14.あなたが何者であっても

4年生編第14話  の大変身は瞬く間にホグワーツ中に広まった。
 朝食時間ギリギリに大広間に駆け込み、生徒がほとんどいなかったにも関わらず、そのわずかに残っていた生徒の口からあっという間に伝えられていったのだ。
「性別詐称とホモ疑惑、どっちが嫌かなぁ……」
「私には何とも言えないわ……」
 最初の授業の呪文学の教室へ向かいながら遠い目をしてぼやいたへ、リリーは同情の眼差しを向けることしかできなかった。
 怒りがおさまったは、抜け殻のようになってしまっていた。
 もしかしたら、心の中はまだくすぶっているのかもしれないが、表面上は枯れていた。
「みんなあっさりと今の私が本物だって受け入れたけど、おかしいよね? 3年間いた私は何だったの?」
「受け入れたって言うよりも、おもしろがってるように見えたけどね」
「他人事だからって……。そういうリリーだって実は私と付き合ってた、なんて言われてさ」
「それは私が自分で言ったことだもの。みんなビックリしてたわね」
「当然でしょ」
 情けなさそうに眉を下げるに、リリーは慰めるように丸くなった背を叩いた。
 みんな、とはグリフィンドールの面々である。
 今朝の談話室はこのことで蜂の巣を突付いたような騒ぎになったのだ。
 思い出したリリーはくすくす笑う。
「おもしろかったわね」
「まったく……いい根性してるよ」
 教室に着き、ドアを開けると一斉に生徒達がに注目した。
 その好奇の視線に耐えられず、逃げ出そうとしたのローブをリリーが素早く掴む。
「もうこれ以上、恥をさらしたくないっ」
「いまさらよ」
 身も蓋もないリリーの言葉に、はがっくりと肩を落として抵抗をやめた。
 すると、ジェームズが席を立ち、大きく手を振って二人を呼んだ。
 リリーはいつもより険のある目つきでジェームズを睨むと、の手を引いて彼らから一番離れた席へ向かう。
 がひどく落ち込んでいるからリリーは表に出さないが、本当のところ、この件について彼女はもしかしたら以上に腹を立てているのだ。
「元に戻るまで、私が助けるわ。部屋にあるものとか何でも言って」
「……ありがと」
 ようやく眉間のしわが消えて淡く苦く笑んだに、リリーはちょっと驚いたように目を丸くすると、パッと頬を赤くした。
 その変化に再びの表情が険しくなる。
「……ちょっとリリー? 今はこんなナリだけど、中身は私なんだよ。わかってる?」
「わ、わかってるわよ、大丈夫」
 乱れてもいない息を整えるように深呼吸を繰り返すリリーに、は胡乱な目を向けた。
 そして、教室に入ってきたフリットウィック先生は、を見るとひょいと片方の眉を上げ、
「ミス・がミスター・になったという噂は本当でしたか。まあ、成績への評価は変わりませんので。さて、授業を始めましょうか」
 と、嫌味だか何だかわからないことを言い、教室に笑いがさざめいた。


 午後の授業が終わる頃には、朝のの心配は最悪の形でまるで真実であるかのように囁かれていた。

 『つまり、はもともと男で魔法薬で女になっていたが、ついに薬を切らすというヘマをした。そうとは知らないシリウス・ブラックはに告白。そして、事実が明らかになって恨むかと思いきや、男でもかまわない、と気持ちは変わらず。今までシリウスが誰からの告白も受け付けなかったのは、こういう理由だったのだ!』

