18.キミのかけら

2年生編第18話  敵の反応は、思った以上に早かった。

 最初の授業が終わって次の教室へ移動する時、同じグリフィンドール生の女子がリリーに小さくたたまれた紙切れを渡した。
「渡してって言われたの」
「そう、どうもありがとう」
 リリーは笑顔で受け取ると、に目配せをした。
 は周囲に素早く視線を走らせる。妙な動きをしている人はいない。それよりもジェームズ達の視線が痛かった。どうやら監視する方向にまとまったらしい。
 リリーが折りたたまれた紙切れを開くと、そこには『放課後、西塔4階一番奥の空き教室に来い』と書かれていた。
 はリリーの手から紙切れを取り上げると、杖で叩いて燃やした。
 そして薄っすらと微笑む。
 その顔は、放課後と言わず今すぐでもいいのに、と言っていた。
 大広間の掲示板のせいか、敵も達が応戦に出ることを察したらしく、放課後まで手を出してくることはなかった。お楽しみはとっておこうというつもりなのかもしれない。
 問題は、ジェームズ達を撒かなくてはならないということだ。
 ケンカの最中に乱入されては、収まるものも収まらなくなってしまう。
 女同士のケンカだ、とは言ったが他の3人はともかくリリーが絡むとジェームズの行動は予測できなくなる。
 できれば、現場近くにいてほしくないのがの正直な思いだった。
 だから、リリーとは最後の授業が終わるとすぐに教室を飛び出し、隠し通路をいくつも駆け抜けて彼らがついてきていないことを確認してから、指定の教室へ向かった。の日課である早朝のホグワーツ探検が役に立った。
 その途中、はリリーにゴルフボール大の玉を渡した。
「昨日話した『とどめ』だよ。うっかり落としたりしないでね」
「クソ爆弾?」
「まさか。もっと効果的なものだよ。苦労したんだ、それ作るの。いろんな本読んだよ」
「……不発、なんてことはないわよね」
「ちゃんと実験済みです、隊長」
「ならよし」
 いつもはこのような魔法道具に眉間にしわを寄せるリリーなのに、仕返しの炎が燃えてからは支持してくれる。
 2人はニヤリと笑い合った。
「リリー、敵とのやり取りは私に任せてくれない? リリーは私に調子を合わせて。それで合図したらそれを敵に向かって投げてほしいんだ」
「わかったわ。でも魔法が飛んできたら、それなりにやるからね」
「もちろん」
 西塔4階一番奥の空き教室。
 そこにたどり着く前に、その教室がある通路の入り口で女子生徒が2人、リリーとを待っていた。
 待っていた2人は顎で行き先の教室を示すと、リリーとを挟むようにして歩き出す。
 4人は何も言わずに足を動かした。
 押し込まれるように薄日が差す教室に入れられる。
 中の面子には舌打ちしたい気分になった。
 何で男がいる?
 予定外だ。
 じっとその男子を見つめていると、彼は見下すような嫌な笑みを見せて自己紹介を始めた。
「はじめまして。俺も用事があってね。クライブ・フラナガンだ」
 聞いたことある名前だった。
 は記憶からシリウスとの会話を引っ張り出した。
 目を付けられるとヤバイ人の中にいたはずだ。
 こんな人に関心を持たれるような覚えはない。
 リリーを見たが、彼女もフラナガンの登場に戸惑っていた。
 2人の戸惑いをフラナガンはせせら笑う。
「俺が用があるのはだよ。エヴァンズには用はない」
 ますます意味がわからなかったが、対応しなければならないようだとは腹を決めた。何の用かは知らないが、彼は邪魔だ。早々にご退場願おう。
「私に何の用? アンタのことなんて知らないんだけど」
「知らない? まあ、そうだろうな。俺の顔なんか見てなかっただろうし。でも、これは覚えているだろ?」
 知らない、と言われたことにムッときたのか表情を険しくしてフラナガンが話したのは、いつだったかピーターがスリザリン生に囲まれて嫌がらせを受けていた時のことだった。あの時がスリザリン生達を蹴散らしてピーターを連れて逃げたのだ。
 その時、最初に蹴飛ばしたのがこのフラナガンだったらしい。
「なるほど。それで私に仕返しをしたいと。でもさ、今日の呼び出しとは何の関係もないね。後で相手するから、ちょっと出てってくれないかな」
