眺めていた。
そうしているうちに冷たい飲み物が運ばれてくる。
一口、ストローから吸い上げると、たちまちほんのり甘いミルクティーが口内に広がり、心地よい冷たさにはホッと息をついた。体内にこもっていた熱も静まっていく。
しばらくの間、2人は黙ってそれぞれの飲み物に集中していた。周りは賑やかなのに、このテーブルだけ静寂に包まれていた。
こういう場合、先に静寂を破るのはたいていリリーで、今回もその例に漏れず彼女が口を開いた。
「ペチュニアに何を言ったの? 凄い剣幕では本当に友達なのかって詰め寄ってきたんだけど」
中ほどまで飲んだアイスミルクティーから視線を上げる。どこか呆けたような目をしていた。しかし、すぐに合点がいったように「ああ」と呟く。
「朝ね、庭の花を見てたらじょうろ持ったペチュニアが来たんだよ。そこで──」
はペチュニアと交わした会話の内容をおおまかに話した。
適当に相槌を打ちながら聞いていたリリーは、話が終わると同時に盛大にため息をもらす。ついでに肩も落とした。
「……なるほどね、納得。まったく、もっと他の言い方はできなかったの?」
「それは……でも、ペチュニアが少しでもリリーを理解するには、一番の手だと思ったんだよ。予想外にもペチュニアは姉思いだったけどね」
はニヤッと笑ったが、リリーは半眼で睨んでくる。
その睨みに一瞬怯んだに、リリーは畳み掛けるように言葉を紡いだ。
「あのねぇ、私はあなたのことを知ってるからその物言いも理解できるけど、あなたをよく知らない人にそんな言い方したらペチュニアみたいに言うに決まってるでしょう。そんなことだと敵が増えるばかりよ。ちゃんと言葉を選べる頭があるんだから、波風立たない言い方をすればいいのに」
「選んだ結果そうなったの。予想外なことにはなったけど、リリーだってそれがなければペチュニアは躍起になって姉を監視して、知って、理解を深めていくかもしれないって思うでしょ?」
リリー達のために言ったにのに何故怒られるんだ、とは口を尖らせて反論した。
けれどリリーが言いたいのはそういうことではなかったのだ。
リリーはまたしてもため息をついた。今度はもう少し嫌味っぽく。
もちろん気づかないではない。ムッとして前に座る友人を睨む。
「って2年生の時から全然成長してないのね。あの時だって最終的に先生に怒られるのはあなたのほうになるように仕向けた。今回も同じ。例えそれで私とペチュニアが前のように仲良くできるようになったとしても、はペチュニアに酷いヤツと思われたままじゃない。そんなの嫌よ」
リリーはイライラとテーブルを人差し指でトントンと弾く。そして、伏せていた目を上げて、に負けじと睨み返す。
「もっと自分を大切にしてよ」
ようやくリリーの言いたいことがわかったの目から、険が消えていく。
はエヴァンズ姉妹のために自分を犠牲にしたという意識はない。自身がペチュニアに悪く思われるだろうとわかっていたが、特に問題はなかった。それは、リリーとではどこに価値を置くかの違いから生まれた食い違いだ。
の口端がゆるゆると上がっていく。
「ありがと。まぁ、ペチュニアには今さら何を言ってもつまらない言い訳にしかならないだろうけどね。だから、特に説明はしないよ。うぅ〜ん、私って愛されてるなぁ!」
自分を抱きしめるように両腕を回し、くねくねしながらがおどけて言うと、顔を真っ赤にさせたリリーから「バカ!」という声が飛んできた。今になって恥ずかしいことを言ってしまったと思ったのだろう。
2人が帰宅したのは16時を過ぎた頃だった。
「──ということがあったんだ。すっごく楽しかったよ!」
エヴァンズ家お泊まり会から戻り、いつものようにバイト先の店で店番をしながらウキウキと話すと、それを背中で聞くスネイプ。
の話が一段落ついたところでスネイプは陳列棚からカウンターに視線を移す。
上機嫌のが教科書を脇に、羊皮紙にガリガリと文字を綴っていた。その姿はエヴァンズ家での思い出を話し出す前と寸分違わぬものだ。
止(とど)まるところをしらずしゃべりながら書き続けるとは器用なヤツだ、とスネイプは心の中で感心した。呆れのほうが若干多いが。
スネイプはゆっくりとカウンターに歩み寄り、羊皮紙を覗き込む。
「魔法生物飼育学か」
「そうだよ」
「遊び呆けてて今になって焦ってやってるのか? 幸せだな」
「ざんねーん。宿題はほとんど終わってまーす。そんなふうに言うからには、セブルスはもうとっくに終わってるんだよね」
ペンを止め、ニヤッと見上げたに、スネイプは何とも言えない顔で見返した。あえて言うならヘンな顔。
その反応に満足だったのかは羽根ペンを置いてグッと伸びをした。羊皮紙は半分ほどまで埋まっている。
「私も反省する生き物なのだよ。あの時、アンタの忠告を聞かなかったこと、バカだったなって思ってる。それから、わざわざ言ってくれたことにも感謝してるんだ。今さらだけど、ありがとね」
その時のスネイプ──基、セブルスの目は、は変なものでも食べたんじゃないかと言いたそうだった。だが、そのことは言わず、代わりに口から出たのは、
「……気色悪い」
だった。
は膝を叩いて爆笑した。
笑いによる息切れが収まると、はセブルスに椅子を勧めて宿題の量について愚痴り始めた。