「もう一度言ってみろ……二度と口をきけないようにしてやる……」
「わーっ、ごめんごめん! ほんの冗談だから杖を引っ込めて!」
 選択授業の帰り、どこからともなく現れの神経を逆撫ですることを言ってのけたバリー・ハウエルへ、殺気を隠しもせずに喉元に杖を突きつけた。
 不貞腐れた表情で杖を下ろしたを、上から下までしげしげと見つめるバリー。
 感嘆のため息を吐く。
「見事なもんだね」
「まったく冗談じゃないよ。さっきアンタが言った腹立つ噂もだけど、見てよコレ。何だと思う?」
 イライラとした口調で話しながらがポケットから出したのは、何通かの手紙。
 一瞬後、バリーの瞳がお宝を見つけたかのように輝いた。
「まさか、まさかラブレター!? マジで?」
 がしかめっ面で頷くと、バリーは盛大に吹き出す。
「いやいやいや……本当に? はははは、モテモテじゃないか! や、前から隠れファンがいるのは知ってたけど、急に表立ったなぁ!」
「何、その隠れファンって。いや、そんなことより、笑い事じゃないから。だいたい、一ヶ月でこれも終わりだから」
「え、そうなの? ずっとそのままでいればいいのに……っと、ゴメン」
 ギロリと睨まれたバリーは、慌てて両手で口をふさいだ。
 は手紙をポケットに戻すと、全身でため息を吐いた。
 アッ、と何かを思い出したようにバリーが声をあげる。
 そして、こっちこっち、と説明もなしにの腕を掴んでグイグイ引っ張って歩き出した。
「何、どこに行くの」
 というの質問にはいっさい答えず、やがてシンと静まった廊下の曲がり角の手前で足を止めると、唇に人差し指を立てた。
 声を出すなということらしい。
 首を傾げるに、バリーはヒソヒソ声で言った。
「この先の空き教室にガードナーとブラックがいる。きっとキミのことでいろいろ話しているに違いない──立ち聞きしよう」
 悪びれたふうもなく堂々と言ったバリーに、は大いに呆れ、その大胆さに感心したのだった。

 そして、問題の空き教室の前まで抜き足差し足で接近したとバリーは、今さらながら周囲にひと気がないことを確認すると、お互いに頷き合い、ドアに耳をくっつけた。
 中から話し声が聞こえてくる。
「──本当に、私の話に耳を傾けてくれる気はないのね?」
「くどい。純血主義なんざクソ食らえだ」
 吐き捨てるようなシリウスの答え。
「その言葉、いつか必ず後悔するわよ」
「お前らの味方になるほうが後悔するぜ」
「……じゃあ、あの人とのことは?」
「あの人?」
よ、。付き合ってるんでしょ? もっとも、はエヴァンズと付き合ってたようだけど」
 の表情がみるみる渋くなっていく。
 気づいたバリーが、飛び出したりするなよ、と目で訴えかけ、はその表情のまま頷き返した。
 ここでこのドアの向こうに乗り込んだら、話がややっこしくなることなどわかりきっている。
 シリウスは呻くような、唸るような、意味のない発声の後、設定通りの答えを言った。
が誰を好きでも、俺の気持ちは変わらねぇよ」
 もし、シリウスを好いている女の子が聞いたらきっと泣いて喜ぶだろう台詞だが、あいにくは彼に恋愛感情を持っていないので、背中がムズムズするだけだった。
 そもそも芝居とわかっているので余計に落ち着かない。
「私も……同じ。あなたが、誰を好きでも……純血主義の私を嫌いでも、本当に、ホモだったとしても」
 笑いが吹き出しそうになり、は慌てて息を止めて両手で口をふさいだ。
 見れば、バリーも同じポーズだった。
 確かにシリウスはどんな女の子からの告白も断っているが、それは男が好きだからではない。見ていればわかる。
「それでも、あなたが好きだから。だから、敵対したくなくて、純血を守ることの大切さとそれに生まれたことの誇りと使命をわかってほしくて……」
 続いたこの言葉に、もバリーも笑いの発作がスッと引けていく。
 ガードナーの思想の中心がどこにあれ、シリウスへの気持ちは純粋なものだったとわかったからだ。
「シリウスが純血主義思想を嫌うなら、私もそう考えてみようと思った。でも、できなかった。わからなかった。代々守ってきたこの血を否定することの意味がわからなかった。でも、それを理解しないとあなたは私の話を聞いてくれない……」
 苦しそうなガードナーの声。
 は同情はしないけれど、何故か彼女に好感めいたものを覚え始めた。
「……純血を守りたいなら、そうすればいい。けど、それとマグルを否定するのは同じことじゃないと思う。純血を守るためにマグルを殺し、マグル出身の魔法使いを迫害するなら、俺は純血なんか滅んでしまえと思う」
 重く、絞り出すように、そしてとても真剣にシリウスは言った。
 彼の本音なのだろう。
 ガードナーが何の小細工もせずに真剣に心を話したから、シリウスもそうしたのだとは思った。
 そっと肘を突付かれる。
 バリーを見れば、もう行こう、と目で言っていた。
 足音を立てないように注意しながら、とバリーはその場から去った。

