12.クリスマス休暇

1年生編第12話  たった一人の部屋、というのはずいぶん久しぶりだなと目覚めたはぼんやり思った。

 マグル界の孤児院でに近づく人はいなかった。まず、その外見で敬遠されてしまうからだ。
 両親が亡くなったのはが2歳か3歳の頃。それから彼女を引き取る人もいなかったので、孤児院で暮らすようになった。
 けれど、うまくいかなかった。
 彼女が仲良くしようとしても、誰もが気味悪がって避けた。
 7歳くらいのことだったか、一定の周期で妙な欲求にかられるようになった。
 ヒトの血が欲しい──。
 やわらかそうな首筋から少しだけでいいから流れる血液をいただきたい。
 しかし、そんなことできるはずがないし、そもそもどうしてそんなふうになってしまうのか、わからなかった。
 混乱した。
 自分自身が気味悪かった。
 悩みを打ち明けられる人はいなかった。
 満月の日は、このわけのわからない欲求を押し込めようと、きつくフトンをかぶって夜明けを待った。
 この頃から、の身の回りにおかしなことが起こるようになった。
 怪我の治りがやけに早かったり、感情が昂ぶった時に周りにある物が弾けたり壊れたり。
 はある日、院母達が自分のことを『悪魔の子だ』と囁いているのを聞いた。
 そんなことを言われても、彼女にも何がどうなっているのかわからないのだ。
 いじめや暴力を受けることはなかったが、その代わり、は空気のように扱われた。まるで、存在しないかのように。
 時々、と目が合った年下の子が怯えて泣き出したりした。
 そして9歳の頃、孤児院は火事で全焼した。放火だった。
 何人かの院母と子供達は命を取り留めたが、ほとんどは死んでしまった。
 たまたま、孤児院から出ていたは無傷だった。
 戻ってきたら全焼していたのだ。
 まだ煙の立つ現場を囲む人だかりの中に入る気にもなれず、はその場を去った。
 離れるにつれ、奇妙な開放感を覚えた。
 これからどうやって生きていくのか、などはまるで考えなかった。
 自由に酔っていたのだろう。
「そうだ、あの時……」
 孤児院を後にしてロンドンの裏町をフラフラしていた時、空腹に耐えかねてヒトの血をもらったのだ。満月だったせいもある。
 おかげで、ヒトの血をもらうと何が起こるのかがわかった。
 血をもらったのは、酔っ払いからだった。
 肌に噛み付く瞬間、異様に鋭くなった八重歯が皮膚を突き破る感覚。ゆっくりとあふれ出る血液を一口飲み込んだ時の、酔うような快感。
 満たされた。
 同時に、大きな何かを失った気がした。
 2、3口舐めるくらい含んだだけで血への欲求は落ち着いた。
 まだ足りなかったが、は口を離した。
 とたんにふさがっていく傷口。
 酔っ払いはうっとりとした表情で覚束なく立っている。
 ふと、この酔っ払いが心配になったは、酔っ払いの前に回り込んで顔色を伺った。
 すると、酔っ払いはまるで従者が主人にするように膝を折り、頭を垂れた。
 何事かとはびっくりして一歩後退する。
 しかし酔っ払いの姿勢は変わらない。それどころか、何かを命じられるのを待っているふうにさえ見える。
 わけがわからず、の心臓がやけに激しく脈打った。
 ほんの少し血が欲しかっただけなのに、自分はこの人を病気にでもさせてしまったのだろうか。
「あの……?」
 はビクビクしながら声をかけた。
 酔っ払いはますます深く頭を下げる。
「あの、顔を上げてください。大丈夫ですか? どこか具合でも……?」
「いいえ、どこも悪くありません、我が君」
 顔を上げ赤ら顔で、うっとりと夢でも見ているような目で丁寧に言った酔っ払いは、正直なところ不気味だった。
 しかし満月のたびにこんなことを繰り返すうちに、はようやくこの現象のことがわかってきたのだった。
 が血をもらった人物は、夜明けまで彼女の従者となるのだ。
 帰る場所もないは、生きるためそうした彼らから少しだけお金をもらった。
 その夜自分の身に何が起こったのか、血を飲まれた人物達はいっさい記憶が残らない。
 そんな中、は初めて『仲間』を得た。
 自分を拒絶しなかった人達。彼らも彼らで事情のある人達だった。世間では『非行少年』と呼ばれていた。
 彼らはに『狩り』の仕方を教えてくれた。
 一人でやる方法、集団でやる方法。
 時々警察に追われて散々な目にあうこともあったけれど、この時確かには笑っていた。
 孤児院では決して見られなかった表情だ。
 避けられるばかりだった自分を受け入れてくれた彼らのため、は何かをしたかった。
