はリーマスの様子を見に行こうとして──やめた。
彼のほうにはジェームズ達が行くだろう。
それなら、自分はここでリリーを待っていようと思ったのだ。
昨夜、別れ際にこぼした言葉が気になっていた。
が。
女子寮のドアを開けて出てきた彼女は、いつもと同じだった。
「おはよう、今日も寒いわね」
まったく陰りのないきれいな笑顔でこんなことを言ってくる。
あの暗い呟きは夢だったのでは、と錯覚しそうだ。
けれど、夢と現実の区別がつかなくなるほど耄碌していない。
は探るような目でリリーを見つめた。
「どうしたの? も、もしかして寝癖ついてる?」
リリーは慌てたように髪に手をやる。
「ううん、ついてない」
「じゃあ……」
「何でもない。行こうか」
何となく。
気のせいかもしれないし、そうあってほしいと願うけれど、リリーから拒絶の雰囲気を感じてしまったは、昨夜の言葉のことを言い出せなかった。
リリーに合わせるように笑顔を浮かべ、廊下に出る。
ボタンを掛け違えたような気持ち悪さを抱えたまま、大広間へと下りた。
は大広間へ入る一瞬、ためらいを見せた。
セブルスを疑うわけではないが、昔、マグル界の孤児院にいた頃の視線を思い出してしまったのだ。
今の今まで忘れていたもの。
あの恐怖と敵意の視線は幼いの心を抉った。
前を行くリリーは、そんなの躊躇には当然気づかないし、ためらったのは本当に瞬きの時間程度だ。
たとえ誰かが見ていたとしても、よほど注意していないと気づかないだろう。
揺れる赤毛をやや硬い表情で追い、大広間へと踏み出した。
──何も、変わったことはなかった。
あれから寮へ戻ったセブルスは、直接口にして交わしたわけでもない約束をきちんと守っていた。
彼の生真面目さと見た目からは想像もつかない義理堅さを思えば言いふらすことなどありえないのだが、不安というものはとてもやっかいで、自分の中の弱い部分から音も形もなく大きくなり、気がつけば心を蝕んでいる。
しかし、それとは正反対に何もかも、いつも通り。
大広間の生徒達も、リリーも。
それなのにそのいつも通りが、何故かの居心地を悪くさせる。
どこかに嘘が潜んでいないかと疑ってしまう。
そんな自分がとても嫌いだとは思った。
何となくスリザリン席を気にしながら食事を続けていると、ほどなくしてセブルスが扉を開けて入ってきた一団の中にいるのが見えた。
探るようなの視線に気づいたのか、彼の瞳がグリフィンドール席へと動きその視線の主を捉えるが、そこには何の色もなかった。
あるとすれば、いつものように陰気でグリフィンドールを蔑むようなものだけ。
ジェームズあたりが見たら過剰に反応するだろう。
ふだんならだってため息をつきたくなるはずだ。
しかし、今日は違った。
その瞳に大きな安堵を覚えてしまった。
セブルスの視線がフイッとそらされた後、はわずかに苦笑する。
まさか、あの目に安堵する日が来ようとは、といったところだ。
現金なもので、もてあましていた疑念が解消されると、とたんに料理がおいしく感じられるようになり、減退気味だった食欲も戻ってきた。
「今日の最初の授業は魔法史だったね」
「寝たらダメよ。最近たまに居眠りしてるわよね」
「あははー」
リリーの指摘にごまかし笑いを浮かべる。
「ノート取り損ねても見せないから」
「そんな殺生な……!」
いつものようにリリーは厳しく容赦なかった。
けれど、そこには談話室で感じた拒絶感はない。
ようやく平常運転に戻ったかな、とはやわらかく微笑んだ。
とたん、リリーがサッと視線をそらす。
「そ、そんな顔したって見せないわよ!」
「そんな顔って?」
突然の態度の変化についていけず、きょとんとしたに隣にいた女子がからかうように笑いながら説明した。
「今の2人、すっご〜くイイ雰囲気だったよねぇ。恋人同士みたいにさ。、あなたそのままでいいわよ。リリーにふられたら私が慰めてあげるから!」
衝撃の内容には愕然とした。
自分の頬を包むように両手で押さえ、
「嘘!? そんな顔してた?」
と、うろたえる。
不本意ながらナリはこんなだが、中身まで変わった覚えはない。
それとも身体が変わると心まで影響されるのだろうか。
だとしたら、ポリジュース薬にはとんでもない副作用があることになってしまわないか?