 充分にあの空き教室から離れたところで2人はやっと口を開いた。
 とはいえ、最初に出たのはため息だったが。
「ま、ホモと思われたりもしてるけど、これでブラックは大丈夫だな。後はだ」
「私?」
 もうこれで終わりじゃないの、と首を傾げる
「まだガードナーはキミに直接何かしたわけじゃない。なら、どうしても味方に引き入れたい人物にどんなふうに接する?」
 バリーに問われ、は考えた。
 例えば、最近いかがわしいオトモダチが増えてきたセブルス君。彼を二度とそんな奴らに接触させないように手を打つとしたら……。
 ああ、そうか。
 様々な策を考えた末に出た答えには小さく頷いた。
 見ていたバリーが微笑む。
「自分で直接話しに行く、だね」
「その通り。ガードナーは本気でブラックを好いていたけど、本気で純血主義の考えを信じてもいるんだ。今は味方を増やしたい時期だろう。そのうちきっと直接来るよ」
「……めんどい」
 ため息混じりに心底そうこぼしたに、バリーは盛大に笑った。
 ひとごとだから呑気に笑えるんだ、とは軽く睨む。
 と、そこでふと思い当たった。
「ああいう結末になるなら、私がこんな姿になる必要ないよね」
 とは言うものの、ジェームズにしてやられたから今の状況を迎えることになったわけでもあり。
 一ヶ月か、とはまたため息をつく。その頃はクリスマス前後だ。
「それにしても、ガードナーも最初から本音を打ち明けていればよかったのに。あんな演技しなくてもさ」
 は、空き教室でシリウスに乱暴された風を装ったガードナーを思い出して言った。
「前に言ったろ。あの人は我慢が苦手なんだ。手っ取り早く既成事実をでっち上げようとしたんじゃないかな」
「怖いなぁ。きっと、あれで諦めたりはしないよね」
「たぶんね。でも、もう強引な手段には出ないんじゃないかな」
 そうだといいな、とは思った。
「ところで
 急に明るい口調になったバリーがを呼ぶ。
 気のない目を向けたに、バリーはヒソヒソと囁いた。
「せっかく男になったんだ。ここで一つ、女の子の魅力について語り合お……イタッ」
「中身まで変わってないっての! 変態が!」
 ニヤけたバリーに遠慮なく拳骨を飛ばしたは、もう用はないとばかりに彼を置き去りにして駆け出した。


