2.一緒の寮になりたい

1年生編第2話  ここまで一年生達を案内してきたハグリッドに代わり、彼らを引き継いだのはエメラルドグリーンのローブに黒髪を几帳面に一つにまとめた背の高い魔女だった。眼鏡の奥の瞳は、油断なく一年生達を見渡している。
 見るからに厳しそうな人だ。
 彼女はミネルバ・マクゴナガルと言い、副校長でグリフィンドール寮の寮監も勤めているとのことだ。
 寮監というのがどういう仕事なのかいまいちピンとこないが、グリフィンドールは窮屈な寮なのか、とは少し心配になった。
 樫の木の大扉をくぐると、一年生達は小部屋にすし詰めにされた。
 各寮への組み分けの準備が整うまで、ここでしばらく待機だそうだ。
 マクゴナガルがいったん小部屋を出ると、とたんにざわめきが沸いた。
 ピーター、リリー、は、先ほどマクゴナガルが言ったようにお互いに服装のチェックをした。襟を正し、まだ寮カラーになっていないネクタイを整え、髪が乱れていないか確認しあう。
 一通り終えた後、のローブのフードの形を整えたリリーが苦笑混じりに言った。
「どうして前をピッチリ閉めちゃうの? 苦しくない?」
 彼女が言うように、はローブの留め具を上から下までピッチリ閉めていた。裾の長いローブとの中性的な顔立ちのため、これでは本当に男か女かわからない。
 は気まずい顔で視線をそらすと、もごもごと言いにくそうに白状した。
「実はね、スカートって初めてはいたんだ。だから……ちょっと落ち着かなくて」
 これにはリリーもピーターもぽかんと口を開けた。
 まさかこの年までスカートをはいたことのない女の子がいるとは。
 反応に戸惑っている2人には慌てて説明を付け加える。
「別に男の子として育てられたわけじゃないよ。ただ、スカートをはくような環境じゃなかったというか、機会がなかったというか……」
 これじゃ混乱を煽るだけだと途中で気付いたの言葉は、尻すぼみになる。
 何かを言いかけてはやめる、という行為を数回繰り返した後、リリーはやっと考えをまとめて口にした。
「じゃ、じゃあ、慣れたらね。それに、今はいいけど夏は暑いと思うわよ」
「そうだね……うん」
 もっともだ、とは頷いた。
 ちょうど話が途切れたところで、マクゴナガルが戻ってきた。
 達は彼女について大広間へ出たのだった。

 まず目に入ったのは4つの寮の長テーブルと、上座の教授用長テーブル。その上にはホグワーツの4つのシンボルの旗が寮テーブルの正面に大きく掲げられている。
 そして大広間を照らすのは何千本もの蝋燭のシャンデリア。
 あんな高い位置にどうやって点けたのだろう。魔法かな、とは感心していた。
「見て!」
 という声と同時に袖を引かれた。
 リリーが小さく指差すのは天井。
 しかし、そこは本来あるべき天井ではなく、満点の星空だった。
「天井がない……わけじゃないよね。雨が降ったら大変だもんね」
 とピーターが口を開けたまま見上げながら歩いている。
 ちょっと間抜けな2人の顔をクスッと笑うと、リリーはこの天井は魔法でそうしてあるのだと説明した。『ホグワーツの歴史』に書いてあったらしい。
 入学前はも暇を持て余していたので、買った本はだいたい読んだが、よくそんなことまで覚えているな、と感心した。先ほどから感心しっぱなしだ。
 そうこうするうちに一年生達は教授席の前に一列に並ばされ、在校生達と向き合った。
 一年生の列の前に、マクゴナガルがスツールとその上に継ぎはぎだらけの古びたとんがり帽子を置いた。
 すると、帽子のつばがもぞもぞと動いたかと思うと、突然、その帽子は高らかに歌い出した。
 魔法界に来て一年とちょっと、たいていの魔法道具には慣れたつもりでいただったが、まさか帽子が歌うとは思わなかった。
 帽子は4つの寮の特性を歌っていたが、の頭の中はそれどころではなかった。
(あの帽子の仕組みはどうなってるんだろう)
 このことでいっぱいだった。
 解剖したらわかるだろうか?
