10.代打はあの人に

3年生編第10話  朝の大広間で、は友人達が来るのを紅茶をちびちび飲みながら待っていた。
 そろそろリリーが寮から下りてくると思われる時間。
 会ったら話したいことがたくさんある。
 手紙のお礼、学校のこと、授業のこと……それとも、心配させたことを先に詫びるべきだろうか。
 ぐるぐる考えていると、扉のあたりが騒がしくなった。
 つられて見やれば、懐かしい赤毛。
 夏休みの期間ほど会っていないわけではないのに、もっとずっと離れていたかのように懐かしい。
 考える前には立ち上がり、大きく手を振って名前を呼んでいた。
「リリー!」
 瞬間、ツキンと体の中が痛み、癒者に大きな声を出してはいけないと言われていたことを思い出す
 けれど、リリーが気づくには今の一声で充分だった。
 一瞬、目を見開いたリリーは次には弾かれたようにに向かって駆け出してくる。一緒にいたグリフィンドール生もの姿に声を上げて駆け寄ってきた。
、良かった!」
 ギュッと抱き合うリリーと
 リリーの体温にの心があたたかくなっていく。
 やっと帰ってこれた、と安堵する。
 しばらく感動に浸っていただが、集まってきた面々のこんな一言で感動が吹き飛ばされる。
、もう修行は終わったの?」
「……は? 修行?」
「違うでしょ、ルーマニアまでドラゴンと決闘しに行ってたんだってば」
「え? 私はシベリアのヒグマと戦いに行ったって聞いたわよ」
「中国の虎を狩りに行ったんじゃないの?」
「ちょっとアンタら……」
 あの感動はどこへやら。
 好き放題しゃべるグリフィンドール生には呆れの視線を投げた。
 いったいどこからそんな話が出たのか。
 に抱きついていたリリーがクスクスと笑う。
 体を離したリリーが笑いながら真相を教えてくれた。
のことだから、交通事故っていうのは体裁を良くするための言い訳で、真実は他にあるに違いないって話になってね……」
 言いながら腰掛けるリリーの隣にも座る。
 それにしても。
「私ってそんなふうに見られてたんだ……。まさかリリーも?」
「私はヒグマと戦いに行ったに一票よ」
「ちょっとォ!?」
 の慌てっぷりがよほどおもしろかったのか、リリーは声を立てて笑った。
 2人のやり取りを見ていた周囲からも笑いが起こる。
 それから、みんなで賑やかに朝食をとった。全然変わりない周囲の明るさに、は久しぶりに料理の味というものを感じた。病院での食事は、本当に味気ないものだったのだ。
 しかし、何故かリリーの表情が曇っていく。
、あなた本当に治ったの? 全然食べてないじゃない」
 サラダを食べていたは、心配げなリリーの問いかけにフォークをくわえたまま返答に困った。
 なぜなら、マダム・ポンフリーの監視付きを条件に無理矢理退院したのだから。
 しかし、医務室を生活の場にする以上黙っていてもすぐにまた追求されるだけなので、正直に答えることにした。
「まだちゃんとは治ってないんだ。しばらくは医務室から授業に通うし、おとなしくしてなきゃならないし」
「──本当に退院したの? 抜け出して来たんじゃ……」
「いやいやいや、これは本当。何ならマクゴナガルに聞いてもいいよ」
「マクゴナガル先生よ。でも、そう……」
 リリーは反射的に訂正しながらも、あの厳格な寮監の許可を得たなどと嘘をつくはずもない、とこれ以上は何も言えなくなるのであった。
 その時、大広間中を揺さぶるような大声で誰かがの名を叫んだ。
 誰の声だ、とその出所を確認しようと大広間を見回そうとした時、人を飛び越えるようにして走ってきた何者かが体当たりするようにに抱きついてきた。
「良かった……良かった! ちゃんと会えた。入院したって聞いた時は、本当に──」
 ぎゅうぎゅうと抱きしめてくるその人物の声は。
「ジェームズ?」
 ちょうど頭を抱きこまれる形になっているので、の視界は真っ暗だ。
 けれど、声の主はジェームズだとわかった。
 こんなふうに声を震わせるほど、彼は自分を心配してくれていたんだと思い、は素直に感動した。
「そうだよ、ジェームズ・ポッターだ。どうしてキミはいきなり太平洋に人喰い鮫を狩りに行こうだなんて思ったんだい?」
 しかし、またしても感動はこの一言でふっ飛んだ。
「もう、さっきからいったい誰がそんなデタラメを!」
 は勢いに任せてジェームズを突き飛ばした。
 ふぎゃっ、と声を上げて転がるジェームズ。
 と、ちょうどそこにシリウス、リーマス、ピーターの3人が追いついてきた。
「こんなところに寝っ転がって、邪魔だぞジェームズ」
 素っ気なく言いながらもシリウスはジェームズに手を貸している。
