彼はこの場にいるのがと2人だけであることをしつこいくらいに確認すると、声を潜めて言った。
「アニメーガスが完成した」
それだけで、すべてがわかった。
だから、は黙って頷きを返した。
「……おやすみ、リーマス」
「……おやすみ」
やがて2人は静かに──少しだけ寂しそうに微笑んで、就寝の挨拶だけを交わし合ったのだった。
ベッドにもぐったは、ギュッと膝を抱えて丸くなった。
(こうなることはわかっていた。ジェームズ達がアニメーガスの勉強を始めたことを知った時から、わかっていたんだ。だから……)
胸に広がる言葉にできないモヤモヤしたものを消し去ろうと、は心の中でひたすら理屈を並べ立てる。
(重大な変化が起こるわけじゃない。ほんのちょっと、月一回の夜の過ごし方が変わるだけ)
わかってる。わかっているけれど、やはり少し寂しいだった。
満月の夜、荒れ果てた屋敷で大騒ぎしたり静かに過ごしたりした日々に、そっと別れを告げた。
数日後の放課後、はガードナーに呼び出され指定された空き教室へ向かっていた。薬草学の時にガードナーの友人からこっそり言伝を受けたのだ。
一人で来てくれと言うので、一人で人けのない廊下を歩いている。
ガードナーが今さら何かを仕掛けてくる心配は、まったくと言っていいほどない。
目的の空き教室前に着いて足を止め、そっと扉を開く。
薄暗く静かな教室の窓際に、ガードナーが一人ぽつんと立っていた。
窓の外を眺めていた彼女は、扉が開く音で振り返った。
「来てくれないかと思った」
ガードナーは弱々しい微笑みでを迎えた。
ゆっくりと歩み寄りながらは返す。
「今さらアンタが私に何をするって言うの?」
「ふふ、そうね。……あなたに伝えておきたいことがあったの」
「どんなこと?」
「私、学校を離れることになったの。休学……うぅん、退学かしら……その判断は校長先生しだいだけれど」
あまりにも予想外のことを聞かされ、は驚いてただポカンとするしかなかった。
ガードナーは続ける。
「私、自分で自分が嫌になるくらいバカだった。この前、闇払いの人から聞いたの。父は、魔法省の手伝いをしていたんだって。商売を通じて闇の勢力と接触して情報を探っていたそうなの。私、そんなこと全然知らなくて……。知らないくせに、いい気になって……」
ガードナーの顔がしだいに泣きそうに歪んでいく。
肩を震わせる彼女の傍で足を止めたは、そっとその肩に手を添えた。
責める言葉も慰める言葉も出てこなかった。
俯いたガードナーは続ける。
「この学校にも、死喰い人の子供はいるわ。今朝、呪いがかけられた食べ物を贈られたの。気づかなければ死んでいたかもしれない。私はスプラウト先生に報告して、それが校長先生に伝わって……」
「ここを離れてどうするの?」
ガードナーにとって、もう学校は安全な場所ではなくなってしまったとダンブルドアは判断したのだろう。
「校長先生が信頼する闇払いの人が匿ってくれることになったわ」
「そう……」
こんな時、どんな言葉をかけたらいいのか。悩んだ末には、一つだけ伝えることにした。
「落ち着いたら、また会おう。だから、それまではじっとして隠れてて」
「……会えるかな」
顔をあげたガードナーの目には、今にもこぼれそうなくらいに涙が浮かんでいた。
「会えるよ」
はガードナーを抱きしめ、励ますように背を叩いた。
ガードナーは、すがりつくようにのローブを握った。
グリフィンドールの談話室に戻ったは、リリーを見つけるとこのことを話した。
さすがにリリーも驚きを隠せなかった。
「お父様が入院してるから、ガードナーの勘違いを笑う気にはなれないわね……」
「うん……ほとんど何も言えなかったよ。励ましても、薄っぺらな言葉になりそうな気がして」
「怖い世の中になってきたのね。学校にもいられなくなるなんて」
眉をひそめて言ったリリーは、声を落として続けた。
「ねぇ、スリザリンの生徒が変な魔法を使ってるのは知ってる?」
「知らない。変な魔法って?」
「人を逆さまにして吊り上げる魔法よ。人を侮辱するような最低の魔法だわ」
リリーの声に怒りがにじむ。
「……見たの?」
「偶然見ちゃったのよ。見たくなかったわ、あんなもの。セブまで参加して……」
「本当に?」
