まだ、ごくたまに失敗して酷いことになるからだ。
一度ついたクセというものは、なかなか抜けないようだ。
そんな日々を送るうち、季節は初夏を迎えた。
あと一ヶ月ほどで学年末試験だ。
各科目の教授達も、試験に向けての授業と通常の授業を半々に行うようになった。
そして今はマクゴナガル先生の変身術。
今日は蝋燭をティーカップに変える授業だ。
この日、は初めて一回でその変身を成功させた。群青色と金色で描かれた鮮やかな花の絵のティーカップだ。
「がんばりましたね、。あなたの努力にグリフィンドールに3点あげましょう」
いつも硬い表情のマクゴナガル先生の目元がやわらかくを見下ろしていた。
はその評価に目を丸くしてマクゴナガル先生を見上げる。
信じられなかったのだ。
あのマクゴナガル先生が。いつもいつもが杖を振るう時は、眩しいほどに眼鏡を光らせて監視していた、あの変身術の教授が!
どうしようもない問題児を見る目でしかを見たことのない、グリフィンドール寮監が!
気がつけば、教室がシンとなっていた。
他の生徒達も驚いているようだ。
しかしマクゴナガル先生は周囲の空気などお構いなしに、他の生徒の見回りへと歩き出す。
彼女が動けば生徒達もいつまでも呆けているわけにはいかなかった。
授業の後、教室を出るなりリリーが興奮に瞳を輝かせてを褒めた。
「すごいわ! 魔法で点をもらったの初めてじゃない。がんばったかいがあったわね!」
「いやいや、先生方のおかげですよー」
「持ち上げたって何も出ないわよ」
「あはは。あれ、そういえば他の先生方は?」
ふざけあっていただったが、ふとジェームズ達4人の姿がないことに気付いた。ついさっきまで近くで騒いでいたはずなのだが。
リリーも辺りを探すが、やはり見当たらない。
「変ねぇ。必ずにひとこと言いに来ると思ってたのに」
「ふむ……あ、ねぇ。あそこにいた」
何気なく窓の外に目をやったが、目的の4人組を中庭に見つけてリリーのローブの袖を引く。
2人は窓際に寄り、男の子達の様子を探るが彼らの中に一人、見慣れない男の子がいた。
見慣れないが、にはすぐに誰だかわかった。
クリスマス休暇の間、よく一方的に声をかけていたスリザリン寮のセブルス・スネイプだ。
「いつの間に仲良く……じゃないっ。あれは……!」
「何をしているの、あの人達はっ」
とリリーはほぼ同時に窓の外の事態を把握した。
窓にべったり顔を付けて中庭を見下ろしている2人は、傍から見たらちょっと変だが、そんなことにはかまっていられなかった。
次の瞬間、リリーとは弾かれたように窓際から離れると、先を競うように中庭を目指した。
途中、わがままな階段に会ってしまったが、2人が「つべこべ言わずにさっさと通せ!」と怒鳴りつけたら急に素直になったとか。
リリーより足の速いが中庭に飛び込んだ時、事態は先ほどよりも悪くなっていた。
何があってそうなったのか、スネイプの頭は泡だらけだ。
ちょっかいを出しているのは主にジェームズとシリウスで、リーマスとピーターは少し後ろから彼らの様子を眺めている。
どっちもどっちだ、とは舌打ちした。
「アンタ達何やってんの!」
が思い切り大声で声をかけると、5人の目がいっせいに彼女に向いた。
の険しい表情が見えていないのか、ジェームズはいつものように親しげな笑顔を見せた。
「やぁ。ちょうどいいところに来たね。君もどう? 彼のドロドロ頭をキレイにしてあげてるんだけど」
「何をバカなことを。スネイプ、他に何かされてない?」
「おいおい、そいつに関わるとお前も臭くなるぜ」
シリウスがニヤニヤしながら、泡が口の中に入ってしまったのか激しく咳き込むスネイプに近づこうとするの前に移動してきた。
はムッとしてシリウスを睨む。
「これがケンカだって言うなら割り込んだりしない。けど、上から見てたけど、これはケンカでもちょっとしたおふざけでもない。いじめだ」
言い切ると、さすがにシリウスもおもしろくなさそうに眉を寄せた。
「お前、スリザリンに味方するのかよ。だいたいお前だってメイヒューとしょっちゅうやり合ってんじゃねぇか」
「あれはケンカ。でも、スネイプは自分からケンカを仕掛けるような人じゃない。からかうにしても、限度ってもんがあるでしょ」
この場の不幸な点は、がスネイプを知っていることだった。