 いや、しょせん布だから切ったら終わりだろう。
 まばたきも忘れてじっと見つめているうちに、帽子の歌は終わってしまった。
 マクゴナガルはキビキビと次の進行に移る。
「ABC順に名前を呼びますので、この帽子を被って組み分けを行ってください」
 ファミリーネームが『A』から始まる生徒から呼ばれ、マクゴナガルが帽子をかぶせる。
 大き目の帽子なのか、生徒の顔半分が隠された。
 そして帽子は歌った時のように声を発した。
『レイブンクロー!』
 ここで初めては組み分けの方法を知った。
「こうやって決めるのか。あの帽子、どうなってるんだろう。気になるなぁ」
 同じ一年生がどこの寮へ行くかよりも、やはり帽子の仕組みに興味津々のだった。
 だから、「ブラック・シリウス」と呼ばれた時、周囲が静まり返ったことにもまるで気付かなかった。ひたすら帽子に熱い視線を向けている。
「……長いわね」
 ぽつりと呟いたリリーの声にようやく我に返る。
 言われてみれば確かに長い。
 もしや、自分のように行き場がないかもしれないお仲間だろうか、と自虐的な親近感を覚えた時、帽子が高らかに叫んだ。
『グリフィンドール!』
 一瞬、大広間がどよめいた。それからヒソヒソ声。スリザリンの席からは不満と疑問の囁き。
 にはどうしてこんな反応が起こるのか、わからなかった。
「あの人、何かまずいことでもしたの?」
 と、首を傾げるに、知らないのが不思議だと言いたげにピーターが答えた。
「ブラック家は代々スリザリンの家系で、多くの闇の魔法使いを出してるんだ。だから皆戸惑ってる」
「寮って家系で決まるの?」
「そういうんじゃないけど……血族皆スリザリンなのに一人だけ違う寮ってのもねぇ。それに、あの人は次期当主なんだよ」
「ふぅん」
 家系だの血族だの当主だの、これまでのの人生にはかすりもしない人種だった。
 そして当のシリウスはというと、信じられないものでも見たように呆けていた。
 マクゴナガルに促されてようやく立ち上がり、グリフィンドール席へ向かうと、やっとそこから大きな拍手が沸き起こったのだった。
 それから再び組み分けは行われ、幾人か過ぎるとついにリリーが呼ばれた。
 帽子を被り十数秒。
「グリフィンドール!」
 パッと帽子を脱いだリリーは嬉しそうな笑顔だった。希望していた寮に行けたのだから当然だろう。
 とピーターは小さく手を振った。
 それからまた何人も終わってピーターの番になった。
「行ってきます……」
 緊張でガチガチのピーターが、危なっかしくスツールに腰掛ける。
 マクゴナガルがその頭に帽子を被せた。
 はピーターの口元がごにょごにょ動いているのを見た。
 リリーよりも少しかかった後、
「グリフィンドール!」
 と、帽子は告げた。
 汽車の中で自分と共通の不安を抱えた彼がリリーと同じ寮になれたことを、は自分のことのように嬉しく思った。
 なので、帽子を取ったピーターと偶然目が合った時、グイッと親指を突き出した。
 ピーターもニッと笑ってそれに応えた。
 そしては、自分がどこに振り分けられるか、ますます不安になったのだった。

 残り後数人になったところで、とうとうの名前が呼ばれた。
!」
 ピクン、と肩を震わせ、はドキドキしながらスツールに向かった。
 何故か周囲がシリウスの時のように静かだが、自分のことで頭がいっぱいで気にならなかった。どうせ髪の色が珍しいのだろう。
 実はそれだけでなく、男か女か、という好奇の静けさもあったのだが。
 この段階では、八割が男の子だと思っていたのを本人は知らない。
 スツールに座り、帽子が被さると視界が真っ暗になるほど深かった。
『こんにちは。入学おめでとう』
 直接脳に響くような声にはひどく驚き、思わず帽子を取ってしまった。
 思い切り怪訝な顔で帽子を睨み、上に掲げて中を覗き込んだり引っ張ったりしてしまう。
 ふと、頭上から差した影に視線を移すと、静かにこめかみをヒクつかせるマクゴナガルがいた。
 はサッと目をそらし、再び帽子を被る。
『寮を言う前に取られたのは初めてだよ』
「ごめん、びっくりしちゃって。それに、ずっとどうやって歌ったりしてるのか気になってたんだ。あのさ……」
『気にしなさんな。さて、君の寮だが』
 組み分け帽子はの話を遮り、先に進めた。
『──スリザリンはどうかね?』
「他のがいいって言ったら、それにしてくれるの?」
『いや、ただ聞いただけだよ』
 寮を告げる前に取った仕返しだろうか、とはムッとした。
 が、それに対しカラカラと明るい帽子の笑い声が返ってきたではないか。
 この帽子は心の中の声も拾えるようだ。
 口に出す必要はなかったのか、とは少し恥ずかしくなった。少しとはいえ、独り言を言っていたことになるのだ。
『まぁそうむくれなさんな。そうだな、ではどこがいい?』
(グリフィンドールがいい)
『……レイブンクローやハッフルパフはどうかね?』
(グリフィンドールはダメなの?)
