今日は午前中に闇の魔術に対する防衛術の授業がある。
教科書通り進むなら、武装解除呪文について勉強するはずだ。
噂ではこの教科は呪われているという。どの先生も一年以上続かないそうなのだ。
言われては、そういえば去年と先生が違うなと思った。おそらく新入生歓迎会の時に紹介されたはずなのだが、の頭の中は別のことで満たされていたのだろう、まるで覚えていなかった。その上、最初の授業で先生が変わったことに気付いても、たいして気にとめなかったのだった。
去年の先生は特に文句のない先生だった。今年の先生も同じだ。
ただ、実践の指導は今年の先生のほうがわかりやすい。
そしてこの先生は『魔法は実践してなんぼ』の人だった。板書と説明の時間よりも杖を振り回している時間のほうが圧倒的に長い。
故に、授業が終わると医務室へ行く生徒もそれなりの数がいた。
理論の説明の後、杖なしで呪文の発音の練習をして、それから次に杖の動かし方の練習。
それが終わると先生は机と椅子を教室の隅に寄せて、生徒に2人組みになるように言うとさっそくやってみるように言った。
教室のあちこちから武装解除呪文の声が上がる。
変身術や呪文学同様、最初からうまくできる人などいない。器用なジェームズやシリウスでさえそうだ。何となく相手の手が揺らぐだけだ。
はリリーと組んだが、いつものように魔法は不発である。
たまには一回で成功させてクラス中から尊敬と羨望の眼差しを集めたいものだ、などとありえない空想にふけっていると、攻守を交代したリリーの何度目かの呪文がの杖を弾き飛ばした。
衝撃にハッとして杖の行方を探せば、頭上で放物線を描いてリリーの手にスポッと収まった。
見事なものである。
「おおー、相変わらずすごいっ」
先ほどの空想とは反対に、尊敬と羨望の眼差しでリリーに拍手を贈る。しょせん彼女はこっちの立場。
の拍手を耳にした先生が、生徒を見回る足をリリーへと向けた。
「ミス・エヴァンズ、成功ですか?」
「はい。私の杖がほら」
がリリーの手を指せば、先生はニッコリして「もう一度やってみせてください」と言った。
杖を返してもらったが形だけ構え、リリーの澄んだ声が高らかに呪文を唱える。
「エクスペリアームズ!」
ついさっきと同じようにの手から杖が飛ばされ、リリーがキャッチする。
「よくできましたね。グリフィンドールに5点差し上げましょう!」
先生の言葉にリリーは頬を上気させて喜んだ。
「ミス・もがんばってください。もうじき成功しそうですよ」
去り際、先生はを励ましていった。
この先生はこういう人なのだ。だからは彼がけっこう気に入っている。
よし、と気合を入れ直すとはリリーにコツを聞きながら、再度練習を始めるのだった。
この頃になると、2人への──というよりはリリーへの嫌がらせはずいぶん過激なものになっていた。
ボケボケして廊下を歩くとたちまち呪文の餌食になってしまう。
リリーとは極力談話室から外へは出ないようにしていた。
食事、授業の移動、課題の資料探しなど、どうしても外へ出ないといけない時は必ず2人で行動し、杖はいつでも抜けるようローブの袖の中へ隠しているほどだ。
どこから飛んでくるかわからない呪文対策に覚えた盾の呪文は、おかげでみるみる上達し、今ではきっと誰よりも素早く発動できるだろう。
主に気配に敏感なが危険を知らせ、呪文攻撃や物理攻撃に備えてリリーと協力して防ぐのだ。
ふくろう便の中傷の手紙もたまにやって来る。これらはいつも通りが保管した。
これだけ敵の動きが活発になると、さすがにジェームズ達も気付かないわけがない。
何かあったのかと彼は心配顔でリリーに問うが、リリーは毎回「何でもない」と返す。
彼らが原因である以上、関わられてはかえってややっこしくなるからだ。
ある日、談話室でついにリリーが言った。
「そろそろ我慢の限界よ。おかげさまで反射神経や盾の呪文は誰にも負けない自信ができたけど、いつまでもこんなこと続けていられないわ。うっとうしい。そういえばポッターもうるさくなってきたわね」
わずらわしいことばっかり、とリリーはしかめ面で長く深みのある色合いの赤毛をかき上げた。
それから、正面で薬草学のレポートを書いているへ身を乗り出し、声を低くして言う。
