「リリー、何やってるの?」
近づいてリリーの後ろから覗いてみれば、机の上にはいっぱいに筆記用具が並べられている。黒、赤、青、緑、黄色、桃色のインク壷に綺麗に加工されたカード達。そのカードに似合ったインクで熱心にメッセージを書き込んでいる。
の声に、リリーはいったん作業を止めて振り返った。
「バレンタインカードを作ってるの」
「バレンタイン? ……ああ、もうそんな時期か。まめだねぇ」
「感謝の気持ちをね。普段、そんなことわざわざ口にしないでしょ。こういう機会に伝えておくのもいいかなって」
「ふぅん」
「も書く? カード、たくさん用意してあるからあげるわよ」
少し迷った後、は一枚だけ譲ってもらった。
「一枚だけでいいの?」
「うん」
不思議そうな顔のリリーに、はっきり頷く。
その態度に、リリーはそれ以上聞いてくることはしなかった。
も机に向かい、インクと羽根ペンを引き出しから取り出した。
誰に贈るかは決まっている。メッセージはどうしようか──。
淡いピンク色のカードを数分見つめて考えた後、は「よし」と口の中で呟いて羽根ペンの先をインクに浸した。
翌日、は借りていた本を図書館に返し、また別の本を取って宿題に取り掛かっていた。
3年生になってからというもの、の毎日はほぼこれの繰り返しだ。リリー達より取っている科目が多いので、当然その分宿題も増える。
今日は数占いの宿題をやっていた。古代ルーン文字学よりは手こずることはなかったが、今日だけで終われる内容でもなかった。いい加減頭がパンパンになってきたので、そろそろ休憩しようとは本に栞を挟んで羽根ペンを置いた。
そうとう体も固くなっていて、ぐっと腕を上げて背筋を伸ばすとゴキッと骨が鳴った。
その音に通りすがりの生徒が驚いた顔で振り向く。
気にしないで、と恥ずかしさもあって早口に言って手を振った。
席を立ち、窓際に寄って外を見るとハグリッドの小屋が見えた。そのとたん、何故か無性にあの規格外に大きな人に会いたくなった。会って何をするわけでもないが、あのおおらかな雰囲気に触れたくなったのだ。
「うーん……余裕ないのかなぁ」
ポリポリと頭をかくと、は窓際から離れてまたテーブルに戻る。
何だか続きをする気にもなれなくて、いったんグリフィンドール塔へ戻ることにした。
談話室に入ると寮生が一塊になっている箇所があった。見慣れたその人達はクィディッチチームのメンバー達だ。
宿題道具の詰まったカバンを担いだままは近づき、声をかけると一番に反応したのはジェームズだった。パッと顔を輝かせて大げさにを歓迎する。
「、いいところに来た! 今、シリウスの動きのことで話し合ってたんだよ」
「シリウスに繊細な行動を求めるのは無理があると思うよ」
「てめぇ、来て最初のセリフがそれか!」
ふざけて言ったの言葉に、いつものように噛み付くシリウス。日常のじゃれあいだ。
ジェームズも笑って流す。
この面子で話すことなどクィディッチ関係しかない。シリウスの動き、ということは彼のチェイサーとしての動きをもっと多彩なものにしたいのだろうということくらい、簡単に想像がついた。
「冗談は置いといて。じゃあ、こんなのはどう?」
ニヤリとしたにチームメイトの視線が集まる。何かと反則ギリギリの作戦提案の多いに、彼らの表情は期待半分不安半分。
「ゴール付近までチェイサー3人でがんばってクアッフルを運ぶ。それで最後の加速で相手を抜くために、箒の尻にちょっと火を──」
「却下だ!!」
全員一致で反対を叫んだ。
7人分の盛大な反対の勢いにのけぞったは、ちょっとだけ唇を尖らせると、またすぐに案を口にする。
「それなら……これは女の子の選手に有効だと思うんだけど、シリウスの顔の良さを最大に発揮して──」
「、表に出ろ! 叩きのめしてやる!」
「ギャーッ! シリウス、暴力反対!」
「落ち着けシリウス! からかわれてんだって」
立ち上がったシリウスがの首を絞めようとするのを、近くにいたキャプテンのエイハブ・ナッシュが慌てて止めた。
完全に機嫌を損ねた顔で睨みつけてくるシリウスに、はやり過ぎたかと少し反省して、今度はまともな意見を言った。
「シリウスの持ち味ってゴールまでの道が見えたら一直線ってとこだと思うんだよね。その分、横からの邪魔に気づくのが遅れるっていう欠点もあるんだけど、それは今は置いといて。シリウスは常に全力だから、ふだんはもう少し抑えるといいと思うよ」
ようやく耳を傾けるに値することが出てきて、シリウスは体の力を抜き、聞く体勢に入った。他のメンバーも真面目な表情になってを見る。
「できるだけゴール近くでクアッフルを受けて、一気に加速! あるいは、ちょっと難しいけど急ブレーキ。それで相手を振り切ってゴールってのはどう?」
「急ブレーキか……」
