ただでさえ落ち着きがないというのに。
常にやまない貧乏揺すりに、とうとうシリウスがたまりかねて文句を言った。
「おい、ジェームズ。いい加減にその貧乏揺すりをやめてくれ。さっきからテーブルが揺れてんだよ」
シリウスの前には、今日出された変身術の宿題。
それは、いつも行動を共にしているリーマスとピーターの前にもある。
「ジェームズ、試験は一週間も先だよ」
「そう、そうだよピーター。一週間後だ! あと一週間したら僕は選手になるんだよ! これが落ち着いていられるかい?」
時折、ジェームズは出所のわからない自信を見せる。
リリーに言わせれば「なんて傲慢で自惚れの強いヤツ」というところだ。
そして、ジェームズを快く思わない人の大半の理由が、こういう部分だった。
他にも選抜試験を受ける人がいるだろうから、そういう発言は控えたほうが……とピーターは周囲の反応を窺うが、当のジェームズはまったく気にしていない。
それどころか、女子寮へ戻る途中のを捕まえて、
「約束、覚えているよね? キミと僕でグリフィンドールを勝利へ導くんだ!」
などと叫びだす始末だ。
そう言われるたびには複雑な苦笑いをして去っていく。
こんな調子で試験前日まで時間は過ぎ、図書館で薬草の本を探していたは夏休み以来の姿を見つけた。
「やぁ、スネイプ。今日も葬式みたいな顔色だね」
あんまりな挨拶に、こちらは闇の魔術に対する防衛術の本を広げていた黒ずくめの少年は、むっつりと不機嫌そうに顔を上げた。
当たり前の反応である。
スネイプはたっぷり棘のある声音で返した。
「ずいぶんポッターに毒されてきたようだな。もっとマトモなヤツだと思っていたが」
「やだなぁ、ちょっとした挨拶じゃないか。本気に取らないでよ。気を悪くしたなら謝るよ」
「あんな挨拶、誰だって気を悪くする。そういえばお前、クィディッチの選手選抜試験を受けるんだってな」
スネイプの前に腰掛けようとしていたは、その言葉に椅子を引く手を止めた。
何でアンタが知ってるの、とポカンとスネイプを見つめる。
はこのことを他寮生の誰にも話していない。
その顔があまりにマヌケだったのか、スネイプに鼻で笑われる。
「ポッターのヤツが大きな声でしゃべっていたぞ。ヤツとお前がいれば無敵だとか何とか。ずいぶん期待されてるな」
その言い方は、励ましではなく嫌味。
は無言で椅子に腰を下ろすと、大きく長いため息をもらした。
「バカジェームズ」
「アレのバカはいまさらだろう」
「選手になってもいないのに、何を言っているんだか」
「自惚れもあそこまでいけば技だな」
さっきからスネイプはジェームズ叩きに容赦がないが、は反論する気も起きなかった。
お調子者め、と心の中で文句を言う。
イライラと頭をかくと、は机の上に筆記用具を並べ、薬草の本の目次を開いた。
2人はしばらく会話もなくそれぞれの作業に没頭する。
ページをめくる音と、羽ペンが羊皮紙を引っかく音だけがその場の音の全てだった。
もしかしたら、どちらも1人でここにいる気になっていたかもしれない。
やがて一段落着いたが、先ほどとは違う本を開いているスネイプに尋ねた。
「アンタはスリザリンチームの選手選抜試験には出ないの?」
「出ない」
何とも素っ気ない返事だ。
は続きがあるかとしばし待ってみたが、スネイプがそれ以上何かを言う気配はなかった。
飛行術が特別苦手というわけではないだろう。
普段の授業で合同となった時の彼は、特に問題なく飛んでいるのだから。
クィディッチに興味がないのかもしれない、とは結論付け、自分の用事は終わったので寮に帰ることにした。
机の上の道具を手早く片付け「お先に」と声をかければ、ちらりと目線だけを上げるスネイプ。言葉はない。
無愛想の極みのような彼に、特に気分を害すこともなくは図書館を後にした。
スネイプに愛想を求めてはいけない。
逆に、ニコニコと愛想の良いスネイプなど気持ちが悪い。
はそこでふと思った。
