去年もこんなふうにやったな、とは思い出したが、あの時はもっと切羽詰っていたっけとほろ苦いことも同時によみがえる。
しかし今回は違う。
余裕を持って進めている。
もちろん宿題ばかりやっていたわけではない。
外に出て雪まみれになって遊んだり、カードゲームやチェスに興じたりもした。
そして宿題も残りあと三分の一くらいにまで仕上がった頃、ジェームズが甘い誘惑を囁いた。
「さて、そろそろあの抜け道を活用する時が来たと思うんだけど、どうかな?」
反対する者などいようはずがなかった。
ハニーデュークスへ続く抜け道を杖の灯りに頼って5人はぞろぞろと歩く。この先に待つ楽しみに彼らの足取りは軽い。
「この抜け道ってフィルチは知らないのかな」
「知ってたらこんなふうに抜け出せないと思うよ」
ピーターの疑問にジェームズが鼻歌混じりに答える。
そういえば、と続けたのはリーマス。
「フィルチは僕達が汚した廊下とか、いつもマグル式で片付けてるよね。魔法でやれば早いのに」
確かに不思議だ、とも思った。
しかしシリウスはそんなことはどうでもいいとばかりに「趣味なんだろ」と切り捨てる。
そうだろうか、とはますます疑問に思ったが、出口が近くなるとそんなことは吹き飛んでしまった。
振り返ったジェームズがニヤリとして言う。
「まずは三本の箒で乾杯しよう。シリウス、クリスマスに来れなくて残念だったね。マダム・ロスメルタが魅力的な衣装で迎えてくれたかもしれないのに」
「うるさいな」
「シリウスはマダム・ロスメルタが好きなんだっけ」
「、お前も黙れ。そんなんじゃないっ」
「ムキになるところがアヤシイ〜!」
ジェームズとの声がきれいに重なった。
お前ら! と、シリウスが出した大声がわんわんと響く。
「ちょっと、上に店員がいたらどうする気?」
リーマスの威圧感たっぷりの押し殺した声での注意に、騒いでいた3人は口を閉じた。
リーマスの本命はすぐ上のハニーデュークスだ。目前にしておあずけになったら、どんな仕返しをされるかわからない。彼は静かに怒るので何をされるか予測がつかないのだ。
今日はリーマスが外の様子をうかがい、先に上がっていった。それから彼の合図で達も素早く地上に這い上がっていく。
侵入成功!
と、5人は静かにハイタッチをしあった。
何食わぬ顔で甘い良い香りのする店内を通り抜けドアを開けて外へ出ると、真冬の刺すような風にブルッと震えてから、できるだけ冷たい空気を遮断しようとマントの前をかき合わせた。
そのせいか、みんな何となく猫背になってしまう。
「早くあったかいとこ行こうぜ」
「憧れのマダムのところへ!」
「まだ言うかジェームズ!」
シリウスをからかうジェームズには声を立てて笑った。
シリウスは当分このネタでからかわれるな、と予想する。
5人は足早に三本の箒へ駆け込んだ。
店内の暖かさに5人はホッと息をついた。
の体からも寒さのために込められていた肩の力が抜けていく。
「いらっしゃい! 5人ね。あそこの席があいてるわよ」
快活な声ですぐに案内に来たのがマダム・ロスメルタだ。
5人は彼女に案内されたテーブルについた。
店にはけっこう客が集まっていた。みんなお酒でも飲んで暖を取りに来たのだろう。
この村に住んでいると思われる旦那達に家族連れ、カップル、魔法戦士らしき人もいた。
しかし、ホグワーツ生と思われる人はいない。
浮いていると言えば浮いているが、そんなことを気にする人が誰もいなかったのは、まだ昼間だったからだろう。
ジェームズが代表してバタービール5本とフライドポテトと鶏の唐揚げを注文した。
先にバタービールが運ばれてきたので、さっそく乾杯する。
「では! シリウスの夜逃げ成功を祝して、かんぱーい!」
「夜逃げじゃねぇ!」
間髪入れず反論しながらもジョッキを掲げるシリウス。
カチンカチン、とガラスの合わさる音が響いた。
それから半分くらいまでいっきに飲んだバタービールで、冷え切っていたの体はぽかぽかとあたたかくなってきた。
本当に不思議でおいしい飲み物だ。
鼻の下に泡をつけたジェームズが「さて」と切り出す。
