つけられているスリザリン生が気付いた様子はない。
その集団の中心にいるのは、手入れの行き届いたブラウンの髪をなびかせる綺麗な顔立ちの少女。いかにもイイトコのお嬢さんといった感じだ。集まっている少女達もそれなりに躾のきっちりした良家の子女という空気があった。
そんな華やかな1年生女子を変質者のようにつけ回すのは、真っ白な髪の同い年の少女より少し背の高い同学年の少女。ローブの前は上から下までピッチリ締めている上、中性的な顔立ちのため、一見すると男か女かわからない。
傍から見れば『変質者に狙われている可憐な少女達』である。
その『変質者』に間違われても仕方のない行動をとっている少女は、ポケットに突っ込んでいた手を握り締めた。そこにあるのは『クソ爆弾改』。ジェームズ達の知恵を借りて数日かけて改造した力作だ。
は箒レースの時にされたことの仕返しのために、これを作った。
そして今、その機会を伺っているのだが……。
曲がり角から首だけ出して少女達を見送り、はため息をついた。
──どうにも、やる気になれない。
仕返しをしたくないわけではない。
やられたらやり返す主義のだ。
彼女はその場から離れ、グリフィンドール寮へと戻りながら、何故いまいち気が乗らないのか考えた。
まず、仕返しのための手段は手に入れた。そして、その手段を実行するチャンスはいつでもある。標的は無防備だ。
ためらう要素はどこにもないのに、どうしてかやる気になれない。
答えは出ないまま、さらに数日が過ぎた。
その日、妙に甘ったるい香りで目が覚めた。
「何の匂い〜?」
と、天蓋付きベッドのカーテンを開けて尋ねたところで、まだ眠っているリリーから返事があるはずもなく。
はノロノロと着替えると、静かに寝室を後にした。
甘い匂いの元を探ろうと早朝の廊下をのんびり歩いていると、もはや偶然とは思えない率で遭遇する、驢馬に乗った旅人と出会った。彼は今日も絵の中を移動中のようだ。
「おはよう、旅人さん」
「おはよう、ミス・。そういうば、黒い髪のあなたは別人だったそうですね」
「知ってるの?」
少し前の箱の部屋での出来事を思い出し、は苦笑した。入学早々、慌しい事件だったと思っていた。下手すれば自分の命さえも危うくなるところだった。
旅人は大きく頷いた。
それから、悪戯っぽい笑みを見せて言う。
「えぇ。私達との会話を楽しんで下さるのは、あなただけではないのですよ」
「あ……校長に話したのって、もしかして」
「いえいえ。たまたま私達が噂していたのを、あの方が耳にしたのです。私達は尋ねられたことに答えただけですよ」
「ふぅん。まぁ、でも、校長の耳に入ったのは良かったと思うよ、うん」
そう言って、は箱の部屋事件のあらましを話した。
聞き終わると旅人は目を丸くして長い感嘆のため息をついた。
「そんなことがあったとは……」
「フフフ。ねぇ、ところでさ、この甘い匂いは何なの? ……あ、絵の人にはわからないんだっけ?」
「ええ、外の世界の匂いも味も、残念ながらわかりませんが……ふむ、ハロウィーンパーティの準備をしているのではないでしょうか」
ハロウィーンパーティと聞いたは、得心がいってポンと手を打ち合わせた。
きっとカボチャを使ったお菓子の匂いなのだろう。
黒髪のを追いかけたり、クソ爆弾改の製作及びメイヒューの尾行に忙しくて、カレンダーなどまったく見ていないだった。
ふと、厨房に行ってつまみ食いでもしようかと思ったが、すぐに思い直した。楽しみを後にとっておくのもいい。
「ありがとう、旅人さん。そろそろ寮に戻るよ」
「そうですか。では、ごきげんよう」
帽子を軽く持ち上げ、旅人はゆっくりと驢馬を進めた。
がグリフィンドール寮の談話室へ戻ると、すでに何人かの生徒達はソファに座って寝ぼけまなこでぼんやりしていた。
その中に、シリウスがいた。
「おはよう」
