9.箒と手紙

2年生編第9話  『叫びの屋敷』から無事にグリフィンドール寮の寝室へ戻ったは、まだリリーが寝ていることに胸を撫で下ろした。
 はバスタオルと着替えを抱えると再び寝室を出てシャワールームへ向かう。ほぼ一晩中暴れていたから汗を流そうと思ったのだ。
 熱めのシャワーでさっぱりしたが寝室へ戻っても、まだリリーは眠っている。いつも彼女が目覚める時間まであと少しだ。
 バスタオルを椅子の背もたれに掛けて、今日の授業の分の道具をカバンに突っ込むとは談話室へと下りていった。
 窓辺のテーブルに荷物を置いたは、眼下に広がる禁じられた森を見下ろした。まだ行ったことのない場所だ。
 入学式の時、ダンブルドアは禁じられた森に入ってはいけない、と必ず言うらしい。上級生が毎年聞くと言っていたのだから間違いないだろう。
 だがはいつか森を探検してみたいと思っている。
 貴重な薬草がありそうだからだ。
 それにそこに棲む生き物にも興味があった。
 人類よりもずっと古い生き物が住んでいるという。
 しかしそれらに会うには森の側にあるハグリッドの小屋の近くを通ることになりそうだ。森に入るには彼の監視の目を潜り抜けなければならないだろう。
 何度か見かけたハグリッドは見かけは怖いがダンブルドアと話している様子からすると、気の良い人物に見えた。が、きっと気安い仲になったとしても、おいそれと森に入ることを許してはくれないだろう。
 その時、はごく小さな物音を耳にした。
 振り返ると、男子寮へのドアが開いている。
 ドア、開いてたっけ、とは首を傾げた。
 ふつうドアは勝手に開いたりしない。
 誰かいるのだろうか。まさかピーブズ? いや、ピーブズやゴーストが談話室に現れたという話は聞いたことがない。
 は談話室を隅から隅まで見渡したが、人影は見えなかった。
 けれど、どうしてだろう。には人がいるような気がしてならなかった。
 は慎重に談話室の様子を探りながら、ポケットの杖に手を伸ばした。
 瞬間、何かが動く気配。
 素早く杖を抜いたは、そこへ向けて金縛り呪文を放とうとした。
 が、慌てたような男の子の叫び声に呪文は途中で途切れた。
 パサリ、と軽い音と共によく知った男の子3人が「待った!」と両手を上げていた。
 まさかの人物には目を丸くし、それから3人の足元に落ちた水色の物体に目を下ろす。
「とりあえず、おはよう」
 視線は下ろしたまま杖を下ろしは棒読みに言った。

 その水色の物体は『透明マント』と言うらしい。それを羽織った者の姿を透明にするのだとか。便利なものである。
 ホグワーツに来る時にジェームズが父のクローゼットから失敬してきたのだ。
 ソファに落ち着いた後に彼がそう説明した。
「これでますます僕達の活動範囲が広がるね!」
 得意げにジェームズが言えば、シリウスはニヤリとし、ピーターは期待のこもった笑みを浮かべる。
 これでますますフィルチや教授陣の心は休まらないだろう。哀れ。
 ふと、向かいに座っていたシリウスがに手を伸ばしてきたので、彼女は驚いて身を引いた。
「あ、いや……何で髪が濡れてるんだ?」
「あ、これ? シャワー浴びたから」
「ちゃんと拭いたのか? 風邪ひくぞ」
「拭いたよ。温風の魔法ができればいいんだけど、何か失敗しそうでさ。リリーにやってもらおうと思って」
 呑気に笑うに、シリウスは呆れたようにため息をつく。
 それからの隣に座っていたピーターと場所を入れ替わると、シリウスは杖を取り出して杖先から温風を吹き出した。
「乾かしてやるよ。去年あれだけ練習したのに、まだうまくできないのか? ああ、そういや変身術では傑作だったな。今年も特訓か?」
「うーむ、あれだけでは世界を狙えなかったか……」
「ジェームズ、まだ世界を狙ってたの?」
 意地悪くシリウスが言えば、ジェームズが混ぜっ返しピーターが真に受ける。
 は初回の変身術での惨事を思い出し落ち込んだ。
 杖先から吹き出す温風に髪を巻き上げられながら、は少し緊張していた。
 髪を梳くように動かしているシリウスの手に。
 胸が高鳴るというよりは、どちらかといえばマイナス方向の感覚に近い。
 シリウスファンの女子生徒が見たら卒倒しそうな光景であるが、は何故だか居心地が悪くて仕方がなかった。
 もともと彼女は人に触られるのは苦手だった。自分に伸びてくる手というものが、どういうわけか怖いのだ。
 どうしてなのかと考えても、答えはいっこうに見つからない。
 わずかに表情の強張っているを、シリウスは不思議そうに覗き込んだ。
