穏やかに晴れた日の放課後の図書館。
は背の高い本棚の一番上の段を見上げていた。
口が開いて間抜けた顔になってしまうのは仕方のないこと。
「まさか最上段にあるとは。あんなとこ、七年生ののっぽさんでも届かないよ」
呟いてため息をつくと、脚立を探し始める。
今いる棚から2列向こうにそれはあった。
引きずるとマダム・ピンスの怒声が飛んでくるし、持ち上げるには重い。
こんな時こそ便利な魔法だ。
杖を振ってヒョイと脚立を浮かせて移動させる。
カタン、と目的地点に脚立を置いた。
グラついたりしないのを確かめて上ると、本棚の一番上に余裕で手が届くようになった。
隙間なく並ぶ本の中からは天文学に関する本を抜いていった。
『イースター時期の南半球の星の動き』『星との距離から読み取れること』『星の配置と歴史の関係』などなど。
天文学は嫌いではないが、とりわけ熱心でもない。
ケンタウロス族は天文学に秀でた種族であるらしく、禁じられた森の奥深くで生活していると言う。
星を読み、未来を視ると言うが、占い学とどう違うのだろうかというのがの疑問である。
レポートに使えそうな本を何冊か選んだ時、下から声をかけられた。
「あ、レギュラス。久しぶり」
「お久しぶりです、さん」
本当に久しぶりだった。
それもそのはずで、が意識してさけていたからだ。それでなくても寮も学年も違うとなれば、そうそう会う機会はない。
本を抱えて脚立を降りたは、どうしたのと尋ねた。
レギュラスは一瞬周囲を探るように視線を巡らせた後、ローブの内ポケットから一通の手紙を出した。
「母から預かってきました」
「ブラック夫人から?」
差し出された手紙を受け取りはしたものの、は内心眉をひそめていた。あまり歓迎できる内容でないことは容易に予想できる。何たって純血主義の筆頭だ。前にレギュラスに会った時に言われた、家復興の話なんじゃないかとは思った。
「ここで開けてもいいかな」
「……誰もいませんね。どうぞ。うるさい人に見つかってとやかく言われるのもわずらわしいですからね」
おそらくシリウスのことを指しているのだろうが、仮にも自分の実の兄をそんなふうに言うのかと、は少し寂しい気持ちになった。には兄弟姉妹がいないから、余計にそう思うのだ。それに、シリウスは友達だ。
けれど、それを言ったところでレギュラスの機嫌が悪くなるだけなので、何も言わずに手紙の封を切った。下手なことを口にして面倒な話を聞くはめになどなりたくない。
が手紙を読む間、レギュラスは辺りに気を配りながら一言も口をきかなかった。
内容は予想通りのものだった。
に家を復興させる意志があるなら、ブラック家が全面的に協力する、というもの。
思わず出そうになる失笑を何とかこらえる。
これはの人となりを見ての誘いなのか、昔の家を見ての誘いなのか。
おそらく後者だろう。
今のを知っているなら、とてもこんな申し出をするとは思えない。
もっと言えば、はヒトと異なる生き物ですらある。純血などとんでもない。
闇の陣営はそんなに仲間を欲しているのか、それともブラック夫人が浅はかなのか。あるいは全てを承知の上、さらに何かをたくらんで声をかけてきたのか。
いずれにしろ、の答えは決まっている。
が手紙を封筒に戻すと、レギュラスはシリウスと同じ色の瞳でじっと見つめてきた。
は簡潔にはっきり言った。
「お断りするよ」
瞬間、レギュラスの目が鋭く光ったが、彼はまばたき一つでそれを消し去った。
「そうですか。あのような場所で働いていたので、てっきりそんな意思があるのかと思いましたが、思い違いでしたか」
「私のことは諦めて」
「……それを決めるのは僕ではありません」
それはそうか、とは苦笑した。
「用はそれだけ?」
「はい。それでは失礼します」
「じゃあね」
硬い表情で背を向け去っていくレギュラスに、やれやれと肩を落とす。
そして苦い表情で封筒を見ると、クシャッと握り潰してポケットに捩じ込んだ。
選んだ数冊の本を抱えて荷物でキープしておいた席に戻り静かに本を置く。乱暴に置こうものなら、どこからともなくマダム・ピンスがやって来て即刻つまみ出されるからだ。
続いてできるだけ音を立てずに椅子を引いて腰を下ろす。
てっぺんの本を取り、目次を開いてレポートの参考になりそうな項目を探していると、ふと前が翳った。
目だけを上げるとジェームズとシリウスがいた。
珍しい、と思ったは素直にそれを口にした。
「こんなところにどうしたの? ここで悪戯なんかしたらブッ殺されるよ」
「フフン。僕達だって本を読むことくらいあるのさ」
