ゆっくりと深呼吸をしたは、声高らかに呪文を唱え杖を振る。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」
テーブルの上の羽がふわりと浮き上がる。
しかしその高さは数センチだった。
あまりの結果にの肩がガックリと落ちると、羽もパタリと落ちた。
が、すぐにの目に闘志が燃え上がり、再び呪文を唱える声が響く。
「ウィンガーディアム・レヴィオーサ!」
直後、談話室を惨事が襲った。
ブースターが付いたように天井高く羽は上昇したが、一緒に周りのテーブルやソファ、果ては宿題に励んでいた生徒の羊皮紙や羽ペンや参考書までもが舞い上がってしまったのだ。
「ギャーッ、何事!?」
「ああっ俺のレポートをどうする気だ!」
「やだっ、私も浮いてる!?」
などなど、いっせいに悲鳴に支配される談話室。
「外でやれ、外でーっ!」
はNEWT試験の勉強中の7年生に談話室から放り出された。
やれやれ、とため息をつき、は素直に中庭に向かった。
今までは、杖を使う魔法がうまくいかなくても、あまり気にしなかった。
そのうちできるようになるさ、と思っていたからだ。
しかし、それは少々楽観的だったようだ。
彼女の魔法はいまだ安定せず、昨日などはマクゴナガルに居残り特訓を命じられたほどだった。
授業中も実践魔法科目では先生にガッチリ監視されている。
に匹敵する不器用さを発揮しているのは、今のところ知る限りではピーターだが、さすがに彼も数ヶ月も経つと初期魔法程度なら問題なく使えるようになっていた。
はあいているベンチの真ん中に身を投げ出すように座ると、ポケットから杖と羽ペンを取り出し膝の上に乗せた。
じっと羽ペンを見つめ、今度こそ成功させるぞ、と杖を振り上げたその時。
「? 何してるの?」
同寮生の呼ぶ声に、一気に集中力が破壊された。
ものすごくいい具合に集中していただけに、は眉間にしわを寄せ、うるさそうに声の主へと顔を向けた。
リーマスだった。
珍しく一人だ。
本を抱えているのは図書館の帰りだからだろうか。
リーマスはの前まで歩み寄ると、彼女の手の杖と膝の上の羽ペンを見て、状況を理解した。
「あ……もしかして、邪魔しちゃったかな」
「まぁいいよ。リーマスは本を借りてきたの? どんな本?」
リーマスの手元を覗き込むと、そこには『魔法道具全集』と題された図鑑と思われる分厚い本があった。
「ちょっとおもしろそうだなと思って。ねぇ、もしよかったら練習に付き合おうか?」
「いいの?」
「僕で良ければ」
「ありがとう。コツを教えてもらえると嬉しいな」
が横にずれて場所をあけると、隣にリーマスが座り図鑑を脇に置いた。
「じゃ、まずはやってみて」
は頷いて、もう一度精神を集中させた。
そして浮遊呪文を口にしたとたん、羽ペンだけでなくリーマスの向こうの図鑑まで空高く舞い上がってしまった。
「わっ。下ろして下ろしてっ」
「えぇ!? どど、どうやって?」
「杖で操るんだよっ」
「え〜い!」
羽ペンはともかく、図鑑が落下して傷むのはまずい。あの怖いマダム・ピンズに何を言われるかわかったものではない。
は杖を振り回し、ずっと上まで行ってしまった図鑑をどうにか引き寄せて下ろした。
リーマスが図鑑を抱えると、2人は大きく安堵の息をついてベンチにぐったりと座り込んだ。
全力疾走した後のように息が荒い。
やがて息切れの合間に引きつった笑みを浮かべてリーマスがもらした。
「相変わらず……だね」
ハハハ、とも乾いた笑いを返すしかない。
それからリーマスはふと考え込み、不思議そうにを見た。
「でも、あの雪合戦の時はすごく上手くやってたよね」
ギクリ、との心臓が妙な鼓動を刻む。
余計なトラブルを避けるために今までの魔法の使い方は控えるように、と入学前にの体質のことで話を聞きにホグワーツへ来た時に、ダンブルドアに言われていたのだ。
あの時は夢中ですっかり忘れていた……バカだと、は心の中で自分を罵った。
しかし、見られたのはいつもの面子だと思えば少しは救いがある。
彼ら相手ならわざわざトラブルになることなどないだろう。
これがメイヒューだったりすると一悶着も二悶着も起こりそうだが。
「あのね、あれは……」