「熱かったか?」
 まったく見当違いの問いだったがは何も言わずに首を振って否定する。
「……もしかして、緊張してる?」
「……別に」
 歯切れの悪い返答は肯定しているも同然。
 とたん、ジェームズが含んだようなニヤニヤ笑いを見せた。
「そうかそうか。キミにもそんなかわいいところがあったんだねぇ」
「僕はそれよりも、シリウスがこんなに世話焼きだったことのほうが驚きだよ……」
 ピーターの言うことはもっともだとも思った。
 その指摘にシリウスはカッと頬を赤くしてまくし立てる。
「ま、前に弟によくこうしていたから、クセのようなものだっ。、反対側」
「えー、もう充分だよ。ありが」
「ダメ。ほら、反対側」
 の抵抗はあっさり退けられた。本当に意外な一面だ。
 しぶしぶソファの上で体の向きを変え、反対側に温風が当たるようにする。場所が場所なので体の向きを変えるのにも限界があったが仕方ない。
「お前、よくこれを放っておこうと思ったな。絶対風邪引いてたぞ」
「だからリリーに頼もうと……」
「自分でできるようになれよ」
「失敗してアフロになったらイヤだし……」
「その時は笑ってやるから」
「いらん」
 言い合っている最中にも髪はどんどん乾いていく。
 ジェームズとピーターは顔を見合わせ、忍び笑いを漏らした。
「これはあれだね。嬉し恥ずかしというよりは」
「兄妹のやり取りだね」
 どう見ても、シリウスとの間に浮ついた雰囲気はゼロだ。
 の緊張は慣れていないせいだろう、とジェームズとピーターは結論付けた。
 さっきからずっと笑いっぱなしの2人をが恨めしそうに睨んでいると、談話室にちらほらと生徒達が下りて来た。どの顔もまだ眠そうだ。
 しかしその中にシリウスに髪を乾かしてもらっているを目にし、心の中で絶叫している生徒も確実にいたのだった。


 リリーが下りてくると6人はそろって食事のために談話室を出た。
 ジェームズ達がいることにリリーはあまりいい顔をしなかったが、同じ寮なのだから仕方がないか、と諦めのため息をこぼしていた。
 毎朝恒例のふくろう便の時間になると、ジェームズとの前に細長い包みを運ぶふくろうの一団が舞い降りてきた。
 荷物が料理の上に落ちる前にはその包みを受け取る。
 何だろう、と見ているうちにふくろう達はの皿の上に盛られていたハムに勝手に食いつき、羽を散らして飛び立って行った。
「それ、何?」
 ちゃっかり避難していたリリーが戻ってきてに尋ねる。
 さぁ、と首を傾げながらは包みを開けた。
 中から出てきたものに2人は目も口も大きく開けてそれを凝視する。
 すると、同じ包みを受け取ったジェームズが斜め前の席から弾んだ声でを呼んだ。
「おーい、どうそれ? この箒がチェイサーにはぴったりなんだよね!」
 昨日彼が言っていたのはこのことか、とはやっと合点がいった。
 それにしても、この箒はずいぶん高級なものではないのだろうか?
 箒に詳しくないでも、それだけは感じ取れた。
 柄を握った時にとても手にしっくりきたからし、箒の先の小枝まで綺麗に整えられていたからだ。
「ジェームズ、この箒って……」
「キミの出世を期待しているよ!」
 ひらひらと手を振られ、の肩が落ちた。
 しばらく箒に目を落とし途方に暮れていたが、やがて唇の端に挑戦的な笑みが浮かんでいった。
「これは……やるしかないよね」
、相手にケガをさせないでね」
「最近容赦がなくなったね」
 わざとらしい声音でズレた心配をするリリーを、は半眼で見やった。
 一拍置いて小さく笑い合う。
 その時、遅れてきたふくろうが一羽、リリーの前に下りて来た。
「誰かしら……」
 リリーには見覚えのないふくろうだったらしい。家族と手紙を交換する時は必ずリリーから送る。もちろん彼女のふくろうを使って。
 それに生粋のマグルであるリリーの家族がふくろうで手紙を送ってくるなど考えられない。
 リリーは昨日もその前も手紙を送ってはいなかった。
 も不思議に思ってリリーの手元を覗き込んだ。
「……差出人の名前がないわ」
「あやしい。リリー、そういう手紙は開けないほうがいいよ。爆発するかも。もしくは刃物が仕込まれているとか」
「脅かさないでよ。……ちょっと、開けてみるわ。中身が気になるし」
「待って。呪いがかかってないか確かめたほうがいいよ」
「ずいぶん心配性ね。でも、うん、そうするわ」
 くすくす笑いながらもリリーはの忠告を聞き入れ、杖を振った。
 彼女自身、充分にあやしい手紙だと思っていたのだろう。