何故か胸を張って得意気なジェームズ。
はニヤリとして応じる。
「悪戯に使えそうな呪文を求めて?」
「よくわかってるじゃないか」
「ふふふ」
「うふふ」
「気色悪い笑いはヤメロ」
放っておいたらいつまでも馬鹿をやっていそうなジェームズとのやり取りを、シリウスが強制終了させた。
そんなシリウスは難しい表情でを睨むように見つめている。
怒られるようなことをした覚えのないは首を傾げた。
「私に何か?」
「……あいつと、何を話していた?」
「あいつ?」
「あいつだ」
低く吐き捨てるように言いながら椅子に座るシリウス。横のジェームズも苦笑しながら椅子を引く。
「あいつって誰?」
のもっともな疑問に、シリウスはますます表情を険しくする。
ジェームズがそっと名前を告げた。
「レギュラスだよ」
瞬間、はシリウスの態度に納得した。
と、同時に名前も言いたくないのかと苦笑がもれる。
別に隠す必要もないので、はポケットから手紙を出して二人の前に差し出した。
クシャクシャの封筒に二人は少し不思議そうな顔をしたが、まずシリウスが手に取って中の手紙を取り出した。
が見守る前でジェームズとシリウスは中身を読み、だんだん驚きに目を見開いていった。
もしここが図書館でなければ、遠慮なく大声を上げて驚きを表現していただろう。
手紙からに目を移したシリウスは、怖いくらいに真剣だった。
「お前、これ本当なのか? ……本当に?」
「本当だよ」
シリウスが聞きたいのは、本当に家の生き残りなのか、ということだろう。だからは頷いた。
シリウスの目に疑いとそれの否定の二色が表れる。
がこの手紙に応じたのか否かだ。
手に取るようにそれをわかってしまったは、安心させるように微笑んだ。
「そんな話、受けると思う? どうせならもっと大儲けできる話じゃないと」
プッと吹き出すジェームズ。彼はがブラック夫人の誘いに乗るなど、微塵も思っていないようだ。それよりも聞きたいことがある、とウズウズしている。しかし、それをまだ口にしないのは、シリウスが落ち着くのを待っているからである。
「私、純血主義には興味ないんだ。その考え方の研究ならおもしろそうだけどね」
そう言ってはシリウスの手から手紙と封筒を取り上げた。本当は燃やしてしまいたかったのだが、図書館で火を起こすわけにはいかない。
キッパリとが勧誘に拒否の意を示したことで、シリウスはようやく安心できたのか肩の力を抜いて息を吐き出した。
次に、ずっと質問の機会をうかがっていたジェームズが身を乗り出して言った。
「ねぇ、どうしてこんな手紙が来るようなことになったの? シリウスのお母さんと会ったってこと? が家の子だっていう証拠はどこで?」
「待ってジェームズ。そんないっぺんに聞かれても」
勢いに押され、両手を上げてのけぞる。それほどに近い。
けれどジェームズは納得のいく返答を得るまで引く気はないようで、目をキラキラさせながらじっとの答えを待っている。
は頭の中で質問を反芻して、言えることと言えないことを分けた。
「シリウスの母さんとは偶然会ったんだよ。私の父さんを知ってたみたいで、それでもしかしたらと思ったみたいだよ。詳しいことを教えてくれたのは、父さんと親友だったっていう人」
「誰?」
「クライブの父さん」
ジェームズとシリウスは同時に固まった。
数秒間、空気まで固まった。
じょじょに解凍していくにつれ、二人の表情に変化が出てくる。
ジェームズは純粋な驚きに、シリウスは再び不安気に。
先に口を開いたのはシリウス。
「クライブって、フラナガンのことだよな?」
頷く。
「学生の時、父さんと仲が良かったんだって。写真も見せてもらったよ。どうやら私は父さんに似てるみたいだね。あ、でも髪の色と目の色は違ったから、これはきっと母さんの色だと思うんだ。あ、髪の色はもともとの黒いほうね」
「へぇ。良かったじゃないか。両親のことが少しでもわかってさ」
ジェームズの言葉に嬉しそうに笑う。
ふと、ジェームズはからかうような口調で言った。
「もし家が続いてたらキミはバリバリの純血主義の家のお嬢様だったってわけだ」
「それはどうかなぁ。父さんはマグルとか狼人間とか吸血鬼とかに興味持って、家を出ちゃって勘当されたらしいから、どうあってもお嬢様にはなれなかったと思うよ」
あはは、と笑いながらが言うと、ジェームズはとても間抜けな顔になった。
それはシリウスも同じで、きょとんと目を丸くしている。
二人のその顔がおかしくて、ますますは笑う。