リリーを見れば、隣の女子の言葉を肯定するように頬が赤い。
「待って! 私、女! 今はこんなだけど女だから! リリー、正気に戻って! アンタもヘンなこと言わないでっ」
「あははは、そんな怒らないでよ。ちゃんとわかってるから」
笑い飛ばす横の女子にはぐったりと肩を落とした。
その日から2週間くらい過ぎて、全生徒が待ちに待ったクリスマス休暇がやって来た。
今年はリリーも一緒にいるということで、も心待ちにしていた。
しかし彼女は今、すっかり生徒のいなくなった談話室でジェームズを締め上げていた。
「クリスマス前には元に戻るって言ってたよねぇ。どうして戻らないのかな?」
「ちょ、ちょ、おち、落ち着いて……んぐぁ」
「、いい加減放してやれ。死ぬぞ」
「アンタも同罪だー!」
まるで他人事のように言うシリウスに、はジェームズを投げた。
ガツンッ、とぶつかり合った2人が絨毯の上で悶絶する。
その2人の上からスッと影が差したかと思うと、覚悟しろと言うように杖先が突きつけられた。
「まさか、このまま放置しておくつもりじゃないわよね?」
杖の主は、体の芯まで凍りつきそうな目をしたリリーだった。
その迫力に、無敵の悪戯っ子のジェームズとシリウスが思わず後ずさる。
リーマスとピーターは青い顔で必死に他人のふりをしていた。
が、そんなことを許すでもなく。
彼女は、2人が盾にしている分厚い本を奪い取ると、凶悪な笑みを浮かべて見下ろした。
「アンタ達にプレゼントがあるんだ。受け取ってくれるよね……?」
リーマスもピーターも、心から首を振った。横に。
予感ではなく、不吉なプレゼントだと確信せずにいられない。
はポケットから小瓶を取り出すと、素早く栓を抜きリーマスに飛び掛り、小瓶の中の液体を口の中に突っ込んだ。
どこかで見たような、青味がかった銀色の液体──。
「んぐっ、ゴホッ……」
「、リーマスが、し、死んじゃうよ!」
「だったらアンタが代わりに飲めーっ」
「ぎゃーっ!」
咳き込むリーマスを放置し、はピーターを引き寄せると小瓶を口に押し込む。
リリーもジェームズとシリウスにうまいこと飲ませたようで、一仕事終えたすがすがしさからか、パンパンと手を払っていた。
「これ、いったい……?」
涙目で見上げるジェームズに、はニヤリとして一言。
「『ジェームズ、反省しろ』」
とたん、ジェームズはビタンッと下に叩きつけられた。まるで、強力な圧力で押し付けられているかのように。
シリウス、リーマス、ピーターの目が驚愕に見開かれる。
「いったい何を飲まされたの……」
顔面蒼白で尋ねるリーマスに、リリーが得意気に微笑んで説明した。
「これはね、問題児専用の魔法薬よ。服用した人はあるキーワードで体が重力に耐えられなくなって……」
「ちょっとちょっと、何その危険な効果!」
ガバッと起き上がったジェームズがリリーを見上げる。何だか泣きそうな目をしていた。
そんな反応に気を良くしたのか、リリーはふだんなら絶対に向けない華やかな笑顔を見せた。
「この加減に苦労したのよ。下手したら死んでしまうもの。ね、」
「そうそう。虫を使っての失敗の数々……テストには出ない難問だったね」
話を振られたは、しみじみと頷く。
ジェームズは言葉をなくし、シリウスは思い切り呆れ顔をしてみせた。
「おまえらそんなことしてたのかよ……」
「してたのだよ。まあ、効果はたぶん一ヶ月くらいだから、がんばってくれたまえ。フハハハハハ!」
『たぶん』を強調し、嫌味ったらしい笑い方のを、シリウスは青筋を浮かべて睨みつけた。
もちろん効果はないが。
「これで気晴らしができたね」
笑顔を交し合うリリーとに、悪戯仕掛け人からいっせいに抗議の声があがったが、やはりこれもきれいに無視されたのだった。
その日の夜は、ホグワーツ居残り組とダンブルドアを始めとする教師陣とでのクリスマスパーティとなった。
初参加となるリリーは、瞳を輝かせて興奮気味の様子。
円形に調えられたテーブルに、形も色のクリスマス色に作られたキャンドル、豪華な料理にクリスマスケーキ。
キャンドルの周りを蛍のように光が舞っているのが、とても幻想的だ。
大広間の一際大きなツリーも、否が応でも雰囲気を盛り上げてくれる。
「毎年こんな感じ?」
「そうだね。いつも楽しいよ」
の返事に、リリーも納得したように頷く。
居残りの理由はさまざまだろうけれど、落ち込んだ気分も慰められるに違いない。
席に着いたを、マクゴナガルがじっと見つめ、まだあのおかしな薬の効果が切れていないとわかると、諦めたように首を左右に振った。
は苦笑して肩を竦めるしかない。
全員そろった生徒の中に、今年もセブルスがいた。
もしかしたら、毎年残っているのはとセブルスくらいかもしれない。
どういった理由で毎年いるのかは知らないが、聞いても答えてくれないだろうことはわかる。
「それでは細かい話は全部省略して──メリークリスマス!」
メリークリスマス!
