6.レース日和

1年生編第6話  まだマクゴナガル先生の怒鳴り声が耳に残っていて、は眉をしかめながらトントンとこめかみのあたりを叩いた。
 『太った婦人』に合言葉を言って談話室への穴をくぐりながら、は前を行くジェームズに謝罪した。
「ごめんね。ジェームズは関係なかったのに」
「気にしないで。あの感じじゃ話なんて聞いてくれそうもなかったしね。それより、レース参加を禁止されなくて良かったよ」
「うん、まぁね」
 『黒髪の』を取り逃がした後、ジェームズとはたまたま現場を目撃したマクゴナガル先生に運悪く捕まってしまった。2人は先生の研究室へ連れて行かれ、一時間こってり説教されたあげく20点の減点を言い渡されたのだった。
 ターゲットには逃げられ減点はされ、散々だった。
 ため息をつきつつ談話室へ踏み込むと、同室の少女が仁王のように2人の前に立ちはだかっていた。
 ──次はリリーか。
 覚悟を決めると同時に、鼓膜を破りそうな怒声が落ちた。
 しびれた。

 一通り怒鳴り終えて気が落ち着いてきた頃を見計らい、弱々しい声音では口を開いた。
「あの、何があったのかお話してもよいでしょうか……」
 何故か敬語になってしまった。
 鬼のような形相のままリリーは頷く。
「じゃあ、最初から全部話すからジェームズ達も……」
 そんなわけで、6人で一つのテーブルを囲む。
 『黒髪の』のことを知らない男子4人にまずそのことを話し、続いてジェームズとレースの練習をしていた時にその人物を見つけて箒に乗ったまま城の中に突っ込んだことを話すと、一緒にいたジェームズ以外全員に呆れの目で見られるだった。
 しかしやがてリーマスがクスクス笑い出すと、シリウスやピーターにも笑いが伝染していった。リリーだけが険しい表情のままだ。
「それであの飛ばしっぷりか。僕だったら他の生徒を巻き込んで大怪我だよ」
「見てたのか、リーマス」
 俺も見たかった、と羨ましそうなシリウス。
「とんでもない動体視力だと思ったよ」
、やっぱり来年の選抜試験を──」
「ちょっと、何を簡単に流しているの! 一歩間違えれば死人が出てたかもしれないのよ!?」
 ジェームズの声を遮って再びリリーの雷が落ちる。
 首をすくめては、小さく「反省してます」と答えた。
「もぅ、ってばこの数日で25点も減点されてるじゃない! 取り返す気はあるんでしょうね?」
「あ……ります、はい」
 ただし、が点を稼げる教科は偏りがある。一番可能性があるのは薬草学か魔法薬学だ。魔法史も得意だが教師がゴーストというよくわからない先生なので、点をくれるか謎だ。あとは、まれに天文学で加点されることがある。
 つまり、杖を使わない教科に限るのだ。
 ピーターのように浮遊させるはずの羽が発火したりということはなかったが、その代わり、効果にムラがあった。
 ほんの2、3ミリ程度、人をバカにするように浮いたこともあり、また瞬間移動のごとく天井まで上がりさらに上に行こうと羽がもがいていることもあった。もちろん、思ったとおりに浮かせたこともある。
 コントロールが下手なのだ。
 その点、魔法史は暗記すればいいだけだし天文学は観察と暗記、薬草学と魔法薬学の手作業の類はもともと得意だ。
 杖を使う教科でも筆記なら点を稼げるだろうが、ふだんの授業ではチャンスは少ないだろう。
 果たしてリリーの期待に沿えるか自信のないだったが、彼女が充分に反省していることは伝わったようだ。
「それで、どうしたいの? ──あぁ、違うわね。どうやって捕まえる気なの?」
 今度こそ、リリーは怒りを静めてくれたと確信する。
 はホッとして話し出した。
「トランシーバーがあれば連絡取り合いながら包囲網敷けるんだけど、無理だから魔法でそれっぽいのない? 捕獲に向いたやつ」
 トランシーバーという単語に、リリーは「確かにあれば便利ね」と残念そうにし、魔法界育ちの4人は「何それ」と首を傾げた。
「遠距離で声をやり取りできる機械だよ。で、何か知ってる?」
 にしてみれば、魔法界で役に立たない機械類よりも早く役に立ちそうな魔法を教えてほしかった。
「足縛りの呪文とか笑いの呪文とかどうかな。魔法初心者でもいけるはずだよ」
 ジェームズの言葉に魔法界育ちの3人が頷いたので、はさっそく教えてもらうことにした。
 夜中近くまで6人は呪文の練習をしたが、やはりというかピーターとはなかなか上達しなかった。
 2人は顔を見合わせ、ガックリと肩を落とす。
「ピーターは余計な力が入りすぎ、は集中力にムラがありすぎ」