「今度何かされたら反撃しようと思うの」
その言葉に顔を上げて、はじっとリリーの瞳を見つめた。
「でもそれだけじゃ何の解決にもならないから、犯人を突き止めたいのよ。──目星はついているんでしょ?」
やる気満々のリリーの強い瞳に、は思わず笑みを作った。
クリスマス休暇前なら、ここでが「もう少し様子を見よう」と言えばきっとリリーはしぶしぶながらも頷いただろう。けれど、今は。
きっと頷かない。
が反対したら、リリーは一人でも行動を起こすだろう。
強い意志を秘めた鮮やかな緑色の瞳が、それを雄弁に物語っていた。
はリリーがこの決意を示してくれる日を待っていた。
「私、思うんだけど……」
最小の小声で思う犯人を挙げようとするリリーを、はニコニコしながら見ていた。そして一瞬だけ、視線を談話室内に走らせる。
リリーはハッとして口を閉ざす。
そして姿勢をもとに戻すと、わざとらしく伸びをしてテーブルの上の勉強道具を片付け始めた。
「何だか疲れちゃったから、もう寝るわ。おやすみなさい」
「おやすみ」
リリーとは目だけで頷き合った。
寝室に上がっていくリリーを最後まで見送ることもなく、はレポート作成を再開させた。
しかし、頬が緩んでしまうのは押さえようがなかった。
のほんの一瞬の仕草を見逃さなかったリリー。その意味を正確に汲み取った彼女の聡明さ。
──これだからリリーが好きだ。
時々思うのだ。
リリーと悪戯仕掛け人とがいれば、この世に不可能なことなどないのではないか、と。
ニヤニヤしていると当の本人達がやって来た。
「あれ、リリーは?」
ジェームズがキョロキョロしながら言った。
「疲れたからもう寝るって」
「そうなの? 嫌がらせに……参ってるのかな」
ジェームズの顔が曇る。
参ってるどころか反撃に燃えていると言ったら、彼はどんな反応を示すだろうか。アンタの想い人はタフなんだよ、と教えてやりたいだった。
「狙われているのはリリーだけ? は?」
「なに、心配してくれるのリーマス? でも残念ながら狙われているのはリリーだよ」
本当は私を狙いたいんだろうけど、と心の中で付け足す。
あっけらかんと答えるに、リーマスはやや眉間にしわを寄せた。
「今日も廊下で呪いかけられそうになってたでしょ」
「あんなトロい攻撃、当たるもんか。リリーと私の守りは堅いよ」
「そんなヘラヘラしてて、痛い目にあっても知らないから」
が思っている以上にリーマスは真剣だった。
見れば他の3人も同じような表情をしている。
も笑みを引っ込めて応じた。
「そろそろ黙らせるから大丈夫。ちゃんと準備はしてあるんだ。だからあんまり心配しないで」
「そもそも、どうしてキミ達が攻撃されてるんだい?」
横にどっかり腰を下ろしたジェームズに、これはなかなか解放されそうもないなとは観念して、いったん羽ペンを置いた。今日中には片付かないかもしれない。提出は3日後だからいいのだけれど。
は4人に囲まれる形になった。
きっとはじめからこうするつもりだったのだろう。
リリーがいなかったのはジェームズにとって予想外だったかもしれないが。
さて、どう答えよう、とは思案する。
アンタ達のせいだ、とはできれば言いたくない。この件に関して、彼らは無関係なのだから。
「僻み……かな。リリーはほら、目立つから。モテるし」
「そうか……ウンウン、リリーはすごすぎるからねぇ。頭も良いし性格も申し分ない。凛とした姿はまさに高嶺の花だよ」
「そしてジェームズはその花に無謀にも手を触れようとしている、と」
「む、無謀じゃないよ! いつかリリーは振り向いてくれるはずさっ」
「話がそれてる。リリー病患者はちょっと黙ってろ」
ジェームズの昂ぶりはシリウスにあっさり鎮火された。
ついにリリー病と言われたか、とは内心で苦笑した。
「そんな僻み程度であそこまでされるのか? せいぜい無視か小さな嫌がらせ程度だと思うけどな」
「だんだん荒っぽくなってるね。下手したら大怪我しそうな時もある」
シリウス、リーマスと立て続けに言われる。そしてピーターがとどめを刺した。
「僕、聞いちゃったんだ……。誰が言ってたのかはわからなかったけど、いつまでまとわりつくのかしらうっとうしいって。これって、ただの僻み妬みじゃないよね。誰かが関係してるんじゃないの?」