もし、がスネイプを名前程度しか知らなかったら、放っておいただろう。そのあたりは淡白だ。
しかし、はスネイプがどんな性格かを知っている。彼はわざわざ人にケンカを売りに行くような面倒なことはしない。そんな暇があったら、自分のために時間を使うだろう。
とスネイプのそのあたりの関係を知らないシリウスは、裏切られたような気持ちになっていた。
ジェームズもの頭がおかしくなったのかと思ったし、リーマスとピーターも何故ここで言い合いが始まろうとしているのかわからなかった。
と、そこにリリーが追いついた。
「ちょっと、あなた達……!」
こいつも文句を言いに来たのか、とシリウスはうんざりとした顔になる。
リリーはジェームズとシリウスを押しのけ、まだ咳のおさまらないスネイプに駆け寄ると、杖を振って泡を消した。
「医務室に行きましょう。あ、でもその前にうがいをしたほうがいいかしら」
歩くのに手を貸そうと差し出したリリーだったが、その手は邪険に払われた。
グリフィンドール寮の者に助けられるなど、スネイプのプライドが許さないのだろう。
その様子には苦笑する。
そしてスネイプは憎々しげにグリフィンドール生──特にジェームズとシリウスをきつく睨みつけると、フラつきながらもその場を去っていった。
それをからかってやろうと口を開きかけたシリウスだったが、その口にが杖を突きつけたため、言葉は喉元で止まった。
今度こそ、シリウスは不機嫌になった。
しかしもっと機嫌の悪いのはリリーだ。
彼女は猛然とジェームズ達をなじり始める。
「いったいどういうつもりなのっ。あんなことして、あの人に何か恨みでもあるの? リーマスとピーターも同罪よ! 見てたから関係ないなんて言わせませんからね! あなた達、最低よ!」
「リリー、落ち着いて聞いてくれよ」
肩を落としたジェームズがなだめにかかるが、リリーの怒りはおさまりそうにない。
それももっともな話で、ジェームズには反省の色がまるでなかった。
「僕達はスネイプをいじめていたわけじゃない。アドバイスをしていただけなんだ。彼ってほら、ちょっと……清潔さに欠けるだろう? だから教えてあげてたんだよ」
「とてもそうは見えませんでしたけど。4人がかりで1人をいたぶるなんて、ほんっとにみっともないわ! 同じ寮だってのが恥ずかしいわよ!」
「リリー、別にいたぶってなんか……」
「気安く名前を呼ばないでちょうだい! どうせなら今後はもう話しかけないで! 知り合いだなんて思われたくないから!」
ピシャリとリリーは言い捨てると、を置いてさっさと行ってしまった。
どうやら頭に血がのぼり過ぎて彼女の存在を一時的に忘れてしまったようだ。
「リリーに置いていかれたじゃないか。どうしてくれる」
「俺のせいか!?」
に理不尽な文句を言われ、反射的に言い返すシリウス。
そこにはもう、さっきまでの険悪さはなくなっていた。
は杖をポケットに突っ込むと、リリーに見事に嫌われて放心状態のジェームズへ向き直った。
は少し心配だった。
どうしてジェームズがこんな行動に出たのか。
確かに彼は少々目立ちたがりのところがあり、強引で自信過剰なところがある。けれど、仲間思いのいい奴だ。むやみに弱い者いじめもしないと思っていた。
「ジェームズ、何か心配事?」
「僕とリリーの未来が……」
「違うでしょ。どうしてあんな酷いことしたのかって聞いてるの。アドバイスだなんて言葉でごまかされないよ」
ジェームズの顔からわざとらしさが消えた。
シリウス、リーマス、ピーターははらはらと成り行きを見守っている。
ジェームズは口を尖らせて、プイッとそっぽを向いた。
「別に僕は……」
「英雄にでもなりたくなったの?」
は可能性の一つとして、このことを挙げた。
彼女はマグル界の仲間といた時にこういう行動をとる少年達を知っていた。
彼らは、自分達が他のグループからなめられないように、自分達より弱く人数も少ない他グループを攻撃し、吸収して強くなっていく。ついでにグループの結束力も増す。それを繰り返すうちに『あのグループは強い』という噂が広まり、余計ないざこざを招かなくなるのだ。
ジェームズの行動はそれとは少し違うようだが、はもしやと思ったのだ。
