「ピーター! 珍しいね、一人?」
振り向いた小柄な同寮生に小走りに近寄りながらは言った。
ピーターは小さく頷く。
「ジェームズとシリウスなら部屋で悪戯の計画立ててるよ。リーマスは医務室。具合が悪いんだって。夏バテかな。僕はレポート……」
はぁ、と重いため息をつくピーターには苦笑した。
いつも友達のレポートを見せてもらっている印象のあるピーターだが、実はそれほどでもない。たいていは一人でがんばっているのだ。ただ、他の人より時間がかかってしまうので、複数のレポートが重なった時は最後まで残しておいたものが締め切り前日になっても白紙だったりするのだ。
要領が悪いと言ってしまえばそれまでだが、そんな彼をいつも助けているデキの良い2人は、今回は次の悪戯のほうに夢中だったようだ。
が、今のにとってそんなことはどうでもいい。
むしろあの4人が個別行動していたことに感謝だった。
ピーターと並んで歩きながら、はローブのポケットから小瓶を取り出した。中には一口分の水色の液体が入っている。
は口の端をわずかに吊り上げると、何気なさを装って隣の友人に話しかけた。
「ねぇピーター。レポートに苦労しているアンタにこれをあげるよ」
「……何コレ」
小瓶を渡されたピーターは足を止めてそれをしげしげと見つめる。
「一時的に脳が活性化する薬だよ。夏休みに買った魔法薬の本にレシピが載っててね。おもしろそうだから作ってみたんだ。良かったら使って。きっとレポートをやっつけるのに役立つと思うんだ」
の口からすらすらと出てきた説明に、ピーターは目を輝かせた。
「本当にもらっていいの?」
「いいよ。効果時間は一時間だからレポート一つくらい仕上げられると思うよ」
「ありがとう!」
満面の笑みでお礼を言ったピーターは、早く薬を試したいのか半ば駆けるようにグリフィンドール談話室へ向かった。
もそれを追いかけて『太った婦人』の開いた穴を這い上がったが、ピーターとはそこで別れて別のソファに腰を下ろした。ここからピーターの様子を窺う。
ピーターは参考にする本やら勉強道具やらをテーブルの上に置くと、さっそく小瓶のコルクを抜いて中身を飲み干した。
少し離れたところからは身を乗り出すようにしてじっと見守る。
ずいぶん長い間だった気がするが、実際は30秒程経った頃だろう。
本をめくるピーターの体が一瞬ピクンと跳ねた。
の口元が勝手に期待に弧を描く。
次の瞬間、ぴょこん、とピーターの頭に茶トラ模様の猫耳が立った。ローブで見えないが間違いなく尻尾も出ているはずだ。
作成した薬の成功にが歓声を上げたのと、猫耳ピーターに気付いた女子の喚声が上がったのはほぼ同時だった。
「きゃーっ、カワイイ! ピーター、似合いすぎっ」
自分に何が起こったのかわかっていないピーターは、突然大勢の女子に囲まれて声も出せずに目を白黒させた。
これはも予想外だった。
女の子ってああいうのが好きなんだ……と、感心しながら眺めていると、彼女達の隙間からピーターが助けを求めるような目を向けてきた。
あの輪の中に入るのは怖いな、と思ったはひらひらと手を振るに留める。
ピーターの顔はいっきに泣きそうになっていた。
あれではもう宿題どころではないだろう。
と、その時救いの神が現れた。
男子寮の寝室にこもっていたはずのジェームズとシリウスが下りて来たのだ。
2人は何やら盛り上がっている女子のかたまりに一瞬目を見開くと、その中心にいるピーターにさらに目を瞠った。
「ジェームズ! シリウス!」
友人の姿に悲鳴じみた声をあげるピーター。
その様子はまさに混乱し戸惑う小動物。
おろおろするピーターが妙にかわいく見えたのか、ジェームズとシリウスは吹き出した。
一刻も早くこの状況をどうにかしてほしいピーターにとっては、無情な仕打ちであった。
本当に涙をこぼしそうな彼に、さすがにそろそろ可哀相になってきたのか、女子達の中にジェームズが入り込んでいった。シリウスは来ない。こういう集団は彼は苦手だった。
「ちょっと通してね。……おやまぁピーター、かわいくなっちゃって。いったい何したのさ」
ピーターの横に座り話し出すと女子達はキャアキャア笑いながら少しずつ自分達のもといた場所に戻っていく。
ピーターもようやく人心地がついたのか、涙は引っ込み忙しなく動いていた瞳も落ち着きを取り戻してきたのだった。