 幸い妙な呪いも仕掛けもなかったので、リリーは安心して封を開けた。
「……」
 ざっと見た内容に、2人は顔を見合わせる。
 簡単に言えば中傷の手紙だ。
 リリーは肩にかかった赤毛を払いのけ、不機嫌も露わに呟いた。
「私からあの人達に話しかけたことなんてないんだけど」
 はもう一度手紙を上から下まで読む。
 2年生になり、急に人気が出てきたシリウスが絡んだ嫉妬の手紙だ。おそらくファンクラブか何かだろう。そういうものがあることはの耳にも入っていた。
「……字が間違ってる」
「……あ、本当」
 が指差した箇所を見るリリー。
「こういうので字を間違えるのって恥ずかしいね」
「そうね。何だかマヌケに見えるわ」
「おっちょこちょいなのかな」
「1年生が書いたのかしら」
 手紙を書いた本人が近くにいたら恥ずかしさのあまり真っ赤になっていたかもしれない。
 けれど、つまらない誤字のおかげで嫌な空気が払われたのは確かだった。
「ねぇ、その手紙、私にくれない?」
「いいけど、こんなものどうするの?」
「ちょっとね」
 が見せた笑みは何故かリリーを不安にさせた。
 それは、見覚えのある危険な笑み。
 確か1年生の時スリザリンの女子とやり合った時と同じ表情ではなかろうか。
「まさか、その手紙の差出人って……」
「いや、あの女じゃないと思うよ。アイツなら取り巻き大勢連れて直接言ってくると思う」
 言われてみればその通りだ、と頷くリリー。
 食事も終わり、箒を寝室に置きに行こうと立ち上がった時、はエイハブに呼ばれた。エイハブ・ナッシュ。クィディッチチームのキャプテンだ。
「今日の放課後、最初の練習をするから競技場に集合な」
「わかった」
 が頷くと、エイハブは彼女が担いでいる箒に目をとめ、良い箒を用意したなと満足そうに目を細くした。


 ジェームズと行った初めてのクィディッチの練習では、まずルールの説明から始まった。
 それが終わるとチェイサー3人でパスの練習。
 はじめは箒に乗り空中停止の状態でのパス回しだったが、それに慣れると箒を飛ばしながらの練習に進んだ。
 ジェームズのように小さい頃から家で箒に親しんでいたわけでもないは、やり始めはクァッフルを取り落としたりもしたが、数回繰り返すうちに扱いにもすぐに慣れることができた。
 上達の早さに先輩チェイサーのゲイリーは満足そうだ。
 初日の練習はそんなふうにして終わった。
 心地よい疲れを引きずり談話室へ入ると、リーマスが医務室から戻ってきていた。もっとも、彼が今まで医務室にいたと知っているのはだけなのだが。他の人達はリーマスが母のお見舞いから戻ったと思っているはずだ。
 はリーマスと目が合うと、昨夜のことを思い出しついニヤリとしてしまった。
 リーマスも笑い出しそうなのを必死でこらえている様子だ。
「それじゃ、また後で」
 はジェームズに手を振り、女子寮のドアを潜った。
 寝室には誰もいなかった。談話室にもリリーの姿はなかったから、図書館にでも行っているか、他の友達とどこかでおしゃべりでもしているのだろう。
 は机の横に箒を立てかけると、風呂の支度をしてシャワールームへ向かった。
 熱い湯を頭から浴びながら、はクィディッチの練習のことを思い返した。
 箒に乗るのは授業でやっていてけっこう好きだったが、クィディッチがあんなに楽しいとは思ってもみなかった。まだ初歩の初歩だが、次の練習が待ち遠しい。毎日やりたいくらいだけれど、他の寮の練習日との調整でそうもいかないのが残念だ。だいたい週に3回。
 次の練習ではビーターを加えてゲームのような流れでやると言っていた。
 シーカーに選ばれた女子はとてもすばしっこい人だった。今日の練習でちらりと見たが、スニッチへ向かって矢のように急降下する彼女の軌跡はとてもきれいだとは思った。
 より一つ年上の、名前はダリル・タッカー。
 かわいい感じの人、というのがの受けた印象だった。
 ちょっと前の思い出に浸っていると、正直な腹がぐぅぅぅ〜と空腹を訴え思い出は霧散した。
 その後、シャワーから出たは、またしてもちゃんと髪を乾かしていないことを目にとめたシリウスに捕まり、夕食に行こうとしていたのにソファに押し付けられ説教をされたのだった。
 その日は就寝時間ギリギリまでは宿題に手をつけることを許されず、ひたすら温風魔法の練習をシリウスに強いられた。
 当然、誰も助けてくれなかった。
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