16.忘れているもの

2年生編第16話  一大イベントのクリスマスも終わり、数日経った日の朝。
 朝食の席でバターロールを食べながらはふくろう便の時間をいまかいまかと待っていた。
 そわそわしている彼女にシリウスが呆れ返った目を向ける。
「そんなに待ってももう来ないぞ」
 するとはとても残念そうな顔をした。
「家に手紙出そうよ」
「絶対イヤ」
「じゃあ私が……」
「ヤメロ」
 シリウスはスープ皿にスプーンを置くと、心底不思議そうに言った。
「なぁ、あれのどこがそんなに気に入ったんだ? あんなヒステリーのイカレた……」
「ああ、うん。それはそうなんだけど。何ていうかとっても新鮮でさ。私、純血思想とかよく知らないから、どっぷりそれに浸かった人の叫びってちょっと興味をそそられるんだよね。純血主義者って、皆あんなに熱いの?」
「……あれを聞いてそんなセリフが出てくるのはお前だけだろうよ」
 シリウスは、疲れ果てた表情で答えた。
 本当にあの母親からの吼えメールにはうんざりしているようだ。
 クリスマス休暇初日にあった出来事は、スネイプとの遭遇だけではなかった。
 毎朝のふくろう便でシリウス宛てに真っ赤な手紙が届いたのだ。
 それは吼えメールと言って、人の声を閉じ込めて送る手紙というものらしい。
 初めて間近にそれを見たは、目をキラキラさせてシリウスの手元を見つめていた。
 ちなみにピーターは早々に両手で耳をふさいでいた。
 手紙を見た瞬間から顔をしかめていたシリウスは、手紙を開くなり放り投げてピーターと同じように耳をふさいだ。
 その動きの意味がわからないは、まともにブラック夫人の甲高い叫びを聞いてしまった。
 鼓膜をつんざき脳みそをかき回すような声が言っていたのは、シリウスへのお叱りだった。
 クリスマスに帰って来ないとは何事か、グリフィンドールに入ったことさえ充分恥なのにこれ以上家に恥をかかせる気なのか、純血に生まれたという誇りはないのか、などなど。
 聞いててちょっとシリウスがかわいそうになっただった。
「負けるなシリウス。ところでさ、スリザリンの人で目を付けられたらヤバイのってわかる?」
「そうだなぁ……まずマルフォイだろ」
 周囲に生徒もいるので、いちおう声を落とすシリウス。
 この少人数のせいで小さな音も耳に入ってしまう大広間で、どれだけ効果があるかはわからないが。
 最初にあがった家名に、は記憶を漁った。
 そして、薄い輝くような金色の髪に凍てつくような目を持った6年生の男子生徒を思い出す。
 大きな家の跡取りだとは聞いていた。遠目に見たこともある。正直、あれに近づいてはいけないと直感した。だからできる限り会わないように気をつけてきたのだ。
 の認識では、スリザリン生は何が原因で因縁をつけてくるかわからない。
 納得、と深く頷くにシリウスは続けて自分の家をあげる。
「スリザリンに3人いるのは知ってるか?」
「そんなにいたんだ。ベラトリックスって人しか知らないや」
「あぁ、あいつはハデだからな。あと他にナルシッサとアンドロメダがいる。三姉妹だ。アンドロメダはまだまともだけど、他2人は要注意だな」
「なるほど。でも今日までかすりもしないな」
 マルフォイ同様、遠目に見た程度である。そもそも学年が違うので見かける機会さえ少ない。
「あとはフラナガンだな」
「フラナガン? 聞いたことないね」
 上級生かな、とが思っているとその疑問を見透かしたようにシリウスから「同学年だ」と追加された。
「純血主義じゃないからな。目立たないよ。でもホグワーツの創設者の時代から続く闇の魔術の専門家ってウワサだ。うちのジジイとババアが『例のあの人』の次くらいに崇拝してるから、きっとロクなもんじゃねぇな」
「でも純血主義じゃないんだ」
「だからといってその反対ってわけでもないけどな。中立っとこだ」
「中立ねぇ」
 闇の魔術の専門家と言われているのに、勢力を増している闇の陣営に加担していない?
