13.キミの決意

2年生編第13話  12月に入るとホグワーツ城の冷え込みはめっきり厳しくなり、生徒達は教室移動にマフラーを巻くようになった。
 リリーともしっかり首周りを暖かくして次の変身術の教室へ足早に進む。
 吐く息の白さがいっそう寒さを強調していた。
「創設者達もさ、冷暖房完備してくれれば良かったのにね」
 ハックション! と、大きなくしゃみをしつつ遥か昔の偉大な魔法使い達にぶつくさ言う
 彼女の髪の一部が茶色くくすみチリチリになっている。昨日の晩、シャワーを浴びた後に温風魔法で髪を乾かしていたのだが、コントロールをミスして焦がしてしまったのだ。白の中の茶色はよく目立った。
 リリーはそれを見るたびにこみ上げてくる笑いを我慢しながら、そうねと頷いた。
 もっとも、千年も昔に暖炉はあっても冷房という存在を知っていたかは謎だ。それでも、空気を冷たくする魔法があってもいいとは思うが。
 それとも、暑いも寒いも自然任せだったのだろうか。
 長い廊下をわたり階段に差し掛かった時、突然が足を止めてリリーの腕を引いた。
 それは案外強い力で、リリーはしりもちをつきそうになる。
 どうしたの、と聞こうとした時、バシャンと水音に遮られた。
 上から水が降ってきたのだ。
 が水溜りを飛び越えて階段の上を見上げるが、すでに人影は見えない。
「リリー、行こう。フィルチに見つかって難癖付けられてもつまんないし」
 はまるで動じていない様子だが、リリーは戦慄を覚えていた。
 リリーは水溜りを越えてに並びながら小声で問いかけた。
「今のって、もしかしてあの手紙の……?」
「たぶんね。いやぁ、びっくりしたね」
 は軽い口調で返す。
 本当は笑いたくて仕方がないのだが、それをごまかすためだ。
 リリーは反対に表情を険しくさせた。
「びっくりどころじゃないわよ。──とうとう実力行使に出てきたってわけね。私が呼び出しに応える気配がないから!」
「きっとこれからどんどんエスカレートしていくね。リリー、大人気!」
「嬉しくない!」
 ふざけるに怒鳴り返したリリーは、続けて憂鬱そうなため息をついた。
「呼び出しに応じてガツンとやるべきかしら」
「最終的にはそうなるだろうけど、もうちょっと待って」
「……ねぇ、何を考えているの?」
 リリーは訝しげに聞いた。
 はやられたら即やりかえすタイプだ。
 自身がターゲットにされているわけではないが、いつも隣にいる友人が狙われているのに、いつまでもやりたい放題にさせているのはあまりらしくない。
 となると、何かをたくらんでいるのは確実なのだが、いったい何をしようとしているのかリリーにはまったく見当がつかなかった。
 ただ、これだけはわかる。
 は危なっかしい。
 目を離したら、どんどん危険な道に首を突っ込んでいきそうなのだ。
 本人は平和、平穏を望んでいるのだがその手に取るものは何故かちょっぴり危険度の高いものばかり。一緒にいる時間が長い分、よくわかる。
 この先、のたくらみがわかって、それが危険だと判断した時、止めるのは自分だとリリーは決意した。
 そんな彼女の決意など露知らず、はヘラッと笑った。
「リリーはあんまり一人で行動しないでね。拉致られるのは予定外だから」
 語尾に音符マークが付きそうな明るい返事に、リリーはますます不安になるのだった。

 今日は魔法の調子が絶好調で、はマクゴナガルから3点もらいホクホク顔で変身術の教室を出た。
 リリーは質問があるとかで、まだ教室に残っている。
 ちょっと寒いけど機嫌の良さでカバーしてしまえ、と思っていたら見たくない人物が廊下の壁に寄りかかっていた。珍しく一人だ。
 いっきに気分がしぼんだは、できるだけその人物を視界に入れないように離れたところでリリーを待つ。
