13.勘違いが呼んだもの

3年生編第13話  リーマスと二人だけで話す機会を得られないばかりか、彼の姿さえ見られなくなっていた。
 明日はもう日曜日。
 満月は月曜だったか火曜だったか。
 その頃になると、もしかしたらリーマスは具合が悪くなって寮のベッドに臥せている可能性がある。そうなってしまっては話し合いの機会はますます遠のくだろう。
 マダム・ポンフリーというボスがいるからだ。
 今日の課題である魔法薬を調合しながら、は前の竈で鍋をかき回しているリーマスの背を憎々しく睨みつけた。
 リーマスは何も気づかずに、ピーターが刻んだ材料をおおざっぱに手で掴んで鍋に入れようとしていた。今入れるべきはそれとよく似た別の材料だ。
 はハッとして声を上げる。
「リーマス、それはまだだよっ」
「おっと」
 の声はギリギリで間に合い、煮えたぎる鍋の上まで来ていたリーマスの手は引っ込められた。
 振り返ったリーマスが少し恥ずかしそうに苦笑いする。
「ありがと」
「いいけど。似てるものを隣同士に置いちゃダメだよ。それと、入れる順番通りに材料を並べるといいと思う」
「なるほど」
 ピーターもふむふむと頷き、板書を見ながら材料を並び替えていった。
 どうやら今回は鍋が爆発せずにすみそうだ。
 この時間が終われば、食事時間を除いてとリーマスの時間が重なることはない。
 悶々としているうちに時間は無情に過ぎ去り、とうとう終業のチャイムが鳴ってしまった。
 こんな状態でもミスなく調合を終えられたのはリリーのおかげか、好きな教科だからか。
 できあがった魔法薬をクリスタル製のビンに入れて提出した後、ため息をつきながら片付けをしていると、シリウスがジェームズに何やら耳打ちをして教室を出て行く姿を見かけた。
「シリウス、どうしたの?」
 近くでやはり片付けをしていたリーマスにが尋ねると、彼はあいまいに微笑んで小声で答えた。
「呼び出しなんだって」
「呼び出し? ……誰かに因縁つけられたの?」
 眉をひそめるに、リーマスが吹き出す。
「違うよ。女の子からの呼び出しだってば。まったくキミって人は……」
 クスクス笑いながら言うリーマスに、は自分の勘違いが恥ずかしくなり目をそらした。
 が、ふと思った。
 女の子から呼び出されたということは、指定の場所にはもしかしたらシリウスは女の子と2人きり。
 ──それだ!
 の目がキラリと光る。
 は乱暴に鞄の中に教科書やら羊皮紙やらを詰め込むと、リリーに向かって早口に言った。
「先に大広間に行ってて。食事、始めちゃっててもいいし」
「どうしたの?」
「忘れ物ー!」
 最後の返事を返す頃にははすでに教室の扉に駆け出していた。

 足早に医務室に戻ったは、私室と化している自分のベッドの横にある私物の入ったトランクを開いた。中にはわずかに残ったこまごましたものが入っている。
 それらの中からは控え目な柄のついた綺麗な羊皮紙を抜き出した。ダイアゴン横丁へ買い物に行った時に、気まぐれで買ったものだ。
 残された私物を見た時には、これがあることに少しがっかりしたものだった。この羊皮紙よりも教科書や杖が無傷であることのほうが嬉しかったのに、と。しかし、今となっては、よくぞ残っていてくれたと褒めたい気分だ。
 ベッドサイドの小さなテーブルの上にその羊皮紙を広げ、は真剣な表情で文面を考えた。
 何せ、こういうものを書くのは生まれて初めてだ。
「文字もかわいく書かないとね」
 の文字はお世辞にも綺麗とは言えない。

『リーマス・ルーピン様

 突然のお手紙、失礼いたします。
 お話ししたい大事なことがありますので、放課後4時頃に会っていただけませんか。
 場所は西塔3階の一番奥の空き教室です。
 ご迷惑かと思いますが、お願いします。待ってます』