『ダメというか……君は、やると決めたら何でもやるだろう? 心から欲しいと望んだら、あらゆる知恵を働かせて、まっとうな手もせこい手も卑怯な手も、何でも使うんじゃないのかな?』
(それは……それでも、グリフィンドールがいいよ。魔法界に来て初めての友達がいるから。あの2人と離れたくない)
『そうかい? では、その友達の手を離さないように』
「グリフィンドール!」
 帽子の宣言を聞いたとたん、ふわりと視界が明るくなった。
 夢から覚めたような心地ではグリフィンドール席へ向かった。
 リリーとピーターが手を振っているのが見えて、ホッとして足を早める。
 リリーの隣に滑り込むように座ると、ようやくに現実の感覚が戻ってきた。
「長かったわね、何かあったの?」
 心配そうにリリーがに尋ねる。
「うん、実はね……」
 そこではピーターを見やり、声を潜めて深刻な表情を作って言った。
「隔離寮へ振り分けられそうになった」
「えぇ!?」
 思わず素っ頓狂な声を上げてしまったピーターだったが、幸いその声はたった今組み分けの終わった一年生のための拍手の音に掻き消された。
 目も口もまん丸なピーターの顔に、は小さく吹き出す。
「嘘だよ。ちょっとお話してただけ」
「もぅ、変なこと言わないでよ。本気にしちゃったじゃないか」
「あはは、びっくりするかと思ってた」
「まったくもぅ」
 恨めしそうに見つつも、ピーターの口元は笑っていた。
 グリフィンドールとスリザリンの仲が悪いことは聞いていたため、まさかそこを勧められました、とは言えなかった。
 それからようやく組み分けも終わると、続いて校長のダンブルドアの短い話が始まった。
 一年生には祝いの言葉、在校生には再会を喜ぶ言葉、そしてちょっとした注意事項。
 今年から『暴れ柳』というのが校庭に植えられたらしく、死にたくなければそれには近づかないように、とのことだった。
 何だってそんなものを植えたのか、にはさっぱりわからなかったが、そのことについてはダンブルドアは何も言わなかった。
「それでは、かっ込め!」
 ダンブルドアがパチン、と指を鳴らすとテーブルの上のからだった金の皿の上に、ワッと豪華な料理が現れた。
 一年生達が感嘆の息をつく。
 達3人も同じだ。ましてや、はこんな素晴らしいごちそうなど生まれて初めて目の前にした。
 大皿の上の料理を隣のリリーが自分の皿へ盛っているのを見て、は恐れにも似た眼差してをして唾を飲み込んだ。
「ねぇ、これ本当に食べていいのかな。後でお金を払えとか言われないかな?」
「あなた……何を言っているの?」
 は真剣に聞いているのに、リリーは訝しげに聞き返した。リリーの隣のピーターも不思議そうにこちらを見ている。
 がいつまでも強張った顔をしているせいか、リリーはの皿にも料理を盛り付け始めた。
「あ、ちょっと」
「食べていいから出てきたに決まってるでしょ? 訳わかんないこと言ってないで、早く食べよう」
 鶏肉のから揚げやらサラダやらをてんこ盛りにされてしまった。
 リリーとピーターが口に入れるのをしっかり見届けてから、は震えそうなフォークの先を押さえ込んで料理を口にした。
「……!」
 言葉も出ないとはこのことだった。
 初めて味わう味。口の中でジュッと染み出す肉汁。サラダはパリパリとして採れたてのように新鮮で甘い。
 さっきまでの恐れや遠慮はどこへ行ったのか、は夢中で食べた。
 さんざん食べた後、かぼちゃジュースで一息つくと、はとろけるようなため息をついた。
「あぁ、幸せ……。もうこんな幸せな日は二度と来ない気がするよ」
って、時々ヘンなこと言うね」