 ビシッとシリウスの厳しい指摘が入った。
 ダメ生徒2人に対し優秀な教師役が4人もいるのだが、何故こうも進歩がないのか。
 そして、うなだれるピーターとを慰めるアメ担当はリーマス。
「でも全然できないわけじゃないんだから、もう少し練習すればすぐできるようになるよ」
 そうは言うが、いまだに羽を浮かせることも思うようにできないは、そんな日が来るのかはなはだ疑問だった。
「魔法薬作ってる時の集中力は素晴らしいのに、どうして杖だと乱れるの?」
 側でずっとそんなを見てきたリリーは、このことがとても謎だった。
 は酷く言いにくそうにギュッと唇を引き結んで下を向いた。
 集中力が乱れる原因はわかっている。
 でも、それを言ったら笑われそうな気がした。
 まさか、呪文を声に出すせいで集中力が乱れるのだ、とは言えない。
 あまりにもお粗末な理由に思えた。
「じゃあこうしよう。ピーターとは一人で行動しないこと」
「うん……了解」
 ジェームズの提案はもっともなので、ピーターとは反対しなかった。


 それから数日後、飛行術のレース当日まで『黒髪の』が目撃されることはなかった。
 けれど、にはある予感があった。
 ──今日の夜、ターゲットはきっと出る。
(私の予想が正しければ、だけど)
 心の内で呟いた。
 いつものようにサングラスをして外へ出ると、とても良い天気だった。もうじき10月末で、朝夕はぐっと寒く感じるようになったが、天気の良い日の昼間は暖かい。
 リリーと並んで校庭を歩いていると、ちょんちょん、と肘を突付かれた。
、あの人やっぱり同学年だったわ。ほら、いつかのスリザリンの人」
「あ、ホントだ。そういや名前も知らなかったよ」
 本当はリリーに言われるまで存在も忘れていたのだが、言わないでおく。
「オーレリア・メイヒューよ。けっこうな旧家らしいわ。そこの一人娘なんですって。スリザリン生の例に漏れず純血主義で父親は魔法省に勤めているそうよ」
「……よく調べたね」
 レースや『黒髪の』捕獲のための魔法の練習や宿題が山ほどある中、いったいいつ調べたのかとは感心した。
 それにしても引っかかったのは、メイヒューの父が魔法省勤務ということだった。どこの課かは知らないが、彼女が父親を頼りにしないことを願うばかりだ。『けっこうな旧家』なら、それなりの地位にいるのだろうから。
 内心、重いため息をついてしまうだった。
 はリリーに何でも話しているわけではない。言いたくないことはたくさんある。そのうちのいくつかがメイヒューによってリリーに知らされる、など考えたくもなかった。
 のんびり歩いていたせいか、マダム・フーチの覇気のある声に達は急いで集合場所へ向かった。
「良い天気ですね。先週お話した通り今日はレースを行います。では、これから競技場へ向かいますから、遅れずについてくるように」
 一度生徒達を厳しい目で見渡すとマダム・フーチはキビキビと歩き出した。
 クィディッチ競技場には初めて入る。
 鍵を開けたマダム・フーチに続いて広い入り口をくぐったは、競技場の本格的な造りに目を丸くした。正直なところ市民競技場くらいのレベルを想像していたのだ。
 だが、綺麗に整備されたフィールドや立派な観客席は、国際試合でも使えそうな堂々としたものだった。
 片方のゴールに生徒を集めたマダム・フーチはすぐにレースの簡単な説明を始めた。
「レースは簡単です。ここからスタートして向こうのゴールを左回りに回り、次の人にタッチするだけです。では、最初の生徒はスタートの準備をして!」
 マダム・フーチの声に、生徒達はそれぞれに分かれていく。
 リリーとは前走者なので箒にまたがってスタートの位置についた。
 見ればメイヒューも前走者だ。
 チラッと見やれば、親の仇を見るような目でリリーとを睨んでいた。
「殺人者みたいな目の人がいる。何か仕掛けてくるかもしれないから、気をつけて」
 不穏なの警告にリリーはギョッとしたが、友人の目配せにすぐに内容を察して頷き返した。
「準備はいいですか? では──よーい!」
 ピーッ! と笛が鳴り響き、前走者達は一斉にスタートを切った。
 のスタートはまずまずだった。しかしその後、中ほどの塊に捕まってしまい、抜け出したくとも抜け出せなくなってしまった。
 抜けるとしたらゴールを回る時か、とその時のために気を引き締め、は集団から遅れないように箒を飛ばす。
 それにメイヒューの動きも気になった。
 彼女はのやや後ろを飛んでいる。