「ちょっと変な感じだけど、ま、いいか。名前は書かなくてもいいよね」
 は素早くインクを乾かすと、丁寧にたたんで封筒に入れた。
 ふくろう小屋で手近にいたふくろうの足に手紙をくくりつけている時、リーマスを騙しているようで気が引けたが、会えた時に謝っておこうと思い直してふくろうを飛ばした。


 そして放課後。
 指定の時間より早くにが約束の空き教室に着いた時、まだリーマスは来ていなかった。
 適当な椅子を引いて腰を下ろす。
 そうしてぼんやり待っていただったが、ふと、ある可能性に思い至った。
 ──来ないかもしれない。
 リーマスの体質のことを思えば、来ない可能性もある。
 悪戯仕掛け人として活動していたジェームズ達にさえ、打ち明けたのは最近と言ってもいい頃だったのだ。
 そんな人が、どこの誰とも知れない人の呼び出しに素直に応じるだろうか。
 魔法薬学の時、シリウスの呼び出しをケンカと勘違いしたのように、受け取った手紙にあった『お話ししたい大事なこと』をリーマスの体質のことと思わずにいられるだろうか。
「心配してみんながついて来ちゃったりとか……ありえる」
 は頭を抱えた。
 その時、カタンとドアが小さく鳴った。
 ハッと顔を上げると、細く開けたドアからリーマスがこちらを見ていた。
 彼の目は驚きに見開かれている。
「リーマス、来てくれたんだ。良か……」
「この手紙、が?」
 4時間程前にがふくろうに運ばせた封筒を手に、リーマスが一歩一歩踏みしめるように教室に入ってきた。
 何だか様子が変だ、とは感じた。
 彼はとても緊張している。
 空気が張り詰めているのが、はっきり伝わってくる。
 その理由が何なのかにはわからなかったが、とりあえず安心させようと微笑みを向けた。
「あのね、話したいことっていうのは──」
 言いかけた時、は教室の外に複数人の気配を感じた。
 言葉を止めて壁の向こうをじっと見つめる。
 その様子に気づいたリーマスが気まずそうに頬をかいた。
「えっと……ジェームズ達がいるんだ。心配してくれて、ね」
「ああ、やっぱり」
 リーマス自身が手紙のことをどう思っていたか知らないが、少なくともジェームズ達はが気づいた可能性に同じように気づいたのだろう。もちろん、おもしろがって覗きに来たというのもあるだろうが。今頃、手紙の主がだったと知り驚いているに違いない。
 教室のドアは前後二箇所にある。
 は後ろのドアに人の気配があるのを感じ取ると、リーマスに口を閉ざすよう身振りで伝え、前の方のドアへと促した。
 足音を忍ばせて前のドアの横の壁にぴったり張り付く2人。
 は杖を握ると、音を立てないように慎重にドアを開けていった。
 細く開けたドアから半分だけ顔を出して廊下をうかがうと、後ろのドアにジェームズ、シリウス、ピーターがへばりついて聞き耳を立てていた。
 3人はまだが見ていることに気づいていない。
 はニヤリとすると、危険を察したリーマスが止めるよりも早く杖を振った。
 ジェームズ達のすぐ傍で盛大に爆竹音が鳴り響く。
 噴煙立ち込める中へ、はリーマスの手を引いて飛び込んだ。
「場所を移そう」
「ちょっ、!?」
 リーマスが上げた声に、煙の向こうからシリウスが反応を返した。
「こんなことするのはやっぱりお前か! あぶねーだろ!」
「あはは、後でね〜」
 は軽く答えると、リーマスを引っ張ってぐんぐん走り出した。

