4.千客万来2

3年生編第4話  の生活はまたアルバイトと魔法の特訓の日々に戻った。
 相変わらず店は静かで客はほとんど来ない。こんな調子でよく生計が成り立っているものだと思うが、一度の収入が多いので、贅沢はできないが生きていくには充分な収入が得られるのだ。
 通常の品から危険な品まで薬草を中心に扱っている。
 もっと危険な品が欲しければ、もう少し奥に店を構えているボージン・アンド・バークスにでも行けばいい。
 今日もは傍らに剣をたてかけ、カウンターで日刊預言者新聞を広げていた。例の貴重な薬草図鑑は昨日写し終えた。
 スネイプはどこかの店で手に入れることができたのだろうか、とふと思ったが、何の連絡もないということは、きっと見つかったのだろうと思うことにした。なければまた来るだろう、彼ならば。
 新聞はいつも通りどうでもいいようなスキャンダル記事に満ちていた。なんとかいう雑誌の人気アイドルが誰それという人気歌手とどこぞのホテルから一緒に出てきただとか、魔法省のなんたら部署の何某氏が有名女優と不倫していただとか、プロのクィディッチ選手が酔っ払って暴行を働いただとか。
「楽しそうねぇ」
 と、でなくても皮肉っぽくなってしまうだろう。
 そんな中、最後のほうの隅っこに不審な行方不明者の記事が掲載されている。最近絶えることのないこの手の事件に、はあれ以来姿を見せない死喰い人を思って渋い顔になった。
 ウィリスの変わらない態度のおかげで不安に苛まれることはないが、それでもまったくなくならないわけではない。澱のように不気味に心の底に沈んでいる。
 その時、乾いたベルが鳴り店のドアが開いた。客だ。
 新聞から顔を上げたの目に、これぞ貴婦人といった女性が映る。艶やかな黒髪をきっちり結い上げ上質なローブに身を包んでいる。顔は凛として引き締まっていて一分の隙もない。意外なのは子連れであることか。その子供も母親と同じ表情をして上等なものを着ていたが、好奇心に満ちた目だけは年相応だった。
 それよりも。
 はひとめ見ただけで、この客がヤバイ客だと感じた。尋常ではない。危険な匂いがプンプンする。
 例えば、例の気味の悪い仮面の人物のような。
 こういう輩はこの店よりも、ボージン・アンド・バークスのほうに用がありそうなのだが。
 どうか何も起こりませんように、と願いつつは接客用の笑顔で迎えた。
「いらっしゃいませ」
 夫人はを目に留め、一瞬意外そうな顔をしたが直後、何故か懐かしそうな目をした。
 もっとも、ほんの刹那の間のことなのでは気のせいだと思うことにした。
 用件を聞こうと椅子を下りたは夫人のもとへ進み出た。
 彼女も心得てバッグからメモを取り出しへ差し出す。
 連れの少年は店の品をひとつひとつ珍しそうに眺めて歩いていた。
 はそれを視界の隅で確認してからメモに目を落とす。
 案の定、毒草系ばかりだった。
「すぐにそろいますよ。ご自宅へ配送でよろしいですか?」
「ええ」
 ここに来る客は大量注文が多い。この人もそうだ。そして、取り引きはたいてい前払いで商品は後で配送となる。
 はカウンターに戻り、引き出しから注文票を取り出して夫人に必要事項を記入してもらった。
 きれいな字で書かれていく名前に、はギョッとした。
 少年を見た時に感じた既視感。
 それもそのはず、夫人の姓はブラックだった。
 シリウスは弟が一人いると言っていたから、もしかするとこの少年がその弟なのかもしれない。いや、きっとそうだ。
 は確信した。
 少年を見やれば、好奇心に負けたのか商品に手を触れようとしている。
「お客様、それに素手で触れるのは危険です。とても痛い思いをしますよ」
 の声に少年はビクッと肩を揺らして手を止める。
 そして恐れるような目でを見た。
「触れていないなら大丈夫です。もし触れていたら、爪が反り返って死ぬほど痛いことになっていましたね」