 リリーの姿は見えない。
 そうこうしているうちにゴールが目前に迫ってきた。
「メイヒューを気にしている場合じゃない、か」
 何かされたらその時に考えよう、とはカーブのルートのみに神経を集中させた。ここでうまく人の間をすり抜けて上位に出ないと、ジェームズが苦労する。
 先頭の生徒に続き次々にカーブの姿勢になった時、の後ろで小さく何かが爆(は)ぜる音がした。
 思わず振り向くと、箒の先から煙が出ているではないか。
「がんばってね」
 冷たい囁きがの耳をかすっていく。
 メイヒューだった。
 何かを使っての箒に火を付けたのだ。
 のこめかみに青筋が浮いた。
「──落ちる前にゴールしてやる」
 はハッキリと宣戦布告と受け取り、箒の柄をギュッと握り締めた。
 そして、カーブによりばらけた塊の隙間と最短コースを見極める。
 行け、と箒に命じるが火がついているせいか怯えてしまって思うように加速しなかった。
 気が立っていたは思い切り箒を蹴り付けて声に出して命令した。
「グスグスしてるとへし折るぞ!」
 その気迫に自身に火がついていることも忘れて箒はの命令に最大限の力で従うために一気に加速した。
 人ひとりがギリギリで通り抜けられるか、という隙間を通り抜け、メイヒューに何か指示でもされているのか、妨害しようと体当たりをしてくる生徒は素早くかわし、ローブを掴んでくる者には容赦なく拳や蹴りをお見舞いし──。
 その様子は後走者達の目にもしっかり映り、何をしているのかと不審に思われていた。
 マダム・フーチにいたっては火のついた箒を飛ばしている生徒がいつ落ちるか、と気が気ではなかった。ただ乗り手がレースを棄権する気がないようなので、せめて万が一の時にフォローできるように、と杖を握り締めている。
 そして今回のターゲットはだったらしく、リリーは何もされなかったというのは後で聞いた。
 気がつけばメイヒューのすぐ後ろにはついていた。
「よくもやってくれたな……」
 怒りに燃えるの呼び声に、ビクッとして振り返るメイヒュー。まさか追いついてくるとは思っていなかったようだ。
 だが彼女が振り返ったこと自体がの望んだ行為だった。
 はがメイヒューの視界を覆うように片手を突き出すと、思った通り突然目の前が暗くなり戸惑ったためスピードがわずかに落ちたメイヒューを置いて難なく追い抜いていった。
 彼女を抜いたことでは二番手につけた。
 先頭とは5メートルほど離れている。
「死にたくなかったらもっと速く!」
 箒へ怒鳴るが、これは脅しでも何でもない。
 速くゴールすればそれだけ箒も修理される可能性が増すのだ。
 いまやの忠実な下僕となった箒は、最後の力を振り絞るようにさらにスピードを上げた。
 後ろから物凄い追い上げが来ていることに、ゴール付近で待つ生徒達の声で気付いた先頭の生徒が、誘惑に負けて後方を伺ってしまった瞬間、視界を火を吹く箒が疾風のように駆け抜けていった。
 この時、振り返らなければ一番で次の走者にタッチできたのに、とその生徒は交代した後で悔しがった。
 もっとも2人は僅差だったのだが。
 ジェームズにタッチした勢いのまま、は芝生を削り取るように踵をブレーキにして箒を止めた。
 が、彼女はまだ休憩できない。箒が燃え続けているからだ。
 はもどかしそうにローブを脱ぐと、箒に被せて上からバタバタと叩いて消火にあたった。
 ようやく鎮火して安堵の息をつき、ローブを箒から離すと内側は焼け焦げてボロボロになっていた。
 サングラスをしていてもわかるくらい盛大に顔をしかめたは、ため息と共に肩を落とした。
 これはもう使い物にならないだろう。
 どう再利用しようかと前向きに考え直しながら、はレースの様子を見るためにゴール付近で声援を送っている生徒達のところへ箒とローブを抱えて戻っていった。
 ピーターに声援を送るリリーの隣に立つと、気がついたリリーが心配そうに見てきた。
「私は平気。箒とローブはかわいそうなことになったけどね」
「本当腹立つわね、あの女!」
 とうとう『あの人』から『あの女』へ格下げになってしまったメイヒュー。
 そのことにちょっとだけ笑い、はレースのほうを指差した。
「ピーターって意外とうまいんだね。安全なコースをよく選んでる」
 初めて気付いたそのことにが感心して言うと、リリーは自分のことのように得意げに頷いてみせた。
「でしょう。練習してて私もびっくりしちゃった。それにしても、悔しいけどジェームズは速いわね。シリウスもどんどん追い抜いてるし」