 だから、満月の時、彼らを噛まないように、彼らと一緒にいられない日は、一人で練習したのだ。
 感情の昂ぶりに左右される、不思議な力を自分のものにするために。

「みんな、どうしてるかな」
 魔法界に来る前のことを思い出したは、上体を起こした姿勢で小さく呟いた。
 ホグワーツでの生活は楽しいが、やはり生まれて初めての仲間というのは特別で、またあそこへ帰りたいと思ってしまうのだ。
 けれど、今ここを抜け出したところで、あの忌々しい魔法省がすぐに追いかけてくるだろう。
 ──成人するまで。
 成人を迎えれば今より自由に動けるはず。
 それまでは、魔法界に留まるしかないのだ。
 望郷にも似た思いを無理矢理断ち切り、は身支度を整えると談話室へ降りた。
 がらんとした談話室には、クリスマスツリーの飾りがやさしく光っていた。先生方が飾りつけをしたのだろう。
 魔法で作られた電飾代わりの光りの玉に、淡く色とりどりに点滅する妖精達。
 こんなに幻想的なクリスマスツリーは、魔法界でしか見られないだろう。
 そのツリーの根元にはいくつもの箱が積み重なっていた。
 クリスマスプレゼントだ。
 素通りしようとしたは、駅でのリリー達の言葉を思い出し、ツリーに歩み寄った。
 案の定、自分宛の4つの箱があった。
 他のプレゼントは、もう一人の居残りである5年生の男子生徒の分だ。
 は口元をほころばせ、プレゼントを抱えて暖炉前のソファに座った。
 暖炉にはすでに火が灯っていて暖かい。
 は自分の横にプレゼントを置くと、一つ一つ丁寧に包みを開けていった。
 ジェームズとシリウスからは共同で悪戯グッズ一式。
「これをいったいどうしろと……」
 苦笑したは、一緒に入っていたクリスマスカードを見つけた。
 そこには、クリスマスの挨拶の後に『対メイヒュー用に』と付け足されていた。
 リーマスからは彼お勧めのメーカーの紅茶セット。
 箱を開けたとたん、心が落ち着くような良い香りが立った。
 ピーターからは羽ペンとカラーインクのセット。
 羽ペンに慣れないが、すでに何本も羽ペンをダメにしているのを見ていたのだろう。
 カラーインクは金や銀や蛍光色など、書いたら目を楽しませてくれそうな色が6色もそろっていた。
 最後にリリーからはネクタイピンだった。
 特に装飾のないシンプルなシルバーのもの。しかし長すぎず太すぎずのシャレた一品だ。
 贈られたものを一通り眺めるの心に、表現しようのないあたたかいものが流れた。
 生まれて初めてもらったクリスマスプレゼント。
 両親と別れる前にも何かもらっていたのかもしれないが、幼すぎて記憶にない。
 孤児院のことなど思い出したくもない。
 裏町の仲間達といた時は、クリスマスは『仕事』日和だった。たっぷり稼いだ後は打ち上げと称して盛大に爆竹を鳴らすのだ。そして朝まで警察と鬼ごっこ。
 こんなふうに、穏やかに贈り物をされたのは初めてだった。
 包装紙や箱を片付け、プレゼントを寝室へ持ち帰ると、は血を飲んだ時のような充足感のまま談話室を後にした。
「メリークリスマス。何かいいことでもありましたか?」
「メリークリスマス、サー・ニコラス。そんなふうに見えますか?」
 今日の散歩で出会ったのは、絵の中の旅人ではなく通称『ほとんど首なしニック』で親しまれているグリフィンドール寮付きのゴーストだった。本名は長くてには覚えられなかった。
 ニックはにつられるように微笑む。
「ええ。とても幸せそうです」
「ふふふ、そうですか。うん、そうかもしれない」
 どうしても緩んでしまう頬。
 ニックと別れた後は、いつものように隠し通路を探しながらのんびりと大広間へ向かう。
 大広間の扉を開けると、そこには大きな円卓が一つあるだけだった。
 真っ白なテーブルクロスに中央には色とりどりの花が活けてある。
 さらに大広間はすっかりクリスマス一色だ。
 12本のクリスマスツリーに、壁のあちこちにクリスマスリース。
 見ているだけで気分が華やいでくる。
 円卓一つしかないだだっ広い場になってしまうと、どこか神秘的な雰囲気さえあった。
 ダンブルドアをはじめ、ホグワーツに残った教師陣はすでに席に着き歓談している。
 他の寮の生徒もちらほらいた。
 グリフィンドールの5年生はまだ来ていないようだ。
 先生方とこんなに間近で食事をするのか、とちょっと緊張しながらは円卓に近づき、適当な席に着いた。
「おはようございます」
 と言えば、ダンブルドアがにっこりと笑顔をくれる。
