11.その資格ある者を

4年生編第11話 《眠いなら、寝ちゃっていいよ》
 短い唸り声のような音の中にこめられた気遣いに、は落ちかけていた意識を浮上させた。
 目をこすりながら傍らの狼を見上げる。
「うー……ん、大丈夫」
 狼が苦笑したのが気配で伝わってきた。
 今日は満月。
 ここは『叫びの屋敷』2階のボロいベッドの上。ボロいけど広さはある。
 もうだいぶ体が大きくなった狼と、平均より背の高いが寝そべってもまだ余裕があるくらいの広さだ。
 が、スプリングの具合はすこぶる悪い。
 室内の明かりは、の杖の明かりのみ。蝋燭に火は灯されていない。
 もリーマスも夜目が利くので特に不便はないが、あれば部屋に温かみが出るだろう。
 それとも、蝋燭の明かりに照らされることで、かえって荒廃ぶりが増して見えるだろうか。
《そんなんで、今度の試合で箒から落ちても知らないから》
「落とすことはあっても、落ちることはありませーん」
《ちょっとちょっと、たとえ相手がスリザリンでも落としちゃダメだよ》
「メイヒューは一度落としてやりたい」
 オーレリア・メイヒュー。
 1年生の時からの宿敵である。
 きっと一生嫌い合う関係だろう、と容易に想像できるくらいそりが合わない。
 そのメイヒューのいるスリザリンとのクィディッチの試合は、決勝までいかないと行われない。最初の相手はハッフルパフだ。
「ハッフルパフか……」
 ここ最近の騒動を思い出したの眉間にしわが寄った。
 ハッフルパフの人達は、みんな穏やかで良い印象しかなかったのだが、夏休みに会ったバリー・ハウエルや、現在進行形で戦闘中とも言ってよい関係のエレイン・ガードナーを思うと、複雑な気持ちになる。
「シリウスはガードナーから何かされてる?」
《この前喧嘩して、それから急にしおらしくなってたよ。シリウスは思いっきり引いてた》
「本当、何考えてんのかわかんない奴」
 リーマスも大きく頷いた。
 はため息と共にガードナーのことを頭から追い払った。
 そして「そんなことより」と、新たな話題をふる。
「アニメーガスは進んでる? ちょっとくらいは変身できるようになった?」
 リーマスは困ったように唸る。
 危険な変身術であるアニメーガスにジェームズ達が挑戦していることを、彼は嬉しさと困惑と申し訳なさの入り混じった思いで見つめていた。
《進んでる……みたいだね。いよいよ禁書の本も残り三分の一くらいまで理解したって言ってた》
「それは凄いね! 一緒に満月を過ごせる日も近いんじゃない?」
《……そんなこと、してくれなくていいのに。バレたら退学だよ》
 自分のせいで将来有望な彼らを退学にしてしまうかもしれないという責に、リーマスは苦悩している。
 がふさふさとしたその背を、軽く叩くように撫でた。
「きっとジェームズ達はさ、リーマスと一緒に退学させられるなら本望なんだよ」
《僕は本望じゃないよ》
「シリウスにも言ったことあるけど、ブラック家に生まれたこととかヴァンパイアの血が混ざってるとか狼人間であるとか、もうどうしようもないことなんだよ。死ぬまで変わらない……ううん、死んでも変わらない事実で、だから嘆くよりもそれを利用するとか不利を補う方法を考えるとか、価値観そのものを変えてみるとか、とにかく立ち止まってちゃ何も始まらないと思うんだよね」
 リーマスも思い出していた。いつかシリウスから聞いた話。
 いずれシリウスが家を継ぐなら、その時にブラックの歴史を変えてしまえとか何とかは言ったとか。
《恐ろしいほど前向きだよね、って》
 けれど、その前向きさが自分に足りないものだとリーマスもわかっていた。
 ちなみにに足りないものは、過去への執着心だと言い切れるリーマスだった。
 必要とあらば、今手にしているものを全て手放すことも厭わないだろうに、もう少し未練を持ってくれと言いたい。
 みんな置いていってしまいそうで、時々それがひどく寂しく怖く感じるのだ。
 そんなリーマスの思いも知らず、ははずんだ口調で言った。
「私もね、やっと手がかりを掴んだんだよ」
《……何の話?》
「脱狼薬。リーマスからもらった血液を調べててたどり着いたから、たぶんいけると思うんだ。満月に向けて活性化する狼の血を抑えるのは、トリカブトだと思うんだよね」
 猛毒の植物の名に、リーマスは思わず飛び上がった。
《僕を殺す気!?》
「まあまあ。問題はその分量と他に混ぜるものとその調合方法だよ」