「おはよ」
「皆はまだなんだ」
「まぁな」
はシリウスの様子に首を傾げた。
どこか具合でも悪いのかと感じるほど表情がない。それとも機嫌が悪いのだろうか。
はシリウスの正面に腰掛けると、まじまじと観察した。
シリウスはその視線をうるさそうに手で払う。
「なんだよ。朝っぱらから告白か?」
冗談を言う気力があることから、少なくとも機嫌が悪い場合でもが原因というわけではなさそうだということがわかった。
「告白してほしいならするけど」
「ヤメテクレ。……で、何?」
「いや、具合でも悪いのかと思って」
「悪いと言えば悪い」
「何それ」
シリウスは重く息を吐き出すと、腕を組んでうつむいた。
同じ黒髪でも、ジェームズとシリウスは違うなぁ、などと関係ないことを思っていると、シリウスがボソッと何かを呟いた。
「何? 聞こえなかった」
「……この、匂いがな」
どこか悔しそうに言うシリウス。いや、恨めしそう、かもしれない。
「シリウス、甘いのダメ?」
「ほんのり甘いのはいいんだけど、これはちょっと……」
そういえば、食事時にシリウスがデザートに手を付けているのはほとんど見ないことをは思い出した。
ほんのり甘い、という言葉には日本人の友達がたまに持ってきていたお菓子を思い出した。あっさりとした甘さは少し物足りなさを感じたが、どこか心を落ち着かせたものだった。
しかし、悩みを打ち明けられたところで、こればっかりはにもどうしようもない。
せいぜいできるのは、こんな提案くらい。
「今日一日外にいるとかどう?」
「どっちにしろパーティの時にはあいつらと合流しなきゃなんないし」
「匂いで参ってるんだから、そこまで付き合うことないんじゃない?」
「や、ちょっと計画が……」
シリウスが言いかけた時、寝室から降りてきたリリーの声がを呼んだ。
何の計画か気になったが、リリーを待たせるのも悪いのでは彼女と共に先に朝食に行くことにしたのだった。
大広間は漂う甘い香りの効果か、いつもよりざわついていた。生徒もどこか浮き足立っているように見える。
それはリリーも同じだった。
「ホグワーツのハロウィーンはどんな感じかな」
「そこらじゅうでジャック・オ・ランタンが飛び跳ねるかもしれないよ」
「魔法学校だもんね!」
絵が動いたりしゃべったりするのだ。ただのハロウィーンパーティでは終わらないだろう。
特別に早めに始まる夕食が今から楽しみになった2人だった。
その前に、今日は魔法史と闇の魔術に対する防衛術、そして変身術の授業が詰まっているのだが。
杖の授業が多いな、とが少し憂鬱になった時、いつものように頭上が羽ばたきでいっぱいになった。
ふくろう便だ。
は食事の手を止めて目だけでふくろう達を伺う。
この前リリーに教えられた通り、は魔法界に来る前まで仲良くしていた友人に手紙を出した。
ふくろうが手紙を配達に来るなど考えてもみないことだろうから、もしかしたらそのまま追い返されてしまうかもしれないことも予想しておいた。下手に期待して、それが外れた時のショックは大きいから。
けれど、やはり気持ちはごまかせなくて、心の片隅では期待してしまうのも知っていた。
ふくろう達を睨むように見ていると、一羽の茶ふくろうがの前に舞い降りてきた。
まさか、と思い息を止めて目を見開く。
手紙を出す時に一緒にいたリリーが、横で小さく歓声をあげるのが聞こえた。
「……私に?」
願いが叶えられそうだということに、わずかにためらい、ふくろうに聞くと「早く取ってくれ」と言いたげに「ホーッ!」という鳴き声が返ってきた。
震えそうになる指先を叱りながらふくろうの足から手紙を外している間に、リリーが一番大きなベーコンを差し出している。
ふくろうはベーコンを一飲みにすると、派手に羽を羽ばたかせて飛び立っていった。
「早かったね。まだイギリスにいるのかな」