 ピーターがポソッと言ったセリフに、リリーも頷いていたが、には二人のやり取りが見えていなかった。自分の幸せに酔っていた。
 ゴブレットを置いて再び食べ始めるに、リリーもピーターも驚いた。もうすでに3人前ほどは食べている。
「ちょっと食べすぎじゃない? お腹痛くなっちゃうわよ」
「まだ余裕だよ」
 とは言うものの、目の前の大皿の中身がからになると、隣の大皿にまだ残っている料理を名残惜しそうに見つめながらもフォークを置いた。
 いよいよデザートになった時、3人の前に移動してきた少年が声をかけてきた。
「やぁ、見事な食べっぷりだね」
 あちこちに黒い髪を跳ね飛ばした眼鏡の少年だった。
「初めまして、僕はジェームズ・ポッター。ジェームズでいいよ」
 気さくな少年だった。
 達もそれぞれ自己紹介をすると、彼はデザートのアップルパイを突付きながらを見ておもしろそうに笑った。
「君のことはすぐに覚えたよ。まさか組み分け帽子にあんなことする人を見れるとは……ククッ」
「あれは……ちょっと、どういう仕組みになってるのか疑問に思って……もぅ、忘れてよ」
「いやいや。あんなおもしろいもの、一生脳に刻み込んでおくよ」
「刻まなくていいから!」
 あんまりジェームズが笑うものだから、ついの声は大きくなってしまった。
「それにしても……君も逸材だけど、彼も気になるんだよね」
 ジェームズはやや身を乗り出して小声で言った。その視線の先にはシリウス・ブラック。
 彼は誰とも会話をせず、一人だった。
 周囲も彼を持て余しているように見える。
 には、その姿がとても寂しそうに見えた。
 そして、組み分けの時のざわめきを思い出す。
 信じられない、という顔を誰もがしていた。
「本人はどう思っているのかな」
 疑問をもらせば、ジェームズはパチンと指を鳴らし、
「呼んでくる」
 と言って、さっさと席を立って行ってしまった。
 達はその背を見送り、様子を伺う。
 声は聞こえてこないが、表情は見えた。
 ジェームズはにこやかに声をかけ、シリウスはほとんど無表情に対応している。そのうちシリウスが苛立ちを漂わせた。ジェームズが余計なことでも言ったのだろうか。
 嫌そうに顔をしかめるシリウスを、ジェームズは腕を引っ張って無理矢理立たせると、引きずるように達の席に戻ってきたのだった。
 シリウスをあいた席に押し込みながらジェームズが言った。
「いやぁ、彼、なかなか照れ屋でね」
「誰が照れ屋だ」
 噛み付くように言うシリウス。
 その剣幕にリリーとピーターは目を丸くしたが、は深く頷いた。
「うん。確かに照れ屋みたいだ。もっと肩の力抜きなよ。別にキミに痛いことしようというんじゃないんだからさ」
もそう思うかい? ほら、だからそんな目してないで」
 ジェームズはシリウスの背を叩く。
 しかめっ面のシリウスに、は不思議そうに首を傾げた。
「グリフィンドールになりたくなかったとか? えーと、何だっけ? 代々スリザリンの家系だっけ?」
 とたん、シリウスがギンッとを睨んだ。今にも掴みかかって来そうな空気だ。
 どうやら地雷を踏んでしまったらしい。
 シリウスは手が白くなるほど拳を握り締め、射殺しそうな目のまま低く言った。
「お前に俺の家のことなんか関係ないだろ」
 吐き捨てるような言い方に、はジェームズ、ピーター、リリーと視線を交し合うと、それ以上このことに触れないことにした。
 難しい家のようだから、複雑な事情があるのだろう。
 結局、シリウスとは会話らしい会話もできないまま、宴会は終わり、生徒達は各寮の監督生を先頭にして、それぞれの寮室へ連れられていった。
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