《仮にできたとしても、僕で実験しないでね》
「他に誰がいるの?」
 勘弁して、とリーマスはぐったりうなだれた。
 片や見つかれば退学の魔法に手を出し、片や猛毒を使った世にも恐ろしい魔法薬の研究の実験台にしようとし。
 入学当時に、こんなに周囲にハラハラさせられるなど考えたことがあっただろうか。
 あの時は、入学を認められたことは嬉しくても、世界は暗闇に包まれていて。
 ずいぶんと賑やかで退屈しない日々になったものだと、リーマスは淡く微笑んだ。
「これが成功したら特許取ろうと思うんだ。そうしたら卒業後もそれなりに暮らしていけるかもしれないし」
「それなりに……って、マクゴナガル先生はキミをまっとうな職に就けるって息巻いてるんじゃなかったの?」
「……あんまり期待してないよ。マクゴナガルには悪いけど。でも、勉強はするよ。試験で良い成績取っておくのは後々武器になるからね。それに──」
 言いかけて、は意地悪く喉の奥で笑う。
「大差つけてメイヒューを思いっ切り馬鹿にしてやるんだ」
「そんなことのために……」
 リーマスはもう、呆れて何を言う気にもならなかった。
 変なところに情熱燃やす人だ、とつくづく思うリーマスであった。


 夜が明けて、がひとけのない廊下を抜けてグリフィンドールの談話室に戻ると、ジェームズ、シリウス、ピーターの3人が目の下に隈を作ってウトウトしていた。
 の気配に最初に顔を向けたのはシリウスだった。
「お前……こんなに早くに起きてるのか? ふぁぁ、ぁ……」
 最後に大きなあくびをするシリウス。
 目の端ににじんだ涙を指でぬぐっているシリウスに、はできるだけ足音を立てないように気をつけて近づく。
「今日はちょっと早くに目が覚めたんだよ」
 答えながら、これからは満月の日の帰りは気をつけなくちゃとは思った。毎回こうだと、勘の良い彼らは変に思うだろうから。
 それからは3人が囲んでいるテーブルに、細かい書き込みがされている羊皮紙が散乱していることに気づいた。
「宿題やってたの?」
 適当な一枚を手に取って見てみれば、詳細はわからないが変身術のものらしいことがわかった。特有の図が描かれていたからだ。
「宿題って言うか……まぁ、宿題だな。長期の」
「ふぅん……ああ、これ」
 シリウスはまだ寝ぼけているのか、それとも相手がだから気が緩んでいるのか、まったく警戒していない。
 だから、書かれている内容をしっかり読んでしまったは、それがアニメーガスに関するものだとわかってしまった。
 アニメーガスについてのの知識は、教科書と図書館でかじる程度に読んだくらいなので深くない。
 だから、シリウス達がこんなに詳しく丁寧に調べて理解しようとしている姿勢に関心した。その羊皮紙に書かれていることのほとんどは、にはわからない。
 本気なんだ、と改めてわかり、嬉しかった。
 満月に狂わされる者として、リーマスに心からの味方がいることが本当に嬉しかった。
 じっと羊皮紙を見つめているに、シリウスもようやく人に見せるべきものではないことに気づいた。意識がはっきりしてきたのだ。慌てての手から羊皮紙を奪い取る。
 そして、窺うように見上げた。
 はニヤリとして見下ろす。
 シリウスは頭を抱えた。
 はわざとらしくシリウスの肩を抱いて、目線を合わせるためにかがむ。
「がんばれ」
「……止めないのか?」
「どうして止める必要がある? 動物になって楽しいことするんでしょ。みんなの楽しみを潰すようなことはしないよ」
「……そうか」
「バレたのが私で良かったねぇ。リリーだったら大変だったよ」
 笑うに、シリウスはそのことを想像して苦笑をもらした。
 それから、ごく自然にもアニメーガス計画に誘った。
「お前がいてくれると、もっと捗りそうなんだけど」
「これ以上抱え込むのは無理だよ。宿題とクィディッチだけで手一杯。わかるでしょ」
「ああ……確かに」
 の毎日を思い返し、シリウスは同情するような目を向けた。
 この時、は現状に感謝した。
 満月の日はリーマスと過ごすため、ここで彼らと待っているわけにはいかないのだ。
「でもさ、いつ誰が来るかもわからないんだから、こういうのは広げておかないほうがいいと思うな」
 テーブルの上の羊皮紙をまとめていくに、シリウスもハッとして手を出す。
「起きて待ってるつもりでいたんだけど」
 気まずそうにこぼすシリウスに、は小さく笑った。
「リーマスだったら、部屋で待ってても何も言わないんじゃないの? 徹夜されているほうが申し訳なく思うっていうか」