 薄く笑ってが告げた言葉に、少年は表情を硬くした。
 嘘を言ってはいない。うっかり指先でも触れていたら本当にそうなっていただろう。
 その葉は、光に反射する粒子が表面についていてキラキラととてもきれいであるが、それは罠だ。そうやってやって来たうかつ者に痛い目を見せる。もっともそれも、生き残るための手段なのだが。
「これでいいかしら」
 2人のやり取りなどまるで聞こえていなかったかのように、ブラック夫人が書き終えた注文票をに差し出す。
 は記入項目を確認すると頷き、代金を提示した。
 支払われた代金をきっちり数えたは、控えを渡して明日中に到着しなければ連絡をくれるように言った。
 これでひとまず終了だ。
「ありがとうございました」
 と、はドアまで二人を見送りに出た。
 少年は母親の後について歩きながら、何度もを振り返った。
 二人の姿が見えなくなると、をどっと疲れが襲った。
 何事も起こらなくて本当に良かったと思う。
 もしも運悪く死喰い人の騙りなんかが来たらと思うとゾッとする。
 気疲れで肩が凝ったような感じになったは大きく肩を回した。
 そしてカウンターに残された注文票を見て、さっそく荷造りに取り掛かる。注文された品の在庫は充分にあるはずだから、今日中に店主に頼んで配送してもらえるだろう。
 作業用手袋を用意していると後ろの事務室からちょうど良く店主が出てきた。
 は注文票を指して説明しようとしたが、店主が先に口を開いた。
「これからキミに会いたいという人が来るから、今日の仕事はそれまででいいよ」
「──はい?」
 突然のことについていけず、きょとんと首を傾ける
「私にお客、ですか」
「そう、キミにお客。ああ、怪しい人ではないから安心しなさい。ワシの友人だ」
「はぁ」
「ちょっとキミのことを話したら会ってみたいと言い出してね。そんな顔をしなくてもいい。ちゃんとした人間だよ」
「……そうですか」
 よほど不安そうな顔をしていたのだろう。店主はを安心させるように微笑んだ。
 残念ながらの不安は拭えなかったが。
 店主を信用しないわけではないが、ノクターン横丁に店を構える人間の友人など、いったいどうやって安心できるというのだ。
 もちろん、ダイアゴン横丁の人間とノクターン横丁の人間との間に友人関係が築かれないとは言い切れないが、まともな神経の大人ならノクターン横丁に関わろうとは思わない。
「あの……ノクターン横丁の人ですか?」
 だから失礼とは知りつつも、こんなことを質問してしまうのだ。
 けれどの不安をわかっている店主は怒ることもなく、しかし笑顔のままハッキリ首を縦に振った。
 ああやっぱり、と内心で諦めのため息をつく
 どうも死喰い人に会った日から神経過敏気味だ。
 まさか店主が闇の陣営の人物などを紹介するはずがないとはわかっているが、それでもは緊張してしまう。
 かといって断るのも店主の印象を悪くしてしまいそうで。こんな子供の自分を雇ってくれた店主に、は恩も義理も感じている。
 ここは店主を信じるしかないだろう。
「わかりました。──そうだ。これ、先程受けた注文です。これから詰めるので後で確認と配送をお願いします」
「わかった」
 店主は頷き、また事務室へ引き上げていった。

 新聞の続きを読む気にもなれず、は引き出しの中の本に手を伸ばした。事務室の本棚から借りてきた本だ。タイトルは『マグルの世界の魔除けとまじない』。これを見つけた時、店主にしては珍しい本を入手したものだとは思ったものだった。
 内容はほとんどでたらめと迷信だったが、今の落ち着かない気分を紛らわせるには充分だ。
 ハーフの魔法使いがいるように、魔法界とマグル界は完全に遮断されているわけではない。魔法事故処理委員会とか何とかいうところが、マグル界で魔法による騒動が起こった時に関わったマグルの記憶を消すそうだが、ふつうに結婚した場合などはそんなことはしない。そこらへんから、どんなに隠そうとしてもマグル界に少しずつ魔法界のことが流れていくのだろう。