顔が勝手に笑顔になる魔法薬なんてあるのだろうか、と。
スネイプの爽やか笑顔を目指して調べてみるのもいいかもしれない。
それはいったいどんな顔だろう、とあれこれ想像を巡らせていると、遠くから名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
最近よく聞くようになった声だ。
悩みの種の一つ、レイブンクロー1年生のアデル。
を男の子だと勘違いし、微妙な思いを寄せてくる彼女の誤解をといておこう、と出会うたびに気合を入れるのだが、いつも失敗に終わっている。
それは、彼女との会話の仕方にあった。
「こんにちは、。ねぇ、あなたクィディッチの試験受けるんだって? でももうその実力はキャプテンも知っていて、試験とは言いつつもチームの名簿にはすでにの名前が載っているって聞いたわ!」
「それ嘘だから」
ウキウキと話すアデルのセリフに、間髪入れず否定の言葉を発する。
ジェームズの話はいろんな人の耳に入るにつれ、大げさになっていっているようだ。
これが噂というやつか、とは恐ろしさを感じた。
今回はこんな内容だからたいしたことはないが、もしこれが悪い噂だったら一晩で学校中から痛い視線を集めてしまうだろう。
1年生の時、は容姿のせいでほんの少しだが悪い噂を立てられたことがあった。
グリフィンドールに馴染み、他寮生とも仲良くできるようになるにつれ、その噂も消えていったが、いつ復活しても不思議はないなと感じたのだった。
そして、自分の聞いた話を本人から否定されたアデルは、少し残念そうに口を尖らせた。
「そうなの……じゃあ私、が選手になれるよう応援してるね。試験は明日だったよね。見に行くから」
「あ、うん、ありがとう。あのねアデル……」
「あっ、私、図書館で友達と待ち合わせしてるんだった! 、今度またゆっくりお話してくれる?」
「うん。そうだね、じゃあその時に」
「ごめんね。それじゃあ」
始終、こんな調子だった。
アデルはわざと話を遮っているのだろうか、とは一時疑ったが、彼女の目に偽りの色はない。
結局今日も勘違いを正せなかったは、肩を落としてグリフィンドールの談話室へ戻るのだった。
翌日、はグリフィンドールクィディッチチーム選手選抜試験を受けるため、競技場にやって来ていた。
彼女を試験に誘ったジェームズは隣にいるが、観客席のリリーをしきりに気にしている。
ジェームズのリリーへの想いは、日々重症になりつつある。
はリーマスと『リリー病』と影で笑っているが、本人に向かって言う日も近いだろう。
ふと、ジェームズがへと振り向いた。
「どう、絶好調?」
その目は期待と確信に満ちている。
は苦笑して答えた。
「いつもどおりだよ」
その時、チームのキャプテンが試験のために集まった生徒達を呼ぶ声が響いた。
ジェームズとも彼のもとへ向かう。
選考はポジションごとに行われた。
方法はシーカー希望者はスニッチを捕まえること、チェイサー希望者はフィールドに用意された障害物をかわしながら外周を一周、ビーターは空中に打ち上げられる敵人形をブラッジャーで打ち落とすこと、最後にキーパーは5回の内何回ゴールを守れるか、といったところだ。
とジェームズの希望するチェイサーから試験は始まった。
楽勝楽勝、とジェームズは鼻歌混じりだがはそれほど楽天的にはなれなかった。
授業の時のレースとは違い、妙な邪魔を入れてくる人はいないだろうが、競走である以上不慮の接触はあるかもしれない。
その時にサングラスが外れたら箒から落ちてしまうだろう。
いくら人より頑丈とはいえ、飛ぶ箒から落ちて無傷でいられる自信はない。
は何度もサングラスのバンド部分を確認した。
キャプテンの合図でスタートラインにつく。
全員が位置についたのを確認すると、キャプテンは高らかにホイッスルを鳴らした。
試験は順調に進み、最後にキーパーの試験が終わるとキャプテンは立候補者を集めた。
