19.ボクは王様

3年生編第19話  グリフィンドール寮の談話室で、1人で宿題に励んでいるピーターの前にニッコリ笑顔のが現れた。
 ピーターが1人で頑張っているのは、他の面子が無情にも彼を置いて遊びに行ってしまったからだ。もっとも、宿題をためこんでいたピーターも悪いのだが。
「ピーター、宿題は捗ってる? わからないところがあったら、私で良ければ協力するよ」
 藁にもすがる思いだったピーターは涙が出そうな顔で礼を言うと、向かい側に椅子を引っ張ってきて座ったにさっそく宿題の内容を話し、わからない箇所を質問した。
 はピーターの前に積まれている教科書や参考書を開き、丁寧に教えていった。
 ピーターは、相手がだということを忘れていた。
 彼女は基本的に慈善事業に興味はないということを。特にニッコリ笑顔は怪しいということを。
 最初の薬草学のレポートをやっつけ、次の占い学の手相についての考察は適当にでっち上げ、そろそろ二時間経つかなといった頃が切り出した。
「ピーター、いつだったかもっと自分に自信を持ちたいとか強気になりたいとか言ってたよね」
 ちょうど集中力も切れてきた頃だったので、ピーターも会話に乗った。
「うん。でも僕は僕だよ。こればっかりはね……」
 情けなさそうに眉を下げるピーター。
 そんな彼にあやしげな笑みを見せたは、コトンとテーブルの上に小瓶を置いた。薄い水色の液体が入っている。
「そんなこと言ってるピーターだって、やっぱりそういうふうになりたいと思うでしょ。これを飲めば自分に強く自信を持てるようになるよ。30分だけだけど」
「……何だかあやしいね。ねえ、前にもそうやって僕に魔法薬くれたけど、その時ちょっと厄介なことが起きたような記憶があるよ」
 あの時は確か、頭がとっても冴えたけど副作用で猫の耳と尻尾が生えたっけ、とピーターは思い出した。心の中に危険信号が点滅しはじめる。何となく、差し出されたものに手を出しにくい。今度は何が生えるやら。
 不安そうにしているピーターに、は目を合わせて微笑んだ。
「これは大丈夫。自信を持てるようになるだけだから、誰にも迷惑はかけないよ。ほら、この前呪文学でやった元気の出る呪文みたいなやつだよ」
 そう言われてようやくピーターの目から疑いの色が少し薄くなった。
「ふぅん……でも、何でいきなり?」
「ちょっとね、今、研究してる魔法があって、それの副産物」
「そう……うーん……自信を持った僕か……どんなふうなんだろう」
「それはわからないけど。ピーターの中の自信に満ち溢れた人のイメージしだいじゃないかな」
「……じゃあ、飲んでみようかな」
「そうこなくっちゃ!」
 はパチンと手を打ち鳴らして喜んだ。
 ピーターは慎重に小瓶のコルク栓を抜くと、薄水色の液体を一気に飲み干した。少し酸味のある、レモンウォーターのような味だった。
 うつむいて小瓶をテーブルに戻したピーターを、はじっと見つめる。
 一呼吸分の間の後、ピーターは勢い良く顔を上げて立ち上がった。
 しばらく天井を見上げて口の中でブツブツ言っていたかと思うと、スッと視線を下ろしてを見下ろす。
 あれ、とは思った。
 自信を持てるようになる効果が現れるはずなのに、ピーターはまるで別人のような顔をしているではないか。
 はもっと快活なピーターを想像していたのだが。
 おかしいな、と内心で首を傾げていると突然ピーターが大声を張り上げた。
「そこな小僧、良い面構えだ。私の従者となることを許そう。地の果てまでもついてくるがよいぞ! さあ、出発だ! 私の武具と馬を用意しろ!」
「……あれぇ?」
 はっきりと首を捻るを、すっかり気が短くなったピーターが叱り飛ばした。
「何をグズグズしているのだ! 私達の正義の剣を待つ弱き者達が世界中に待っているのだぞ。毎日を虐げられ泣き暮らす哀れな人達が! 騎士たる私が助けないでどうするというのだ!」
 と、そこにリリーの飼い猫のプラチナが通りかかった。
 ピーターはプラチナを見るなり大げさに飛び退いて敵を見るような目で睨みつける。
「ぬ。こんなところにまで敵の使い魔が入り込んだか。かの地の者達は無事であろうか……」
 いきなり睨まれたプラチナは、失礼ね、と言いたげにピーターを見やりさっさと離れていってしまった。
 眉間にシワを寄せ時代がかった言葉で話すピーターを、は呆然と見つめていた。
 確かに今のピーターは堂々としているが、が予想していた堂々さとは違う。はジェームズやシリウスのような態度を考えていたし、ピーターのイメージする『自信のある人』も彼らのような人達だと思っていた。
 が調合した魔法薬は、その人の中のヒーローのイメージに自分を合わせて、そう錯覚させる作用があるというものだ。いわゆる『ごっこ遊び』だ。
 いったいピーターは自分と誰を重ね合わせのだろう?
