マダム・フーチの脅しが効いたのか、グリフィンドールとスリザリンの間で目立った諍いは起きていない。
リリーに見直してもらう、という共通の目的のためにジェームズと協力することになったは、彼の指導の下、めきめきと上達していった。
今日も夕食時間が終わる直前まで練習していた2人は、箒置き場に箒を戻すと大広間へ直行し、いつも通りに食事を終えるとさっさとグリフィンドールの談話室へ戻っていった。
談話室には先に夕食をすませたリリーがテーブルの一角を占領して宿題に取り組んでいた。
その姿を見てもまだ宿題に手をつけていなかったことを思い出す。
疲れた体はベッド直行を要求しているが、宿題を未提出にすると教師に睨まれる。確か今ある宿題は薬草学だったか。担当教師のスプラウト先生はいつも笑顔のやさしい先生だが、甘いというわけではない。それに、はこの先生が好きだった。だから、先生をがっかりさせるようなことはしたくないのだ。
はジェームズと別れると寝室から宿題に必要な道具を持ち出し、リリーに声をかけた。
「一緒に宿題やってもいい?」
「どうぞ。練習どう?」
「うん、まぁまぁ。そっちは?」
「ぼちぼちね。けっこういいところまでいけるんじゃないかな」
あの時、リリーに怒られはしたが無視されているわけではない。
いつも通り朝は一緒に食事を摂るし、授業の移動やペアを組む時も一緒に行動する。
ただ、やはり心から許してもらえるのはレースで良い成績を取った後だろうとは思っている。
教科書を読み、納得できない時はリリーが図書館から借りてきた本を見せてもらいながら、ようやくレポートが完成すると、はチラリと周囲を気にしてから小声で話しかけた。
「あの箱の部屋のことだけど、明日の朝2人で見に行ってみない?」
リリーは目を上げて怪訝そうにを見る。どうして『2人で』なのか、と言いたいのだろう。
は身を乗り出してリリーに顔を寄せ、いっそう声を落とした。
「あの4人が一緒だと、小さくすむことも大きくなると思わない?」
「あぁ……確かに」
リリーは深く頷いた。
4人が聞いていたら憤慨するかもしれない。
「明日の朝6時でいい?」
リリーが首を縦に振ったのでは体の位置をもとに戻した。そして勉強道具を片付けはじめる。
先に宿題を終えていたリリーも、が席を立つと一緒に立ち上がった。
彼女はのレポートが終わるのを待っていてくれたのだろう。
はそんなリリーの優しさを嬉しく思った。
翌朝6時、リリーとは予定通りに談話室を出た。
道順を思い出しつつ進むにリリーが続く。その時、聞きなれた声に呼び止められた。
帽子を上げて挨拶をしてくるのは、絵の住人だった。驢馬に乗った旅人だ。
いつもは陽気で呑気な彼が、今日は少し慌てているように見える。
「おはよう。どうしたの、急ぎの用事?」
「急ぎというか……ミス・、あなた、髪の色をもとに戻したのですか?」
唐突な話の内容にリリーとは顔を見合わせた。
「私は入学してから髪の色を変えたことはないけど」
「おや、では昨日のあなたは誰だったのでしょうねぇ」
旅人の言うことはどんどんわからなくなっていく。
昨日もの髪が真っ白だったことはリリーが保証できる。
「今のあなたとは対照的に、黒い髪でしたよ。でも、瞳の色は間違いなくあなたでした」
「はぁ。それで、その人はどこで何をしてたの?」
「お腹がすいたからゴハンを探していると言ってましたね。ですから、厨房への道を教えてあげましたよ」
関係ないことだが、どこにあるのかわからなかった厨房への行き方がわかるチャンスだ、とは内心目を光らせた。
「じゃあ、私達もそこへ行ってみるよ。道、教えてくれる?」
旅人は快く厨房への道と入り方を教えてくれた。
彼と別れた後、リリーとは今の話についてあれこれ言い合った。
に兄弟はいるの? ──いないよ。
夜中、ベッド抜け出したのかな? ──私は気付かなかったけれど……。それならわざわざ髪を染める?