 しかし──残念。その人物の狙いはだった。
「ちょっといいかしら」
 相変わらず居丈高な口調でオーレリア・メイヒューが声をかけてくる。
 今はメイヒューの相手はしたくなかった。
 リリーへ嫌がらせをしているグループだけに集中したかったのだ。
 そう思い、そっぽを向いていたのだがメイヒューは無理矢理の正面に回りこんでくる。
 仕方なくは彼女と向き合った。放っておけばグリフィンドールの談話室までついてきそうだからだ。
「あなた、やっかいな人に目を付けられてるわ。何があったのかは知らないけど、身の回りには気をつけるのね」
「わざわざご忠告?」
「嫌味を言い合ってる場合じゃないのよ。真剣に受け止めなさい」
 わけがわからないが、メイヒューは本気でに危険を知らせに来たようだ。
 も言葉から棘を抜いた。
「気をつけろって言われてもさ、ついさっき上から水かけられそうになったばかりだよ」
「その人達じゃないわ」
「え? 今の敵ってそのグループなんだけど。他の人には何もしてないよ。……もしかして、アンタの言う要注意人物を味方に引き込んだとか?」
「そうかもしれないけど、十中八九違うわね。でも、アンタを潰すのに手を組んだかもしれないわ」
 いったいいつ恨みを買うようなことをしたのだろう、とは記憶を探るが、誰かに何かをした覚えもされた覚えもなかった。
「とにかく、注意はしたから」
 踵を返し去って行こうとするメイヒューをは慌てて呼び止めた。これではあまりにも情報がなさすぎる。
「アンタの権力でどうにかできないの?」
「嫌よ。関わりあいになりたくないもの」
「ケチ。じゃあそいつのこと教えてよ。名前とか」
「私が教えたって言われたくないもの」
「アンタ……私を不安にさせるために来たのか。ほんっと根性曲がってるね。なら、寮だけでも」
「……スリザリン」
 小さく言うと、メイヒューは新たな質問を投げられる前に走っていってしまった。
 メイヒューは自分は名家の娘だと言っていた。
 その彼女が関わりたくない人物がスリザリンにいるという。
「……そりゃあ、いるだろうね。権力者の集まるところなら」
 純血主義だからといって、無条件に仲良しとはかぎらないだろう。そのほとんどが大なり小なり貴族だというならば、多少なりとも政治にも関わっているだろうから、きっとそこには純血主義以外のしがらみがいろいろあるはずだ。
 結局、寮がわかったところであまり解決にはなっていなかった。
 せいぜいスリザリン生をさけて歩くくらいだ。
 どうしたものかと考え込んでいると、先生への質問が終わったらしいリリーが教室から出てきた。
「お待たせ。……どうしたの、難しい顔して」
「うーん、何でもない」
 こんな返事で何でもないと言われても誰も信じないだろう。
 リリーも何かを言いかけたが、ふと目が行った腕時計にギョッとした。
「大変! もうこんな時間。、走らないと遅刻よ!」
 声を上げるなり、リリーは何を思ったのかのマフラーを掴んで走り出した。
 出遅れたの首が一歩ごとに絞まっていく。
「ちょっ、まっ、リ……し、しまって……首が絞まってるー!」
 最後の力を振り絞って叫んだ時には、本気では絞め殺されるところだったとか。
 あの世の世界を霞の向こうに見てたどり着いたのは、地下牢教室。
 変身術の次は魔法薬学だった。
 ついさっきメイヒューに「スリザリン生に狙われている」と言われたばかりなのだが、授業だけはどうしようもない。そもそも何故犬猿の仲のグリフィンドールとスリザリンで合同授業をするのかと、もう何度目かもわからないグチを心の中でこぼす。
 何かの試練なのだろうか。
 何とかしてよ校長先生、などと実際に訴えてもあの校長は軽やかに笑顔でかわしてしまうだろう。