腕組みして唸るシリウス。バランスを崩せば失速して地上へ真ッ逆さまだろう。加速するほうが危険は少ない。
考え込んだシリウスの肩をポンと叩くジェームズの手。彼は綺麗に微笑んで言った。
「特訓だね、シリウス」
「ハハ……」
どうせそうなると思ってたよ、とシリウスは諦めた笑いをこぼした。
「はまだ癒者の許可は下りないの?」
シーカーのダリル・タッカーに聞かれ、は申し訳なさそうに眉を下げるしかなかった。
「慣らすくらいはやってもいいって言われたんだけど、試合はダメだって」
「そう……それじゃあ練習も無理そうね」
「ごめんね。あと2、3ヵ月すれば軽い練習ならできると思うんだけど」
「無理はダメ。ちゃんと治して。来年も再来年も試合はあるんだから」
そのセリフに、は卒業までクィディッチから離れられないことを悟った。
天文台でマントにくるまりながらはじっと夜明けを待った。
最近わかったことがある。
闇の魔術の実験を行うと、血の発作が起こりやすいようだ。
いつもそうなるわけではないが、思い返すとそうだった。もしそうなら、頻繁に医務室へ行くのは得策ではない。下手につつかれて余計な詮索をされたくなかった。
そのため、発作が起きた夜は、窓からこっそり箒で抜け出して天文台で夜を明かすことにしていた。
ふと、まだマグルの仲間達といた時のことを思い出す。
あの時は魔法や自分の血のことなど知らなかったけれど、仲間達と特別に大暴れした時は、その後ずいぶんしつこく体がうずいていたものだった。
たとえば、仲間の一人が仲の悪い別グループに因縁つけられてボコられた時。報復に出たその日は、喧嘩が終わって数時間経ってもまだ暴れ足りないものがあったのだ。今思えばあれは血の発作だったのだろうとは思った。
の脳裏に一人の狼人間の名が浮かぶ。
フェンリール・グレイバック。
満月を待たずとも、噛みたい欲求でいっぱいの狂った狼人間。
はヒトの血を積極的に自分の意思で欲したことはないが、このままいけば似たような未来が待っているのだろうかと思うと、気持ちが沈んだ。目的を遂げるための副作用としては重過ぎる。
それでも諦める気はない。胸の内の真っ黒な炎は、に進めと叫んでいる。
「ああもうっ。何か楽しいコト考えよう!」
楽しいコト楽しいコト……と考えを巡らせるものの、一人で楽しくなるようなことなど、そう簡単に思いつくはずもなく。
虚しさにはうなだれた。
「あ……でも、落ち着いてきたな、うん」
それがせめてもの救いだ。
血の興奮が冷めてきたところで、は大きなくしゃみを一つした。
鼻をすすって空を見上げれば、東の端が白くなってきている。
あと少しで夜明けだ。
そうしたら談話室に帰ろう。
その日のリリーとジェームズ、シリウスはちょっとした見ものだった。
朝のふくろう便の時間に、まるで嫌がらせのように次から次へとふくろうがやって来ては、バレンタインカードや花を落としていく。ゆっくり食事をする暇もない。
フォークを握っては置く、を忙しく繰り返す友人には必死に笑いをこらえる。
「……引き付け起こす前にふつうに笑っていいのよ」
「う、ううん、ダイジョウブだよ……ククッ」
リリーは恨めしそうにを軽く睨んだ。
「リリーはいろんな人に優しいから、みんなに慕われるんだよ」
「それは嬉しいことだけど……」
こんなふうになるとは誰が予想しただろう。
でも、とリリーの視線が離れた席の悪戯仕掛け人に移る。やや険しい。
はリリーの気持ちがよくわかった。
悪戯して人に迷惑ばかりかけている彼らを、どうしてみんなが好いているのかわからないのだろう。
「ポッターは愛想は良いけど傲慢だし、ブラックなんて愛想はないし口は悪いし目付きも悪いし。みんなどうかしてるんじゃないの?」
昨日なんてこれ見よがしに上級生の魔法をご披露してくださってたわ、と吐き捨てるように言ったリリーに、とうとうは笑いをこらえきれなくなった。
「何がそんなにおかしいのよ!」
バンッとテーブルを叩くが、の笑いは止まらない。
ヒーヒー言いながら、無理矢理笑いを引っ込めたは、にじんだ涙をぬぐいながら説明した。
「だ、だってリリー、自分であんなにたくさんカードを書いておきながら、その分返ってくることを考えてなかったみたいな言い方するし、ジェームズ達を嫌ってるくせによく見てるし」
リリーの頬がカッと赤くなった。
先ほどテーブルに叩きつけた拳をふるふると震わせ、地を這うような声でに言った。
「今日の防衛術はペアを組んでの実践だったわね……覚悟してなさいよ」
今度こそ、の笑いは引っ込んだ。それどころか、反射的に背筋をピンと伸ばして表情は固まっている。気のせいではなく、やや青ざめた顔色だ。
これからボコるから歯ァ食いしばれよ、と言われたようなものだ。
さんざん笑ったことをは後悔したが、もう遅いのだった。