この発言のせいで、がごまかそうとしていることが全て掻き消されたも同然だった。
はテーブルに突っ伏したいのを必死でこらえた。
やっぱりピーターの耳は侮れない。
しかもこの情報は仲間の3人も初耳だったらしく、特にジェームズは目を丸くしていた。
「リリーは、誰かのせいで嫌がらせを受けていた? 誰のせい? 知ってるんだろう?」
ジェームズは押し倒さんばかりにに詰め寄った。
答えることができないに、ジェームズは苛立つ。
「!」
「……ごめん、言えない。それに、これは女同士のケンカだから。男は邪魔。アンタは女のケンカにしゃしゃり出るようなバカになりたい?」
「…………なる。リリーのためならバカでも何でもなる。だから全部話せー!」
「ムリ! 離れろ! おーもーいー!」
このままだとソファごとひっくり返ってしまう、とはヒヤヒヤした。1年生の時の記憶がよみがえる。あの時はどちらかと言えばぶっ飛ばされた感じだが、痛いものは痛いのだ。
シリウスとリーマスが慌ててジェームズを引き離す。
ここまで思われるリリーは幸せなのか災難なのか。
少なくとも、は災難に急接近中だ。
「まったく。なんてヤツだ」
は乱れた身形を整えながらブツブツ文句を言った。
けれど、ジェームズもあっさり引き下がったりはしなかった。
深呼吸をして座り直すとを睨むように見据える。
「、僕は心配なんだよ。キミだって友達が多勢に無勢で戦おうとしていたら、手を貸そうと思うだろ?」
「そうかもしれないけど、今回はいらないよ。気持ちだけ受け取っておく」
「……キミもけっこう頑固だね」
「アンタもね。でも、本当に勝算はあるから。リリーにはかすり傷ひとつ負わせないよ」
「その勝算の内容を聞きたいんだよ……」
笑顔で拒絶するに、ジェームズはがっくりと肩を落とす。
も彼の気持ちがわからないわけではないが、やはりまだ言えないと思った。
これでジェームズのことを嫌っていたら、あてつけがましく教えてやるのだが、あいにくは彼のことをけっこう気に入っている。
しかし、このままではいつまでたっても解放されないのは確かだ。
はため息をひとつ落とすと、計画の取っ掛かりだけ教えることにした。もっとも、これを言ってしまえば全てわかってしまいそうだが。しかし、実行した時点で彼らは全貌に気付くだろうから、知るのが早いか遅いかの違いだ。けれど、遅いほうがいい。これは、リリーとだけで決着をつけなければいけない問題だから。
「明日の大広間の掲示板で敵に挑戦状を叩きつけるよ」
顔を上げたジェームズに、は不敵な笑みを見せる。
「きっと、ちょっかい出してくるはず。私が知恵の限りを絞ってこき下ろすんだから、何かしてくれなきゃ困るんだけどね。呼び出しかな拉致かな」
「……わざわざ怒らせた人のとこに行ってどうするの」
「どうせもともと不機嫌な人なんだ。それに今までずっと無視してきたから、そりゃあもう大変な精神状態だと思うよ」
「笑い事じゃないよ」
先ほどのリーマスのように眉間にしわを寄せ、ピシャリと言うジェームズ。
「ま、後はとっておきを作ったから」
「──結局何だかわからないじゃないかっ!」
再び興奮したジェームズがに掴みかかり、同じようにシリウスとリーマスに引き離される。
その時、シリウスがやや沈んだ声でポツリと言った。
「俺達が原因か?」
シリウスの真っ直ぐな視線を、も真正面から受けた。
もしかしたら彼は、自分のことで女子の間で何かが起こっていることを感づいているのかもしれない。
ははっきり首を横に振った。
「アンタ達は関係ないよ」
発言とは裏腹に意外と繊細なところのあるシリウスだから、ここははっきりと言っておいた。
家の呪縛から離れようとしてがんばっているのに、ここで女子からの視線という呪縛にまで囚われては気の毒だ。そんなこと気にしないくらい精神的に逞しい人というわけではないのだから。
もっとも、学年が上がるにつれてふてぶてしくなっていくのだが、そんなことはまだ知らない。
どうあっても全部話す気のないから聞き出すのはムリだ、とようやく彼らも諦めがついたらしい。
話題を変えてこんなことを言ってきた。