 の足は速い、と前から思っていたリーマスだったが、腕を引かれて一緒に走ることで改めてそれを実感した。
 ついていくので精一杯で声をかけるどころではなく、下手したら何かを考える余裕さえない。
 いくつか角を曲がり、動き始めていた階段に飛び乗り、すれ違う生徒にぶつかりそうになりながらリーマスは必死に足を動かした。
 すでに息は上がっているがリーマスは不思議と楽しくなっていた。
 すぐ目の前で跳ねる白い髪に何故か心が満たされ、高揚していく。
 このままずっと走り続けてもかまわないと思うほどに。
 しかし、やがてはひとけのない薄暗い階段で足を止めた。階段の上を見れば、風景画が一枚飾られた行き止まりになっている。
 2人とも肩で息をしていた。しばらく言葉を発することはできそうにない。体もクタクタだったので、崩れるように階段に腰を下ろす。少々埃っぽいが気にすることはなかった。
 呼吸がある程度整うまでは、2人の荒い息遣いだけがその場の音だった。
 だんだん頭が冷静になってきたリーマスは、自分はに呼び出されたのだったということを思い出し、今度は落ち着かない気持ちになる。教室で呼び出したのがだったと知った時の衝撃が蘇る。
 彼女にかぎってまさか、と思う。
 リーマスは、は誰のことも好きになったりはしないだろうと思っていた。
 もちろんそれは特殊な体質故だ。彼女は自分と同じだと思っていた。
 けれど、そんなが自分を?
 リーマスの頭は混乱しはじめた。
 お互いが相手の苦労を理解しあえるという共通意識から何かが変わったのか。
 ふと、リーマスは思った。
 もしもからそういう話を打ち明けられたら、どう答えたらいいのだろうか。
 自分はのことをどう思っている?
 リーマスの脳裏に、初めてお互いの秘密を知った夜のことや、その時から始まった毎月の満月の夜のことが次々と浮かんだ。
 まだ誰も知らない、2人だけの時間。
 そう意識すると、何故だか喉の奥が詰まるように熱くなり、胸のあたりが苦しくなった。
「リーマス、あのね」
 深く思考に沈んでいたリーマスの意識に、の声という石が投げ込まれた。
 ハッと顔を上げたリーマスを、いやに真剣な表情でが見つめている。
 もう息切れはおさまっているというのに、リーマスの心臓が再び大きく打とうとしている。
「私、言ってないことがあるんだ。大事なこと。みんなのいるとこでできる話じゃなくて」
「……うん」
「もうじき来る満月のことなんだけど」
「……うん?」
「私、マダム・ポンフリーの監視を出し抜く自信がない。たぶん、まだ医務室暮らしだと思うんだ。もしも抜け出したのがバレて、リーマスと一緒にいるのも知られてしまったらと思うと、とてもじゃないけど抜け出せないよ。その、リーマスにはキツイ一夜になると思うけど……」
「……え?」
「ごめんっ。満月の夜がどんなに苦しいか知ってるのに」
 土下座する勢いで頭を下げる
 どうやらリーマスの疑問を責められていると勘違いしたようだ。
 ふだんのふてぶてしさはどこへやら、すっかり小さくなっている。
 罪悪感に苛まれると、自分の勘違いに呆然とするリーマスとで、何とも言えない沈黙が下りた。
 奇妙に胸が苦しくなったのはにときめいたわけではなく、何か恐ろしいことを聞かされるのではないかというおそれから来るものだったと今ならわかる。例えば、今の2人の関係が壊れるような。
 リーマスからの反応がないことに、はそうとう怒っているのではないかと危惧していた。
 判決を待つ犯罪者のような気持ちで最初にかけられる言葉を待っていると、やがて返ってきたのは小さく吹き出すような音だった。それはすぐに押し殺した笑い声に変わる。
 おそるおそる顔を上げる
 リーマスはやはり笑っていた。
 腹を抱え、目尻には涙がにじんでいる。
 訳がわからずきょとんとするの顔を見れば、ますますリーマスの笑いは止まらなくなる。
 はリーマスの頭がヘンになってしまったのかとオロオロしだした。
