医務室に駆け込んできたを見たとたん、泣きついてしまいそうだった。
ここ最近、脅しとも何とも言えない手紙が来ていた。
それは必ず一人の時に来る。人づてだったりフクロウだったりペットだったり、手段は様々だけれど。
そして、そこに必ず一回は書かれている言葉。
『分不相応』
滅んだとはいえ、の家がどれだけ高い身分であったか。影響力を持っていたか。歴史を持っていたか。優秀であったか。
その家の血を引くに、マグル生まれが気安く声をかけるなと。
そんなことが、つらつらと綴られているのだ。
最初こそ、自身も「馬鹿馬鹿しい」と切り捨てていたので、リリーも気にしなかったが頻繁に目にすればストレスもたまっていくというものだ。
『穢れたマグル生まれ』と、一年生の頃からスリザリン生に侮蔑の目を向けられ続けたのも、憂鬱の原因の一つになっているだろう。
に全部打ち明けて、
「こいつら正真正銘の馬鹿だね」
と、笑い飛ばしてほしかった。
けれど、言えなかったのは、手紙に脅し文句が書かれていたからではなく、リリー自身によるものだった。
心配をかけたくない。
そう思っていた。
言えばきっとはリリーの傍にいて、周囲に目を光らせるだろう。
そうなれば、確かに平和な日常に戻るだろうけれど、リリーはそれで良いとは思わなかった。そういう頼り方はしたくなかった。
これからも、魔法界で生きていくのなら。
「これくらい、自分で何とかしなくちゃ」
勢いをつけて起き上がったリリーは、少しでも身を守る助けになるようにと、呪文学の教科書を開いた。
クィディッチの試合当日になった。
グリフィンドールの初戦の相手はハッフルパフである。
はハッフルパフへの様々な感情を全力で脇に置いて試合に臨んだ。
今年のグリフィンドールチームは、チェイサーにシリウスが正式メンバーとして加わったことで話題になっていた。
グラウンドに出た両チーム選手を簡単に紹介する実況が、そんなようなことを言っている。
『──常に話題の絶えないブラック選手ですが、何と今は同じチェイサーの選手と付き合っているとか』
実況の余計な一言に、シリウスとのこめかみがピクリと震えた。
「あの実況、後でシメない?」
「ちょうど同じこと考えてたとこだ」
実況は2人を敵に回した。
いや、2人だけではない。会場のシリウスファンも敵に回したのだ。
明日、彼は聖マンゴのベッドの上かもしれないが、そんなことはシリウスとの知ったことではない。
それはともかく、審判のマダム・フーチの笛で選手達はいっせいに空へ舞い上がった。
観客席から試合を見ていたリリーは、グリフィンドールの強さに興奮せずにはいられなかった。
「すごい……今年のグリフィンドールは最強じゃない? シリウス、かっこいー!」
リリーの横にいた友人が黄色い歓声をあげて、思わず掴んだリリーの手を力任せにブンブンと振った。
さらに反対側の友人もリリーの肩に手を回してガクガクと揺さぶる。
「今のジェームズのパス見た!? 神業よ!」
確かに、針に糸を通すような見事なパスだった。
いつもふざけてばかりかと思っていたが、そんなんであのコントロールは発揮できないだろう。
そして、パスカットのうまい。
「コースを潰してる……」
クィディッチの詳しいルールは知らないが、パスカットの成功率が高いということは、相手の動きや癖を読み攻撃手段を封じるということだ。
鋭い洞察力と判断力が要求される。
「グリフィンドール史上に残る名チェイサー組の誕生だ!」
誰かが叫んだその声に、グリフィンドールの観客席から割れんばかりの歓声があがった。
耳がおかしくなりそうなほどだったが、リリーもその一部になっていたためまるで気づかなかった。
改めて自分はすごい人と友達だったのだと思った。
からすればリリーのほうが『すごい人』なのだが。
そして、思い出してしまう手紙のこと。
『あの人は、人の上に立つ家に生まれた人なのです。あの人が本来あるべき場所へ戻れば、何十という貴族があの人の前に膝を折るでしょう。あなたとは格が違うのです』