はおずおずと話を始めた。
聞き終えたリーマスは、信じられない、と言葉もなく目を丸くしている。
は杖を置くと、羽ペンを指差し少しずつ上へあげていった。
すると、指の動きに沿って羽ペンも上昇を始めたではないか。
もはや信じられないとは言えなくなったリーマスだった。
そして次にとても不思議そうにを見つめる。まさに未知のものを目の前にしたかのような顔だ。
「……それだけ自由自在なのに、どうして杖ではできないのさ」
「それはだって、当然だよ。使い方が全然違うんだから。それに、呪文を言ったりって……気が散るし」
最後のほうはボソボソ声になったが、リーマスの耳にはしっかり届いた。
リーマスは、初めて聞くその理由に思わず吹き出してしまった。
だから言いたくなかったんだ、との頬が羞恥に染まる。
「ごめんごめん」
そうは言うがリーマスの口元はまだ笑いにヒクついている。
が唇を噛み締めてギロリと睨み上げると、ようやくリーマスもこみ上げる笑いを引っ込めた。
「でもまぁ、そんな理由ならやっぱり練習するしかなさそうだねぇ」
「慣れるしかないかぁ」
めんどくさいなぁ、とは杖を放り投げては受け止めて、ともてあそんだ。
と、そこにいつでも一番聞きたくない声が降りかかってきた。
「あらあらあら。魔法使いの命とも言える杖をそのように扱って……やはり野蛮人ね。──あら、もしかして練習でもしていたの? ムダよムダ。あなたがいかに鈍くさいかはよぉく知ってるわ。無駄な努力はやめて、さっさと魔法界から出て行きなさいな」
オホホホホ、と高笑いするメイヒュー。
もともとそれほど機嫌が良いわけでもなかったは、いつもの彼女らしく受け流すことができず、挑発に乗ってしまった。
「フン、アンタも魔法薬学の実験をどうにかしたら? あれじゃ薬は薬でも毒薬劇薬だよね。どうやったらあんなものができあがるんだか。不器用ここに極まれりってとこ?」
同じく魔法薬の実験で失敗の多いリーマスには、耳の痛いのセリフだった。
しかしは気付いていない。もしかしたらリーマスが魔法薬学が苦手であることを忘れているのかもしれない。
「せいぜい言うがいいわ。魔法の使えない魔法使いなんて、ホグワーツにいる価値はないのよ。落第しないように無駄な努力でもしとくのね」
「無駄無駄って、勝手に決めないでくれる? あんまりナメてると学年末試験でアンタが恥かくよ」
「あらまぁ。まるで上位にでもつくつもりのような発言ね」
「そのつもりだけど」
「ちょっ、っ」
この宣言にはさすがに今まで静観していたリーマスも慌てた。
確かにの筆記試験の結果は素晴らしいものだが、他の寮にも優秀な生徒は大勢いるのだ。それに半年以上経つ今でも彼女の魔法は安定していない。試験で運良く上手くいくなどとは考えられない。
「お友達のほうがあなたの実力をよくわかっているようね」
小バカにするようなメイヒューの笑いに、はリーマスを見て強がりでも何でもない笑顔を見せた。
どこからそんな自信が出てくるのか、とリーマスは言葉を失う。
はメイヒューに向かって不敵な笑みを浮かべると、はっきりと告げた。
「私をバカにしたことの侘びの言葉でも考えおくんだね」
「あなたこそ、大見得切ったことの言い訳でも考えておくのね」
2人は同時に顔をそむけ合った。
そしてメイヒューは足音も荒く立ち去っていく。
彼女の後ろ姿が見えなくなってから、リーマスがおそるおそる口を開いた。
「あんなこと言って……勝算はあるの?」
次にがリーマスに見せた表情は、先ほどとは打って変わり自信のなさそうな頼りないものだった。
リーマスの表情がみるみる引きつっていく。
は乾いた笑い声をもらしながら言った。
「練習……がんばらなきゃ。コツ、教えてくれるよね」
「うん……まぁ」
たまたまに声をかけたために、とんでもないことに巻き込まれてしまったリーマスであった。
とはいえ、今日までまるでうまくいかないの魔法が、リーマス一人が教えたところで上達するものだろうか。
リーマスは少々荷が重そうだと思った。
そこで彼は提案する。
「どうせなら、ジェームズ達も呼んで皆でやったほうがいいかも。リリーも教えるのうまそうだし。僕達の復習にもなるしね」
「そう思う? メイヒューの鼻をあかせるなら何でもするよ」