 はさりげなく周囲のスリザリン生の様子を探った。
 が、強い敵意を向けてくる者はいない。
 さすがにこんなに大勢のいるところで、それも教師の目と鼻の先でやり合う気はないということか。
 メイヒューもいつもの取り巻き達とおしゃべりをしていて、のことなど視界の隅にも入っていない。
 めんどうなことになったな、とため息をつきつつは地下牢教室へと入っていった。


 そうやって周囲に気を配りながら過ごした一日が終わると、は心身ともにすっかりくたびれていた。
 もしかして、こうして精神的に追い詰めるのがメイヒューの狙いだったりして。
 そこまで思って否定する。
 追い詰めようとするなら、彼女はあんなふうに真剣に訴えてきたりはしないだろう。もっと見下すような、小バカにするようないけ好かない笑みを浮かべながら、ぞろぞろと取り巻きを連れてやって来るはずだ。
 膝から力が抜けたようにソファに沈んだは、ふと見やった掲示板にクリスマス休暇のお知らせの貼り紙があるのに気付いた。
 もうそんな時期か、とは居残りリストに名前を書くため立ち上がった。
 幽鬼のようにヨロリとした立ち上がり方のを、リリーが心配そうな顔で見上げる。
「具合悪いの?」
「ううん、ちょっと一日を張り切りすぎただけ……」
 意味不明な答えにリリーは首を傾げた。
 まだ誰も書き込んでいないリストに名前を書き入れると、脇から声がかかった。
「俺、今年は残るから」
 宣言するように言ってきたのはシリウス。
 目を向けたの手から勝手に羽根ペンを取り上げると、彼女の名前の下に自身の名前を書いていく。
 今さらだが、綺麗な文字だとは思った。
 の字はクセがあって綺麗とは言いがたい。
 これが基礎教育の差というものか。坊ちゃんめ。
 などとが理不尽なひがみを抱えていると、再度シリウスが言った。
「もう、冬休みは帰らない」
 名前を書き終えたシリウスは、挑むようにを見据えると羽根ペンを突き出した。
 彼がこの結論を出すまでにどれだけ悩んだのか、は知らない。けれど、去年とはまるで違う力強さを持った双眸から、シリウスがそうとうの決意をしたことはわかった。家から逃れることはできない、と諦めていたあの色はもうない。たかだか学生7年間のささいな反抗で終わらせることはやめたようだ。
 だから、は何も言わずにただ頷くだけで受け取った。

 夕食の後の談話室では悪戯仕掛け人が今日の悪戯について盛り上がっていた。
 何階だかの廊下の窓を全部黒く塗りつぶしてきたのだとか。
 さぞかし気味の悪い廊下になったことだろう。
 リリーは4人の馬鹿笑いが聞こえてくるたびに筆圧を上げている。
 じきにペン先が割れるな、とは思った。
 それでもリリーは羊皮紙を文字で埋めるのをやめない。
「リリーはクリスマス休暇は帰るの?」
 が尋ねるとようやく彼女の手は止まった。そして、眉間に入っていた力を抜き、シワを伸ばすようにさする。
「帰るわ。……あの」
「ああ、別に私のことなら気にしないで。その代わり、お土産待ってるから」
 そう言うとリリーは安心したように微笑む。
「今年はブラックとペティグリューが残るんですってね」
「ピーターも残るんだ」
 2人の名前を呼ぶのに、またリリーは顔をしかめた。
 はシリウスの残る宣言以来掲示板は見ていない。だからピーターも残るというのは初耳だった。
「気をつけてね。変なことに巻き込まれないように……」
「巻き込まれないよ。大丈夫」
 がわざわざ悪戯をするようなことがないことはリリーもわかってはいたが、時々彼らからの頼まれごとを引き受けていることも知っていた。
 それに、はごくたまに悪乗りする。
 何かやらかすのではないかと気をもんだ。
