15.強くなるための条件

3年生編第15話 「ふははははっ! シリウスよ、キサマのから揚げなどこうだ!」
 大皿に残る最後の一つの鶏肉のから揚げにフォークを突き刺したが、それをシリウスによく見えるように高く掲げて挑発する。
 そのから揚げは、一口でに食べられた。
 朝の大広間のグリフィンドール席に、シリウスの絶叫がこだました。
 の食事の量がもとに戻ったわけではないが、やってることは今までと何も変わらない。
 リリーはもはや注意することを放棄し、自分の食事に専念している。
「ほらシリウス、こっちの皿にまだ残ってるから」
 ギリギリとを睨むシリウスに、リーマスがから揚げの盛られた別の大皿を引き寄せる。
 その皿には目もくれず、しかしから揚げにはフォークを刺してシリウスが悔しさたっぷりに言った。
……! 今日という今日は許さねぇっ、オモテに出やがれ!」
「ふふふ、返り討ちにしてあげるよ」
「ほざけ。泣いて謝ったって許してやんねぇからな」
「さぁて、許しを請うのはどっちだろうね?」
 椅子を蹴立ててシリウスが立ち上がれば、も好戦的な笑みを浮かべて席を立つ。
 ジェームズはおもしろそうに成り行きを見守り、ピーターはどうしたらよいのかわからずオロオロし、リーマスとリリーは同時にため息をついた。
 よくまぁ、3年間も同じことを繰り返すものだ、と2人の目は語っていた。

 シリウスとが食事時に争うのはもはや日常茶飯事だが、この日、は少し機嫌が悪かった。それをシリウスにぶつけてしまった節がある。
 というのも、そもそもは大広間に来るまでのリリーとの会話に原因があるのだが。
 動く階段が来るのを待っている時、思い出したようにが聞いた。
「そういえばリリー、この前の先輩からの告白はどうなったの?」
 あの後、自分のことで手一杯になったは、その後のことを知らない。
 リリーは何てことないふうに答えた。
「断ったわ。いろいろ考えたんだけど、やっぱりどうしてもしっくりこなかったの」
「ふぅん。付き合いながら少しずつしっくりくるようになるかな、とか考えなかったの?」
「もちろん考えたけど。でも……そういう方向に気持ちが動かなかったのよ」
「そうなんだ」
 意地悪な階段がようやく来たことで、会話はそこで終わった。
 は平静を装っていたが、内心は安堵していた。
 リリーに交際を申し込んだ上級生が気に入らないわけではない。
 ただ、リリーとあの上級生が付き合うことでとの時間が減ることを心配したのだ。
 リリーが決めた相手なら祝福したいと思うのに、心の片隅ではそうできない自分がいる。
 幼稚だな、と思うがそればかりは自分でもどうにもできない感情だった。
 そんなふうに思ってしまうのは、自身がまだ恋を知らないからなのか。それとも単に心が狭いからなのか。
 自分の心の醜い部分を目の当たりしたような気がして、は心なしかムスッとしていた。
 しかもリリーはさらりとこんなことを続けた。
「私のことよりも、はどうなの? ルーピンと付き合ってるんでしょ?」
 は階段を踏み外しそうになった。
 困り顔でリリーを見れば、興味があるようなないような顔。何を思っているのか読み取れない。
「それ……デマだから。確かにリーマスを呼び出しはしたけど、そんな話じゃないから」
「そんなことだろうと思った」
 鼻を鳴らすように息を吐き出すリリー。
「だって、全然そういう空気がないんだもの」
 はごまかすように笑う。
 まだこの話題を周りは引きずっているのかと思うと、うんざりしてくる。
 やれやれ、とため息をつくに、
「もう少しで静かになるでしょ。ガンバッテ」
 と、リリーは気のない励ましをくれた。彼女自身も周囲の盛り上がり方を冷めた目で見ているのだろう。
 きっと相手が人気急上昇中の『悪戯仕掛け人』のメンバーでなければ、話題にもならなかったはずである。
 そうしたモヤモヤを、悪いと思いつつもシリウスに向けてごまかしてしまったのだった。