「ここで一息ついたらみんなはどうする?」
その言い方から彼はもともと目的があってここに来たのだとわかった。
は特に目的はない。
だから、みんなの行く先についていこうと思っていた。
の、だが。
「僕とは古書店に行くよ。みんなは?」
「私も行くの?」
そんな話したっけと記憶を洗うがまったく覚えがない。
しかしジェームズは当然のようにニッコリして頷いた。
「別にいいけど」
「じゃ、僕はハニーデュークスにまず行くよ。その後は……まぁ適当に」
「僕もリーマスと一緒にいるよ」
リーマスとピーターは決まった。
4人の視線が未定のシリウスに集まる。
ジェームズが三日月のように目を細くしてニシシと笑んだ。
「何ならここでもう少しの間マダムの脚線美を堪能しとく?」
「あのな……」
「あら、私がどうかしたの? はい、お待ちどうさま」
ちょうど良いタイミングで現れたマダム・ロスメルタが熱々のフライドポテトと鶏の唐揚げをテーブルに置いた。
シリウスの姿勢が突然良くなり、視線がどことも言えない宙に固定される。
金縛りの呪いにかかったようにカチンコチンになってしまったシリウスに、ジェームズは盛大に吹き出してテーブルを叩いて爆笑した。
リーマスもピーターも我慢しようとして失敗している。
もうつむいて必死に笑いをこらえていたが、肩が震えるのを抑えることはできなかった。
突然笑い出した子供達にマダム・ロスメルタはきょとんとして首を傾げている。
「いったいどうしたの?」
「実はですね、ここのシリウスが……」
と、が隣のシリウスを指して説明しようとした時、その本人にガシッと頭を掴まれた。そして万力のように締め付けてくる。
「余計なことを言うなよ……な?」
「イタタタタッ。ちょっと、ミシミシいってるよっ。暴力反対ー!」
「元気ね」
マダムはくすくす笑いながらカウンターへ戻っていってしまった。
マダム・ロスメルタが去ったことで解放されたは、頭のどこかがへこんでいないか念入りに確かめた。
「シリウスもオクテだなぁ。言ってみればいいのに」
「だから、そんなんじゃないって言ってるだろ」
「じゃあどんなの? あんなに緊張しておいて」
頭のあちこちを触りながら問うから逃げるようにそっぽを向くシリウス。
しかしその先にはリーマスがいた。
「水臭いなぁ。僕達はいつだって協力する準備はできてるのに」
「ああもうっ! お前ら早く行くとこ行けよ!」
「まだ食べてないのにっ」
「だったらとっとと食って行っちまえ!」
リーマスに怒鳴りに怒鳴り、忙しいシリウス。
ピーターは控え目に笑いながらフライドポテトをつまんでいるし、ジェームズはまだ笑っている。
正面に座るジェームズの足をシリウスは苛立たしげに蹴飛ばした。
結局、シリウスはもう少し店にいることになった。その後はゾンコの悪戯専門店にでも行くのだろう。
ハニーデュークスと古書店の分かれ道で、はシリウスがどうしてあんなふうになってしまったのかジェームズに尋ねてみた。
「僕だってよくわからないよ。でもシリウスが恋じゃないって言う以上は……何だろうね。年上の綺麗なお姉さんに対する憧れかなぁ」
「へぇ。ジェームズもそういうのあるの?」
「そりゃ綺麗な人には目が行っちゃうよ。でも僕の一番はリリーだから。魔法界一の美女が現れても、迷わずリリーのところに行くよ」
「……へぇ」
恥ずかしげもなくよく言えるもんだ、といつもながら感心する。
長所であるこのストレートさが、リリーにとってはうっとうしさになっているところが報われないが。
「さっきのシリウスって、ふだん学校で見る『シリウスを前にした女の子』にそっくりだったね」
「そう、そういう感じだね」
の例えに頷くジェームズ。
なるほど、とは納得した。
告白するわけでもないのに偶然シリウスを前にしてしまって固まる女の子。その女の子がシリウスに恋をしているとは限らない。
シリウスはとてもハンサムな男の子だ。そんな人と突然接近することになって平常心を乱されるのは何ら不思議なことではない。
「でも、今は何でもなくてもいつか気持ちが発展するかもしれないだろ?」