 半ば途方に暮れたに、ピーターは威圧的な雰囲気をかもし出して命じるように強い口調で言った。
「まだ馬を用意できんのかっ。……もしかしてどの馬かわからんのか? 厩の中の一番の名馬、純白のロシナンテだ」
「ドン・キホーテか!」
 反射的に叫ぶ
 マグルの古典文学は魔法界でもそれなりに読まれている。本屋でも小さいがコーナーが作られているくらいには。
 けれど、まさかピーターが読んでいたとは思わなかった。それも、堂々とした人物のイメージとするほどとは。
 それにしても、とは頭を抱えた。
 ずいぶん厄介な人物に憧れていたものだ。
 自分の妄想の世界にのめり込み、時代錯誤な騎士道精神の振る舞いで周囲を混乱させた人物のつもりでいるということは……もしかしたらスリザリンあたりにケンカを売りに行くかもしれない、とは危惧した。
 その心配はすぐに現実になった。
「小僧、私達はこれから悪の巣窟であるスリザリン国へ攻め込むぞ。そろそろ奴らには引導を渡してやらねば世の中は荒れる一方だろう。無垢なおなご達の涙はもうたくさんだ」
 さっきから小僧小僧と言われ続けてかなり不愉快なだったが、今はそれについて話し合っている場合ではない。もちろん訂正したい気持ちがないわけではないが。
 しかし、それよりも、この暴走したピーターがスリザリン寮に乗り込むのはまずい。気が大きくなっても実力は変わらないのだから。
「ピーター、まあちょっと落ち着いてよ」
「気安く私の名を呼ぶな。呼ぶならせめて敬称くらいつけたまえ」
「あー、それは失礼しました。では騎士様。このまま何の準備もなくスリザリン……国に行くのは得策ではないと思うのですがね?」
「それはそうだろうな。かの国は狡猾にして冷酷。厄介だ。しかし、ここで諦めてはならんのだ! 足りない分はお前の悪知恵と私の強運で補うべし。私達の奮闘はすぐにも近隣諸国に広まり、今こそ一つになって諸悪の根源を打ち滅ぼさんと……」
「あーうんうん、わかったわかりました! だからテーブルの上から下りてっ」
 気が昂ぶるあまり、テーブルの上に仁王立ちになって滔々と語るピーターを、は慌ててそこから引き摺り下ろした。
 いったいどうしたものかと悩む間もなくピーターは談話室を飛び出そうとする。
 はすかさずピーターのローブを掴んだ。
「ちょっとちょっと!」
「ええい離せ! 剣や馬がなくとも私には魔法があるわ! 騎士には邪道とも言えようが、正義のためならちっぽけな名誉など……ムガゴガッ」
「もうっ。正気に戻ってよピーター!」
 掴まれたローブを振り払って出て行こうとするピーターを羽交い絞めにして、さらに手で口をふさぐ
 ピーターはジタバタと暴れた。
 この騒ぎに談話室にいる寮生達は何事かと2人に注視していた。止めようとしないのは、騒いでいるのが悪戯仕掛け人の1人と彼らと仲の良い人物だったからだ。が困っているのは明らかなのに、薄情にも彼らはそろいもそろって見物して楽しむ立場を選んだ。
 そのほうがおもしろいから、というのが寮生達の意見である。
 心の中でそんな彼らにヤツ当たりをしながら、必死にピーターを押さえる。気弱さの引っ込んだピーターは意外なほど力強かった。
「おのれ、従者の分際で盾突く気か!」
「まったくもぅ、1人で突っ込んでも討ち死にするだけでしょ!」
 は足をかけてピーターのバランスを崩すと、背中から押し潰した。
 しかしピーターはなおもわめき続ける。
「討ち死にではない。私の行動が皆の暗く沈んだ心に新たな希望となって輝くはずだ! もちろん死ぬ気はないが」
「ああもうっ。完全に失敗だな、これ!」
 ピーターに飲ませた魔法薬は、大雑把に考えれば成功だが、飲む人によっては傍迷惑なことになる、と身に染みてわかっただった。後はこのまま押さえ続けて薬の効果が切れるのを待つしかない。
 あと15分くらいか、とが壁の時計を確認した時だった。
 賑やかな話し声がして外に出かけていたジェームズ、シリウス、リーマスが戻ってきた。
 外へ通じる『太った婦人』の開いた穴を這い登って来るなり、3人はすぐにピーターとに気づいた。
 小走りに駆け寄ってきて、楽しそうにニヤニヤしながら声をかける。
「2人とも、何してるんだい?」
「ジェームズ、いいところに」
「お前達!」
 ピーターを押さえるのを手伝ってもらおう、と口を開いたの言葉はピーターの大声に掻き消された。
「無礼にも私の背に乗っているこの小僧を引き離せ! そしてすぐに討伐に行くぞ!」
 ジェームズは口をパカッと開き、シリウスもリーマスもポカンとして変わり果てた友人を見つめた。
