10.安心

4年生編第10話  ある日曜日、はたまってしまった課題を図書館で片付けていた。
 さぼっていてたまったのではない。
 が一つの教科の課題を終わらせる速度と、各教科から課題が出される頻度とのバランスが悪いのだ。
「うぅ〜ん、やっぱり科目取りすぎたか……ちょっと前からこの傾向はあったけど」
 一度羽根ペンを置いてグッと背筋を伸ばすと、固まってしまっていた筋が伸ばされ気持ちの良い開放感が全身を駆け巡る。
 一瞬のリラックス。
 ちらりと視線を横へ転じれば、待ってますぜ、と他の科目の教科書が積まれている。
「学生の本分は勉強とはいえ、これはちょっと不健康だよね」
 かといって今さら科目を減らす気はないのだが。
 ため息にならないように深呼吸を一つして、再び羽根ペンに手を伸ばした時、ふと影が差した。
 顔を上げれば、何とも表現しがたいいろんな感情の混ざった顔をしたセブルスがいた。
「わぁビックリ。足音とか気配とかさせようよ」
「白々しい驚きはいらん。そんなことよりお前、闇の陣営と接触を持ちたがってるってのは本当か?」
「……は?」
 冗談にしてはユーモアがなさすぎるしダークもいいところだ、と目を丸くする
 それから、ああこの人は冗談を言うほうでも理解するほうでもなかったな、と思い直す。
 ポカンとしているにもどかしさを覚えたのか、セブルスはの正面の椅子を引いて腰掛けると、声をひそめて話を続けた。
「スリザリンの一部で噂になってる。家を復興させる気があるようだ、と」
「誰が?」
「お前しかいないだろう。おい、大丈夫か」
 目の前で鋭く言葉を紡ぎ出す友人は、何やら心配そうにしている。
 ぼんやりしているの頭の具合の心配か、あるいは彼女の知らないところで勝手に進んでいる事態への心配か。比率としては後者が大きいだろうが、わずかながらでも前者もありえるかもしれない、とは呑気に分析していた。
 はセブルスが誰を気遣うこともない、永久凍土のような人物だとは思っていない。
 最近気づいたことだが、どうやら彼はリリーが気になっているようだ。スラグホーンのお茶会に出席しているうちに打ち解けたのだろうか。リリーがどう思っているかは知らないが。
 さらにこんなことを考えていたのがいけなかったのか、のんびりしたその態度が余計にセブルスを苛立たせた。
家はとても強い闇の魔法使いの家柄だったんだぞ。お前がそれを復興させるということは、必然的に闇の帝王の目に入るということだ。わかってるのか?」
「面倒くさいね。今それどころじゃないんだよ。見てよ、このたまった課題。ヴォルデモートよりこっちのほうが恐ろしいよ。明日の授業でまた追加が来るんだよ」
「その名前を簡単に口にするなっ。それと、もっと真面目に考えろ」
「考えてるよ。いい、セブルス。その闇の帝王サマと目下の課題の提出期限、目前に迫ってるのはどっち? 明日ここに帝王サマが私を殺しに来るとかいうなら話は別だけど、ホグワーツには入れないって話でしょ。少なくとも、次の夏休みまで会う確率は完璧ゼロ。私はホグズミードも行けないからね」
 わかった? と、眉間に人差し指を突きつければ、セブルスは苦々しい表情でその手を叩き落した。
 が一気にまくし立てた内容を咀嚼したセブルスは、がっくりと肩を落した。
 それが安堵なのか呆れなのか、にはわからない。
 完全に課題モードを壊されてしまったは、しばらくセブルスの真っ黒な髪を見つめていた。
「……お前は怖くないのか? 闇の帝王の耳に存在が知らされるかもしれないということが」
 やがてポツリと落とされた言葉は、かろうじて聞き取れる範囲のものだった。
「できれば道端の石ころくらいに素通りしてほしいよ。でもさ、知られる時は知られるし、知っても無視されるかもしれないし、最後まで知らないかもしれない。どうなるかなんてわからないんだよ。そんなことにいちいち怯えてられないよ」
「……馬鹿なのか? 余裕か? それとも……」
 心が強いのか、という問いをセブルスは飲み込んだ。
 去年のを思い出したからだ。
 本当に心が強ければ、あんなふうにおかしくなったりはしないだろう。自制できていただろう。
 それなら考えられるのは。
「単なる強がり。他の目の前のことを見ることで気をそらせようとしているだけ。でも、ずっと建設的でしょ?」
「かわいげの欠片もないな」
 喉の奥で笑うセブルス。
 ここで少しでも怯えを見せて、相談するような態度でも見せれば周りの同情も買えるだろうに、それをしない。さっさと冷静に現実的な答えを導き出して、自分をコントロールしてしまう。
 敵にまわすと面倒くさい奴の典型である。