「ジェームズはシリウスがマダムに恋をしてほしいと思ってるの?」
「別にマダムにってわけじゃないけど。シリウスには、ふつうの人とふつうの恋をしてほしいなって思ってるんだ」
特殊な家のせいで苦しんでいるからこそ。
ジェームズは心からそう願っているんだろうな、とは思った。
もっともシリウスは女の子のことよりも仲間達と悪戯して遊ぶほうに夢中のようだが。
それも幼少の頃の窮屈な生活の反動かもしれない。
「そうは言ってもシリウスはけっこう疑り深いとこあるよね。特に女の子に対してさ」
「そうなんだよねぇ。女は裏で何を考えているかわからないっていつだったか言ってたよ」
「……そうかもねぇ。好きな人を手に入れるためなら、好きでもない人と仲良くすることもできちゃうもんね」
の呟きにジェームズは意外そうに瞬きをした。
「まさかキミにそんな経験が……」
「私じゃなくて! 女の子の輪の中にいると、けっこう残酷な話を聞けるんだよ」
ふぅ、とため息をつく。
「ビジネスだったらそれもありだろうけど、人の気持ちをそんなふうに扱うのはあまり良い気がしないよ」
少し空気が重くなってしまった……かと思ったら、突如、ジェームズが「そうだ!」と叫んだ。
ジェームズはの手を取り、目をキラキラさせながら迫る。
「が相手ならいいんだよ! シリウスもキミには心を許してる。うっかりしてたよ、あんまり自然に一緒にいるから全然頭になかったよ」
「ヤだよ。リーマスの時の誤解だって大変だったのに。またあんなふうになるのは絶対嫌。それにシリウスに恋なんてしてないし」
「これからすればいいじゃないか。僕のリリーに対する想いをわけてあげるからさ」
「いらん! 余計なお世話だ。アンタちょっと頭冷やせ!」
は手を振りほどき、ドーンとジェームズを道の脇の雪に突き飛ばす。
見事に雪の山の中に沈むジェームズ。
はその背に掻き集めた雪をどんどん積んでいく。
「ぎゃー! 冷たっ、やめっ。悪かった、僕がトチ狂ってましたーっ!」
ジタバタ暴れながら雪を振り落とし、ジェームズはヨロヨロと立ち上がる。
マントについた雪を叩いて落としながらくしゃみをするジェームズ。
そんな彼には情けのカケラもなく言った。
「で? 早く古書店に行きたいんだけど。寒い」
「僕のほうがずっと寒いよ!」
ジェームズの悲鳴も自業自得だと無視しつつ、さっさと連れて行けとせっつく。
そうして案内されたのは、そよ風でも吹けば埃が舞い上がりそうな古書店だった。が毎年の夏休みに教科書を買いに行っている古本屋はもう少し綺麗だ。
棚に収まりきらない分が横に積み重ねられているものの、ジャンルごとに分別されているのがせめてもの救いだった。
ちなみに店主の姿は本に埋もれて見えない。
ジェームズはその本のビルを器用に抜けていく。
もマントの裾に気をつけながら後に続く。
時々立ち止まり、ジャンルプレートを確認するジェームズ。
「何の本を探してるの?」
「う〜ん、この辺にあったんだけど……あ、こっちだったかな」
するりと角を曲がり、いっそう奥に進む。
ちょっとした迷路のようだとは思った。
突然、ジェームズは立ち止まり「あっ」と声をあげて、本棚の上のほうから古びた本を一冊引き抜いた。
同時に埃が舞う。
埃を手で払いながらはジェームズの手元の本を覗き込む。
「その本? ……『趣味と欲望のための魔法薬』?」
あからさまに胡散臭いタイトルだ。
胡乱な目のを無視してジェームズは目次をたどり、目的のページを開いた。
「これ。これ作れないかな」
そこに書かれていた魔法薬の名に、は目をむいた。
『異性の気分を味わいたい時に』
やけに複雑な調合法がつらつらと挿絵付きで記載されている。
よろめきそうになる体をどうにか真っ直ぐに保つ。しかし、声が震えるのを抑えることはできなかった。
「アンタ……リリーが好きとか言っておきながら……」
「ちっ、ちがっ、違うよ! そういうんじゃなくて」
「……それなら?」
「女の子として彼女の前に現れれば、あの花のような笑顔を僕にも向けてくれるかなって……」