「シーカー目指すだけあるね。シリウスは家でも飛んでたのかなぁ」
「大きな家なのよね、確か。きっと魔法に慣れ親しんでいるんでしょうね。その点では私達ってちょっと不利よね」
「……リリーが言ってもあんまり説得力ないよ」
 授業中の先生からの質問に答えられないということはなく、小テストではいつも満点の彼女に言われても何の慰めにもならない、とは肩をすくめた。
 その時、ジェームズが一番でゴールした。
 続いていつの間に追い上げたのかシリウス、奮闘したピーターは六番手で戻ってきたのだった。
 はジェームズに駆け寄り、
「やったね!」
 と、ハイタッチ。
 ふとリリーを振り返ればピーターと笑顔を交し合っていた。
 はジェームズの背を押してリリーを呼んだ。
「こいつも褒めてやって。私に付き合って毎日指導してくれたんだから」
 言うだけ言ってはその場から離れた。きっと、リリーは許してくれると信じていた。
 そして彼女はシリウスとリーマスの会話に混ざる。
「凄い追い上げだったね!」
「リーマスが具合悪いってのにがんばったんだ。ちゃんと応えてやらないとな」
 見れば、リーマスは顔色が悪かった。
「……風邪でもひいたの?」
「ちょっとね。それよりは怪我してない? 何だか大変なことになってたけど」
 火の付いた箒でレースを続けるという無茶をしたせいか、は逆に心配され、少し居心地が悪くなった。
「怪我はまったくないよ。箒とローブがこんな有様だけどね」
 穂先がボロボロになった箒と裏地が焼け焦げたローブを見せれば、2人はギュッと眉を寄せた。
「メイヒュー、だっけ。僕、あの子がキミの箒に火をつけるのを見てたんだよね」
「それにしてもまぁ、よく箒が言う事聞いたな」
 近くにいたというリーマスは不思議がるシリウスの様子に小さく吹き出した。
「凄い迫力だったよ。『グスグスしてるとへし折るぞ!』って。あんな声で言われたら逆らえないよ。あの時、僕の箒も緊張したんだよ。きっと他にも近くにいた人の箒はそうだったんじゃないかな」
 女の子にあるまじき発言に呆気にとられた表情でを見やるシリウス。
「それであの動きか……ジェームズが熱心に話すわけだ」
「僕も廊下での暴走を見た時はまさかと思ったけど、今日ので確信したよ。あの思い切りの良さと度胸。ちょっかい出されそうになった時の素早く的確な反撃」
「あの、城でのことはあんまり……それに今日のだって褒められたもんじゃないよ」
 日が経つにつれ、あの日のことは後悔することが多々あるのだ。いくら捕まえたかったからといって、あれはあまりにも危険過ぎた。
「んで、あいつのことどうするんだ? 放っておくのか?」
 シリウスの言う『あいつ』とはメイヒューのこと。
 レースでされたことを思い出し、は氷のような微笑で言った。
「お礼はちゃんとしますとも」
 でも、きっとリリーは反対するだろうから、一人でこっそりやるつもりでいた。
 授業の最後、一位のジェームズ&にはそれぞれ10点が与えられた。
 その後では箒をマダム・フーチに差し出してお願いをした。
「この箒、今日はとってもがんばってくれたんです。何とか直してもらえないでしょうか」
 マダム・フーチは箒を受け取り上から下まで点検すると、ニコリと微笑んで頷いた。
「ええ、この程度なら直せるでしょう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
 も笑顔で答え、労わるように箒をひと撫ですると先を行くリリー達へと駆け出した。
 追いつくとは『黒髪の』捕獲についての予測を話してみた。
 今夜、校内をうろつくと思うと言うと、ジェームズ達はニヤリと笑い、リリーも仕方ないわねと言いつつ付き合ってくれると言う。
 根拠は何だと聞かれて、一瞬どう答えようか迷ったが、ごまかすように「勘」と答えると笑われた。
「百味ビーンズハズレ引き100%の勘だね」
「まだ覚えてたの、ピーター」
 こういうおもしろいことは忘れないものらしい。
 しかし、ここでリーマスが不参加表明をした。
 顔色が悪いリーマスだ。だって無理強いはしない。
 が、理由はそれではなく、母の病気の経過を見るために帰宅しなければならないのだとか。
「お大事にね。ついでにリーマスもゆっくり休んでくるといいよ。酷い顔色してる」
「うん……そうする」
 答えたリーマスはどこかぎこちなかった。
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