 スリザリン生の多くを見る限り、にわかには信じられない話だとは思った。
 スリザリン生の全てが純血主義だとは思わない。
 その代表がスネイプだとは勝手に思っている。
 彼の場合、純血主義ではなく実力主義ではないか、と。
「他は?」
「要注意はそいつらだな。……何でこんなことを?」
「目を付けられたとか?」
 シリウスは純粋に疑問を、ピーターは心配そうにを見る。
 は数秒ためらった後に、メイヒューに言われたんだと話した。
「やっかいなのに目を付けられてるって言うんだ。だから聞いてみたんだけど、どの人にも心当たりはないなぁ」
 フラナガンなんて、合同授業で見ているはずなのに全然記憶にないし、と告げる
 けれど、単純にメイヒューの嫌がらせととらえるには真剣だった。
 様子見かな、と判断したはこのことは頭の隅においやって、食事に専念したのだった。


 誰が言い出したのだったか、シリウス、ピーター、の3人は筆記用具を持ってホグワーツ城を最上階からマッピングしながら歩いていた。
「気が遠くなりそうだよ」
 ピーターの言うことはもっともだ。
 まだ8階の序盤なのだが、いかに無謀な挑戦であるかが早々にわかりかけていた3人だった。
 しかし談話室で唐突に火がついた決意はまだ残っている。
「創立してから千年もあったんだから、その間誰一人見取り図を作ろうと思わなかったなんてことはないだろうけど、ここ百年間なら確実に僕達だけだって言えると思うよ」
「それだけに、成し遂げたら偉大だな」
 ピーターの言葉に誇らしげに返しながら、たった今通過した空き教室を描き込んでいくシリウス。
 今までさんざん城の中を探検してきた3人だ。隠し通路もある程度は知っている。見取り図にはそれらも描き込んでいった。
「完成したらどうしようか」
 が問えばシリウスもピーターも「う〜ん」と唸った。
 見取り図作るぞー、と盛り上がったはいいがその後のことは何も考えていなかったのだ。
「ま、できあがってから考えようぜ」
 だから、こう答えたシリウスには頷いたのだった。
 あと少しで8階が終わるという段階に入った時には、すでに夕食の時間に食い込んでいた。
 ずいぶん夢中になっていたようだ。
 誰かの腹が鳴ったところで集中力が切れた。
 そうなると一気に疲労感が襲ってくる。
 今日はこのくらいにしてもうやめよう、という流れになった時、階段の下にダンブルドアの姿を見つけた。
 シリウスがニヤリと笑い、に描きかけの見取り図と羽ペンを押し付ける。
 いったいどうしたのかと見ていれば、彼は腰にぶら下げていたメガホンを構えた。
 まさか、と目を見開くとピーターの前でシリウスは杖で素早くメガホンを二度叩き、階下のダンブルドアへ大声で叫ぶ。
「ダンブルドア先生お散歩ですかー?」
 立体化した文字が雪崩のようにダンブルドアに降り注いだ。
 こいつ本当にやりやがった、と目を剥くの腕を引き、シリウスは階段脇の飾り鎧の後ろに押し込める。3人で並ぶように身を隠し息をひそめた。
 そして鎧と壁の隙間から様子をうかがった。
 突如降りかかってくる立体文字達にダンブルドアは一瞬驚いたふうだったが、次の瞬間には目にも止まらぬ早さで杖を引き抜き、サッと振って立体文字の落下を止めてしまった。
 勢いを失った立体文字がダンブルドアの足元に転がり、空気に溶けていく。
 それをしばらく眺めていた彼は、顔を上げてじっと一点を見つめた。
 ──達が隠れているところだ。
「バレバレみたいなんだけど」
「やっぱダンブルドアには効かないか」
「シリウス……」
 上から、シリウス、ピーターの順だ。
 ダンブルドアがヒョイと杖を振るうと3人が盾にしていた飾り鎧がパッと消えてしまった。
 あっという間にダンブルドアの前に姿を晒される3人。
 階段を上ってくる校長に、は観念した。
 ついに休暇中に罰則を喰らうことになりそうだ。
「こんにちは。わしは気分転換に散歩をしておったのじゃが、キミ達もかね?」
 達は後ろ手に持った筆記用具でお互いを突付き合い、返事を押し付けあった。
 諦めたのか責任を感じたのかシリウスがついに口を開いた。
「そうです」
 そうかそうか、とにこやかなダンブルドア。
 嵐の前の静けさじゃあるまいな、とは警戒に身を硬くする。
「ところで……」
 と、ダンブルドアの目がシリウスの後ろにあるはずのメガホンを見つめるように光った。
 シリウスの肩がピクリと震える。
「先ほどおもしろい呼びかけを受けたのじゃが……どういう仕掛けなのかわしにも教えてくれんかのう」
 口調はお願いなのに雰囲気が命令だ!