「彼女達が用があるのはエヴァンズだけだろ? 何の問題もない」
「そんなに単純じゃないんだよ。彼女達の本当の狙いは私なんだから。だから、席外して」
「エヴァンズに用があるのも確かだろ? 彼女達は一人ずつお話ししてもかまわないんじゃないかな」
 フラナガンの言葉に女子達の代表らしいレイブンクロー生が頷いた。
 つくづく邪魔な男だ、とは苛立った。
「わかった。先にアンタと話をしようか」
 一歩ずつ踏みしめるようにフラナガンに近づく
 視線を外さずに真っ直ぐ見据える。
「……と、言いたいところだけど。アンタ、すっごく邪魔。だいたい女のケンカに便乗してんじゃねーよ。情けない男だな。──それとも、こうしないと私に勝てないとでも思ったのかな?」
 ザワリ、と周囲の気配が揺れた。
 マルフォイ、ブラックと同じくスリザリンで一目置かれているフラナガン。闇の魔術の専門家といってもいい家系。そんな家の人とケンカをしようなんて思う人はいない。
 は決して無謀ではないと知っているリリーでも、いったいどうしたのかと思った。それに、自身の雰囲気がいつもと違った。
「そういやあの時もたった一人を囲んでたね。ピーターは強敵だったかい? スリザリンの連中は、寮に選ばれたことを自慢にしてるけど、あれじゃサラザール・スリザリンもさぞ嘆いているだろうよ。自寮の生徒は誇りをなくしたか、とね」
「グリフィンドールのお前がスリザリンを語るな! おとなしく聞いていればいい気になってベラベラと……っ」
 フラナガンは怒りで顔を赤くしてに詰め寄った。
 は引かずに冷めた瞳で続けた。
「だってねぇ。この状況を見てみなよ。自分でケンカの場を作ることもせず、関係ない争いの場を借りてどうこうしようなんて、情けないにもほどあるよ。少なくとも、私の友達にこんな無様なやつはいないね。アンタ、出直してきたら?」
 が嫌味ったらしく嘲笑った時、パンッ、と乾いた音が教室に響いた。
 リリーがハッと息を飲む。
 駆け寄ろうとするリリーを手で制したは、リリーが見たこともないような凶暴な光を宿した目でフラナガンに酷薄に呟いた。
 空気が限界まで張り詰めた。
「先に手を出したのはアンタだからな……!」
 直後、ズドンというような重い音がした。
 声もなくくず折れるフラナガン。
 リリーはの足がフラナガンの鳩尾に食い込むのを見た。
 くぐもったうめき声しかあげることのできない彼を、は冷たい薄笑いで見下ろすと、今度はここに呼び出した女子生徒の一団へ振り向いた。
「さて、話ってなにかな?」
 たった一発で男子生徒を沈めた目の前の人物に、彼女達は戦慄した。それも相手が相手だ。なのに、まったく躊躇いもなく。
 が一歩近寄れば、彼女達は一歩下がる。
 の目はたった一人を見つめていた。
 この教室に入った時に、女子達の中心にいたレイブンクロー生だ。
 彼女は圧力を受けているようにジリジリと後ずさっていく。背後を固めていた女子達が、道を開けるように割れていった。
 十人近くの生徒が、たった一人に気圧されていたのだ。
 ほとんどの時間を共有しているリリーでさえ、友人の豹変ぶりに顔色をなくしていた。鳥肌が立っているのがわかる。
 あの人は誰だ、とさえ思ってしまいそうだった。
 多少危ないことをしても、それはあくまで自身が危ないだけであって、他人に暴力をふるうような危なさではなかったはずだ。なのに、彼女は今、積極的に人に危害を加えようとしている。
 今はリリーに背を向けているからがどんな表情をしているのかわからない。でもきっと、メイヒューに会った時のような石ころを見るような無関心の顔ではないだろう。
 フラナガンを沈めた時に一瞬見えた、相手を痛めつけることを楽しむような顔をしているのではないか。
 リリーはに恐怖を感じてしまっていた。
「後ずさりしてるだけじゃ、話し合いにならないんだけど。……じゃあ、こっちから話そうか」
 2人はもうほとんど壁際まで寄っていた。
 リリーとが呼び出されたはずなのに、完全に立場が逆転していた。