 しばらく現実を拒否していたかのような表情だったジェームズだが、やがて我に返りウロウロと視線をさまよわせる。
 その目がピーターが宿題をしていたテーブルの上に転がる小瓶に止まった。
 なるほど、ジェームズは合点がいった顔で頷いた。
 ジェームズはニヤリとしてを見た。
「キミ、失敗したんだね?」
 の表情が固まる。しかし、このまま黙っていてはただ失敗したと思われるだけだと気づき、それは癪だと感じて彼女は魔法薬の効能とそれをピーターに飲ませた結果までの経緯を手短に話した。
 聞いていたジェームズ、シリウス、リーマスは話の終盤ではゲラゲラと腹を抱えて笑っていた。
 隙あらばを振り切って戦いに赴こうとするピーターを押さえながら、は不貞腐れて口を尖らせた。
 ふと、シリウスがピーターを覗き込むようにして悪だくみをする笑みを浮かべた。
「おもしろそうじゃねぇか。行かせてみたらどうだ?」
「無謀だよ。それに、戦いの最中に薬の効果が切れたらどうなると思う?」
 の反対をシリウスは鼻で笑った。
「その時は俺達が加勢に入るさ」
「よくぞ申した! お前達こそまっことこのグリフィンドール国の勇士なるぞ! さあ参るぞ。この愚か者をどかせ…………ン? あれ……?」
 急に声の調子が変わったピーターに、は心の底から安堵した。体中から力が抜けていくのがはっきりとわかる。
 ようやく30分が経ったのだ。
 はたまっていた息を全部吐き出すと、ノロノロとピーターの上からどいた。
「僕……あれぇ? 何だか僕、凄まじい夢を見ていたような……」
 ピーターもゆっくりと立ち上がった。
 リーマスがピーターのローブについた埃を払いながら、クスクスと笑っている。
 ジェームズとシリウスは笑いながら両側からピーターと肩を組んだ。重みで前のめりになるピーター。
「よぅピーター、それでいつスリザリンを滅ぼしに行くんだ?」
「やっぱり最初に血祭りにあげるのは我らがスニベルス殿かな?」
「え? えぇ!? 何の話をしてんの?」
 目をまん丸にしてキョロキョロとせわしなく交互に2人を見る様子に、ジェームズとシリウスは大きな声で笑った。
 解放されたピーターは情けない顔でリーマスを見やる。
 しかしリーマスもただ笑うだけだった。
「そうだ! そもそもキミが僕に……あれ?」
 事の発端を思い出したピーターが文句の一つも言ってやろうと、さっきまでがいたほうを振り向いたが、そこには誰もいなかった。
なら外に出て行ったよ」
 リーマスの言ったことにピーターは「逃げられた!」と悔しがった。

 廊下に出たは特に目的もなく歩いていた。
 歩く先に目的地はないが、頭の中ではあの魔法薬の反省会が行われている。
 いったいどこを間違えたのか……。
「やっぱりこっちである程度人格を提供するべきなのかな。でもそれってちょっとな……」
 ブツブツ呟きながらのんびり足を動かしていると、「あ!」という声のあとに呼び止められた。
 振り向くと少し離れたところにクライブがいた。
 こうして会うのはクィディッチの試合以来だ。合同授業や選択授業で教室が一緒になることもあるが、ほとんどの場合寮ごとに行動しているので話す機会はなかったのだ。
 クライブはのところに来るなりクリスマス休暇の予定について聞いてきた。
「今年もここに残るよ」
「そう。じゃあさ、休暇は俺の家で過ごすってのはどう? 父さんも会いたがってるし」
「マリオンさんが?」
 クライブの父マリオンとの父は学生の頃とても仲が良かったらしい。だからマリオンはその子であるが気になるのだろう。
 はしばらく考えた。
 クライブの家はかなりおもしろい。特に庭はホグワーツの温室にも負けないくらい豊富な種類の薬草が栽培されている。屋敷内の部屋も見たこともない不思議な道具が陳列されていたりと、にとっては一日中見て回っても飽きない家だった。
 しかし、は首を振った。
「マリオンさんには申し訳ないけど、やっぱりここに残るよ。夏もあんなにお世話になったのに、冬までお邪魔するのは図々しいかな」
「そう? 遠慮しなくていいのに。でもまあ、そういうことなら父さんにはそう伝えておくよ」
「私からも手紙を送っておく。悪いね」
が詫び状を送るって書いておくか」
「余計なことはしなくていいから」
 しかしクライブは笑っているだけだった。
 こいつは実行する気だな、とは舌打ちした。
 クライブと別れた後、は今年のクリスマスプレゼントはマリオンさんにも贈ろうと決め、少し気が早いが内容に思案を巡らせたのだった。
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