 仮にガードナーがシリウスのことをきっぱり諦めたとして、すぐにに接触してくることはないだろう。あんなことがあった後だ。ガードナーだって気持ちの整理が必要だ。
 それなら、しばらくは平和に過ごせるかな、というの楽観的希望は彼女を呼び止めた声の主によって砕かれた。
「やあ、久しぶり……レギュラス」
「ご無沙汰してます」
 丁寧に挨拶をしてきたのは、シリウスの弟のレギュラスだった。
 レギュラスは数秒間を眺めると、感心したように息を吐いた。
「本当に、男性になってしまったんですね」
「ちょっと、一生このままでいるような言い方しないでくれる? 一ヵ月後には戻るんだから」
 軽く睨みつけてが言えば、レギュラスはハッとして目をそらした。言い方がまずかったことに気づいたのだろう。
「それで、どうしたの?」
「その……兄が、とんだご迷惑を……」
「えーと、どっちのことだろう? 変な魔法薬を飲まされたこと? それとも付き合ってる宣言のこと?」
「……両方です」
 わざわざ兄の代わりに謝罪を言いに来たのかと思ったの口元に苦笑が浮かぶ。
 奔放に振舞う兄と違い、なんと律儀なことか。
 もっとも、シリウスも妙に義理堅いところがあるから、やはり血の繋がった兄弟なのだとは思った。
「別にアンタがやったわけじゃないし」
「でも、あんな兄でも……同じ家の者ですので」
 そして頑固だ。こんなところもやはり兄弟だ。
 にますますその思いを強くさせる態度だった。
 この頑固さ故に、一度すれ違ったらなかなか譲り合えないんだろうな、と2人の将来を少し心配して、目を伏せているレギュラスを見ていると、それをどう解釈したのか彼はパッと顔を上げて訴えかけるように言った。
「あのっ、お詫びにもならないと思いますが、クリスマスに我が家のパーティに来ませんか? ご招待しますので」
 この申し出には愕然とした。
 自信なさそうな顔して何という手を使ってくるのか、と。
 やはりスリザリン生である。
 お詫びという名目でを闇の陣営筆頭の家に呼び出し、力ずくで家を再興させて無理矢理傘下に組み込む計画か、とは予想し、どうやって断ろうかと思案する。
 下手な断り方をすれば、あらぬ方面から攻撃を受ける可能性がある。余計な敵などほしくない。
 急に厳しい表情になって考え込み始めたに、レギュラスはどうしてそういう顔になるのかわからず戸惑いを表す。
「何か、不都合でも? あ、もう先約が入ってますか?」
 慌てた様子のレギュラスをじっと見つめるは、ふと思った。
 ──本気でうろたえてる?
 演技をしているようには見えなかった。
 にも戸惑いが伝染してくる。
「それ……本気で言ってる? 私にブラック家のパーティに招待するって」
 自分の戸惑いがどこにあるかをわかってもらおうと、はやや説明的に疑問を口にした。
 とたん、レギュラスは小さく「あっ」と声を上げてうつむいてしまった。
 の言いたいことを察したのだろう。
「すみません、そんなつもりはなかったんです。ただ、本当に……」
「ああ、うん。そうかなって気づいたから、気にしないで」
 純粋にお詫びのつもりから出た誘いが、相手を陥れるような結果を招くことを気づかされたレギュラスは、すっかり消沈してしまっていた。
 何故だか素直な後輩を苛めているような錯覚を覚え、は居心地の悪さを感じた。
 と、同時に、このちょっと抜けた後輩に笑いがこみ上げてきて、お腹に力を入れて笑わないようにと我慢する。ここで吹き出してしまったら、きっと彼は傷つくだろうから。
「気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとね」
 ほのかに笑んでみせたら、レギュラスは切なさを抱えたような目でを見つめた。
「あなたが、僕達の側にきてくれたらいいのに……僕の兄が、あなただったら……」
 思わず出てしまった言葉だったのだろう。
 囁くような声で紡がれたそれを、慌てて打ち消すようにレギュラスは数回首を左右に振った。
 が、には聞き捨てならない台詞があった。
「私、何があっても誰かの『兄』にはなれないから……!」
「あっ、すみませんっ。そういう意味ではなく……っ」
「まっすぐ私を見て言ったくせに!」
「イタッ、イタタッ、ちょっ、髪を引っ張らないでくださいっ」
 その後、3回くらい「ごめんなさい」を言わせて、はようやくレギュラスを解放した。
 乱れた髪を直しながら、恨めしそうにを見るレギュラス。
「乱暴な……」
「これくらいで何言ってんだか」
 言外に「坊ちゃんめ」と含ませると、気づいたのかレギュラスはしかめっ面になった。
 ちょっかいを出されたことでいつもの調子を取り戻したのか、レギュラスは宣戦布告をするように言った。
「あなたのような血筋の人が、野蛮で愚か者の集団になんているべきではないんです。早く目を覚まされるよう、僕は諦めませんから」
 失礼します、とレギュラスはローブの裾さばきも鮮やかに去っていった。
 その血筋の四分の一に別のものが混じっていると知ったら彼はどんな顔をするだろうか、と小さくなっていく背を見ながらはぼんやりと思った。
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