「その前にバレてその場で抹殺されると思う」
何だか頭が痛くなり、はこめかみのあたりを揉んだ。
いつだったか口走っていたのは本気だったのか。
「ジェームズが態度を改めればいつだって笑いかけてくれるよ。1年生の始めのほうはそうだったでしょ」
「それだけじゃない……僕は、僕はもっとリリーのことを知りたいんだ。寝起きはどんなふうなのかとか、寝言を言ったりするのかなとか……イタイッ」
「このド変態が! そういうのは想像するだけにしとけ!」
「想像してたら居ても立ってもいられなくなったんだよっ」
「絶対作らない! しかもコレ一週間も効き目があるよ。どうするの一週間も!」
「そこは大丈夫。僕とキミが入れ替わればいいのさ」
「アホかー! 何の意味もないでしょーが!」
「意味はあるよ。キミ達は二人部屋だろ? 僕が行ったらベッドが一つ足りないじゃないか」
「だからその前にバレるって。無理、絶対に無理! この説明をよく見てよ。性別は変わっても髪の色や肌の色が変わるわけじゃないんだよ。アンタはそのくしゃくしゃ頭と眼鏡のままだ。一番の特徴じゃないか。私なんかもっとあからさまだよ」
「じゃあこれを一日だけの効果に作りかえられないかな?」
「まだ言うか。その変態発想を頭から捨てろ。消し去れ!」
ようやくジェームズが口を閉ざしたと思ったら。
トントン、との肩が後ろから叩かれた。
振り向くと悪鬼のような表情の老人が杖を向けていた。
その迫力に息を飲むジェームズと。
彼は地の底を這うような声で問いかけてくる。
「さっきからギャアギャアと……営業妨害のつもりか? ん?」
営業妨害も何も達以外に客の姿など見えないが、ここは余計なことは言わないほうが良いだろう。
「騒ぎたいなら外へ行けー!」
本を取り上げられ、2人は文字通り放り出された。魔法で。
ごろごろと地面を転がり、あっという間に雪まみれになる。
「イタタ……まったく、とんでもない目にあったよ」
「が大声出すから……」
「出させたのはジェームズ」
「エー」
交互に背中の雪を落とし合っていると、ジェームズが盛大なくしゃみをした。
それから2人は、たぶんみんないるだろうと予想してゾンコの店に向かった。
「はぁ!? 風邪引いてた?」
翌日の朝、談話室で男の子達を待っていたが耳にしたのは、ジェームズが風邪で寝込んでいるという話だった。
「実は昨日の朝から風邪っぽかったんだって。それなのにホグズミードなんか行っちゃったから本格的に熱が出ちゃったんだ」
心配顔で説明するピーター。
しかし、話の途中からだんだんの目線は下がっていった。
すっかり気まずい顔になっているのを不思議そうに見るピーター。
「どうしたの?」
「えぇと……たぶん、風邪を悪化させたの私だ……」
「どういうこと?」
シリウスもリーマスも首を傾げている。
「ジェームズがあんまり血迷ったこと言うから、雪の中に突き飛ばしてさらに上から雪を積んだり、本屋でつい騒いじゃってジジイに叩き出されて雪まみれになったり……」
そういえばくしゃみしてたな、とは思い出す。同時に、あれらの発言は風邪のせいで判断力が狂っていたせいだったのかと納得した。
通常のジェームズなら、いくらなんでもあんな変態発言をするわけがない……と、思いたい。
シリウス、リーマス、ピーターは何とも言えない表情をしていた。
とて、無理な慰めはいらない。
誰もが言葉に困った沈黙を破ったのはシリウスだった。
「と、とりあえず、ジェームズはバカじゃなかったってことだ」
「それは、バカは風邪引いても気づかないっていうのが本当のとこらしいよ」
せっかく場を明るくしようとしたシリウスの気遣いをわざわざブチ壊す。
それなりに罪悪感を感じている証拠だ。
シリウスはこの場を和ませることを諦めた。
正面から行くことにした。
彼はポンとの肩に手を置いて言った。
「そんなに気になるなら、後でお見舞いにでも来いよ」
今度は素直に頷くだった。
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