「父さんは純血主義じゃなかったんだって。何だかどっかで聞いたような話だと思わない?」
チラッとシリウスを見て言うと、彼はハッとしてかすかに頬を赤らめた。
自分と同じような境遇の人がこんなに身近にいたことに、シリウスは軽い興奮状態になっていた。彼の味方はいるけれど同じ環境の人はいないと思っていたからだ。それは少なからずシリウスに孤独を感じさせていた。
ジェームズがニヤニヤしながら肘でシリウスを小突いている。
突付かれるたびにシリウスの体はグラグラ揺れたが、それでも彼は何も言えないままだった。
はシワクチャの封筒を顔の前でヒラヒラせて、もう一度言った。
「だから、何も心配することはないよ」
「……そ、そうか。それなら、いいんだ」
「それによく考えてよ。家がどんなだったか知らないけど、私の後見人になったところで得るものがあると思う? アンタの母さんだって、私がどこの寮にいるかくらい知ってると思うよ。だから、これはただの挨拶じゃないかな」
「……また来たら、教えてくれるか? 俺からも、馬鹿げた手紙を送らないように言うから」
「そうする。しつこい時は頼りにしてるよ」
「僕も一筆書こう」
「何て?」
何かをひらめいたかのような笑顔のジェームズにが問う。どんなおもしろいことが出るかと期待の目で。
「僕の弟子に手を出すなってね」
「コーチ! そういえば最近稽古つけてくれませんね」
「イースター休暇が明けたらビシビシ行くぞ、弟子よ。マジックファイトグランプリ優勝を目指すのだ!」
「おぉー!」
何だよそれ、と盛り上がる二人をいつものように冷めた目で見るシリウスだった。
結局は宿題をする気などどこかに吹き飛んでしまったため、必要な本だけ借りて寮へ戻ることにした。ジェームズとシリウスも数冊の本を抱えて、一緒に廊下を歩いている。
すると、前方から女子の集団がやって来た。
集団の中心にいるのはがよく知る人物。1年生の頃から何かと因縁のあるスリザリン生だ。
最近は特に罵り合いもなく過ごしていたが、どうやら今回は何か言いたそうだとは身構えた。
その彼女、オーレリア・メイヒューはと合わせた視線を外そうとせず、険しい視線でじっと見つめてくる。そしてとあと数メートルといったところで足を止めた。
受けて立つようにも立ち止まる。
二人の険悪な空気を察したシリウスが一歩前に出て、鋭い視線でメイヒューを見据えた。
メイヒューはシリウスには一瞥もくれず、フッと小馬鹿にするように唇を歪めてを笑った。
「あなたみたいなのが、あの家の生き残りとはねぇ」
こいつも知ってるのか、とはややうんざりする。ブラック夫人はそうとう口が軽いのだろうか?
「あなたの父は血を裏切った愚か者だわ。その子のあなたを私は決して認めない。たとえブラック家が後見について家を再興させたとしても、一度穢れた血筋など……」
「ああそう」
飛び出そうとするシリウスの腕を掴んで引き止め、はメイヒューのセリフを冷たい声で遮った。そして薄く微笑む。
「安心して。家を再興する気なんてないから。それと、アンタ達がどう思おうと、私は父を誇りに思ってる。アンタも純血主義とやらなら、最後までそれを貫くといいよ」
もう話は終わり、と歩き出す。
シリウスはきつくメイヒューを睨み、何か言いたそうだったがにぐいぐい引っ張られていたため、口を開くことはできなかった。
二人に続いてジェームズもメイヒューらとすれ違っていく。いつもの彼に似合わない、冷えた視線を残して。
グリフィンドール寮に戻ってからもまだシリウスはプリプリしていた。
彼に話しかけようと3人の女子が近寄ってきたが、あまりの不機嫌オーラにそのままUターンしたくらいだ。
いつも賑やかな談話室の窓際のテーブルで、リーマスとピーターが向かい合って宿題に取り組んでいた。
ドスドスと大股にそちらに進んだシリウスは、夢中で羽根ペンを動かしているピーターの横にドシンと腰を下ろした。
シリウスの接近に気づいていなかったピーターは、突然の出来事にかわいそうなほどにうろたえている。リーマスも目を真ん丸にしてシリウスを凝視していた。
ジェームズとは顔を見合わせて苦笑する。
ジェームズがリーマスの横に座ったため、座るスペースのなくなったは近くにあったサイコロ型のクッションソファを引っ張ってきて、それに腰掛けた。
が落ち着くのも待ちきれずにリーマスが口を開く。
「いったいどうしたの?」
「実はね──」
「どうしたもこうしたもあるかっ。あの馬鹿女……もだ。何で言い返さないんだよ! 呪いの一つでもかけてやれば良かったんだ!」