手紙を開くに、リリーが尋ねる。緊張で顔が強張っているより、リリーのほうがよっぽど嬉しそうだ。
「誰からの手紙?」
リリーの隣のピーターの声にリリーが答える。
「のお友達よ」
一心不乱に手紙の文字を追うを、リリーとピーターが見守る。
があまりに難しい表情で読むものだから、2人は良くない内容なのかと心配になった。
やがては手紙を丁寧にたたんでポケットに入れた。
「どんなことが書いてあったのか、聞いてもいい?」
おそるおそる話しかけたリリーへ顔を向けたは、次の瞬間、何とも複雑な笑顔を見せた。かつての仲間と連絡が取れて喜んでいるのは確かなのだが、他にも心配事があるような笑顔だ。
「私がこっちに来た後、向こうもいろいろあったみたいでね。前の仲間もずいぶん減ったみたい。この手紙くれた人も来年には日本に戻ることになったらしくて……ふくろう便て、日本まで届けてくれるのかな」
いろいろ、とはどんなことなのかリリーもピーターも気になったが、聞いてほしくなさそうな雰囲気だったので聞かなかった。
そこでふと、ピーターが気付く。
「、こっちに来た後ってことは、その前は……?」
「マグルの世界にいたんだよ」
「あぁ、それでリリーとやたら話が通じていたのか」
納得いった、と手を打ったのはジェームズ。
リリーと先に朝食に来たのだが、彼ら4人は他にも場所はあいているにもかかわらず当然のように2人の側に陣取っていた。校内を騒がせることますます頻繁になっていく4人組みに、リリーの嫌悪も増していっているのだが、中心にいるジェームズが頓着していないので自然と6人が一塊となってしまうのだった。
「若くて体力のありそうなふくろうなら届けてくれるかもしれないわ」
「遠距離だと生き物郵便は考えちゃうね」
リリーの答えには眉尻を落とした。
その時、の前に座っているジェームズ、シリウス、リーマスが同時に顔を上げ、シリウスの表情がわずかに険しくなった。
3人の視線は達の向こうを見ている。
振り向くと、ニヤニヤとした笑みのメイヒューと取り巻き3人がいた。今日は4人でのお越しだ。
「……何か?」
うっとうしいと思いつつもが声をかけると、待ってましたと言うようにメイヒューが口を開く。
「あなたみたいなのにも手紙をくれる奇特な人がいるのねぇ。いったいどこの誰かしら? 物好きね」
「アイツはもともと物好きなヤツだよ。大正解。オメデトウ」
感情のまるでこもらない棒読み口調で返すと、メイヒューは眉間を険しくさせる。
「フン、どうせ下等なマグルからでしょう? こっちにまで手紙をよこすなんて、図々しい輩ね」
「アイツのこと、アンタにどうこう言われる筋合いはないんだけど」
の声音に険悪なものが含まれたことに気付き、リリーはの腕にそっと手をかけた。同時にメイヒューを睨みつける。
メイヒューは馬鹿にしきった薄ら笑いでを見下ろす。
「その人もあなたみたいに髪や瞳が呪われたような色をしているのかしら?」
リリーの手を振りきり、は勢い良く立ち上がった。
の暗い金色の瞳に怒りによる光が走る。
「それ以上くだらないことを言う口は……」
「、ダメよ。落ち着いてっ」
一度振り切られた腕をリリーは再度掴んだ。今度は外されないようにしっかりと。
はその手を払おうとするが、リリーは思ったより強い力で掴んでいたため外せそうもなかった。
そんな2人の様子を嘲笑するメイヒューへ、別の敵意のこもった声が投げられる。
「グリフィンドールのテーブルでよくそれだけ言えるな」
シリウスだった。
しかしメイヒューは忠告とも取れるシリウスの言葉さえも鼻で笑い飛ばした。
「あなたもお気の毒に。あなたほどの人がどうしてグリフィンドールなんかに選ばれたのかしらね。組み分け帽子も耄碌してきたとしか思えないわ」
「あいにく俺はこの寮で満足していてね。余計なお世話だ」
「……いつか後悔するわよ」