 思い切って衝撃でも与えれば正気に戻るかもしれない、などと物騒なことを考え始めたに、ようやく笑いのるつぼから脱したリーマスが声をかけた。
「ごめん、いきなり笑ったりして。ちょっとね、自分の勘違いがおかしすぎて」
「勘違い?」
 殴ってみようと振り上げかけていた手を慌てて下ろし、は聞き返す。
「あんなふうに呼び出したでしょ。名前もないし。ジェームズ達は絶対に女の子からの告白だなんて言うしさ。僕もヘンな気持ちになっちゃって、書いてあった教室に行ったら待ってたのはキミだ。まさかと思ってね」
「あ……そ、そっか」
 今さらながら自分のやったことがどんな誤解を招くことだったか実感したは、気まずそうに頬をかいた。
「リーマスのときめきを壊してゴメン」
「そうだね……どう償ってもらおうかな」
「えぇ!?」
 やっぱり怒っているのか、との表情が引きつる。
 最近容赦のないリーマスがどんな復讐をしてくるか、考えるだに恐ろしい。
 だが、非常事態だったとはいえ手段に問題があったのは確かだ。
 罪悪感からおとなしく首(こうべ)を垂れているに、リーマスはちょっと意地悪をしたい思いにかられた。どういうわけか、しおらしいを見ると慰めるのではなくからかいたくなってしまう。
 リーマスは猫のように目を細くしてに顔を近づけた。
「どうせなら本当に付き合って、みんなをびっくりさせようか」
「はぁ!? ちょっ、頭大丈夫?」
 めいっぱい目を見開いて慌てふためくに、再度リーマスの笑いのツボが刺激された。
「冗談だよ冗談。別に償いなんか求めてないし仕返ししようとも思ってないよ」
 晴れやかな笑顔で告げるリーマスの言葉に安堵し、は全身から力が抜けていくのを感じた。
 とたんに、くらりと目が眩み、視界に黒い斑点がちらついた。
 姿勢を保つことができず、リーマスにもたれかかってしまう。
、どうしたの?」
「う……気持ち悪……おぇ」
 おとなしくしているように、と癒者から厳重に言われていたにも関わらず、うっかり走り回ってしまった報いがきたようだ。
 初日の授業後の時のような吐き気がを襲っていた。
 自分のローブを握り締めるの手の青白さに、リーマスから先程までの余裕が吹き飛んだ。
 身を丸くするの背を撫でながら、何度も呼びかける。
、大丈夫? お願いだから僕のローブに吐いたりしないでよ」
「リーマス、冷たい……」
「そんなことないよ」
 リーマスは即座に言い切った。
「ほら、ネクタイ緩めてボタン開いて」
 言いながらの体を起こし、テキパキと手を動かすリーマス。これも全て自分のローブを犠牲にしないためだ。少しくらいはを心配する気持ちもあるかもしれないが。
 首元をくつろげると、の気分はだいぶ楽になった。
 それでもまだ青い顔をしているの頭を、リーマスは自身の膝に乗せる。
 弱々しく呼吸を繰り返す彼女に、リーマスは追い討ちをかけるように言った。
「この借りは、今度魔法薬学の実験を一緒にやることで返してくれればいいよ。たまには点数稼がないとね」
「……鬼」
 じゃあリリーはピーターと組むのか。誰が説得するんだ。私かこのやろう。
 と、は心の中で文句を言う。口に出せるほど元気ではない。もちろん回復したら言うつもりだ。
 けれど、口では意地悪く言うリーマスの手は、やさしくの頭を撫でていた。
 人に触れられることをあまり好かないだが、この時は払いのける元気がないせいもあるが、不思議とおとなしくリーマスのしたいようにさせていた。

 その後、の爆竹に巻かれたジェームズ、シリウス、ピーターの3人が、がリーマスを呼び出して告白し、リーマスはそれを受け入れた、と勘違いすることになる。しかも彼らはそれを大声で触れ回ったため、グリフィンドール寮だけでなく他寮の生徒まで騒然となるのだが、当人達がそれを知るのはもう少し先のことだ。
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