がそんな扱われ方を望んでいないのはわかったいたが、もしも……と考えてしまうのも確かだった。
もしもの家が滅びずにいたら。
もしも聞いた話の通りに代々そうだったようにスリザリンに組み分けされていたら。
もしも純血主義の思想教育を受けていたら。
──自分の隣にいなかったら。
そんなことはありえないとわかっているが、一度揺さぶられた心はとても敏感になってしまっていた。
の父親が純血主義から外れた考えの持ち主だったそうだから、せめてありえそうな可能性は、の両親が生きていたらという話だが、それはそれで結果は今と変わらない気がする。
けれど、リリーが不安に思うのはそうではなくて。ありえないほうの仮定の話だった。
考えるだけ無駄なのに考えてしまうのは、手紙の内容の一部は頷けてしまうからだ。
が時々見せる、他者を圧倒する何か。
クライブ・フラナガンを一発で心酔させた力だ。
シリウスも、同じものを持っている。
が、エレイン・ガードナーやオーレリア・メイヒューのような純血主義者だったら……。
リリーの思考がどんどん暗い方へ落ちていった時、ワアッと声が爆発し足元が小刻みに振動した。
ハッとして顔を上げると、周りのグリフィンドール生はお互い手を叩きあい、ベンチの上で飛び跳ね、グラウンドへ向けて大きく手を振っていた。
シーカーのダリルがスニッチを取ったのだ。
芝生の上でグリフィンドールチームが、ダリルを中心に集まって健闘を称えあっていた。
パーティの準備をしなくちゃ、と言う友人達に賛同してリリーもすぐに観客席を出た。そして駆け足で屋敷しもべ妖精が働く厨房を目指す。
チームメンバーが戻ってきたら、談話室はそれはそれは大賑わいになるだろう。
その様子を思い浮かべ、リリーは頬を緩ませた。
昨日の祝勝会の空気も冷めやらぬまま翌日を迎えたグリフィンドール生。
リリーともそのうちに含まれていた。
チームの出来が予想以上に良かったためだ。
2人は朝食のため大広間へ向かいながら、昨日の試合のことやふだんの練習のことをあれこれと話していた。
「次はクリスマス休暇の後ね。今年のクリスマスは私も残ろうと思うの」
「え? いいの?」
リリーを見るの目に喜びの色が浮かぶ。
……が、すぐにそれは心配の色に変わった。
「家族と過ごしたほうがいいんじゃない? 年に2回の帰省だし」
「ううん。今年はホグワーツでってずっと前から決めてたから」
「そう、それなら……」
ふふふ、と嬉しそうに笑い声をもらす。
その時、後ろからうるさく接近してくる足音と、を呼ぶ大声が聞こえてきた。
リリーの眉間にキュッとしわが寄る。声の主が宿敵ジェームズだったからだ。
それにしてもリリーを呼ばないのは珍しいな、などと思いながらが振り向くと、ジェームズを先頭にシリウス、リーマス、ピーターとお馴染みの面子が駆け寄ってくるところだった。
足を止めて待っていると、すぐに追いついたジェームズが興奮に頬を上気させてグッとの両手を握り締めた。
「もう僕達は本当に天才だよっ」
「はあ?」
いきなりの発言に何の話かさっぱりわからず目を白黒させるに、シリウスが軽く息を切らせながら手の中の小瓶を見せた。小指の長さほどの、青みがかった銀色の液体が入った小瓶だ。
魔法薬のようだ。
またろくでもないものでも作ったのだろう、とリリーの目が非難の色を帯びる。
そこまではいかなくても、も胡乱な目で小瓶を見た。
「これで万事解決だ……たぶん」
「たぶんって……いったい何のはなングッ」
ニヤリとしたシリウスは、素早く小瓶の栓を抜くとの口に突っ込んだ。
反射的にはシリウスを突き飛ばそうと動こうとしたが、両手はジェームズが全力で押さえ込んでいた。
「あなた達、何をするの!」
代わりにリリーが止めようとしたが、こちらはリーマスとピーターが邪魔をした。
「ごめんエヴァンズ。毒じゃないから。少しだけ協力して」
「ルーピン! これが協力を頼むやり方!? そこをどきなさい! どかないと……!」