ギュッと拳を握りしめて言うリリーの口から出てきた名前に、は目を見開いた。
死喰い人の息子達と付き合いがあるのは知っていたが、そんな卑劣な魔法まで習得しているとは思ってもみなかったのだ。
は、セブルスは人の痛みがわかる人だと思っていただけに、とてもショックを受けた。
やめさせることはできないのだろうか……。
「」
何かを決意したようなリリーに呼ばれ、は思考を中断する。
リリーは、まっすぐな目をして言った。いや、命令した。
「一番を取るわよ」
何の話かと首を傾げる。
「O.W.L.よ! スリザリンには負けないわよ。私とあなたで一位と二位を独占よ。学期末試験も!」
「な、何を無茶な……」
「できる! 私達ならできるわ! やりなさい!」
グイグイ迫ってくるリリーに、はタジタジになりながら曖昧に頷くしかなかった。
それから何日か過ぎた頃、ガードナーはホグワーツを去って行った。
その次の日の朝、シリウスのもとにふくろう便が届いた。
食事の手を止めて手紙の差出人を見たシリウスが、一気に不機嫌そうな顔になる。
杖を出し、そのまま燃やそうとした瞬間、ジェームズがヒョイとその手紙を取り上げた。
「おい」
「まあまあ。どんな不愉快なことが書いてあるか、ちょっと見てみようよ」
「何でそんなに楽しそうなんだよ……」
「なになに……」
封を開けて便箋に目を落としたジェームズは、「おぉう!」と大げさな驚きの声をあげた。そしてニヤニヤしながらを見た。
「君をクリスマスパーティに招待するってさ」
「うっ、イタ、イタタタ……急に胃が痛く……。とても出席できないな」
「今痛がっても意味ないでしょ」
わざとらしくうずくまるの背を、呆れ顔でリリーが叩く。
リーマスやピーターが笑う中、シリウスだけはとびきり苦い物を食べさせられたような顔をしていた。
「断っとくから安心しろ。俺も帰る気はないしな」
ブスッとした顔で言うと、シリウスは今度こそ手紙を取り返して一瞥した後に灰にした。
「ガードナーのこと、勘づいてたみたいだ」
舌打ちして告げられたことに、達から笑顔が消えた。
この日、闇の魔術に対する防衛術の授業で扱ったのは、狼人間についてだった。ヴァンパイアのことも参考程度に取り上げられた。
先生が狼人間について説明する間、ジェームズ達4人はずっと目配せをしあいながらニヤニヤ笑っていた。
しかしはとても笑う気にはなれなかった。
もしかしたら、リリーもジェームズ達ももう勘づいているのかもしれない。打ち明けたら、理解してくれるのかもしれない。
けれど、その一歩が踏み出せなかった。
結局自分は臆病者なのだと自嘲した。
それから憂鬱な気分のまま授業は終わり、その後もどこかぼんやりしたままは放課後を迎えた。
しかし、クィディッチの練習だけは気を引き締めて臨んだ。
箒が自分を振り落とすことはないだろうが、自分のミスで箒から落下することはありえるからだ。かなりのスピードを出すため、たとえ低いところを飛んでいたとしても落ちたらただではすまないだろう。
「!」
シリウスに呼ばれて投げるふりをして、後ろから猛スピードで接近してくるジェームズに正確にパスをする。相手を翻弄するための練習だ。
また、グラウンドの別の場所ではシーカー候補者が現シーカーのダリルから指導を受けている。さらに別の場所では、ビーターが動く的を相手にブラッジャーを打ちまくっていた。
新入りも加わり、チームはとても活気づいている。
そして、その練習風景を見物に来ている女子生徒達も、とても盛り上がっていた。
彼女達が注目しているのは、もちろんジェームズとシリウスだ。
ガードナーの件や、預言者新聞の一面に取り上げられる鬱屈した記事を吹き飛ばすような、爽快な悪戯で笑わせてくれる彼ら『悪戯仕掛人』は、すっかり学校の人気者だ。
ポジションごとの練習後、少しの休憩を挟んでから2チームに分かれて模擬戦を行った。
女子生徒達の黄色い歓声はいっそう勢いを増し、耳をつんざくほどだった。
は思わず噴き出した。
「練習後はサイン会か握手会かな?」
「それもいいね。も参加するんだよ」
「私は対象外でしょ。それどころか、邪魔だとか言われて石を投げられちゃうよ」
「問題は、どうやってシリウスを参加させるかだ」
しかめっ面しく言うジェームズに、は笑いが止まらない。