言い残し、メイヒューは去っていった。
完全に姿が見えなくなると、は猛然とリリーに食ってかかった。
「どうして邪魔するの!? あんなヤツ、一度痛い目にあわせて黙らせる必要があるってのに!」
「こんなところでケンカしたらどうなると思うの!?」
リリーも負けてはいない。
「また減点の話? 友達が侮辱されたんだよ。減点なんてどうでもいいよ!」
「そうじゃない、そういう話じゃないのよ。ねぇ、ちょっと冷静になってよ。生徒も先生も見ている前で手をあげるようなケンカしたら、あなた一人が処罰を受けてそれで終わりでしょ。きっとそうなるわ」
そこまで一息で言うと、次にリリーは声をひそめて続きを言った。腕を引っ張り、を座らせる。
「あなた何て噂されてるか知ってる? 呪われてるだの闇の魔術に失敗して白い髪になっただの言われているのよ。派手なケンカなんかしてごらん、今は味方のグリフィンドールの皆も敵になってしまうかもしれないのよ」
に対する心無い噂のことを口にする時、リリーは一瞬ためらい渋い表情になった。
そんな彼女を見ているうちに、はだんだん落ち着きを取り戻していった。
そしてリリーのセリフを何度も反芻し、やがて何かを企んでいるようにニヤリと笑った。
「つまり、メイヒューを痛めつけたいなら証拠が残らないように、人に見られないようにやれってことだね」
「なっ、ちがっ、違うわ!」
思わず大声を上げるリリーだが、は聞いていない。剣呑な光を瞳に宿したまま何かを考えている。
リリーが助けを求めるようにジェームズ達を見やるが、彼らもニヤニヤしていて嫌な感じだった。
さっさと諦めたリリーは、再びに向き直り考えを改めさせようと口を開いた。
「仕返しを勧めてるわけじゃないのよ。もっと別の方法であの女を黙らせる方法を考えようって言ってるのよ。ねぇ、聞いてる!?」
はまったく聞いていなかった。
それどころかシリウスが俺も混ぜろと身を乗り出してくる。
「うーん、でもこれは私に売られたケンカだから。あ、でも知恵は貸してほしいな」
「任せろ」
「僕も手を貸そうか? いや、貸そう。ぜひ借りてくれ」
ひょい、とジェームズも顔を出す。
白と黒の頭が寄り合って『メイヒューを泣かす会』を結成する様を、リリーは苦渋に満ちた表情で見つめていた。
そこにオレンジジュースが注がれたゴブレットを片手にしたリーマスが、のほほんとした微笑で誰にともなく言った。
「この前、ジェームズとが兄妹みたいという話が出たけど、ジェームズとシリウスにも兄弟疑惑があるんだよね」
だから何だとリリーは訝しげにリーマスを見たが、ピーターはリーマスの言いたいことを察したようだ。
「僕、があんなふうに人に敵意を見せるの、初めて見たかも。いつも、関係ないって顔してたし」
例えば、スリザリンとの合同授業で彼らがの容姿をからかっていても、彼女はまるで見えていないかのように綺麗に無視をしていた。
「あの、今にも手が出そうな攻撃的なところはシリウスに通じるものがあるね」
「リ、リーマス。それってつまり……」
「うん、きっと、実はあの3人が魂のきょうだいだった、ってことだよ」
あはは、と気楽にリーマスは笑うが、リリーもピーターもそんな気にはなれなかった。
最悪のきょうだいじゃないか! トラブルメーカー確実だよ!
「い、一番上は誰かな」
それでもこんなことを考えてしまう、怖いもの見たさのピーター。
リリーはもはやこの会話を聞く気にもなれず、内容を追い出すように頭を振っている。
「一番上はジェームズじゃないかな」
その後、真ん中はで一番下がシリウスだ、だのシリウスとは双子だ、あるいは意外にも一番上はシリウスで……などなどリーマスとピーターは勝手に関係をでっち上げて楽しんでいた。
その間にも、ジェームズ、シリウス、の危険な作戦会議は進んでいたのだった。
■■
目次へ 次へ 前へ