 それから全員がそろうと、ダンブルドアの挨拶があった。
「メリークリスマス。良い朝じゃの。今日は皆にお知らせがあったので、こうして待っておったのじゃ。今日の夜はここにいる皆でクリスマスパーティを開こうと思っての。明日からは円卓はこのままに、他はいつも通りじゃ。それでは、いただくとしようかの」
 はその言葉にすぐに食事を始めた。
 が、しばらくするとグリフィンドール生と一部の教師陣を除き全員の視線が彼女に集中した。
 気がついたはミートパイをもぐもぐしながら不思議そうに周囲を見回す。
 奇妙な沈黙を破ったのは、隣の男子生徒だった。
 髪も目も黒く青白い顔の生徒だ。
 見覚えがある。
「食事ごとにブラックが騒いでいる相手は、お前だったのか……」
 その声は呆れに満ちていた。
「あ、スネイプ。アンタも居残りだったんだ」
 たった今彼の存在に気付いたように言う
 まるで会話が噛み合っていない。
 もう一人のグリフィンドール生が小さく噴き出した。
「あなた、いつもそんなに食べるの?」
 感心したように聞いてきたのはハッフルパフ生だった。
「いつもこのくらいは食べてるよ。燃費が悪くてさー」
「そういう問題でもないだろう」
 セブルス・スネイプがボソリと言う。
 尋ねたハッフルパフ生は、どう反応したらいいのか困っていた。
「スネイプは食べなさすぎ。倒れるよ。だから顔色悪いんだよ」
「ほっとけ。──盛り付けるなっ」
「スリザリンはアンタ一人だけなんだね。遊びにいってもいい? よその寮ってどうなってるのか見てみたいな」
「人の話を聞いてないな……」
 やはり噛み合わない会話だが、周りの生徒達は食事も忘れてその様子を眺めていた。
 グリフィンドールとスリザリンが、ちょっと仲が良い!?
 もっとも、1年生で残っているのはとスネイプだけなので、そんな流れになったのかもしれないが。
 しかしとて、これで相手がメイヒューならこんなふうに話しかけたりはしなかっただろう。
 スネイプは暗いヤツだとは思っていたが、嫌なヤツだとは思っていなかった。
 スネイプにしてみればとんでもない迷惑だろうが。
 憎いポッターやブラックと同じ寮などころか仲の良いこいつとお近づきになどなりたくない、といったところだ。
「あ、魔法薬学の宿題終わったらチェックしあおうよ。アンタと答え合わせしたら、より完璧に仕上がりそう」
「……」
 やはり話を聞いていないに、スネイプはもはや何を返すこともしなかった。

 結局、あの後はスネイプに徹底的に無視されてしまったため、スリザリン寮訪問は叶わなかった。
 その代わり、その時の会話を聞いていたハッフルパフとレイブンクローの生徒達とそれぞれの寮を訪問しあったのだった。
 一度はレイブンクロー寮の談話室に生徒皆で集まりお茶会をしたりもした。
 その時に持っていったリーマスからもらった紅茶がとても好評で、は心の中でリーマスを思い切り褒めた。
 当たり前だがスネイプは来なかった。
 誘ってはみたのだが、冷たく一瞥されて終わった。
 もっと寂しいクリスマス休暇になるかと思っていただったが、知り合いも増え、予想以上に楽しい日々となっていた。
 しかし、ただ遊んで暮らしていたわけではない。
 休暇の前半に宿題をがんばって終わらせたは、図書館へ足しげく通っていた。
 あの日から、いつかこの手で作ってみたいと思っているものがある。
 は、最近毎日のように立つ本棚の前に今日も立った。
 そこは、闇の魔術に関する本が並ぶ棚。
 今読んでいるのは入門編だ。
 じっくり背表紙を見て回ったは、一冊の本を抜き出し、奥のテーブルへと向かう。できるだけ人の来ない場所で静かに読みたかった。
 は『箱の部屋』を忘れることができずにいた。
 今はもうないあの箱を、今度は自分で作ってみたくて仕方がなかったのだ。
 あれはきっと役に立つ。いつか自分を助けてくれる。
 そんな、予感めいたものがあった。
 そこでなぜ闇の魔術の本を選んだのかと言うと、ダンブルドアの言った言葉があったからだった。
 ──あの箱から出たそっくりさんは、やがて主を殺し本人に成り代わる。
 こんな物騒なもの、平和な魔法ばかりからできているとは思えなかった。
 当然、いくつかの魔法が組み合わさっているのだろうが、闇の魔術もかなり使われているのではと思ったのだ。
 もっとも理由はそれだけではなく、単に闇の魔術がどういうものなのか興味があったというのも大きいが。