 自分の焦りは何だったのかと虚しくなりかけたセブルスに、が頼みごとを持ちかけた。
「その復興の話なんだけど、詳しいことまでわかるかな? 具体的にどこまで進んでるかとか、どういう動きがあるかとか」
「……スパイになれと?」
「そんな物騒な。友達として教えてほしいだけだよ」
 人の良さそうな笑顔で言ったを、セブルスは鼻で笑った。
「そのインチキくさい笑顔をやめろ。言い方変えたところでやることはそういうことだろう。違うとは言わさんぞ」
「手厳しいなぁ」
 しかし、彼の言うことは正しかった。
 視線を彷徨わせた後、は一つ頷いて含み笑いを浮かべると再び口を開く。
「夏休み、店の商品少し割引するからさ」
 ピクリと反応するセブルス。
 夏休み中、がバイトしている店は、けっこう品揃えが良い。そして常連客だけに売るとっておきの商品や、頼めば危険品も取り寄せてくれるのだ。その分、価格も跳ね上がるが。
 期間中一回は注文に訪れる身としては、割引はありがたい話であった。
 さらには続ける。
「こうすればいいよ。あんたは私に家復興の話に乗るよう勧める役目を負うの。ま、最後には失敗してもらうんだけど」
「……僕の身が危うくないか?」
「殺されはしないでしょ。それに、所詮は茶番だよ」
「そういう問題ではないのだが」
 セブルスは頭を抱えて、再びうなだれる。
 確かに失敗したところで殺されるようなことはないだろう。彼の信用がちょっと落ちるくらいで。
 だからといって人をスパイに仕立てようとするのは、どういう神経なのか。
 はセブルスの顔を覗き込むように、身を低くして聞いた。
「もしかして、闇の陣営に入りたかった? それなら信用を落すようなことはしないほうがいいよね」
 セブルスはびっくりして顔を上げる。
「レギュラスと仲が良いみたいだからそう思ったんだけど。でも、リリーの友達なら考え直してほしいところだね」
 苦虫を噛み潰したような顔になるセブルス。
 これだからという人はやりにくいのだ、と心の中で舌打ちをする。
 この頭の回転の良さは本当に嫌だ、と強く思うのだった。
 のスパイになり、失敗前提の役目を買って出て信用を落とすことで闇の陣営側の生徒から軽んじられればいい、ということだ。そしてそこに居場所がなくなれば、後は縁を切らせて、とリリーは安心というわけだ。
 苦い表情のままウンともスンとも言わなくなってしまったセブルスに、はゆるく苦笑した。
「その噂、出所はガードナーでしょ。ハッフルパフの。ガードナーの家はどれくらいの地位かわかる? メイヒューよりは低いと思うんだけど違う?」
「いや、合っている」
「メイヒューはこの話に賛成してる?」
「無言だ」
「マルフォイは?」
「そこまでは知らん。おい、尋問はやめてもらおうか」
「あ、ごめん。えーと、身分のことはよくわからないけど、単純な力関係の話ならわかるよ。たいして力のないガードナーと力はあるけど次男坊のブラックが、その昔権勢を誇った家を復興しようってのは、ちょっと無理があるんじゃないかな。ってブラックと同じくらい力のある家だったんでしょ」
「そう聞いてる」
「じゃあきっと派とブラック派があったはずだね。どんな関係かは知らないけど、復興させようと考えるくらいなら、けっこう仲良しだったかも。でも、そのボスの舎弟達まで仲良しだったかはわからないよね。むしろライバル心が旺盛だったと考えるほうが自然じゃないかな。スリザリン家系なら」
 例えばグリフィンドール家系同士でもライバル心はあったかもしれないが、もっとさっぱりしていただろう。相手を出し抜くライバルというよりは、お互いを高めあうライバル関係だ。
「それなら、身内の復興反対者を黙殺してまでそれをする利益は、ほとんどないと思うんだ。下手すれば舎弟達が反乱起こすかもしれない」
 ボスだの舎弟だの、表現は俗っぽいが言いたいことは理解できたセブルスだった。
 たとえ一時的にがブラックの下にいたとしても、いつかつての地位に戻るほど力をつけるかわからない。が滅んだ時に散り散りになった派が盛り立てるかもしれない。
 それはブラックの脅威になる。
 闇の帝王に次ぐ地位を誇るブラックが、それを良しとするとは考えにくい。
 セブルスはトスン、と背もたれに身を預けた。
「ブラック夫人はお前のことをみくびっているのか……」
 子供だから傀儡にできると思ったのか。
 とんでもない、とセブルスの口の端に笑みが浮かぶ。
 もしがその気なら、傀儡でいるのは始めのうちだけだ。すぐに仲間を集めてのし上がるだろう。
 それも誰にも気づかれないうちに。気づいた時にはが帝王に次ぐ位にいるのだ。
「子供のたわ言、か」
「楽観的な考えだけどね」