「そうだろうけど。嫌なんだよ。あいつが帰ってきた時、一番に会うのは俺達でいたいんだ」
「ふぅん」
 その時、ピタッとシリウスの手が止まった。そして、まじまじとを見つめ、しだいにその目が驚愕に見開かれていく。
 どうかしたのかと首を傾げるに、シリウスは震える声で言った。
「お前……リーマスのこと」
「お母さんのお見舞いでしょ」
「……あ、ああ、そう。そうだった。ごめん、何でもない」
「まだ寝ぼけてんのかな」
 朗らかに笑いながら、実はも内心では焦っていた。
 はリーマスが狼人間であることは知らないことになっている。うっかり知っていることに気づかれてしまうところだった。知らないふりをしているほうが満月の日に動きやすいのだ。
 そういえば前にもこんなことがあったような、と思うだったが口には出さないでおいた。下手なことを言って余計な事態を招きたくはない。話題を変えたほうがいいだろうと思った。
 だが、その前に紙をまとめる音のせいかおしゃべりの声のせいか、ジェームズとピーターが目を覚ました。
「おはよう」
 寝起きで目をショボショボさせている2人にが朝の挨拶を送ると、言葉にならない何事かを口の中でムニャムニャ言いながら目を向けてくる。
「あ、だ。おはよう……」
 大きくあくびをしたピーターがその余韻のままの発音で言った直後、ハッと目を見開いての手元を注視した。正確には、その紙束を。
 寝起きで頭が回らないのか、いつものことかはともかく、口をパクパクさせているピーターには苦笑する。
「がんばれ」
 それだけ言って、紙束をピーターに渡した。
「キミは理解があって助かるよ」
「成功したら見せてよね」
 安堵するジェームズに悪戯っぽくが言えば、もちろんと返ってくる。
 時計を見れば、そろそろ早起きの生徒が下りてくる頃だろうか。
 寝室に戻ろうかとが思った時、ジェームズが引き止めた。
「ちょっとアイデアが欲しいんだ」
 足元の鞄から引っ張り出されたのは、も何度か見たことのある図の描かれた羊皮紙だった。
「あ、これ……」
 見たことがあるどころか、自分も積極的に参加していたホグワーツの城内地図である。
「ほぼ完成なんだ。これから新しい通路や部屋が見つかったら、そのつど追加していけばいいかな。それで相談てのは……」
 これだけ時間をかけて詳細に作ったのだから、ただ城内図にしておくのはもったいない。何か仕掛けがほしい、というものだった。
 はシリウスの横に座り込み、テーブルの上の地図を覗き込んだ。
「確かにもったいないね……」
「一応の案はあるんだ。城内のどこに誰がいるかがわかるようにしたい」
「それは壮大だね」
「ただ、どんな魔法を使ったらいいか悩んでてね」
「なるほど。例えば──」
 興味を覚えたは身を乗り出し、ジェームズと額をくっつけるようにして使えそうな呪文を出し合った。
 そして、ふとした思い付きに口角を吊り上げる。
「これはとても危険な地図だよジェームズ君。だから、地図を見るためには資格がいる、というのはどうかね?」
「資格か……例えばどんなものかな?」
 芝居がかった口調でノリノリで話し合うとジェームズの間に、シリウスが割り込みおもしろそうに目を光らせて言った。
「合言葉だ」
「あ、やっぱりそう思う?」
 素に戻ったにニヤリと笑いかけるシリウス。
「地図を見るには合言葉を知っていないと、見る資格はない。下手に見ようとすれば……大変な屈辱を味わうことになる、とかね」
 続けて言ったに、ジェームズはパチンと指を鳴らした。
「それだ! フィルチなんかに見てほしくないからね。どんなのがいいかな……」
「悪口を言われるとか、どうかな」
 控え目ながらもピーターの提案は、3人の耳にしっかり届いていた。
 そして、テーブルを囲む4人がほぼ同時にクスクスと笑い出す。
「ケチョンケチョンに言ってやろうぜ」
 シリウスの案に達は大賛成だ。
 そこからまた、その仕掛けに使えそうな呪文を、ああでもないこうでもないと出し合っていった。
 挙げられた呪文を掛け合わせ、望みに適うぴったりの新たな魔法を作りださなければならないのだが、こういうことにかける情熱に限度というものはない。
 は毎日の勉強疲れも吹っ飛んで、この傑作品にかける魔法について脳みそを燃やしたのだった。
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