 もちろん、何があったかなどすべて知っていてとぼけているのだ。相変わらずの2人だ。
 リーマスとピーターはもっと穏やかにの退院を祝った。
「退院おめでとう、。ずいぶんひどい怪我だったようだけど、もういいの?」
 喜びながらもどこか心配そうな眼差しのリーマス。
 はリリーに話したことをもう一度話して聞かせた。
 すると、ピーターがびっくりして目を丸くしながら聞いた。
「そ、それじゃ、クィディッチのチェイサーはどうなるの? 無理……だよねぇ」
 言われて始めてはそのことを思い出した。リリー達との再会ですっかり忘れていたのだ。
 何気なくグリフィンドールのテーブルを見渡してみたが、まだキャプテンは来ていない。
 グリフィンドールチームのキャプテンは、去年に引き続きエイハブ・ナッシュである。
「癒者は当分の間はクィディッチはやっちゃダメって言ってた……」
「何だって!?」
 ピーターに答えた呟きは、ちゃっかりリリーの正面に陣取ったジェームズの耳にも拾われてしまった。
 ジェームズは愕然とした表情でを見ている。
 隣のシリウスも神妙な顔をしていた。
「代わりの人、探さないとね……」
 はがっくりと肩を落とした。
「けど、の代わりを務められる人なんている?」
 ピーターの心配はもっともだ。
 今のグリフィンドールのチェイサー組は、誰も文句の付けようがないくらい強いのだから。
 と、そこに狙いすましたようにエイハブがやって来た。
が戻ってきたんだって?」
 聞こえてきた声にが振り向くと、仲間が帰ってきたことを喜ぶ顔と、何か言いたそうな顔が同居したチームキャプテンがいた。
 彼の複雑な表情からはマクゴナガルから怪我の状態を聞いているのだろうと判断した。
 いつも冷静なあの先生は、ことクィディッチに関しては人が違ったように熱くなるのだ。ひょっとしたらの代わりの選手の候補くらい提案しているかもしれない。
 エイハブはの傍まで寄って来ると、まず「退院おめでとう」と言った。
 今年6年生の彼は、去年より少し大人びて見えた。しかし緑がかった灰色の瞳は、去年と同じく誠実だ。
「さっそくで悪いんだけど、練習は出れそうか?」
 は苦笑して肩をすくめてみせた。
「担当の癒者の許可が下りるまではダメだって言われた。ごめん。別のことで貢献できればいいんだけど」
「そうか……ま、仕方ないな。しっかり治せよ。それで、代わりの人なんだけど、は誰か推薦したい人はいるかい?」
 予想はしていただろうけれど実際聞かされるとエイハブはやはり残念に思ったらしく、声がわずかに萎んだ。
 はややうつむいて推薦したい人がいないかグリフィンドールの面々を思い返す。
 すると、近くにいたのだから当然会話が聞こえていたジェームズが手を挙げて発言の許可を求めた。
 エイハブがジェームズを見ると、彼は妙に自信たっぷりに言った。
「シリウスがいいと思う」
「はぁ?」
 エイハブ、、そしていきなり指名されたシリウス本人の驚きの声が見事に重なった。しかもその気持ちも同じだ。
 はいつだったかジェームズと「シリウスは協調性がないからチームプレイには向いていない」とか、そんなことを話したのを思い出した。それなのに、その人物を勧めるというのか。
 目だけでシリウスをうかがう
 エイハブも同じ仕草をしていた。
 シリウスは、彼自身も自分に協調性が乏しいことを承知済みなのか、怪訝そうな顔で親友を見つめていた。
 ジェームズだけが自分の発言を疑っていない。
「みんなの言いたいことはわかるよ。でも、今のシリウスは前よりはずっとうまくみんなに合わせることができると思うんだ。ね、リーマス、ピーター」
 すっかり傍観者を決め込んでいた2人が、不意に同意を求められて慌てる。
 リーマスとピーターは返答に困ったように顔を見合わせた。
 やがてピーターは片頬を引きつらせて曖昧に頷いた。
「まぁ……1年生の時よりは……」
 はピーターの気持ちがとてもよくわかった。
 1年生の時よりは確かにマシだが、やはり基本的にシリウスは一匹狼なのだ。
 代打指名された本人含めどうにも納得しきれない面々に、ジェームズは説明を加える。
「協調性という面では確かに心もとないとこもあるけど、飛行術の技術での代わりをできるのはシリウスを置いて他にいないと思うけど。ま、リリーという手もあるけど、僕は彼女にあんな危ないことはしてほしくないな」
 その発言はやシーカーのダリルに対してどうなのか、とは言いたかったがグッとこらえた。今はシリウスだ。
 はジェームズの言ったことを改めて吟味することにした。
 3年生になってからシリウスに会ったのは今日が初めてだから、が考えるのは去年までのシリウスについてだ。