「が、一時的に脳が活性化する薬を作ったからって言って、僕にくれたんだ。そうしたらこんなことに……」
「が?」
女子達が去るとシリウスもやって来て、彼は聞こえた会話に目を丸くして談話室内を見渡した。
彼女の髪の色はとても目立つので、シリウスはすぐに見つけることができた。
は窓際の席で本を読んでいる。
と、ジェームズが生徒達の間を縫って足早にに近づいていった。
やぁ、と声をかけられたは、ニヤニヤしているジェームズに同じようなニヤニヤを返したのだった。
そこに遅れてシリウスとピーターもやって来た。
は目を丸くしてピーターに言う。
「ピーター、レポートはできたの? 副作用でオプションが付いちゃうけど、効果は保証するよ。私、自分で試したんだから」
「え!? そ、そうなの? 僕、てっきり悪戯されたのかと……」
「アンタ達じゃないんだから。だいたい何でピーターに悪戯しなきゃならんのさ。そもそも人体に入れるものなんだから、一度は自分で試すよ」
心外だ、と拗ねるにピーターは慌てて謝った。
それからくるりと体の向きを変えて勉強道具の散らばるテーブルへ引き返していく。
やれやれ、とが肩を落とすと、ジェームズが名案を思いついたようにパチンと指を鳴らす。
「、ピーターにあげた魔法薬をあと四つ作ってくれないかい?」
「四つ? 別にいいけど何に使うの?」
怪訝そうに尋ねるの目は、スネイプに使うなら引き受けないよ、と語っている。は彼を友人だと思っている。一方的にだが。
しかしジェームズはの心配を否定するように首を横に振った。
「ハロウィーンに僕達4人でおそろいの恰好でパーティに出ようかと」
思ってもみない提案には目を丸くし、シリウスはやや素っ頓狂な声をあげた。
「俺にあの恰好をしろと!?」
「似合うと思うよ」
「そういう問題じゃねぇ! 絶対イヤだからな。何で俺があんなメルヘンな恰好しなきゃならねぇんだ」
メルヘンと言われ、は改めてピーターを見やった。
猫耳少年が分厚い本にかじりつき、スラスラと羽ペンを羊皮紙に走らせている……。
「メルヘンというかファンタジーというか」
思わず漏れた呟きに、お前がやったんだろうが、と頭上からシリウスの不機嫌な声が降ってきた。
が、この程度で引き下がるジェームズではない。
彼は友人の抗議をきれいに無視して再度に頼み込んだ。
は悪戯仕掛け人の猫耳姿を想像した。
……いいかもしれない。
「わかった、作ろう」
「やった!」
「作るなっ」
まるで反対の反応が返ってきた。
「それじゃ、明日の朝を楽しみにね」
ジェームズに肩を叩かれたが、何のことかわからずは首を傾げた。
「箒だよ箒! 約束しただろ、選手になったらプレゼントするって」
「ああ、箒! ありがたく受け取るよ。その分、魔法薬で何かあったら呼んで」
夏休みに交わした取り引きを2人は忘れていない。
シリウスの文句をBGMにジェームズとの結束は強くなった。
真夜中が来た。
寝室はシンとしている。
はベッドのカーテンを静かに開けて、同室のリリーの様子を窺った。
規則的な寝息が聞こえてくるだけだ。
もともとパジャマになど着替えていなかったは、そっとカーテンをめくってベッドを抜け出すと、足音を忍ばせて部屋のドアへと向かう。
蝶番のきしむ音に気をつけながらドアを開け、最後にもう一度リリーが眠っていることを確認すると素早くドアの隙間から外に出た。
開けた時以上に注意しながらドアを閉めたは、靴音をできるだけ抑えて談話室までの通路を歩く。ぐるぐると螺旋階段を下り、談話室へのドアの前に立つと耳をぴったり付けて人がいないか気配を探った。
これで不用意に談話室に踏み込んで誰かいたのでは元も子もない。
が、どうやら誰もいないようだ。
はホッと息をつくとドアを開けた。
廊下に出る前に、はこの日のために覚えた目くらましの魔法を自身にかけた。
体質のおかげで夜目も効くので、誰かに見つかるようなヘマはしないだろうが、念には念を入れたのだ。
いつかのように医務室へ行くのならこんな面倒なことはしないが、今夜は学校を抜け出すのだ。捕まるくらいなら神経質なほど慎重になってもいいだろう。
「透明になれる薬の研究でもしてみようかな」
そんなことを考えてしまうだった。
廊下に出てからは慎重にかつ素早く階下を目指した。