 は苦笑すると立ち上がってピーターのもとに行った。
 お腹を抱えて笑っているピーターの顔をヒョイと覗き込み、
「クリスマス休暇、残るんだってね」
 と、言った。
 目尻の涙を拭きながらピーターは頷く。
「どうやら今年は俺達3人だけみたいだな」
 ほら、と掲示板を指差すシリウス。
 見ると、確かに上から、シリウス、ピーターの名前だけが並んでいる。
 去年はお知らせが掲示されてその日のうちに居残り組がほぼ決定だったので、今年もそうなのだろう。増えても一人か二人か。
 ようやく笑いの発作がおさまったピーターが説明した。
「両親が旅行に行くんだ。僕も一緒にいく予定だったんだけど、たまには2人で行ったらどうかなと思って」
「親孝行!」
「そんなすごいものじゃないよ……」
 褒めると照れるピーター。
「ホグワーツのクリスマスもいいものだったよ」
「そうなんだ。楽しみだなぁ」
 ピーターとで平和に微笑み合っていると、リーマスが会話に加わってきた。
「そうなの? 僕も来年は残ってみようかな。今年は帰るって親に言っちゃったから」
「ぜひそうしなよ。全寮合同のお茶会に参加できるかもよ」
 去年はレイブンクロー寮でやったんだ、とが言えばリーマスは少しうらやましそうな顔をした。きっとお菓子のことでも考えているのだろう。クリスマスなら特別なお菓子が持ち寄られるだろうから。
「あの時、リーマスにもらった紅茶が好評でさ」
「じゃあ、今回も贈るよ」
「いえ、もうホント箒だけで……」
 とたんに口ごもるにリーマスは蒼天のような笑顔で言った。
「出世払い期待してるから」
 は痛恨の一撃を受けた。300のダメージ!
 秘密を共有しあい、満月の夜を共に過ごすようになってから、リーマスはだんだんに遠慮しなくなっていた。
 いつだったか「リーマスの地っていじめっ子だよね。いじめられっ子のような顔していじめっ子なんだ。詐欺だ」とがこぼしたら「相手によりけりだよ」とサラリと返してくれた。
 それは私には意地悪しても罪悪感はないということなのか、とは問い詰めたい気分になったが、肯定されるととても悲しいのでその質問は飲み込んだのだった。
 がダメージ300でもがいていると、さらにジェームズが追い討ちをかけてきた。
「僕からもプレゼントがあるから」
「ああもうっ、アンタはリリーへのプレゼントにだけ集中してれば!?」
 ヤケクソ気味に叫べば、今度は完全にいじめっ子の笑顔を見せられた。
が借金に苦しむ様を見たいんだ!」
 は無言で手近のクッションを投げつけた。
 ムスッとしてリリーのところまで戻れば、一部始終を見ていたのかクスクス笑っていた。
「私も来年はといようかな」
「もれなくあの面子がくっついてくるよ」
 リリーにまで笑われ、逆に毒気を抜かれてしまいは肩を落とした。
「何とか離れることはできないものかしら。上級生の呪文に斥力魔法があるのよ。近づいてきたら磁石の同極のようにどっかに弾かれてくれればいいのに」
「そんなに都合のいいものあるかっての。うーん、でもおもしろそうだね。ちょっと考えてみよう」
 ニヤッとしたに、リリーはハッとした。
 そして既視感。
 あれは確か去年のハロウィーン。メイヒューに直接制裁を下そうと息巻くを何とかなだめようと必死だったリリーが言った言葉に、は今と同じような笑みを見せた。そして当日、悪戯仕掛け人のパフォーマンスに便乗してメイヒューに復讐したのだった。
 また焚きつけてしまったのか、と内心でショックを受けるリリー。
 自身の何気ない一言がを触発しているのだとしたら、と思うと微妙な気持ちになるのだった。
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