『悪戯仕掛け人』の名は、ハロウィーン以来広まり、人気も高まっている。反面、その人気を妬んだり僻んだりする者もけっこういる。
そういう人達にちょっかいを出されないように、見せしめとしてスネイプを選んだのではないか、と思ったのだった。
スネイプはいつも一人でいるし、見た目も陰気だ。彼を見て最初に好意を感じる者は珍しいだろう。狙うなら絶好の的だ。
ジェームズは口をつぐんだまま答えない。いや、答えられないのかもしれない。彼自身、あの行動の理由をはっきり説明できないのかもしれない。
は、それ以上問うことをやめた。
「まぁいいけど。でもさジェームズ、リリーのあの怒りは本物だよ。どうするの?」
が話題を変えたとたん、ジェームズはパッと振り返り情けなさそうに眉をハの字にした。
「そうだよ、どうしよう! 名前で呼ぶなとか、いっそ声をかけるなとか言われちゃったよ。、とりなしてくれるかな」
「たぶん無駄だと思うよ。バッチリ現場を見ちゃったから」
「ああぁぁああっ」
ジェームズはとうとう頭を抱えてうずくまってしまった。
「あれは……絶交って感じだったね……」
わざわざピーターがトドメを刺した。
しばらくジェームズは死人同然だろう。
でさえ心で思っていても口にはしなかったのだが。恐ろしやピーター。
「はリリーみたく絶交しないんだ?」
その気はなさそうだが、さりげなく追い討ちをかけているリーマス。
今のジェームズに『絶交』は禁句だろう。
「しないよ。だって、友達が間違ったことをしていると思ったから、止めに来ただけだもの」
「でもリリーは行っちゃったね」
「私とリリーじゃ、リーマス達に対する気持ちが違うってコト」
「……、それでリリーに責められたりしない?」
リーマスは、これからも自分達と交流を続けると絶交したリリーとの関係を心配した。
お人好しだな、とは小さく苦笑したが同時にリーマスのそういう部分を好ましくも思った。
「まぁ、いい顔はしないだろうし文句も言うと思うけど、リリーは自分の考えを押し付けたりはしないはずだよ」
は自信ありげに言ったが、それでもリーマスは心配そうだった。
それからはいまだどん底オーラを背負っているジェームズに視線を移す。
ジェームズの周りだけ重力が増しているように見えるのは気のせいではないだろう。
その証拠に、彼は地面に手を付きうなだれたままだ。
「あれ、放っておいていいの?」
の視線に反応したのはシリウスだった。
彼は面倒くさそうに鼻でため息をつくと、大股にジェームズの側まで歩み寄り肩を揺さぶった。
「おい、もう充分落ち込んだだろ。そろそろ帰ろうぜ」
「うぅぅ……リリー、行かないで……」
泣き崩れるジェームズの姿に、シリウスは「ダメだこりゃ」と肩をすくめた。
「ねぇジェームズ。リリーの前でキミがかっこいいところを見せれば、彼女も見直すんじゃないかな」
リーマスは何とかジェームズを元気づけようと、こう言ってみた。
ジェームズは鼻をグズグズさせながら顔を上げる。ほんの少し、瞳に希望の光があった。
シリウス、リーマス、ピーターはそれを見逃さなかった。
「キミはもともと勉強はそんな苦手でもないんだ。授業で積極的に手を挙げたりして真面目なところを見せたらいいよ」
「リーマス……」
「しばらく悪戯はおあずけだけど、僕も協力するから元気出して」
「ピーター……」
「おいおいピーター。悪戯はあいつが見てないところでやればいいだろ。悪戯もリリーのことも両立できるのがジェームズだ」
「シリウス……ッ」
4人の熱い友情物語を、は少し離れたところから冷めた目で眺めていた。
あんな暑苦しい4人に混ざる気は毛頭ない。胸焼けしそうだ。
しかも途中まではいい話だったのだがシリウスが最後にブチ壊した感じだ。
真面目さを装っても、隠れて悪戯をするなら意味がないではないか。彼らのすることなど、すぐにリリーは嗅ぎつけるだろう。いや、わざわざ探らなくても耳に入ってくるはずだ。
結局のところ、リリーとが何に対して怒ったのか、彼らは微塵も考えなかったわけだと思うと虚しくなった。
「まぁいいけどね」
とりあえず、ジェームズとリリーの間には世界一深い溝ができたな、とは確信したのだった。
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