 は突然大股でレイブンクロー生に接近すると、胸倉を掴んで強く壁に押し付けた。
 レイブンクロー生が小さく悲鳴をあげる。
「ねぇ、どうしてリリーを狙ったの? 本当に憎いのは私でしょ? ……私が闇の魔法使いにでも見えた? そんな噂はあったけどね。それが怖かったんだ? ヘタに突付いたらとんでもない仕返しがくるかも、と恐れたんだ? でもさ、そんな私の友達に手を出したらどうなるかって考えなかったわけ?」
 押し付けられたレイブンクロー生は、泣き出したいのをこらえるような顔で、それでもを睨み上げた。
「あんた達の行動が、私達を傷つけるのよ! 皆で彼らが起こす楽しいことを見ていたいって思うのに、あの人達にちやほやされるあんた達が、私達の心をかき乱すのよ!」
「ちやほや? そんなことされたっけねぇ、リリー?」
「さぁ。付きまとわれてうんざりしたことならあるけど」
 突然話を振られてドキッとしたリリーだったが、言われていたとおりに調子を合わせた。
「それが苛立つのよ! 嫌ならハッキリ拒否しなさいよ! そうやってあいまいな態度を取り続けてあの人達の気を引くなんて、なんて傲慢なの!」
「私はいつも拒絶してるわよ。あなたの目にフィルターがかかってるんじゃないの?」
「マグル出が調子に乗ってんじゃないよ!」
 達の両脇によけていた片方の数人のうちの誰かが、罵りの声と共にリリーへ向かって魔法を放った。
 しかしそれはリリーの盾の呪文に防がれる。
「誰かさん達のおかげで、ずいぶんこの呪文がうまくなったのよね」
 リリーは得意気に微笑んだ。
 もクスッと笑うと、目の前の生徒を見下ろす。
「それがアンタ達の本音か。マグル出身がそんなに嫌いか。嫌いなら何をしてもいいと? 悪戯仕掛け人が好きだから何をしてもいいと? なるほど、じゃあ私も何をしてもいいね。アンタが嫌いだから」
 背筋に走った悪寒にレイブンクロー生は反射的に杖を抜いた。つられるように他の数人も杖を抜く。
 一瞬の間に数条の呪文光線が交錯し、同時に鈍い音と共に杖が宙を舞った。
 リリーは武装解除呪文で何人かの杖を吹き飛ばした。
 一方、武装解除呪文に自信のないは素手で目の前の生徒や近くの生徒の杖を叩き落したが、誰かが放った呪文が腕に当たり嫌な音を立てた。折れてはいないがアザにはなりそうだ。
 しかし、痛いなんて言ってはいられない。
 はすぐに自分の杖を抜くと、叩き落された杖を拾おうとしているレイブンクロー生の喉元に杖先を突きつけた。
「ものすごく痛い思いをさせる呪文くらい知ってるよ」
 レイブンクロー生の動きがピタリと止まる。
「二度と私達にちょっかい出さないように、アンタに見せしめになってもらおうか。──大丈夫、磔の呪文よりは痛くないから」
 杖先に力を入れると、レイブンクロー生は息を飲んで壁に体を押し付けた。
 その怯えようにクスクス笑う
「覚悟はいいね?」
 ぐっ、とさらに杖を押し付けた瞬間、レイブンクロー生は膝の力が抜け、床にペタリと座り込んでしまった。
 ガックリと落とした顔は髪に隠されて見えない。
 腰をかがめてが覗き込むと、彼女は失神していた。
「おや、気絶しちゃったよ。まだ何もしてないのに」
 は何気なく言ったにすぎないのだが、周囲の生徒達にはとても冷えた声音に聞こえたらしく、息を飲んで2人を凝視していた。
 しばらく気を失ったレイブンクロー生を見ていたが、突如小さく笑い声をもらす。喉の奥からの笑い声は、しだいにはっきりとした笑い声になっていく。
 くるり、と視線を周囲に走らせれば、気圧されたかのように一歩後退する彼女達。
 リリーと目を合わせれば、彼女でさえ顔を引きつらせていた。
 きっとの頭がヘンになったとでも思っているのだろう。
 はふと視線をそらし、たまたまその時に目に入ったハッフルパフ生に杖の照準を合わせた。
「なら、アンタでいいや」
 一歩踏み出した時。
 リリーがの杖腕にしがみついたのと、狙われたハッフルパフ生が鋭い悲鳴を上げてパニックを起こしたのは同時だった。
、そんな呪文使っちゃダメ」
「でもリリー」
「ダメったらダメ。本当に闇の魔法使いになっちゃう。そんなの嫌!」