2人は箱の部屋は後にして、厨房を目指した。
そこに着くまでに何人かの絵の住人に旅人と同じことを言われた。
教えてもらった通りに梨の絵をくすぐるとドアノブが現れ、2人はおそるおそるドアを開けた。
すると、何百というゴルフボール大の目が一斉に注目してきた。
2人は半開きのドアから顔だけ出したまま、こうもりの羽のような耳で2人の身長の胸くらいしかない背丈の妙な生き物達を見つめていた。一番わからないのは、彼らがみんな、体の一部に使い古したタオルやエプロンを巻きつけていることだ。
「ようこそおいで下さいました! お食事でございますか?」
一番近くにいた小さな生き物がキーキー声で2人に迫るように聞いてきた。
リリーとは意を決して厨房内に入りドアを閉める。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「何でございましょう! 何でもお尋ねください」
遠慮がちなに対し、この生き物達は期待に目をランランと輝かせている。
「昨日の夜にここに私によく似た人が来なかった?」
ざわっと場がどよめいた。それは、戸惑いか。
「確かにいらっしゃいました。けれどその人はすぐに出て行ってしまわれました。ここにはゴハンがない……とかおっしゃってございました」
「ゴハンがないって、ここは厨房でしょう?」
不思議そうに首を傾げるリリーに、小さな生き物は何度も首を縦に振った。
「お申し付けくだされば何でもお作りいたしますのに、その方は『私がほしいものはここにはない』とおっしゃっていたのでございます」
それ以上のことはわからなかったので、リリーとは厨房を後にした。
「いったい何なのかしら」
「う〜ん……」
唸ってはみるものの、はたどり着きたくない一つの結論が見えていた。しかし、それを結論付けるには証拠がないのだった。
今から箱の部屋に行くには時間が足りなくなってしまったので、それはまた明日にして2人は朝食を摂りに大広間へ向かった。開くにはまだ早いが待っていればいいだろう。
「誰かがに変装しているとか?」
「何のために? 私に変装したところで利益なんかないと思うけど。しかも髪が黒いだなんて中途半端な……」
やはり大広間が開くにはまだ早かったようで、2人は扉の脇で待つことにした。
もしかしたら、厨房を訪れるには物凄く間が悪かったかもしれない。
「そうよねぇ。……ダメね、全然わからない」
「実際に見ないことにはねぇ」
「本当に兄弟か血縁者はいないの?」
「いない……と思うよ」
あいまいなの返事にリリーは不思議そうに首を傾げた。自分の兄弟や血縁者がいるかいないかで、何故こうもハッキリしないのかわからなかったのだ。
リリーのそんな様子に気付いたは、困ったふうにかすかに笑むと数秒視線をそらせてから、話し始めた。
「私、今、施設にいるんだよね。2歳だか3歳だかの頃両親死んじゃってさ、親戚もいないのか見つからないのかで、9歳頃までマグルの孤児院にいたの。その後、魔法省の人に捕まって、それからは魔法界の施設で暮らしてるんだよ。だから、血縁者がいるのかどうか……」
そんな影など微塵も見せなかったの背景に、リリーは衝撃のあまり言葉が出なかった。
こんな時、どう返したらいいのかもわからない。
もしかしたら、傷つけるかもしれないと思いつつ、聞いてみたいことがあった。
「絵の人が言ってたのが、本当にいるなら会いたい?」
「そりゃね。ただのそっくりさんなのか、血縁者なのか確かめたいよ」
もし血縁者だったら、に家族ができるのだろうかとリリーは思った。血縁者だから家族になるというのも突飛な考えかもしれないが。存在するなら、今後赤の他人が家族になるよりは確率があるだろう。
リリーとがそれぞれに思いを巡らせていると、どこからか意地の悪い言葉が投げられてきた。
「あらあら、マグルだけじゃなくどこの血が混じっているのかわからない人までいるなんて……その時点でこの学校に来る資格がないということに、どうして気付かないのかしらね。これだからグリフィンドールは図々しくて嫌なのよ」
そのすぐ後に嘲るようなクスクス笑い。
声のほうを見ればスリザリンカラーのネクタイの女生徒が5人いた。同学年と思われる。
リリーはムッとした表情を隠さずに5人を睨み、は一瞥しただけで興味なさそうに視線をそらせた。
そんな2人の態度を生意気と取ったのか、言葉を発したおそらく5人組の中心と思われるブラウンの髪の少女が、さらに毒のある言葉を続ける。
「まったく礼儀もろくに知らないのね。まぁ、マグル界なんかで暮らしていたのなら、魔法界での常識や暗黙の了解事項など知らないのも無理ないわね」
その言葉から、どうやら彼女は身分ある家の娘のようだ、とリリーとは察した。
絡み付くような少女の声に、はだんだん聞いているのが面倒になってきた。
大広間はまだ開かないのだろうか、とチラリと扉を伺うが、憎たらしいことに扉はピッタリと閉じられたままだった。