 魔法使いとマグルの夫婦は、世間的にはマグルの夫婦を通す。マグル界で暮らすならそれが無難だ。けれど、何かあった時はさりげなく『おまじない』として魔法を使ったりするのだそうだ。
 それがマグルの常識とブレンドされて、魔法使いから見れば奇妙なおまじないとなる。と、おおまかにこの本は述べている。
 この手のことならの記憶にもおぼろげに残っていた。
 孤児院で性質の悪い風邪が流行った時、頭を打ち砕いた蛇を裏口に吊るしたりしていた。
「でもさ、マグル界の医療に関する施設のシンボルって、蛇と杖なんだよね……あんな扱いして良かったのかな」
 呟き、首を傾げる
 ブツブツ言いながらページをめくっていたが、最後のほうのページで突然の手は止まった。驚いたようにわずかに目を見開く。
 そこにあったのは狼人間撃退のおまじない。
「狼人間の苦手なものは、トリカブト……?」
 そんなもの、狼人間でなくても苦手だろう。苦手というよりは、微量の摂取で死ねる。
 だが、何故かはこのことが引っかかった。
 これを主張した誰かさんとて、トリカブトが人間にとっても猛毒であることはわかっているはずである。ならば、何故わざわざこんなふうに書いたのか。
「ナメクジには塩、ヴァンパイアには十字架……とかと同じ意味だとしたら?」
 無意識にこぼれた自身の呟きにはハッとした。
 そして、先程何気なく思った蛇と杖。
「そうか、そうだよ! ああっ、私のバカ!」
 カウンターの上に本を放り、頭を抱える
 今までは研究途中の脱狼薬のレポートに基づいて資料を選んでいた。それが間違いだったわけではないが、そうするには本人にきちんとした基礎がなかったのだ。
 人体に関する基礎が。
 人間の体の仕組み、狼人間の体の仕組み。特に個人を特定する血液について。
 狼人間が満月の日のみに変身する以上、ふつうの人間と必ず違いがあるはずだ。
 それは細胞かもしれないし血液かもしれない。
「これは本屋に行かなくちゃね」
 もちろん立ち読みだ。
 が新たな目標に燃えていると、またドアのベルが鳴った。
 柔和な顔立ちでやせぎすの壮年男性だ。夏だというのに黒マントに紳士帽をかぶっている。ダンブルドアよりも薄い空色の瞳が印象的だった。
 友好的な見た目に反し、これまたただならぬ雰囲気の人物だとは内心身構える。先程のブラック夫人のようにあからさまに貴族然とはしていないが、日常の客とは違う。ふだんの客に気を緩ませているわけではないが。それにしても今日はやけに気を張る日だと思った。
「いらっしゃいませ」
 緊張をすべて押し隠し、接客用スマイルを浮かべる
 男は帽子を取り微笑んで浅く頷く。
 そして、予想もしなかった言葉を発した。
「ああ……やっぱり。──似ている」
 何が? と、は大いに疑問を覚えたが、とりあえずわかったことは、彼は買い物客ではないということだ。
「店主にご用ですか?」
「ご用と言えばご用だが……あなたにも用があって来た。店主から話は聞いていないかね?」
「あ……」
 この人が。
 の表情が接客用スマイルから軽い驚きのものに変わった。
 そして、彼に少し待っててくれと告げて事務室へ店主を呼びに行く。
 ドアを開けたの前を過ぎ、店内に出た店主は男を見るなり声を弾ませて握手を交わしている。
 はそっとドアを閉めてカウンター席に着き、2人を見守った。
 店主が親しげに誰かと話しをしているのは初めて見る。そもそもはこの店に店主の知人が訪ねてきたのを見たことがない。もしかしたらの知らないところで会っているのかもしれないが。
 ひとしきり近況を報告しあった2人は、示し合わせたようにへ振り返った。
 店主が言う。
「それじゃ、今日はここまででいいよ。お疲れさん。後はこの人の話し相手になってやっておくれ」