 顔をうつむけたままがシリウスをうかがうと、彼もを見ていた。
 その目は「ゴメン、没収かも」と言っている。
 もそれを覚悟した。
 シリウスがメガホンをダンブルドアの前に差し出すと、彼は「失礼」と言って手に取り、あらゆる角度からそれを観察し、何度か杖で触れた。
 やがて、ほぅ、と感心するような息をつくと次に視線が向かったのはピーターだった。
 つられてもそちらを見ると、彼の腰に下げたピコピコハンマーがむき出しになっている。
 ダンブルドアは目ざとくそれも見逃さなかったようだ。
 ピコピコハンマーも手にしたダンブルドアは、同じように隅々まで観察すると最後にに目を止めた。
「わ、私は何も持ってませんっ」
 思わず一歩下がったに、ダンブルドアは朗らかな笑い声を立てた。
「さてさて、これはとてもよくできておるな。通販かね、それとも誰かが作ったのかね……?」
 尋問ですか、とは恨めしげにダンブルドアを見上げた。
 ダンブルドアは順番に3人を見回すが、見られた3人は返答に詰まりお互いチラチラと視線を交し合う。
 何にしろ没収の未来なら製作者の自分が責任を取ろう、とが諦めのため息と共に白状した。
「私が作りました」
「ほぅキミが。それはそれは。おもしろいものを作ったのう。楽しんでいるようで何よりじゃ。さぁ、これは返そう」
 は信じられない言葉にハッと顔を上げた。
 シリウスもピーターもポカンとしている。
 その2人の手にそれぞれの魔法道具が渡された。
 ダンブルドアの穏やかな微笑みは変わらない。何のお咎めもなしだ。
 やリーマスに入学を許可するあたり、ずいぶん懐の広い人だとは思っていたが、反面あのフィルチを管理人に雇っているのだ。絶対に没収されるとは思っていた。
 そろそろ夕食に行くかな、と呟き階段を下りていくダンブルドアの足がふと止まる。
 振り返った彼はヒョイと肩眉を上げると悪戯っぽく言ってきた。
「もう宿題は終わったかね?」
 3人を見えない雷が打った。
 固まった3人を置いて、ダンブルドアは足取りも軽やかに行ってしまった。
 3人が石像の呪いから解放されたのは、それからしばらく経ってから。
「僕……すっかり忘れてた……」
 絶望に打ちひしがれたピーターの声。
「私も……」
「俺も……」
「嘘っ、シリウスも? 今一瞬アテにしたのにっ。裏切り者っ」
「俺だってお前をアテにしたんだっ」
「僕だって2人ならきっと少しはやってるだろうって……っ」
 虚しい空気が場に満ちる。
 それぞれが自分の愚かさを充分呪った後、シリウスが言った。
「あと何日残ってる?」
「よ、4日」
「宿題が出てるのは……全教科か」
 ピーターの答えに舌打ちするシリウス。
 変身術、妖精の呪文、闇の魔術に対する防衛術、薬草学、魔法薬学、天文学、魔法史。
 一日一教科では間に合わない。そもそも一日一教科終わるか終わらないか、がいつものペースだ。
 3人の顔色はどんどん悪くなっていった。
「手分けしよう。それを後で自分流にして写すんだ」
 シリウスの提案にピーターもも異議はない。
「じゃあ私が魔法薬学と魔法史と天文学をやるよ。天文学が最後になるだろうから、間に合わなかったら助けてね」
 は自分が最も早く片付けられそうな教科を選んだ。
 そして、シリウスが変身術と闇の魔術に対する防衛術を、ピーターが妖精の呪文と薬草学を担当することに決まった。
 すぐに談話室へ戻った3人は勉強道具を暖炉前のテーブルの上に置くと、戦前の腹ごしらえよろしく大広間へ下りたのだった。
 食事が終わったら図書館へ資料集めに行き、シャワーを浴びてから宿題だ。
 今度は4日連続完徹か、との心は黄昏た。

 休暇が終わりホグワーツへ戻ってきたジェームズ達は、目の下にクマを作り死人のような達に目を丸くすることになる。
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