「そもそも穢れた血が入学なんてことが間違っているのよ。薄汚いマグルは自分の巣穴へ帰りなさいな」
はそれでもシレッと無視していたが、リリーが爆発してしまった。
「どこのお嬢様か存じませんが、初対面の相手にたいしての汚い言葉の数々、ずいぶんと良い躾がされているようね。ご両親はさぞご立派なのでしょうね。大切な娘がまさか平気で悪口雑言を吐き出すなんて、きっと思いもよらないでしょうね」
反撃に出たリリーに、はスリザリン生が来てから初めておもしろそうな様子を見せた。
自分よりはるかに身分の低い者から言い返されるなど思ってもみなかったのか、ブラウンの髪の少女は一瞬目を丸くすると、直後、その双眸にメラメラと憎しみの炎を宿らせた。
「あなたこそご両親に常識というものを教えてもらえなかったようね。あぁ、マグルだものね。野蛮なあなた達にそれを求めたのは間違いだったわね」
「箱入り娘のお嬢さんは世界が狭くて困るわね。そんな視野じゃいくら身分があっても将来人の上に立つのは無理ね」
2人の間には目の錯覚ではなく、火花が散っているように見えた。
この勝負、どっちが勝つんだろう。それとも大広間が開くのが先かな。
が呑気に思っていると、とうとう矛先がこちらにも向いた。
「あなた、さっきから何も言いませんけど、返す言葉もないってところかしら。それとも、この生意気な女に任せて震えているつもり?」
嘲り100%の口調と表情での言い方に、後ろの4人が追従するように笑う。
こういう手合いを相手にする気などさらさらないは、それをそのまま口にした。
「別に、好きなだけ言っていいよ。私、アンタ達に興味ないし」
まるで感情のこもらない目で淡々と言われ、ブラウンの髪の少女は顔を強張らせた。酷くプライドを傷つけられたのだろう。ふつふつとこみ上げてくる怒りのあまり、言葉がすぐに出てこない。
これにはリリーも冷水をかけられたように頭が冷えていき、息を飲んで隣の友人を見つめた。
もしも、この友人にこんなふうに石ころでも見るような目で見られたら、どんな気持ちになるだろう。
リリーやジェームズ達や、同じグリフィンドール生には見せたことのない、底冷えのする眼差しに、リリーはの中の闇を見た気がした。
その時、ようやく大広間の扉が開いた。
パッとの表情が明るくなり、リリーの手を引いた。もはやスリザリン生達のことなど頭の片隅にもないような顔だ。
「今日もおいしそうだね。うるさいのが来る前に食べちゃおう」
うるさいの、とはもちろん食事時のライバル、シリウスのことだ。
リリーは一瞬、さっきまで言い合いをしていたスリザリンの少女を見やり、すぐにに合わせて足を早めた。
名前も知らないスリザリンの少女とその取り巻き達の表情は、このままでは済まされないような予感を、リリーに与えた。
相変わらず見ているほうが満腹になりそうな食欲を発揮するに、リリーは先ほどのスリザリン生達のことを気遣わしげに話し出した。
「あの子達、絶対また何か絡んでくるわよ。もぅ、がキツイこと言うから」
「えー、私のせい? リリーだって物凄くバカにしてたでしょ」
「攻撃力はあなたのほうが上だったわ」
「そうかなぁ。でも、あんまりしつこかったら潰すしかないよね。うっとうしいし」
「つ、潰す!?」
いったい何をする気なの、とリリーが声を裏返して聞いた。
はサラダを食べる手を止めて少し考えた後、いやに無邪気な笑顔になった。
「直接制裁が一番簡単だよね」
「サラッと言わないで!」
それが魔法か素手かその他かはわからないが、の無邪気な笑顔はリリーの不安を煽ることしかしなかった。
どうも賛同的ではないリリーに、は笑顔を引っ込めて不満そうにした。
「リリーだってご両親をあんなふうに言われて、腹立ってるでしょ。相応の仕返しをしてもいいと思うけど」
「そうだけど、でも手を出したらダメよ。先に出したほうが負けなんだから」
「そう……」
完膚なきまでに叩きのめせば……とブツブツ言うを、リリーは鋭い眼光で黙らせたのだった。
その日の放課後もジェームズとはレースの練習をしていた。
一休みの時、ジェームズがに尋ねた。
「はクィディッチをやる気はないの?」
「うーん、おもしろそうとは思うけど、私はほら、これだから……」
と、サングラスを突付く。
「体当たりでもされてコレが吹っ飛ばされたら、私、気絶して箒から落ちちゃうよ」
「そうなんだ……それは大変だね。でも、もったいないなぁ。シーカーとチェイサーが来年空きができるんだよね。7年生だから」
「シリウスは?」
「シリウスも凄く上手いけど、あいつはほら、協調性がいまいちだろ?」
「あぁ、うん、そうかも。一匹狼タイプというか。入学式の時なんてね」
その時の様子を思い出し、笑うジェームズと。
それからはその翌日に感じた疑問を思い出した。
「ねぇ、あの次の日、シリウスはずいぶん穏やかになってたけど、何があったの?」
瞬間、ジェームズはプッと吹き出した。
そんなに楽しいことがあったのだろうか?