相手をしないと解放してもらえなさそうだ、と早々と諦めたセブルスは仕方なく腰掛ける。
「一教科あたりの量が増えた気がしてならないんだよね。何なのこれは」
「5年生のO.W.L試験対策の始まりなんだろう」
「ああ、それか。アンタは就きたい職業なんてあるの?」
「……別に」
セブルスの表情が何となく沈んだ気がしたが、は追求しなかった。逆に「お前は?」と問われる。
「あんまり考えてないなぁ。マクゴナガルには上位を取れとか言われたけど。私が壊した教室の修理費は出世払いらしいから」
面倒くさそうにが言ったセリフに、椅子に座ってから初めてセブルスが顔を向けた。わざわざ口に出されなくてもわかる疑問が顔に書いてある。表情の乏しい彼には珍しいことだ。
「出世するのは私ね」
セブルスの顔に出ていた疑問に丁寧に答えてやると、彼はぽかんとした表情でを見つめた。
これまた珍しい顔だとは思った。
「よほど奇特な組織でないとすぐに放り出されると思うのだが」
「ハッキリした意見ありがとう。まぁ、とりあえず魔法省はないね。お断り。個人の店かなぁ。魔法界を出るという選択肢もあるんだけどね……」
ポツリと漏らした言葉にセブルスがハッとした時、店の扉が開いた。
店に入ってきたのは二十歳くらいの2人の男だった。
は客の顔をサッと確認すると、手早く勉強道具を片付けた。
席を立とうとしたセブルスを軽くあげた手で制すると、棚の商品に触れようとした一人にやんわりと注意の声を投げかける。
「それ、触ると爪が反り返ってとても痛い思いをしますよ」
男の手がビクッと引いた。
それは去年にレギュラスが触れようとしたのと同じ、表面がキラキラと光る綺麗な葉だった。
もう一人の男が呼ばれ、何やら話し合っている。声は小さすぎての耳にまでは届かない。
やがて、葉に手を伸ばしたほうの男がを呼んだ。
「これ頼むよ」
「はい」
必要な量を聞き、箱に詰めていく。カウンターに戻り、しっかり蓋をすると引き出しから注意書きが書かれた紙を取り出して箱の蓋に貼り付けた。これで、扱い方を間違えても店の責任にはならない、と店長が言っていた。
そしてが代金を告げた時、男達の態度が豹変した。
「これは偉大なあの方がご所望のものなんだ……まさか、金を取ろうなんて言わねぇよな?」
ニヤニヤといやらしく笑う男をは無表情に見上げたかと思うと、スッと箱を引いた。それからはうつむき、困ったように頭を掻いた。
「それ……本当のこと? 最近騙りが多くてさぁ」
スッと顔を上げたの眼光の鋭さに、男は一瞬気圧される。が、すぐに気を取り直し、より見下ろすように胸を反らせた。
「逆らうとどうなるか……わかってるだろう?」
「じゃあ証拠見せてよ。闇の帝王の手の者なら、あの印も付いてるでしょ?」
も負けてはいない。探るような目は男から1ミリもそらされることはなかった。
セブルスはじっと成り行きを見守っていたが、もし乱闘になったら手助けするしかないんだろうな、と諦めてもいた。万が一の時のために自分を引き止めたのかと思うと、かなり恨めしいと思うのだった。
とっとと品を渡してしまえ、と願うセブルスだったが現実は正反対の未来を目指した。
苛立った男が杖を引き抜く素振りを見せた瞬間、はカウンター下に立てかけてある長剣を手にし、切っ先が照明に反射したと思った時にはそれは男の喉元にピタッと押し当てられていた。
「調子に乗るなウギャッ!」
目の前の男の斜め後ろにいたもう一人が杖を振る前に、はあいているほうの手でペーパーウエイトを掴んで投げつける。それは正確に彼の鼻に命中した。彼は鼻血を吹いて倒れ、痛みでのた打ち回る。
そこからの展開に、セブルスは感心するやら呆れるやら恐ろしいと思うやら……どこか現実離れした感覚で、ただ眺めていた。
まず、は身軽にカウンターを飛び越えてその勢いのまま、剣を突きつけていた男の腹に膝蹴りを食らわせた。
ひっくり返った男の胸倉を掴み上げ、店の外に投げ飛ばす。その際、扉の蝶番が壊れ、扉自体も店の向こうに男と共に飛ばされていった。
もう一人、店内に残っていた鼻血まみれの男はすっかり怯えてしまい、が睨んだだけで店から飛び出していってしまった。
ダメ押し、とばかりには剣を振り上げて男を追いかけていく。
「おととい来やがれクソッタレー!!」
お互いを支えあいながら逃げていく2人組みの背中に、の罵声が飛んだ。
2人の姿が見えなくなったところで、はやっと体の力を抜いた。同時に大きく息を吐き出す。
「あーもぅ、やだやだ……偽者だってバレバレだっつーの」
ぼやいたところで、ふと道の端からこちらを見ている視線に気づいた。
何だと思って振り返ってみれば、この界隈にはあまり似つかわしくない男の子が一人。目を真ん丸にして怯えたようにを見ている。
年の頃はと同じくらいだろうか。砂色に近い金髪に深い青色の瞳をしている。
知らない顔だ、とは思った。
しかし向こうはこちらを知っていた。
「……?」
瞳から怯えが引いていき、代わりに驚きが広がっていく。
は訝しげに目を細めて彼を見つめた。
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