ダンブルドアのかけ声に全員が声をそろえた後、賑やかな食事は始まった。
最初から張り合うことが決まったいたかのように、シリウスとは隣同士に並び、わざわざ料理を奪い合った。
「ほっほっ。元気が良いの」
「校長、笑い事ではありません。二人ともおやめなさい、見苦しい」
呑気なダンブルドアに、マクゴナガルは渋い視線を投げて自寮の生徒を叱るが、あまり効果はみられない。
「あっ、そのラム肉狙ってたのに!」
「そうだと思ってた!」
「じゃあこのスペシャルサンド、もーらい!」
「そっちの皿にもあるだろうっ」
「わざとに決まってるでしょ」
始終こんな感じだ。
とうとうマクゴナガルも諦めた。
ところで、悪戯仕掛け人がそろっているということで、警戒心マックスでこの場に臨んだセブルスだったが、まったく何も起こらないことに別の意味の不信感を募らせていた。
日頃、教師の目を盗んで他人に嫌がらせをすることを生きがいとする連中だ──という認識のため、彼はせっかくの料理の味もほとんどわからないままだ。
この裏には、リリーとが飲ませた魔法薬の効果があるわけだが、彼にそれを知る術はない。
デザートまで残さず食べ終わると、寮へ戻ったスリザリン生を除いた3つの寮生でダーツ大会が行われた。
真ん中の赤い円に当たると花火と飴玉が飛び出し、外れると妙に腹の立つデザインのドクロがこれまた腹の立つ笑い声をあげるというものだ。
チェイサーを務める3人がもっとも高得点かと思えばそうでもなく、ドクロに指を差されて笑われる屈辱の場面もあった。
途中からダンブルドアやフリットウィック、スプラウトなどの教師達も参加して、大いに盛り上がった。
特にが一方的に宿敵としているレドナップが加わってからは、一段と熱がこもりレドナップのほうも年など感じさせないはじけっぷりだった。
「また、私のほうが真ん中に近かったな」
「む。何かズルしてんじゃないの、おじさん!」
得意気な笑顔を向けられたが、おじさんの部分を強調して張り合う。
しかし、レドナップは大人の余裕を見せ付けるように、手の中でダーツを弄び、
「ま、お前もおばさんになったら上手くなるかもな」
などと言ってきて、を黙らせた。
結局誰が一番花火を上げたのかはわからなくなったが、いつまでも終わらないお祭り騒ぎにマクゴナガルが就寝を告げに来るまで遊びは続いた。
談話室に戻ってからも、何となく眠る気になれず暖炉の前でトランプをやっていた。
「まさか校長先生までダーツしにいらっしゃるとは思わなかったわ」
「いつもはディナーが終わったら、みんな寮に戻るんだけどね」
「貴重な姿だったな」
リリーとの会話にジェームズが加わり、思い出したせいで軽く吹き出す。
「けっこう夢中になってたよな」
シリウスの言うことはまったくその通りだ。
マクゴナガルに終了を告げられた後も、今日くらいはとねばったのはあのダンブルドアだ。
いつまでもこの気分に浸っていたい、と6人は明け方まで起きていた。
トランプをしたりおしゃべりをしたり。
ジェームズ達といて、リリーがこんなにたくさん笑顔を見せたのは初めてではなかろうか、とは思った。
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