満月の日はいつも以上に五感が働くので、あの鋭いミセス・ノリスに嗅ぎつけられることもないだろう。
同じくらい厄介なのはピーブズだが、彼をかわせるかどうかはほとんど運だ。姿を消せるポルターガイストの気配を探り当てるなど、いくらなんでも無理だ。姿を見せて漂っていれば、どこかに隠れてやり過ごすのだが。
何度かゴーストから身を隠しながら、はようやく玄関ホールへたどり着いた。
辺りに誰もいないことを確認し、大きな樫の木の扉をゆっくりと押し開く。
冷たい夜気の中に身をさらしたとたん、は大きな開放感を味わった。
ほんの数年前まではいつもこうだったことを思い出す。
空の銀盤を見上げれば、背筋にぞくりと騒ぐものを感じる。
でも、それだけだ。
いつもの時間に医務室でもらうものをもらっていたから、誰かを襲いたくなることはない。
一度、は挑むように月を鋭く睨みつけると、暴れ柳へ走り出した。
はこの木に近づくのは初めてだ。
男の子達が近づいて遊んでいるのを見たことがある程度。
今、暴れ柳を目の前にし、鼻先を凶暴な枝がかすめていったのを経験した彼女は、凄い木だと感心した。
この木に目くらましの魔法は効かないようだ。
は、リーマスに教えられた通りに長い木の枝が落ちていないか探し、それを見つけると暴れ柳の木の根元のコブを突いた。
おもしろいくらいにおとなしくなった柳の枝の下をくぐり、は大きなうろへ滑り込んだ。
杖先に明かりを灯すと、むき出しの土のトンネルが延々と続いていた。
幅も高さもあまりない土の道をは早足で進む。
去年一年、リーマスは一人でここを往復していたのだ。
前後の暗闇に彼は何を見ていたのだろうか。
何故か胸を締め付けるような焦りにも似た感覚を覚えて、はほとんど走っていた。
どこまでも伸びる暗いトンネル。
そのうち息切れがしてきての足もやや早めの歩みに戻った。
どれくらいの時間を進んできたのかわからないが、もうずいぶん経ったことは確かだ。
もしが腕時計をしていたら、だいたい三十分くらい過ぎたことがわかっただろう。
暗いトンネルの終わりは階段だった。
十数段のそれを上ると、古ぼけた木のドアが見えた。
鍵がかかっていたので開錠呪文で開けて、ドアノブを引く。
中もドアと同じく古ぼけていた。床板にはうっすら埃が積もり、隅のほうにはわた埃が我が物顔に陣取っている。
どれだけ放置されていたのだろう。
それでも家の造りそのそものは粗雑ではないようで、昔はさぞきれいな屋敷だったのだろうとは思った。
短い通路の次は上に続く階段があわれた。
さすがにミシミシと音が鳴る。
ふと、階段の途中では獣の鳴き声を耳にした。
瞬間、顔を上げたは弾かれたように階段を駆け上る。
──友達が、泣いている。
しだいに、獣の鳴き声と共に格闘するような音も聞こえてきた。
階段を上りきったところにある、ドアの閉ざされた一室。かすかに臭うのは血のにおいか。
これも、は開錠呪文で鍵を開けると、そっとドアノブを回した。
「リーマス、お待たせ」
そう言って入ったは部屋の惨状に息を飲んだ。
床や壁に点々と飛び、こすりつけられたようなたくさんの血の跡。全て、去年の分だろう。
狼人間は噛み付く対象がいないと自分を襲うという。
他の学生の安全のためとはいえ、これを目の当たりにするのはかなりのショックだ。
は自分の前足に歯を立てていた狼に一歩近づいた。
突然の闖入者に狼と化したリーマスは一瞬動きを止めたが、すぐにを餌と思ったか歓喜のうなり声をあげた。
血に酔っている狼リーマスに苦笑し、は念のため杖は握ったままさらに歩みを進めていった。
「リーマス、もういいんだよ。私がわかるでしょ」
しかしリーマスはいっこうに静まる様子を見せない。それどころか今にもに飛びかかりそうだ。
それに足を止めたは、不満げに眉間にシワを寄せた。
それから杖をポケットに突っ込むと、大きく床を鳴らし瞬時にしてリーマスの目の前まで移動したかと思うと、その頭に痛恨の一撃を加えた。
いわゆる拳骨である。
キャンッ、と甲高い悲鳴が上がった。
同時にの怒声。
「いい加減、気づけっつーの!」
しばらくの間、リーマスがクンクン鳴く声との荒い息遣いだけが場を支配した。
そしてようやく己を取り戻したリーマスが、今度は不思議そうに仁王立ちするを見上げた。暗闇の中で、彼女の瞳は夜行生物特有の光を放っていた。