怒りで顔を赤くさせたリリーが杖を抜こうとした時、が力が抜けたように膝を着いた。
「!」
ジェームズから解放され、床に両手をついて咳き込むに、リリーはリーマスとピーターを押し退けて駆け寄り、何度もの名を呼びながら背を撫でた。
ジェームズとシリウスは一瞬目を見交わした後、じっと期待するような真剣な眼差しでを見守り、リーマスとピーターは不安そうに様子を窺っていた。
ようやく激しい咳が落ち着いてきた頃だ。に異変があらわれたのは。
の間近にいて背を撫でていたリリーも、ほぼ同時に気づいた。
「うっ……イタッ。ちょっ、無理……っ」
腰というか腹というか、そのあたりを押さえて突っ伏して呻く。
リリーは触れていた手をハッと離し、おそるおそるの顔を覗き込もうとして、突っ伏しているために無理だとわかった。しかし、小さく漏れ聞こえた声に愕然としていた。
一方、ジェームズ達は。
その声に小さくガッツポーズをとっていた。
リーマスは困り果てた末の苦笑を浮かべ、ピーターは卒倒しそうなくらいに真っ青になっていた。
ゆっくりと、体を起こす。
髪の毛に隠れて表情は見えないが、リリーにはわかっていた。
リリーの顔も、ピーターに負けず劣らず真っ青だ。
もぞもぞとの手がローブの内側で動いている。先ほど押さえていた腰のあたりだ。
「あの……」
今後二度と聞けないような遠慮に遠慮を重ねたような声で呼びかけるリリー。
は小さく呻くと、一度、咳をした。まだ喉に魔法薬の名残があるのだろう。
それからは何故かリリーから顔をそむけて、ゆらりと立ち上がる。両手は不自然にローブの前と腰のあたりを掴み、やや前かがみになっていた。
「……覚えてろ」
ジェームズとシリウスに低く小声で吐き捨てると、は一直線にグリフィンドール寮へ駆け戻っていってしまった。
リリーはしばらく呆然とその背を見送っていたが、やがて怒りや非難や軽蔑やさまざまな負の視線でジェームズとシリウスを睨みつけると、すぐにを追いかけた。
『太った婦人』に合言葉を言うのももどかしく、リリーが談話室へ上がると朝食のために人のいなくなったそこの隅っこに、見慣れた白い髪の友人がうずくまっていた。
どう声をかけて良いのかわからずゆっくりと近づいていくと、足音に気づいたのかピクッと背が震えた。
思わずリリーの足も止まる。
ここに誰もいなくて良かった、とリリーは心から思った。
一度深呼吸をすると、そっと声をかける。
「……大丈夫だから。きっとすぐに効果が切れるわ。だから、その……」
「いいよ、無理しなくても」
「ええと……と、とりあえず、着替えましょう。窮屈でしょ」
「着替えなんかあるもんか」
はすっかり機嫌を損ねている。その身に起こったことを思えば当たり前だが。
けれど、言ったことは事実だった。
リリーだって用意していない。
「寝室にも入れないし」
「えっ!? 本当なの?」
コクリと頷く。
これにはリリーも困り果て、次の言葉が出てこなかった。
同時にジェームズ達へふつふつと怒りがわいてくる。
ちょうどその時、この怒りの原因が現れた。
「あの、……着替えがいると思って……ウワッ」
怒りを通り越して恨みや憎しみの瞳で立ち上がったが、ジェームズに呪文を飛ばしたのだ。
「こんなことして、いったい何の意味が……!」
「ちょっ、せつ、説明させて!」
「、談話室を壊したらダメよ!」
「粉々になってしまえっ!」
「ギャーッ!」
粉砕呪文を連発するが疲れて攻撃をやめたのは、十数分後だった。
ハリケーンに襲われた後のような談話室の後片付けをするリーマスとピーターを置いて、ジェームズとシリウスはリリーとを寝室に連れていった。
「じゃあ、これで」
短い言葉と共に着替えを渡された、ギロリとそれを渡したジェームズを睨んでベッドのカーテンを閉める。
勧められた椅子を無視し、リリーは腕組みしてジェームズに説明を求めた。
「どうしてあんなことしたの? 解毒剤は?」
「エレイン・ガードナーに諦めてもらうためだよ」
「どこが? を男の子にすることがどうしてガードナーの話と繋がるの?」