 彼が一番協調性を発揮するのは、悪戯仕掛け人として活動している時だろう。中でもジェームズとは兄弟と言われるほどにお互いを知り連携が取れているらしい。
 その悪戯仲間以外の人達とも、ずいぶんと衝突が減った。気性が穏やかになったというか。我慢を覚えたというか。
 それでも一人で何やら思い込んでツンケンしてることはあったが、怒鳴り散らすことはなかったとは記憶している。
「1年生の頃は手負いの獣のようだった……」
「何、
「ううん、何でもないよシリウス。そうだね、私も今のシリウスなら代わりを任せられると思うよ」
 と、はシリウスを見て言ってからエイハブに視線を移す。
 エイハブは腕組みして考え込んだ後、真剣な表情でシリウスを見据えた。
「現チェイサーの2人がこう言っているけど、引き受けてくれるか?」
 シリウスはわずかに戸惑い、ジェームズとをチラッと見やる。
 2人は同時に頷く。
 シリウスならやれる、と。
 後は本人の覚悟次第だ。
「……わかった、やってやろうじゃないか」
 ヤケクソともケンカ腰とも取れるシリウスの返答を、エイハブは強気の表れと受け取り、
「よろしくな」
 と、ニッと笑って肩を叩いた。
「じゃあ、さっそく放課後にみんなに紹介しよう。は来れるか?」
「くたばってなかったら行くよ」
「そうか。ま、あんまり無理するな」
 肩をすくめて言うにエイハブは苦笑を返した。
 シリウスがチェイサーに抜擢されたという知らせは、またたく間に他寮に広まっていった。
 そのスピードに感嘆したが、
「有名人は違うねぇ」
 と、呪文学の教室へ向かう途中でからかうと、もの凄い目で睨まれた。
 しかしシリウスはすぐ後に意地悪そうに口の端を吊り上げると、こう切り返してきたのだ。
「列車に乗り損ねた誰かさんには負けるよ」
 は見事に痛いところを突かれたのだった。

 その日、は最初の呪文学だけでリタイアとなってしまった。
 授業が終わって教室を出た時点で眩暈を起こしてしまったのだ。
 真っ青な顔で廊下の端に座り込むのことを、マダム・ポンフリーに知らせるためにリリーは走り、ジェームズとシリウスで回復を待った後にを両脇から支えて歩き、リーマスとピーターはの荷物を持った。
 みんなに助けられてたどり着いた医務室では、マダム・ポンフリーがヤキモキしていた。
 を見るなりベッドに押し込みカーテンを閉める。
 おかげではみんなにお礼を言う間もなかった。
 それから、気を失っていたのか眠っていたのか、再び目を開いたのは午後4時頃だ。
 休んだらすっかり気分も良くなり、は体を起こした。
 しばらくぼんやりしていたが、ふと朝のことを思い出す。
 放課後、クィディッチチームのみんなにシリウスを紹介するのだった。
 ジェームズとエイハブがいるとはいえ、自分のことなのだから自分で言ったほうがいいだろう、とがベッドを降りようとしたところで見計らっていたかのようにサッとカーテンが開いた。
「目が覚めましたか。気分はどうです?」
 こんなふうに出てくるのはここの主、マダム・ポンフリーしかいない。
「すっかり良くなりました」
 中途半端な姿勢のまま答える
 マダム・ポンフリーは、今にもベッドから降りようとしているの足を目ざとく見つけると、ニッコリ微笑んで丁寧にその足をベッドへ戻す。
 手間かけさせんじゃねぇよ、と目が言っていると確信したは逆らうのをやめた。
「わかっていると思いますが、今日はもう外出禁止です。いいですね。夕食も食欲があるようならこちらに運ばせましょう」
「……お願いシマス」
 マダム・ポンフリーにはまったく隙がなかった。
 彼女はを見つめてわずかに眉を寄せる。
「まだ少し顔色が悪いですね。もうしばらく寝ていなさい。眠くなくても横になっているだけで体は休まるものですよ」
 はおとなしく従う。
 マダム・ポンフリーはそれに満足そうに頷くと、入ってきた時とは逆に静かにカーテンを閉めて奥の事務室へ消えていった。
 たとえここで再びベッドを抜け出そうと試みても無駄であることをは知っている。
 この医務室内にはセンサーでも設置されているのか、患者が許可なく外出しようとすると、すぐにマダム・ポンフリーが飛んでくるのだ。
 もちろん、魔法界である以上センサーなどがあるわけがないのだが。
「となると、マダム・ポンフリーの特殊能力? 恐ろしい……」
 小さく呟いて後、ブルッと身を震わせる
 彼女を出し抜くにはそうとう知恵を絞らないとダメだな、などと仕方のないことを考えているうちに、だんだんとまぶたが重くなってくるのであった。
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