 いつもの席が見えたところで、はふと足を止めた。
 先客がいた。
 その人も視界に入った人影に気付いたのか顔を上げた。
 とたんに嫌そうに顔をしかめる。
 素直すぎるその反応に、は苦笑した。
「そんな顔しないでよ。ただ本を読みにきただけなんだから」
 言いながらもわざわざその人物──スネイプの前の椅子を引くも、そうとうな性格といえよう。
 スネイプは睨むようにを見ていたが、机の上に置かれた本の表紙を見てわずかに目を瞠った。
 彼のささいな表情の変化を見逃さなかったは、その反応をおもしろがるように笑んだ。
「グリフィンドール生がこの手の本を読むのは意外?」
「あぁ……少なくとも、僕の知るグリフィンドールの連中は毛嫌いしているな」
「アンタの知るグリフィンドールの連中が、あの4人を指してるなら間違いなくそうだね」
 きっと、がこの本を読んでいるところを見かけたら、目を吊り上げて本を取り上げるだろう。
 その姿を想像し、はクスクスと笑った。
「……お前は、興味があるのか?」
「あるよ。まだ初歩の本しか読んでないけど、とてもおもしろいね。……なに、その摩訶不思議なものを見たような顔は」
「別に。お前が何を読もうが僕には関係ない」
「とか言いながら、気になって仕方ないくせに。グリフィンドールはこういうのには近寄らないはずだ、とか思ってたんでしょ?」
「別にそんなことは……」
「まぁまぁ、隠さなくてもいいよ。むしろ隠してるのは私だし」
「は?」
「闇の魔術に興味があります、なんてリリー達に言ったらどんな顔されるか。だから、誰もいない今のうちにできるだけ読んでおくんだ」
 スネイプはますます混乱した。
 スリザリンは寮の結束は固いが平時は個人主義的だ。
 しかしグリフィンドールはいつもグループを作り皆で行動する傾向が強い。お互いの壁が薄いのだ。
 そう、思っていたのに。
 目の前のグリフィンドール生は、まるでそれらしくない。
「別に言ってもいいんだけどね、すごい反応する人もいるから。そういうのって、めんどくさいでしょ」
 は困ったように笑う。
 しかしスネイプは、やはり戸惑った。
 彼らは、どんなささいなことでも相談しあうと思っていた。仲が良ければ、それだけ隠し事などしないものだと思っていた。
 スリザリン寮の生徒とは、基本的に人との付き合い方が違うのだと。
 の言うことは、とても『自分達らしい』。
 人との付き合いも大切にするが、自分の領域には簡単には立ち入らせない姿勢。
 頭がゴチャゴチャになってしまったらしいスネイプに、はとうとう笑いが止まらなくなってしまった。
 それでも声を落とすことは忘れなかったが。
「スネイプには教えてあげよう。私ね、組み分けの時真っ先にスリザリンを勧められたんだよ。グリフィンドールに入りたいって言ったら、渋い声が返ってきたんだ」
 そのセリフに、スネイプは確かに混乱からは脱したが今度は唖然としてしまい、思考は停止した。
 しかし、このまま惑わされっぱなしは悔しかったので、無理矢理言い返す。
「それで、だから闇の魔術に興味があるのは当たり前、とでも言いたいのか?」
「ううん。……あのさ、闇の魔術ってトリカブトみたいだと思わない? この前の授業でトリカブトの説明聞いたでしょ」
 そのまま使えばわずかな量で人を殺せる猛毒だが、使い方によっては薬にもなる植物だ。
「……なるほど。確かに安全な魔法道具の中には闇の魔術が使われているものもあるな」
 スネイプがそう呟くと、は満足そうに頷いた。
「何か作りたいものでもあるのか?」
「まぁね。手がかりも何もないんだけどね、どうにかやってみようかと」
「手伝わないぞ」
 先手を打つように言われて、は苦笑してしまう。
「別にいいよ。聞きたい時はそれとわからないように聞くから」
「……では、お前の問いには今後いっさい答えないことにしよう」
「アンタ、友達いないでしょ」
「余計なお世話だ」
 はムッとして痛いところを突いてやると、スネイプもムッとして吐き捨てるように返した。
 どうやら今日はここで本を読むのはやめたほうが精神のためだ、とは判断し、何も言わずに席を立って移動した。
 当然だが、それに対しスネイプが何か言ってくることはない。
 きっと、いなくなってせいせいしたとでも思っているのだろう。
 は結局、夕食前にその本を借りて寮へ戻った。
 クリスマス休暇が明けるのは、あと数日後だ。
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