「クリスマス休暇の時に地図を作ろうとしただろ。実は今も続けてるんだ」
ほら、とシリウスは数枚の羊皮紙をテーブルの上に広げる。
それは7階まで詳細に描かれていた。
「うわー、抜け道までバッチリ。……この道、フィルチは全部知ってるんだろうね」
「だろうな」
それがちょっと癪だ。
「なぁに。あいつの知らない道くらい、すぐに見つけてやるさ」
ジェームズが指先で地図を弾いて自信たっぷりに宣言した。
彼ならやり遂げてしまいそうだ、とは思った。
そしてようやく放してもらえて寝室に戻ると、リリーはベッドに腰掛けて本を読んでいた。
が入ってきたことに気付くと、何かあったのかと尋ねてきた。
「ジェームズ達に捕まっちゃってさ。リリーがしつこい嫌がらせにあってるんじゃないかって心配してた」
「……そう。それで、さっきの続きなんだけど」
「あ、ちょっと待って」
は勉強道具を机の上に置くと、杖を手にして部屋のドア付近に防音魔法をかけた。
グリフィンドール内にも敵はいるのだ。念には念を入れてもいいだろう。
よし、と頷くとは自分のベッドに座る。
そしてリリーを見れば、彼女は談話室の席を立つ前に言いかけたことを口にした。
「敵はどの寮の人もいるわよね。おそらく中心はレイブンクローね。手紙を受け取る時、あそこから一番視線を感じるもの。次はハッフルパフかな。それからスリザリンとグリフィンドール。──あんな人達のために四寮が力を合わせるなんて」
リリーの顔は世も末だと言いたげだ。
「わからないのは、一つのグループなのか、もとは小さなグループだったものが協力しているのか、てことね。まぁ、どっちでもいいんだけど」
「たぶん……バラバラのものが利害の一致で協力してるんじゃないかな。シリウス好きの人とジェームズ好きの人と……って感じで」
「ああ、そうね。そうかもしれない」
「それで、これを使ってできるだけあぶり出そうと思うんだ」
は机の引き出しから手紙の束を取り出して、リリーに見せた。
一番上の一枚を手に取って見たリリーの顔が、笑いたいのをこらえるように歪んだ。
二枚目、三枚目と目を通していくうちに、とうとう笑い声を立ててしまう。
「これのために手紙をとっておいたのね! あははは、こんなふうにされたら、きっと噴火しそうなくらいカンカンになるわよ」
「そうなってもらわなきゃ。そしたらきっとすぐに呼び出しが来るでしょ。もしかしたら、廊下を歩いてるとこをいきなり囲まれて拉致されるかも」
「拉致のほうに一票。それで、連れていかれた空き教室でぶちのめすのね」
「ぶち……うん、そのとおりだよ」
まさかリリーの口から、ぶちのめす、なんて言葉が出てくるとは思わず、は一瞬言葉に詰まった。それだけ我慢の限界なのだろう。
「でもねリリー。私達は2人だけだから、突っ走ったりしないでね。しばらくは私に任せてほしいんだ。リリーにはとどめを刺してほしいから」
「大丈夫なの?」
「大丈夫!」
ニッコリと言い切るに、リリーはそれ以上は言わなかった。
「リリーも、とどめをしくじらないでね」
が大丈夫と言うからには大丈夫なのだろう、と思えるくらいに信頼は持てていたから。
「それまでは、私が敵の攻撃手段を潰すから。戦意喪失させてやる」
今は、危険に光るの瞳さえ頼もしく感じるリリーだった。
翌朝、大広間の掲示板にビッシリと手紙が貼り付けられた。
その一枚一枚になんと、もとの黒インク字の上から赤インクで丁寧に添削がつけられている。
誤字脱字から文法ミス、慣用句のミス、文章の組み立ての甘さに全体の構成から最後には『こうすれば相手はもっとダメージを受ける』というアドバイスまで。嫌味も付け加えてあったりする。
掲示板の前はぎゅうぎゅうと人だかりができ、これを書いたのは誰なのかとあちこちから推測の声が上がっていた。
「この中傷の手紙を出したやつ、赤っ恥だな」
「どっちも女だろ? 怖ぇなぁ」
推測に混じってあがる揶揄の声。
人だかりから抜け出す一団があった。
彼女達は大広間の隅に寄ると、顔を真っ赤にして歯軋りしていた。
「調子に乗ってくれるじゃない……」
殺意のこもった呟きがもれた。
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