「オーケィ。あの魔法のことも彼らになら話してもいいよね」
「うん」
話がまとまると2人はさっそくジェームズ達の捜索にかかった。
リリーは寮にいなければ図書館にいるだろう。
ジェームズ達は……残念ながら、に心当たりはない。
それはリーマスにも言えることだった。
それならば、と2人は寮に戻る前に図書館を覗いてみることにした。
「いない……ね」
一通り館内を歩いたが見当たらない友人の姿に、は小さく呟いた。
図書館はの好きな場所の一つだが、この息がつまるような緊張感は勘弁してほしかった。張り詰めた空気の原因は、もちろんマダム・ピンズだ。もう少し緩めてくれればいいのに、とは常々思っている。
リーマスとは目で出入り口を示し、図書館を後にした。
グリフィンドール談話室へ戻ってみれば、ジェームズ達3人は隅のほうで何やら話し合っていたが、リリーの姿は見えなかった。
寝室かもしれない。
「寝室を見てくるから、ジェームズ達と待ってて」
「わかった」
はリーマスと別れると、女子寮の扉をくぐり螺旋階段を登った。
部屋に入ると、案の定リリーはいた。ベッドの上で本を読んでいた。
「あ、リリー。今いい?」
ずいぶん熱心に読書をしている様子なので、は遠慮がちに声をかけた。
しかしリリーは頓着なく本から顔を上げて「何?」と首を傾げる。
は魔法の練習に付き合ってほしいことを話した。
するとリリーは突然教師か母親のような顔つきになって説教を始めたではないか。
「やっとその気になったのね。ってばいつまでたっても何も言ってこないから、心配してたのよ。私から誘ったところで、あなたにやる気がなければあなたは絶対に練習なんかしないでしょ? 試験まであまり時間もないわね。本当、どうしてこんなギリギリになるまで放っておいたのよ。もっと計画性ってものを身に付けるべきだわ」
「ちょちょ、待った!」
マシンガンのように言葉を叩きつけてくるリリーを、はたじたじになりながら止めた。このまましゃべらせておいたら、一日が終わってしまうような気さえした。
「最初にね、一人で練習してたとこにたまたまやって来たリーマスに先生役をお願いしたんだけど、どうせなら皆でやったほうがいいんじゃないかって話になってね。ほら、リリー達の復習にもなるでしょ」
皆、と聞いてリリーはすこし嫌そうな顔をした。ジェームズやシリウスのことを思ったのだろう。
彼らとリリーの溝はどんどん深くなっていっている。
まだはっきりと表面に出てはいないが、身近にいるにははっきりとそれが感じられた。おそらくリーマスやピーターも同じように感じているはずだ。
けれどリリーは頷いた。
「まぁいいわ。いくらでも、5人も先生がいたら上手くならないわけがないものね」
「うわー、リリーさんすっごいプレッシャーをありがとう」
リリーはいたずらっぽく笑うと、本を置いてベッドから降りた。
談話室で6人がそろうと、さっそく計画が練られた。
ちなみにジェームズはちゃっかりリリーの隣を陣取っている。
「計画って言ってもなぁ。ひたすら練習しかないだろ」
シリウスはリーマスと同じことを言った。
まぁ、これは当然の意見である。
「メイヒューはどれくらいできるの?」
「魔法薬学以外は人並み以上だよ」
ピーターの問いにジェームズが答えた。
いったいどこで仕入れてくるのか、とは内心感心してしまった。
ジェームズはメイヒューに興味でもあったのだろうか? なら興味のないことなど目もくれないのだが。
リーマスが心配そうにを見ていた。
は肩をすくめて苦笑いをする。
すると、ジェームズが名案を思いついたように指を鳴らした。
「雪合戦の要領で練習したらどうかな」
「雪の代わりは?」
「羊皮紙をまるめたもので」
なるほど、と頷く。
ただひたすら念仏のように浮遊呪文を唱えて練習するよりは、ずっと楽しそうだ。
他の皆も同意したところで、それぞれ羊皮紙を持ち寄って中庭へ向かった。
十数個の丸めた羊皮紙を、グループ分けしたそれぞれに半分ずつに振り分ける。
後はそれを魔法で操ってぶつけ合うだけだ。
チームは、シリウス・ピーター・とジェームズ・リーマス・リリーに分かれた。
「よしっ、あいつらヘコますぞ!」
「おー!」