 必死に訴えるリリーの緑色の瞳と、暗金色にほんの少し紅をたらしたの冷淡な瞳がぶつかり合う。
 引いたのはだった。
 一度、まばたきするとは杖腕の力を抜いた。
「もういいの?」
 仕返しはもういいのか、と問うとリリーは深く頷く。
「じゃあ出よう。リリーがいいって言うなら私もそれでいいよ」
 その言葉に心から安堵したリリーは、うっすら微笑んでしがみついていたの腕から離れた。
「そうだ。最後にお土産をあげないとね」
 の目配せにリリーは気付いてローブのポケットから渡されていた玉を取り出した。
「いい夢が見れますように」
 そう言ってリリーの腕をポンと叩けば、リリーは戸惑いながらも玉を投げた。
 一斉に壁際に寄った女子生徒達の手前で玉は音を立てて小爆発を起こし、モクモクと紫色の煙をあげる。
 はすぐにリリーの手を引いて教室を出た。
 後ろ手でバタンとドアを閉じる。隙間からわずかに紫色が漏れ出てくるが、すぐに空気に溶けていった。
 中から物音や声はいっさい聞こえてこなかった。
「はぁ、終わった終わった」
 グッと伸びをするはすっかりいつもの雰囲気だ。
、さっきのあなたは……」
「──心の中の、凶暴な自分をちょっとだけ出すんだよ。リリーにもあるでしょ、そういうの」
 はリリーの胸元をトンと突付きニッコリ笑う。その笑顔に『凶暴な』の影は見えない。
「呪文は?」
「ハッタリ。そんな呪文、私が上手に扱えるわけないって」
 あっけらかんと笑うに、リリーもホッとした笑みを浮かべた。
「さっきの玉は何だったの?」
「催眠玉だよ。夢付きの」
 不審に思ったリリーの問いに、何でもないことのように答える
 が歩き出すと、リリーもすぐに横に並ぶ。
「夢付きって?」
「眠ると同時に私が作った夢を強制的に見る仕組みなんだ。眠るって言っても3分から5分くらいだけどね。だって、この時期にいつまでもあんなところで寝てたら風邪引いちゃうでしょ」
 悪戯っぽく言うに対し、リリーの表情は何故か険しい。
「……どんな夢を?」
「ジェームズ達に冷たくされる夢」
「やっぱり!」
 突然大声を上げて立ち止まったリリーに、も足を止めて彼女を振り返った。
 リリーはギュッと眉を寄せて責めるような目をしていた。
「やりすぎよ」
「何が?」
 きょとんとして首を傾げるに、リリーはますます苛立って言った。
「あの人達はもう充分怯えてたわ。あれ以上追い詰める必要なんてなかったでしょうに」
 そのセリフには「信じられない」と目を丸くする。
「リリー、何を言ってるの? 中途半端な仕返しはかえってあいつらの復讐心に火をつけるだけだよ。ほとぼりが冷めたら絶対にまた繰り返すんだから」
「その時はその時よ」
「甘い! 甘すぎる! こういうのは最初に徹底的にやっておくのがいいの」
 2人は顔をつき合わせて言い合ったが、どこまでも平行線なのは確実だった。
 リリーとの決して交わらない認識のひとつに、このことが追加された。
「だいたい精神に作用する道具は危険すぎるわ。それに……残酷すぎるじゃない。好きな人に冷たくされたら、どれだけ傷つくと思ってるの? どんな玉か聞いておくんだったわ」
 リリーの顔が辛そうに歪んだ。
 過去にそういったことがあったんだろうか、とは思ったが、それは今の件には関係ないと思い直す。
 今日までの嫌がらせでは傷ついたのはリリーも同じだとは思っていた。
 それなのに、どうして彼女達をかばうようなことを言うのか、にはさっぱりわからない。
「あの危険な道具のことはマクゴナガル先生に報告するから。どうせ私が言っても聞かないでしょう? だったら先生から言ってもらうわ」
 はショックのあまり言葉もなかった。
 裏切られたような気持ちだった。
 自分のせいでリリーが嫌な思いをしたから、二度とそんなことが起こらないようにと思って考えたことだったのに、その彼女に否定されるとは。
 リリーは唇を噛み締めてうつむくと、を置いて行ってしまった。
 自分はどこで何を間違えたのか、は呆然とする頭の片隅で考え込んだ。
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