しばらくクスクス笑った後、ジェームズはその日の夜のことを話してくれた。
シリウスは確かにグリフィンドールに組み分けされたことにショックを受けていたが、それはその組み分けに不満があったわけではなかったらしい。自分の家のことを充分に知っているシリウスは、正反対の属性とも言えるグリフィンドール生の中で、どう振舞っていいのかわからず、また、疎まれたり陰口を叩かれたりするのではといろいろと不安だったそうだ。
陰口程度でへこたれるような彼ではないだろうが、やはり傷つくことは傷つく。
「自分の家がどんなかを知っていて近づいてくるのか、と部屋で言われたよ。かわいそうな人だね、シリウスは」
そう言ったジェームズの目は、シリウスに対する哀れみと寂しさの色があった。
けれど、には少しだけ、シリウスの気持ちがわかった。彼女自身もこの髪の色のことで散々に言われてきたからだ。呪われているだの悪魔の子だのと。だから、純粋な気持ちで近づいてくる者に対しても、いらない警戒心を抱いてしまう。
「あの直情的な性格はとても狡猾とは縁遠いと思うんだけどねぇ」
だから何の遠慮もなく堂々としていていいのにとジェームズが言えば、もウンウンと頷く。
「陰謀なんて考えもしないだろうね」
でも、そこがシリウスの良いところだね、と2人で笑いあった。本人には決して言ってやらないが。
真っ直ぐな性格は裏目に出てしまうこともあるけれど、清々しくて最終的には憎めない。
そろそろ再開しようか、とが箒を持って立ち上がった時、城の出入り口付近で人影を見た。
それは、おそらく──。
「……見つけた」
「え? 何? ──ちょ、!?」
戸惑うジェームズを残し、は箒にまたがると、その人影から目を離すことなく一気に飛ばした。
風にあおられ、顔を覆ったジェームズがつい今まで隣にいたレースの相棒の姿を見つけた時には、彼女はすでに城の出入り口近くだった。
「この加速力。やっぱりもったいない……っと、まさかあのまま城の中に!?」
言い終わらないうちに、予想通りの姿は城の中に消えていった。
箒に乗ったまま。
その頃は、絵の中の人達や厨房の小さな生き物達が口々に言っていた『髪の黒い』を追っていた。
生徒達をかき分けて進むその人物を、箒をぶっ飛ばしながら追いかける。目が合った瞬間、そいつは逃げ出したのだ。
廊下を行く生徒達はたまったものではない。
誰かが走り去ったと思えば、箒が突っ込んでくるのだ。しかも箒の乗り手はギリギリで生徒達を避けていく。
本能で生徒や障害物を避けるは、後少しで追いつきそうな黒髪の自分に手を伸ばした。
箒から身を乗り出し、めいっぱい伸ばした手が逃げるそいつのローブの襟首を掴んだ!
瞬間、は箒から飛び降り、まだ顔もはっきりと知らない人物ごと廊下をゴロゴロと転がった。その時の衝撃でサングラスが飛ばされる。
主を失った箒は床に跳ね返り、達のだいぶ向こうで静かになったが、この騒ぎに周囲は静まるどころではなかった。
遠くでジェームズの声が聞こえたが、は自分の下敷きになっている人物の顔を確かめるほうが先だ、とうつ伏せになっているその者の肩を引いて顔をこちらに向かせた。
ドクンッ、と強くの心臓が大きく脈打つ。
双子のように、そっくりだった。
が動きを止めた一瞬の隙をついて、彼女はの下から抜け出すと、人だかりをかき分けて走り出した。
我に返ったも慌てて追いかけようと立ち上がった時、ジェームズが追いついた。
「、キミ何てことを!」
珍しく非難の言葉を口に出そうとしたジェームズより先に、は今の人物のことを話した。
「絵の人達が言ってた、私のそっくりさん……追いかけなきゃ!」
言い終わる前にが走り出してしまったため、つられてジェームズも走り出す。
幸いこの廊下はしばらく一直線だ。
それなのに、2人は彼女を見失った。
荒い呼吸を繰り返すに、同じく息切れのままのジェームズがこの事態の理由を尋ねた。
しかしは力なく首を振り、
「後で、みんながいる時に話すよ」
そして真っ直ぐに真剣にジェームズを見つめて頼んだ。
「私にそっくりなアレを捕まえるのを、手伝ってくれる? 一人じゃ、捕まえられそうもない」
「わかった、任せてよ!」
ジェームズは自信たっぷりな笑顔で親指をつき立てた。
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