シリウスの掛け声に元気に拳を上げて応じる。別に魔法に自信があるわけではない。条件反射のようなものだ。
その代わりというように、ピーターが不安そうにを見ていた。
「じゃあ、始めるぞー!」
ジェームズの呼びかけに、雪合戦もどきがスタートした。
案の定というか、の魔法のせいで始めのうちは敵も味方も大混乱だった。
まったく魔法が発揮されなかった時はいい。発揮されすぎた時は、紙玉がすべて浮き上がったり、ピーターが浮き上がったり、リリーのスカートがめくれそうになって鼻の下を伸ばしたジェームズの顔面にリリーのパンチが炸裂したりと、とにかく大騒ぎだったのだ。
しかしそれも時間が過ぎるにつれ、少しずつ安定してきた。
何度も連続して同じ呪文を繰り返すのと、遊びという適度な緊張感が良い方向に働いたのかもしれない。
後で、早くこうすれば良かった、とは思うのだが今は練習という名の遊びに夢中で、そんなことは微塵も思っていない。
そろそろ日が傾き始めてきた頃、の浮遊魔法はほとんど安定を保てるようになっていた。
こうなると、だんだん精神がハイになってきて変なノリになっていくのがジェームズでありである。
「あっ」
と、魔法に失敗したにジェームズが次々と紙くずをぶつける。
そして杖でを指して芝居がかった口調で声高に叱り付けた。
「止まっている暇はないわよ! そんなんで世界を狙えると思っているの!?」
何故かオネェ言葉だが、もで同じような口調と大げさな身振りで応えた。
「コーチ……! あたし、まだやれますっ」
の隣でシリウスが足を滑らせた。
いったい何の真似かと顔を引きつらせているピーター。
「、あたしが厳しくするのはあなたに才能を見たからよ。あなたはできるわ。その気があるならしっかりついてらっしゃい!」
「はいっ、コーチ! あたしは必ず『世界浮遊術愛好会大会』で優勝してみせます!」
「そんな大会ねぇよ! しかも何でオネェ言葉!?」
ジェームズとの訳のわからない世界にどこから突っ込んでいいやら、と混乱していたシリウスがついに声を張り上げた。
ジェームズの横ではリリーが酷い頭痛に襲われたように、額を手で押さえているし、後方ではリーマスが遠い目をして呆れ返っていた。
『熱血コーチ&選手』ゴッコを中断されたジェームズは少し不満そうに口を尖らせる。
「なんだいシリウス。今いいとこなんだよ」
「何がだ。見ろ、みんな呆れてるじゃねぇか」
言われてジェームズとはもはや言葉もない友人達にやっと気付いたのだった。
「アハハハ。まぁ、今日は疲れたし、そろそろ夕食の時間だしお開きにしようか」
ごまかすようにが言えば、シリウスが胡散臭そうな目で見てくる。
うやむやにして流してしまおうとしていることなど、お見通しのようだ。
そんなシリウスの肩をはやや強めに叩いた。
「いつまでもそんな顔してないで。今度はちゃんと予告して、アンタも混ぜてあげるから」
「それはいいね。じゃあシリウスは意地悪なライバルってことで」
「絶対やらねぇ!」
シリウスは全身で拒否した。
「2人とも、そのへんにして片付けよう。も、これでだいぶ安心だね」
このままではいつまでたっても話が進まないと思ったのか、シリウスを哀れに思ったのか、リーマスがまとめにかかった。
すでにリリーとピーターは片付け作業に入っている。
バカなトリオの相手などしていられないと見切りをつけたようだ。
「リーマスも、皆もありがとね。何とか自信ついたしコツも掴めたよ」
も足元の紙くずを一つ拾うと、リーマスを見て、それから友人達を見て礼を言った。
このまま怠けず他の呪文共々練習を続ければ、本番で恥をかくことはなさそうだ。
「、世界を目指す時はいつでも呼ぶのよ」
「はいっ、コーチ」
「まだやる気かっ」
変なノリのハイテンションのままのジェームズとの頭に、シリウスの拳骨が落ちた。
しかし、この2人の『コーチ&選手』ゴッコはしばらくの間いたるところ、あらゆる状況に応じて展開されるのであった。
これにいちいち反応するのはシリウスだけで、リーマス、ピーター、リリーは他人のフリして目をそらしていたとか。
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