《……?》
「そうだよ。やっと気付いた? まぁ初めてだろうから仕方ないんだけど、これでも気付かないなら蹴飛ばしてるとこだよ」
《に蹴飛ばされたら即死だよ》
本当にが来たことや言葉が通じることの驚きよりも先に、彼女の物騒なセリフに背筋を寒くするリーマスだった。
おかげで本来ならあるはずの感動とか感激なんてものは、どこか吹っ飛んでいってしまった。
は部屋を見回すと、どこか落ち着ける部屋はないの、と尋ねた。
リーマスはベッドのある部屋へ案内する。
《それにしても、本当に自分を保っていられるなんて》
2人で埃っぽくかび臭いベッドに上がると、さっそくリーマスがしゃべりだした。その声には嬉しさがにじんでいる。
も嬉しそうに口元を緩めた。
「これで怪我も少しは減るね。ところでさ、ジェームズ達への対策は考えた?」
とたんにリーマスの耳が垂れた。
どうやら良い案は浮かんでいないようだ。
それなのにはニンマリと笑みを作った。
「こういうのはどうかな」
楽しそうにが話したのは、こんな内容だ。
リーマスの母は犬を飼っているが、これが母以外にはまったく懐かない。
体の弱い母が毎月の定期健診へ行くのに動物は連れていけないため、その間約一日、誰かに面倒を見てもらわなければならないのだが、そんな凶暴な犬の世話など誰もしたくない。
父は母についていくため、あてにはできない。
となると、残りは息子のリーマスのみだ。
リーマスはその奮闘のため傷だらけになってしまう。
「ね、名案でしょ」
《……》
無理な点や過激な点はいろいろあるが、ただ「母の見舞いに行く」と言うよりはいいかもしれない。
「それで、その話を聞いたあの3人はきっとリーマスを助けようと犬の躾の本やら道具やらをくれると思うんだ。アンタはそれを遠慮なく受け取る。そうすると、私が来たことで怪我が減っても、3人がくれた本とかのおかげだと言えるわけだ。うん、完璧!」
そこまで考えていたのか、とリーマスは呆れるやら感心するやらで言葉が出ない。
・、策士だ。
だがこの計画はすべてジェームズ達を騙すためのものだと思うと、リーマスは素直に喜べなかった。
「……どっかまずい点でもあった?」
《いや、そうじゃない。正直、感心してる。でも嘘をつくのはやっぱり心苦しいなと思ってね》
「今さら何言ってんの? 私達が人間の中で生きていくって決めた時点で、周りに嘘をつくのは決定されたことなんだよ。嘘って言ったって、誰を陥れるものでもなし大げさに考える必要はないと思うんだけど」
《キミはそれで平気なの? エヴァンズにずっと嘘をつき続けて、後ろめたいとか申し訳ないとか全然思わない?》
「……そういうの、もう考えるのやめた」
静かに答えたは、冷たく見えなくもない薄い笑みを浮かべていた。
「きりがないから」
切り捨てるような諦めているような瞳に、リーマスの目も揺れる。
リーマスから視線を外したは、ゆっくりと体を倒し仰向けに寝転がった。
「いつか、ばれるまでは嘘をつき通すしかないんだよ。その時どうなるかは……まぁ、なってみないとわからないね。見捨てられるか、こっちが見捨てるか」
小さく漏れた笑い声は色もなく空虚。
寝返りを打ち、は再びリーマスと目を合わせる。
あまり見たくない無表情があった。
目をそらしそうになりながも、リーマスもを見つめる。
この時2人は同じことを思っていた。
──もし秘密がばれても受け入れてくれたらそれは夢のようだけれど、やっぱりそれは夢なんだろう。
おもむろに伸びた手がリーマスの首のあたりを撫でた。
いつかの医務室の時と同じ静寂。
「アンタのほうが覚悟は必要だろうね。今年の防衛術に人狼のページがあったし。……いつでも呼んで。一緒にいるから」
やはり無表情のに、リーマスはどう答えたらいいのかわからなかった。
それからは突然表情を取り戻すと、勢い良く起き上がって言った。
「ねぇ、脱狼薬って知ってる?」
リーマスはふるふると首を横に振る。初めて聞く名だ。
そうでしょう、と満足げに頷く。
「ちょっと前の薬学博士達が投げ出した研究なんだけどね、なんと狼人間がこれを飲めば満月の日に変身しても理性を保っていられるんだとか! 実現したら凄いよねー」
《でも、投げ出したんでしょ》