キャプテンは5年生の男子生徒でポジションはビーターだった。
とはたった3年しか年が離れていないが、ずいぶんと大人びてしっかりした人に見えた。
キャプテンとはそういうものか、とは感心する。
名前は何だっけ、とちょっとマヌケたことを思っていると、いよいよ選手が発表された。
いつ来たのかマクゴナガルもキャプテンの横に立っている。
マクゴナガルのクィディッチ狂は噂程度に耳にしていたが、まさかわざわざ選抜試験に来るほどとは思わなかった。
他の寮もこうなのか、は知らない。
レイブンクローのことならアデルに聞けばわかるだろうか。
スリザリンは……スネイプに聞いても一刀両断に拒否されるだろう。スネイプ自身クィディッチに興味はなさそうだが、たとえ知っていても教えてくれるとは思えない。
そんなことをつらつら考えていたせいか、は不意に名前を呼ばれて思わず飛び上がってしまった。
と、隣からビタンッと生温い何かが張り付いてくる。
「やったよ! 選ばれたよ!」
耳元で叫ぶのはジェームズ。
何と、彼の宣言通り2人はチェイサーに選ばれてしまったのだ。
もう1人は6年生の男子だった。ゲイリー・アディントンという名だ。
談話室の隅でいつも彼女とくっついている人だ、とは思い出した。そして、先ほどのレースで誰よりも障害物を正確にかわしていた人。
それは経験の差もあっただろう。
たとえば、がやや強引に飛び去った箇所も、ゲイリーはヒラリと回避していた。
スピードだけならジェームズやのほうが上だったが、それだけではいずれ限界が見えるだろうことを彼の飛び方は物語っていた。
これからこの3人でチェイサーとしてやっていくのかと思うと、何だかドキドキしてくるだった。
流されるように受けた選抜試験だったが、これはジェームズに感謝かもしれない。
「それじゃ、練習日は後で伝える。今日はこれまで。皆、お疲れ様!」
キャプテンの締めくくりの言葉で選抜試験は終わった。
城内に戻ると、すぐにリリー達が迎えてくれた。
の隣で箒がどうのこうの言っていたジェームズが、手を振るリリーのもとへすっ飛んでいく。
きっともう、彼の頭の中に箒は影も形もないだろう。
あっさり置いていかれたがちょっぴり哀愁を漂わせていると、アデルの元気いっぱいの声が意識を現実に引き戻した。
アデルはが選手に選ばれたことを我が事のように喜んでいる。
「おめでとう! 凄い飛びっぷりだったよ!」
「ありがとう。まさか選ばれるなんて思わなかったけどねぇ」
「あれで選ばれなかったら、あのキャプテンはぼんくらよ」
「アンタ、けっこう言うねぇ」
「あっ。このこと友達に教えてこなきゃ! じゃあね!」
手を振って走り去っていくその姿は、何となく豆台風を思わせる。
「アデル、今日は見に来てくれてありがとう」
にすれば、それは何気ない一言だった。
たとえば、ここでシリウス達と別れることになっても同じことを言っただろう。彼らも違和感なくその言葉を受け入れるはずだ。
が、アデルは一気に頬を上気させると、はにかんだように微笑んで逃げるように行ってしまった。
何だあれ、と不思議に思っているとシリウスのからかうような声が聞こえた。
「がナンパするとは思わなかったなぁ」
ニヤニヤと笑う。
はようやくアデルの勘違いの件を思い出した。
後悔の叫びを上げて頭を抱えるが、アデルの姿はもうとっくに消えている。
「誤解をとくチャンスだったのに〜っ」
シリウスは憎らしいほど大笑いした。
「ローブの前を開けてみたら?」
「ピーター、そうする時期はきっともう過ぎちゃったんだよ。今そうしても違う誤解が生まれるだけじゃないかな」
ピーターの提案に絶望的な返答をするリーマス。
頭を抱えて唸るに大笑いするシリウス、悲惨な未来像を話すリーマスとピーター。
「他人事だと思って……」
の恨めしげな呟きが虚しくこぼれた。
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