「まだ名乗ってもいなかったな。私の名はマリオン。よろしく」
「ご存知のようですが、です。……よろしく」
 何故姓を言わないのかとても気になったが、もそれに倣って名前をだけを言った。
 観察するように相手を見つめながら、軽く握手をする。
 マリオンはそれを失礼だと咎めることもなく、ただ穏やかな笑顔で応えた。
 は彼を苦手だと思った。
 何を考えているのかまったくわからない。
 ただ者ではないことだけはわかるのでよけいに性質が悪い。
 は何かされたらすぐに逃げられるよう心構えだけは忘れずに、店主に挨拶をしてマリオンと共に店を後にした。
 マリオンは迷わずノクターン横丁の奥へと足を進める。
 さっそく彼についていくことを後悔しはじめたは、マリオンの一歩半程後ろをうつむき加減に歩いた。
 不意にマリオンの足が止まり、振り返る。
「ここからは姿くらましをしよう。私に掴まっててくれるかい」
「……あの、どこへ行くんですか?」
 今すぐにでもマリオンに背を向けて走り出したいのを我慢しつつ、は質問した。
 疑念と警戒たっぷりのの視線に、マリオンはわずかに苦笑する。
「別に怖い場所に連れて行くわけじゃない。私の家に行くだけだ。それに、誓ってあなたに危害は加えない。本当にただ話をしたいだけだよ」
「……ダイアゴン横丁のカフェではダメですか?」
「やれやれ、ずいぶん警戒されたものだな。あまり人の多いところでできる話でもないんだ。──やっぱりきちんと名乗らなかったのが悪かったかな。私の姓はフラナガンだ。知ってるだろう? クライブ・フラナガン。あれは私の息子だ」
 の中で渦巻いていた疑念と警戒は一気に吹き飛び、代わりに驚きが襲った。
 言葉もなくポカンと口を開けたままのに、マリオンは小さく笑った。
「さ、これで疑う必要はなくなっただろう」
 確かになくなりはしたが、何故クライブの父が自分に会いたがるのか、の頭は疑問でいっぱいになってしまった。
 クライブの罠かとも思ったが、わざわざ父を使って罠を張るとも思えない。
 しかし、このままここに立ち尽くしていても仕方ないので、はおとなしくマリオンの手を取ることにした。
 がマリオンの手に触れた瞬間は強く彼に引き寄せられ、直後、煙突飛行よりも窮屈な細い細い管に無理矢理ねじ込まれるような感覚を覚えた。息もできなくて、はマリオンの手をギュッと握り締め、きつく目を閉じた。その時、何かヘンな音が聞こえたが、それに構う余裕はなかった。
 一瞬後に地に足がついたと思ったとたん、前につんのめる
「おっと」
 そう言ってマリオンがを支えた。
「あ、すみません」
 まだふらつく足に力を入れ、は辺りに目を向ける。
 効果音をつけるなら『ドドーン!』だろうか。
 宮殿のような屋敷が目の前に構えていた。
 立派すぎて威圧感がある大きな鉄の門。門柱には石のガーゴイル。
 門の向こうには延々と石畳が続き、よく手入れされた庭が広がっている。屋敷の扉はここからでは見えない。
 前に耳にしたクライブの家の話から、そうとうなお屋敷なのだろうとは思っていたが、まさかこんなにすごいとは思ってもいないだった。
「私の周り、お坊ちゃんばっか……」
 この分だと、ふつうと言い張るリーマスやピーターや、果てはマグル家庭のリリーの家もお屋敷かもしれないと勘ぐってしまう。
 の呟きはマリオンには聞こえていなかったようだ。
 それより、どうしたことか彼は痛そうに顔をしかめている。
 が伺うように見上げると、乾いた笑い声の後、彼は答えた。
「何でもないよ。さあ、こちらへ」
 何でもないようにはまるで見えなかったが、は促されるままにマリオンに続く。
 人の力ではビクともしなさそうな門は、マリオンが触れると重々しい音を立ててゆっくり開いていった。
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