「その人達はね。けど、研究を受け継ぐ人が現れたらいつか完成すると思わない?」
《……そうだね。できたらいいね》
「気のない反応だなぁ。せっかく私がその受け継ぐ人になろうと思ったのに」
ピクン、とリーマスの耳が立つ。
信じられない、と言いたげな目がを凝視する。
はニヤリと笑った。
さっきの無表情とは正反対の、挑戦的な笑み。
「でもねぇ……」
何か言いたそうには大きな窓の外に目を向ける。
ここからでは見えないが、窓辺に寄れば忌々しい満月が煌々とあるだろう。その証拠に青白い光が板で打ち付けられた窓の隙間から注がれている。
そして振り返ったが次に見せた顔は、挑戦的ではなく好戦的。
「どうせなら、月をぶっ壊してしまいたいと思わない?」
何とも突拍子もない発言に、リーマスの口がパカッと開く。
マヌケなその顔には遠慮なく吹き出した。
「粉砕呪文の物凄く大きいやつでさ、ドカーンと!」
《……いいね!》
両腕を広げて「ドカーン」を表現するに、リーマスの気分もつられるように高揚していく。
もはや2人の頭の中には、友人達に秘密がばれた後の心配はなくなっていた。
もしばれたら、その時は潔く退学して月を破壊する旅に出よう。
2人は窓辺に駆け寄り、月に向かって数々の罵声を浴びせかけた。
その時の口の悪さを再確認したリーマスだったが、いつの間にか彼自身もそんな言葉を叫んでいた。
もちろん、それは狼の遠吠えのようだったのだけれど。
息切れした頃にようやく2人は口を閉ざし、再びベッドに身を投げ出した。
どちらも笑いが止まらない。
《こんなに汚い言葉を叫んだのは生まれて初めてだよ。でも、スッキリした》
「リーマスは溜め込みすぎなんだよ。優しい人って損だね」
《キミだって》
「私は優しくないよ」
《そんなことないよ。だって、こんなに楽しい満月の日をくれたんだから》
「ふぅん。じゃあ、来月も叫ぶ?」
《叫ぶ。だってここは『叫びの屋敷』なんだから》
「ははは、オッケー!」
それから2人は他愛のない話に花を咲かせ、気が付いたら寄り添うようにして眠っていた。
たぶん、眠ったのはほんの2時間程度だろう。
窓から入り込む薄明かりには鈍い頭を抱えて目覚めた。
西向きの窓だから朝日は見えないが、空の色から夜明けだということが窺える。
そろそろ寝室に戻らないと。リリーが目覚める前に戻って制服に着替えなくてはならない。
が体を起こすと、ぬくもりが消えたことでリーマスも目が覚めてしまった。もう、人の姿に戻っている。
「あ、ごめん、起こしちゃっ……わっ!」
忘れてたっ、と慌てて顔をそらす。
狼人間は変身時に服を破ったりしないようにとあらかじめ脱いでいることがほとんどだ。
リーマスももちろんそうしていて。
の慌てように遅まきながら気付いたリーマスも、焦った声を上げて背を向けた。
「じゃ、じゃあ、私はもう行くね。リリーが起きる前に戻らないと。それに、迎えに来るマダム・ポンフリーと鉢合わせるわけにもいかないし。また来月ねっ」
いっきにまくし立ててドアへ走るを、リーマスは慌てて呼び止めた。言っておきたいことがあるから。
「、キミがいてくれてどんなに感謝してもしたりないよ。本当にありがとう。いつか皆に話す時が来ても──それは、とても恐ろしいことだけど、でも、少しは落ち着いていられると思うんだ。自棄になったりしないでさ」
「うん……私も同じ。リリーってけっこう勘が鋭いんだよね」
「それじゃ、キミがばれそうになったら僕を呼んでくれるね? 僕達、退学する時は一緒なんだろ?」
すぐには返事をできなかった。
そういう可能性もあったけれど、その時は一人で向き合うつもりでいたから。自分なら、冷静に、それこそ冷たいくらいに対処できる自信があったから。その後も立ち直れる自信があったから。思い込みかもしれないけれど。
けれど、せっかく道連れを申し出てくれる人がいるのだ。医務室でのことを彼は忘れていない。
「うん、その時は頼むよ。頼りにしてる」
何となくリーマスを縛り付けてしまったようで躊躇いを感じずにはいられなかったが、それでもはその言葉に甘えることにした。
それからはもと来たトンネルを足早に抜けていった。
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