 放課後、は最新版の魔法道具事典を眺めていた。宿題は残っているが、どうにもやる気にならなかったのだ。
 リリーはスラグホーンの何とかクラブに出席中だ。
 ため息をつきながら出て行く後ろ姿を苦笑しながら見送ったのは、だいたい30分くらい前か。
 魔法道具関連の事典はいろいろ見てきただが、それにしても、といつもながら思う。
 これは凄いと思わず唸ってしまう逸品から、いったい誰が使うんだと思われる珍道具まで、よくもまあこれだけ調べあげたものだと見るたびに感心する。それから、どんな形であれ、発明された道具の量にも。人の欲は無尽蔵だと、この年にして悟りたくないものを悟ってしまいそうになる。
 それでも飽きずに眺めてしまうのは、無尽蔵な欲望と同時に果て無きロマンを感じてしまうからか。
 この類の本は当然悪戯仕掛け人の重要な参考書にもなっている。
 その時、ドサッと何かが倒れるような音がした。
 談話室の出入り口のほうだ。
 事典から顔を上げたの目が、何故か這いつくばっているピーターの姿を捉えた。
 彼は時々何もないところで転ぶから、今回もそのパターンかなと目を戻しかけたが、はうつむいたその顔に青アザがあるのを見つけてしまった。
 すぐには本をテーブルに置くと、ピーターに駆け寄った。
 まだ立てずにいるピーターを支えて、座っていた席まで連れて行く。
 疲れきった表情でソファに沈み込んだ彼に、は談話室の隅に備え付けられている水差しからゴブレットに水を注ぎ、ピーターに差し出した。
 ピーターは黙って受け取り、少しだけ口に含んだ。
 とたん、しかめられる顔。
 口の中が切れているのだろう。
 左の目の下に青いアザ。右の頬は赤く腫れている。
 自分で転んだとは思えない怪我だ。どう見ても殴られたか、何かをされて固いものにぶつかったか。
 は再びピーターの前を離れると、今度は固く絞ったタオルを持ってきて腫れた頬にあてた。
 冷たさがしみるのか、ピーターの顔がまたしても歪む。
「ずいぶん酷くやられたね」
 の声には憤りも同情もないが、それはピーターも同じで、まるで怪我をしているのが他人であるかのように頷いた。
 ピーターの正面に腰を下ろしたに、水を飲み終えた彼から小さくお礼の言葉が向けられた。
 は軽く頷いて、うつむくピーターを見つめる。
 彼が時折こうした暴力にあうのは、今に始まったことではない。
 ジェームズやシリウスが隙あらばスネイプにちょっかいを出そうとするように、ピーターにもそうした相手がいるのだ。
 ふだんなら誰かが一緒にいるからそういった輩も手を出してこないが、何らかの理由で一人になった時、運悪く出会ってしまえば見逃してはもらえない。
 どれくらいかの無言の時間の後、ピーターは決意に燃えた目を上げてに言った。
「僕に、ケンカの仕方を教えてほしい」
 予想外の言葉だった。
 もともと争いごとが嫌いな彼なら、悔しさを飲み込んでこのまま部屋に戻ると思っていた。
 それが、復讐に燃える目でまっすぐにを見据えているのだ。
 悪戯仕掛け人として活動するうちに度胸がついたのか、とは思った。
 それにしても、この発言は自分に向けられていいのかとも思う。
「あの、ピーター、魔法使いの決闘なら私よりもジェームズかシリウスに教えてもらったほうがいいと思うよ」
「ううん。魔法じゃない。マグル式のケンカを教えてほしいんだ」
「ど、どうしちゃったの!?」
「僕は本気だ!」
 ピーターらしからぬ発言に目を丸くするに、興奮状態のピーターは立ち上がって大声を出した。が、すぐに再びソファに身を沈める。
 大声を出したことが恥ずかしかったのか、小声でに謝っている。
 いったいピーターに何があったのかさっぱりわからないが、彼がいつも行動を共にしている仲間ではなく、に相談してくることからして、そうとうな理由があるのだろうことは察しがついた。
「理由を聞かせてくれる?」
 魔法使いはマグル式のケンカ──つまり殴り合いを野蛮だと言って軽蔑する傾向がある。からすれば、素手だろうが魔法だろうがケンカはケンカなのだが、魔法界育ちはそう考えない。ピーターも魔法界育ちなのだから、そういう考えだとは思っていた。
 ピーターはモゴモゴと口を動かして、何かを言いかけてはやめる、を繰り返すばかりでなかなか話そうとしなかった。
 は辛抱強く待った。
 待ちながら、よほど屈辱的なことがあったのだろうなと思った。
 ピーターは、そんな顔をしていたのだ。
 10分くらい待ったが何の進展もないので、は諦めることにした。
「じゃぁ、理由はまた今度でいいや。ねぇ、本当に私でいいの?」
「うん。マグル式のケンカに一番詳しそうなのって、僕の知るかぎりではだから」
「……」
 が聞きたかったのはそういうことではない。
 手段はともかく、男子が女子にケンカの仕方を教わるのは、それはそれで屈辱ではないのかということを聞きたかったのだ。
 ピーターは穏やかそうに見えて実は徹底した実力主義なのだろうか、とは内心で首を傾げる。
 ともあれ、本人がそれでいいならいいかと流しておくことにした。