「まあまあ、落ち着いてよ」
「お前なぁ! 俺はお前のそういうところがムガッ」
「シリウス、落ち着きなって」
シリウスの剣幕に押されていたを助けるように、ジェームズがテーブルの真ん中にあった一口カステラをシリウスの口に押し込んだ。
むせるシリウスを横目で心配しつつ、はポケットから例の手紙を出してリーマスとピーターに見せた。
「凄いシワだね」
やはりそこに目がいくピーター。
中身を抜いたリーマスがピーターにも見えるように手紙を開く。
そこからは、図書館でのジェームズとシリウスとほぼ同じ展開になった。
2人が手紙の内容を理解するのをイライラと待っていたシリウスは、それが終わったとたんにメイヒューとのことを吐き出す。
まるで自分のことのように憤るシリウスに、はいつしかあたたかい気持ちになっていた。形は違うけれど、それはマリオンに父親のことを聞いた時の気持ちに似ていた。
気を許した人への侮辱を自分への侮辱のように受け止めて怒るシリウスの姿は、少なからず人に勇気と心強さを与える。この人はずっと自分の味方でいてくれると思わせる力がある。
本人はそんなつもりはないだろうけれど。
はそんな真っ直ぐなシリウスに羨望を覚える。
もちろんだって大切な友人の名誉が傷つけられれば黙っていられないが、シリウスのようにその場でそれとわかるように感情を露にしたりはできないんじゃないかと思っている。
自分なら、いつも通りの態度の裏で、二度とそんな口が利けないような確実で徹底的な仕返しを考えるだろうと思っていた。2年生の時のように。
「は、その、腹が立ったりしてないの?」
尋ねるピーターに、は「まさか」と苦く笑う。
「でもさ、私より先に、私より凄い勢いで怒る人がいちゃ、逆に冷静になっちゃうよね」
ひょいと肩をすくめて言ったに、ピーターもリーマスもなるほどと頷いた。
それを見たシリウスはますます鼻息荒く声を大きくした。
「何なんだよお前ら! もっと怒れよ!」
しかし逆にはニコニコしながらシリウスの肩を親しげに叩いた。
「シリウス、ありがとね」
シリウスがこうやって怒るから、は自分の怒りで我を見失うことがないのだと思った。
当然、シリウスはそんなことはわからないから、何故礼を言われたのかもわからない。
変な顔でを見つめるシリウスをからかうようにジェームズも言う。
「シリウス、僕からもありがと」
「僕も」
「うん、いつもありがとう」
リーマスとピーターも笑顔で続く。
この3人は明らかにおもしろがっている。礼の言葉に意味はない。
さすがにその気配には気づいたのか、シリウスはキッと3人を睨みつけると、杖を抜いてテーブルの上の教科書やら羊皮紙やらを飛ばして彼らの上に振り落とした。インクやカステラがなかったのは、まだ冷静さが残っていたからだ。
「教科書にしおり挟んでないのに!」
「レポートのメモがっ」
「イタッ、本の角は痛いって!」
ギャアギャアと悲鳴を上げるジェームズ達を笑うの口には、カステラが数個詰め込まれた。
「ふぃふぉひふふぉ」
「やかましい!」
カステラで頬をパンパンにしたまま抗議するに、それ以上に大きな声で遮るシリウス。しかも杖を操る手は休めないという器用さだ。
いよいよ収拾がつかなくなってきた時、とうとう特大の雷が落ちた。
「あんた達うるさいのよ! 少しは人の迷惑を考えなさい! その口永遠に縫い付けるわよ!」
窓がビリビリと震えるほどの声量を発揮したのは、もちろんリリー。この集団に遠慮なくこんなことができるのは彼女しかいない。
そのド迫力に、達だけではなく談話室全体が静まり返った。
鬼のような形相で、しかし静かに近づくリリーが向かう先は。彼女はの真横に立つと、グイッと耳を引っ張った。
「、天文学のレポートは終わったの? 期日、迫ってたわよね」
「ま、まだです……」
「遊んでていいの? 余裕ね」
「すすすすぐにやりますっ。やるから耳、離して!」
すさまじい冷気にビクビクしながらが即答すると、リリーは鼻を鳴らして耳を離した。
リーマスとピーターはコソコソと散らばった羊皮紙や教科書を拾い上げ、ジェームズとシリウスはリリーと目を合わせないように必死に窓の外を見つめている。
こめかみに青筋を立てたリリーは、まるでゴミでも見るような目で彼らを一瞥すると、サッと背を向けて自分のいたテーブルに戻っていった。
数秒後、5人はいっせいに詰まっていた息を吐き出したのだった。
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