リリーの鋭い詰問と同時に、勢い良くカーテンが開かれた。
いつもと変わらず、上から下までぴっちりとローブの止め具を閉めているが、どう見ても男子生徒ながいた。中性的な顔立ちでも、もう誰も男の子だと間違える人はいなかったが、これは同じ中性的でも誰も女の子とは思わない顔立ちだ。背も少し伸びていたし体格も違うし、声も男の子の低さになっていた。腰のあたりを押さえて痛がっていたのは、スカートがきつかったせいだ。
ある意味変わり果てた友人の姿に、リリーは哀れみのこもったため息をもらした。
はブスッとしたまま、ジェームズとシリウスを睨んでいる。早く説明しろ、とその目は言っていた。
ジェームズは肩をすくめて苦笑混じりに言った。
「シリウスと付き合ってるってもっぱらの噂のキミが、男だったってことになれば、ガードナーはどうしようもない人に恋をしたってことで諦めるだろ。そうしたら、周りも静かになると思うんだ」
「私とシリウスの名誉はどうなる」
「俺は別に……これでガードナーがおとなしくなるなら」
「そこまで自分を犠牲にしなくても……。それに、うまくいくとは思えないけどねぇ。だって、ガードナーの目的はシリウスを純血主義の陣営に引っ張り込むことでしょ。そこに恋愛対象は関係ないんじゃないの?」
険を含んだ声で淡々と反論する。
しかしジェームズは、待ってましたとばかりにニンマリと笑んだ。
「それがそうでもないんだ。僕が調べたところ、ガードナーはかなり本気でシリウスに惚れてる。その相手が実は同性しか愛せない人だったら?」
「……な、なんて陰険なことをっ」
呆れるの横でリリーが思わず声をあげた。
リリーとて、ガードナーには腹を立てていたが、さすがにこのやり方には憤りを覚えた。
「人の心を弄ぶなんて最低よ!」
「でも、一気に片付くだろ。ガードナーは予想外の失恋をして、シリウスから手を引く。そうすれば、とばっちりのも平和になる」
そしてリリーも平和になる、と心の中でジェームズは続けた。彼の最終目標はここだ。
ジェームズとて、この方法が卑怯で最悪であることはわかっていた。けれど、それでも選択してしまうほどに怒っていたのだ。
ジェームズはの瞳を覗き込み、同意を求めた。
「そう思うだろ?」
「まあ、確かに。失敗するにしても、効果はあるだろうね……」
渋々ながら認めた言葉にジェームズは大きく頷き、リリーは咎める声をあげた。
しかし。
「でも、私の人生メチャクチャじゃないか! 絶対嫌。早く元に戻せ」
断固反対の意志を見せたに、ジェームズとシリウスは顔を見合わせて途方に暮れたような、乾いた笑みを浮かべあった。
は嫌な予感がした。
「実はさぁ、魔法薬の効果がすぐに切れたら意味がないと思って、長いこと持続するようにしたんだよ」
「……どれくらい?」
「一ヶ月くらい。いや、問題が片付くまで継続して飲んでほしいんだ」
「ふざけんなァ!」
ジェームズが言い終わるか否かの瞬間にの怒声が響く。
部屋の入口で小さく悲鳴があがった。
間の悪い時に入ってきたピーターだ。後ろにはリーマスがいる。談話室の修復は終わったようだ。
瞬きほどの刹那の後、今度はリリーが声をあげた。
「わかったわ! は私と将来を前提にしたお付き合いをしていることにすればいいのよ!」
「よくないよっ」
すかさず反対するだが、リリーは真剣だった。
いや、真剣に見えてその双眸は何かが突き抜けた色を宿していた。
平たく言うと、やけっぱちだ。
「のことは、私が守るわ」
何か間違った決意をこめて、リリーはの両手をギュッと握り締めた。
ジェームズが何か叫び、シリウスが引きつった表情で一歩引き、リーマスは唖然とし、ピーターは静かに部屋を出て行った。目の前の出来事に耐えられなくなったのだろう。
──もう、どうにでもなれ。
は、変な方向に男前すぎるリリーに疲れたような笑みを浮かべることしかできなかった。
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