 も薄く笑う。
 物凄い低い確率だが、大人達がこぞってをかつての地位に引っ張り上げようという狂った行動に出たら、話は別だ。
 そうなったらは迷わず校長室のドアを叩くだろう。
 前にが言ったように、ブラック夫人の持ちかけたお家復興話は、単なる挨拶だったと受け止めて良いと思われた。
「そこまで考えていたとは。僕が馬鹿みたいじゃないか」
「そんなことないよ。メイヒューが無反応ってわかったのは貴重な情報だよ」
 スリザリン内部で何が起きてるかなど、グリフィンドールのにわかろうはずもない。
「だから家復興の件は触れないでいるのが一番だと思うんだけど。問題はシリウスと付き合ってるとかいう話のほうだよ。早く静まってくれないかな」
 勝手にやってろ、とばかりにセブルスは視線をそらして無視を決め込んだ。
 そこに狙ったようにが爆弾を落とす。
「セブルスと付き合ってるからありえない、とか言ったらダメかな」
「死んでもお断りだ」
 即答したセブルスに、は小さく吹き出した。
「冗談だよ。ガードナーの動きが全然読めないよ」
「単なる嫉妬だろ。僕にもわからん」
「純血主義なんだからそっちで回収してよ」
「僕には関係ない」
「あいつが出した噂で焦って来てくれたくせに」
「それとこれは別問題だ」
 ああ言えばこう言う、を繰り返す。
 グリフィンドールとスリザリンが向かい合って長時間話し合っている様子は、珍しいを通り過ぎて奇異なものであったが誰にも見られてはいない。
 カウンターからも離れている上、声を落としているので最強司書のマダム・ピンスもやっては来ない。
 話題になっているのは頭の痛くなる内容だったが、平和な時間と言えた。

 しばらく他愛のないおしゃべり──ほとんどがのエレイン・ガードナーに対する愚痴だったが──をしていると、そこに軽い足音が近づいてきた。
 ついにマダム・ピンスが来てしまったかと、とセブルスはパッと口を閉じて音が来るほうを見つめた。
 本棚の林から現れたのはリリーだった。
 リリーは2人を見つけるとニッコリして足を速める。
「2人とも、ここにいたのね」
 そう言ったリリーの手には、紫色のリボンが巻かれた羊皮紙があった。スラグホーンからの招待状だ。
 それを見たは「私にも用事?」と首を傾げる。
 リリーは招待状をセブルスに渡すと、当たり前のように隣の椅子を引いて腰掛ける。
「エレインのことよ」
「何かあったの?」
 まさに彼女のことを話している最中だったため、だけでなくセブルスまで耳を傾けた。家復興の件は今のところは先ほどの通りだが、学校生活については何の対処法も練られていないのだ。
「さっき廊下でシリウスと大喧嘩してたわ。私はあの手紙のこととか知ってるからそうは思わなかったけど、あれは絶対に痴話喧嘩に見えたわね。それも重度の」
「重度……」
 何となく続きを聞くのが嫌になる単語だ。
 セブルスも眉間にしわを寄せている。
「エレインは演技派よ。明日にもとシリウスはエレインを陥れた凶悪犯罪者になってるわ」
 ゴツン、と額をテーブルにぶつけては突っ伏した。
 頭上で疲れたようなため息をついたのはセブルスだろう。
「くだらん」
 こぼされた短い感想に、まったくだとも同意する。
 ゆっくりと身を起こしたの喉からクツクツと笑う声が漏れる。
 リリーとセブルスがギョッとした目でを見た。
「何かもう、面倒になってきたなぁ。手っ取り早くシメるか」
「ダメよ!」
 間髪入れずに制止したのはリリーだ。
 リリーならそう言うだろうなとにはわかっていたし、本気だったのは半分くらいだ。
「ガードナーの弱点は何だろう。それがわかれば、そこを突いて攻められるんだけど」
「ちょっと聞くかぎりだと、かわいくていい子って評判ね」
 吐き捨てるように言うリリー。彼女も腹に据えかねているようだ。
 本当に困ったハッフルパフ生だが、は不安にかられているわけではない。
 常に親身でいてくれるリリーや、予想外にも心配してくれたセブルスに心強くなっていたからだ。
 セブルスが静かに席を立った。
 見上げるリリーとに、彼は素っ気無く言った。
「その問題に関しては僕から言えることは、ブラックと縁を切れということくらいだな。それじゃ、もう行く」
 返事を待つことなくセブルスは行ってしまった。
 は苦笑を浮かべた。
「縁を切れって言われても、寮は同じだしクィディッチのチームメイトだし……無理だよ」
 内心セブルスに同意するところのあるリリーは、何ともいえない表情でセブルスの去っていった方向を見つめていた。
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