闇の魔術に対する防衛術の授業で、相変わらず魔法の下手くそなを思う存分ぶちのめしたことで満足したのか、放課後にはリリーは仲良くと課題に取り組んでいた。
テーブルを挟んで座るの髪が一房焦げているのは、リリーに対抗するためにかけようとした呪いを、慌てるあまり失敗した結果だ。
そして今、その苦々しい記憶を今日の防衛術のまとめとして書いているというわけだ。
授業の前半は新しい呪文の練習。後半は模擬決闘だった。課題は主に模擬決闘に重点を置いていた。使用した呪文、どう動いたか、反省点などだ。
時折羽根ペンを止めて思い出しつつ、リリーはまずは箇条書きで書き出していった。
ふと、顔を上げるとの前の羊皮紙は数行書かれただけだった。本人は腕組みして羊皮紙を見つめたまま、何かを深く考えている様子。
3年生になってからリリーはたびたびのこういった姿を目にするようになっていた。
思考に沈む瞳は、いつもの生き生きとした輝きはなく、冷たく険しい。
「……、どうしたの?」
「ん……どうまとめようかなって」
何となく用意されていた返事のような気がしてならないリリーだった。
何か恐ろしいことを考えていそうなを自分のほうに引き戻したくて、リリーはわざとふざけた口調で言った。
「一番に書かなきゃいけないことは、髪を焦がした理由だと思うわ」
とたん、は情けなさそうに眉を八の字にした。
「これは……えー、あれだよ。ちょっと舌を噛んだだけだよ。──意地悪」
「悪いわね、ずっと私の連勝で」
「ム。次は私が勝つ!」
「それはどうかな〜」
「勝つったら勝つ!」
ムキになって叫ぶに、リリーは声を立てて笑った。
そして、やっと安心する。
幼い子供みたいに唇を尖らせるの瞳に、もう冷たさも険しさも見えなかった。
「そういえば」
と、リリーは話題を変える。
「このカード、でしょ?」
ニコニコ顔のリリーがの前に差し出したのは、バレンタインカードだ。今日の防衛術でがコテンパンにのされた原因だ。
は何となく身構えて、そうだけど、と頷いた。
「よくわかったね。名前書かなかったのに」
「あなたの字は特徴あるから」
その言葉にはがっくりとうなだれた。
「けっこうがんばって丁寧に書いたつもりだったんだけどなぁ」
「悪い意味じゃないわよ。だって、いつもより本当に綺麗な字だもの。ただ、クセが強いだけで」
「褒めてんの?」
「うふふ」
笑ってごまかされた。
これでも1年生の時に比べればずいぶんとまともな字になっている。かつては象形文字だの楔形文字だのと言われていたのだ。それでもまだ時々マクゴナガルに、もっと丁寧に書くようにと注意されるが。
「不思議なのは……」
リリーは小さく眉を寄せて声をひそませた。
「今の防衛術の先生があなたの字をスラスラ読んでいることよ」
「リリー……私、もう許されたと思ったんだけど、今日はとことんやる気だね?」
「20%くらいはその気ね。でも、残りの80%は純粋な疑問よ」
は諦めた。今日はいじめられる日のようだ。
「あなたが黒板に回答を書いても、あの先生は一度もつっかえたことがないわ。貴重な人材だわ」
「いろんな字を見慣れてるんじゃないかな」
「来年の先生もそうだといいわね」
リリーの断定した言い方に、は小さく吹き出した。
「先生が変わることは決定なんだ?」
何気なく発した自身の言葉にリリーはハッとなって否定しようとしたが、少し考えた後におずおずと頷いた。
「そりゃあ、同じ先生に続けてもらいたいけど……」
「そんな呪い、本当にあるのかな」
「いつからなのかってのも気になるわ」
「そのうち誰もやりたがらなくなるんじゃない?」
「問題よね……」
しかし、2人がいくら深刻になったところで解決策が見出せるはずもなく。
気がつけば夕食の時間になっていた。
羽根ペンをいったんケースに戻しながら言ったリリーの言葉。
「もう、のせいで宿題がちっとも進まなかったわ!」
「私のせいなの!?」
20%はやはり20%だったようだ。
薄っすらと東の空が白んできた頃、蝋燭の火だけの明かりの下、空き教室にはいた。
文字をびっしり書き込まれた羊皮紙と杖を持っている。
は談話室から拝借してきたクッションを置くと、杖でそれを軽く叩きながらいくつもの呪文をとなえていった。
何個目かの呪文を終えた時、クッションに異常が現れた。
ビリッと中央が裂ける。その奥からはみ出てきた綿に、わずかな紫電を見た瞬間、の頬が引きつった。
「やば……」
とっさに身を低くして両腕で頭をかばったと同時に、の体を強い衝撃が襲った。
ホグワーツの教室が一つ爆発し、飛び起きた教師達が駆けつけるまであと少し。
瓦礫の山からが発見されるまでは、さらに少しの時間がかかった。
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