 ピーターが、みんなには知られたくないと言うので、特訓は放課後に隠れてすることになった。
 空き教室の机と椅子を全部隅に寄せ、真ん中に距離をあけて2人が立つ。
 軽く身構えてが言った。
「じゃ、何でもいいから仕掛けてきて」
「う、うん」
 ピーターも軽く腰を落とすと、何度か深呼吸をした後、床を強く蹴ってに突進してきた。
 はそれをかわすことはせずに、少し身を斜めにして受け止めて突進の勢いを逆に利用してピーターを床に転がした。
「イタッ」
「……ピーター、相手に向かう時に目をつぶっちゃダメだよ」
 大の字に伸びたピーターの顔を覗き込み、言う。
「僕、目をつぶってた?」
 頷く
 立ち上がったピーターは埃を払って「もう一度」と言う。
 1回、2回、と続けたが、やはり目をつぶってしまうピーター。
 その日の締めくくりに、は言った。
「ケンカに必要なのは闘争心だよ。負けたとしてもね」
は負けたことあるの?」
「もちろん。それで、次はどうやろうかと考えるんだよ。ピーターはまず目をつぶらないようにしないと。でないと、当たるものも当たらないよ」
「……うん」


 次の特訓は3日後だった。
 宿題だの何だのでケンカの訓練をしている場合ではなかったのだ。
 前とは違う空き教室。
 ピーターの目は前回よりも開くようになっていた。3日間をただ過ごしていたわけではないようだ。
 が、がちょっと反撃に出るとやはり目は閉ざされてしまう。
 休憩の時、はふと防衛術の授業のことを思い出した。
「ピーターの魔法が時々明後日のほうに飛ぶ理由がわかったよ」
「僕も……。これがうまくいけば、もっとマシになるだろうね」
 皮肉っぽく彼は言ったが、は大真面目に頷いた。
「私も負けてられないなぁ。ところでさ、私が争いごとに巻き込まれた時に最初に考えることって何だと思う?」
 突然の問いかけに、ピーターはきょとんとした。
「え? 何だろう……いかに相手を出し抜いて勝つかってこと?」
「ハズレ〜。逃げ道だよ。明らかに私のほうが上の時はそんなこと考えないけど、未知の相手とか互角とか負けそうとか思ったら、無理しないで逃げ道を考えるんだ。無駄に怪我したくないし」
「……キミの口から『逃げる』なんて言葉が出てくるとは思わなかったよ」
 心底そう思っているピーターの口ぶりに、は笑った。
「私、安全なのが一番好きだよ。だから……もしヤバイことになった時は、まず相手を怯ませる。何でもいい。叫んでもいいし、物を投げるのでもいい。魔法で大きな音を出すのもいいね。それで怯んだら逃げるか、場合によっては徹底的に攻撃する」
「……徹底的に」
「そう。相手が立てなくなるまで。急所狙いでも何でもやる」
 複数相手なら逃げるかな、と最後には付け足した。
 ピーターは、の言ったことを口の中で繰り返しながら、膝の上に置かれた手を握ったり開いたりしていた。
 やがて、ぶるりと肩を震わせた。
、この2日間でわかったんだけど、人に手をあげるのって怖いね」
「……そうだね。でも、それでもやらなきゃいけない時は、ほんのちょっとだけ自分の中の凶暴なものに頼るんだ。私は、そうしてきたよ」
「自分の中の、凶暴なもの……」
 目を閉じて繰り返すピーター。
 彼の中の凶暴なものを探しているのだろう。
 ピーターはもう一度肩を震わせた。
 ゆっくりと開けられた目は、少し戸惑いを含み、少し恐怖を含んでいた。
「……僕、やっぱりケンカには向いてないみたい。考えたら怖くなっちゃった」
 この特訓中、初めてはやわらかく微笑んだ。
「それでいいと思う。わざわざ目を吊り上げて拳を振るう必要なんてないって。疲れるだけだよ。手も痛くなるしね」
「ははは、そうだね。じゃあ、仕返しは別の方法でやるとして……でも、また絡まれた時のために、この特訓のことはしっかり覚えておくよ」
「仕返しするなら手を貸すよ」
 いつもの調子に戻ってきたピーターに、も声を明るくした。
 ピーターは首を傾げて少し考えた後、はっきり頷く。
「うん。ここまでみんなに内緒にしてきたんだから、最後まで内緒にしようかな。相手はスリザリンなんだけど……」
 2人はしばらく顔を寄せ合い、ボソボソと話し合った。

 後日、数名のスリザリン生が特殊なワックスを塗られた床で足を滑らせて転び、そこに上からナメクジのたっぷり入ったタライを落とされるという事件があった。ちなみにワックスは恐ろしいほどよく滑るもので、立ち上がろうにも立ち上がれず、彼らはナメクジまみれになったのだった。
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