などと遊んでいると、相手のチェイサーが風のように攻め込んできた。
二人は気持ちを引き締め、先ほどの練習の成果を発揮するべく散開する。
クァッフルが両チームの間を目まぐるしく行き来し、ブラッジャーがその隙を狙って鋭く切り込む。
それらの動きを把握しながら、はシーカーの動きにも注意を払っていた。
状況次第では相手シーカーの妨害に入るのも、が担っている。
しかし今回は、から離れたところでシーカーが動き出した。
ビーターがそちらに集中する中、チェイサー達は少しでも多く点数を稼ごうとクァッフルを奪い合う。
シーカー候補の2年生は、先輩のダリルと見事に競り合っていた。
箒初心者とは思えないほどの動きだ。
ダリルの指導の良さもあるが、何より本人のやる気と度胸だろう。
しかし、最後はダリルの技術が勝った。
試合後のミーティングで、ダリルは有望な後輩を大いに褒めた。
彼は顔を真っ赤にして照れていた。
ロッカールームに戻って着替えをすませて外に出ると、ジェームズとシリウスが女子達に囲まれていて大騒ぎになっていた。
とダリルは顔を見合わせて苦笑した。
「巻き込まれる前に行こう」
と、意見が一致し、二人は小走りでその場を離れたのだった。
シャワーで汗も流してさっぱりしたが寮の談話室でくつろいでいると、ムスッとした顔のシリウスがやって来た。
「よくも見捨てて帰ったな」
練習後よりもくたびれた顔だ。
こらえきれずは笑った。
「笑うなっ。ああいう時のためのお前だろう」
「勝手なこと言わないでよ、やだよ。いいじゃないか、みんなキミが好きなんだ」
「ほぅ。自分が同じ目にあった時のことを想像してみろ」
「……ああ、遠慮したいね」
「だったら」
「でも、今は関係ないし」
「薄情者!」
「何とでも」
言い合っているとジェームズもやって来た。こちらはニコニコしている。
「いやぁ、まいっちゃうね。僕の体は一つで、その上、愛も一つだけなんだ」
自慢たらしく言いながら、目は想い人を探してさまよっていた。
「リリーならいないよ」
が教えると、とたんにジェームズのテンションが下がった。
「部屋?」
「ううん。わからないところを聞きに行ったんだ」
本当はアレンと勉強しているのだが、面倒なことになるのはわかりきっているので言わないでおいた。
しかしジェームズは、が予想もしないことを言った。
「まさか、スネイプの奴といるんじゃないだろうね」
「それはないんじゃないかな。あの二人、今あんまり仲良くないし」
その時、寮の出入り口が急に騒がしくなった。
怒りをまくし立てる声とすすり泣く声が同時に聞こえてきた。
数人の女子のグループだったが、その中にリリーの姿があった。
憤る声の中から「スリザリン」「マルシベール」などの名称が、途切れ途切れに流れてくる。
ただならぬことが起きたのだと、とジェームズ、シリウスはすぐに彼女達のところに向かった。
彼女達の真ん中にいたのは、メリー・マクドナルドだ。
いったい何があったのかひどく泣きじゃくり、いつも綺麗に結っている髪が途中で無残に切られている。目立たないが、ローブもあちこちが細く切り裂かれていた。
よく見ると、リリー達もローブがほつれたりしている。
メリーを助けるためにやり合ったのだと考えられた。
あまりの姿に、は言葉を失った。
代わりにジェームズが聞いた。
「何をされたんだ? 誰がこんなひどいことを?」
エイブリーとマルシベールよ、とメリーを慰めていた一人が憎々し気に吐き捨てた。
エイブリーもマルシベールもスリザリン生で、どちらも死喰い人の子だ。
「闇の魔術よ。許せないわ」
絞り出すような声でリリーが言った。
「あいつら……ッ」
「待て、シリウス! 今行ってもどうしようもない」
「そうだよ。逆に付け込まれるだけだ」
怒りのままに飛び出そうとするシリウスを、ジェームズとで引き止める。
シリウスが二人に憤りをぶつけた。
「このまま黙ってろって言うのか!? 仲間を傷つけられたままで!」
いつの間にか談話室のおしゃべりはやみ、静かな緊張感に包み込まれていた。
ジェームズはシリウスの肩を掴んで、押し殺した声でこらえろと言った。
「もちろんこのままで済ませるつもりはないさ。けど、今はダメだ。わかるだろう? 冷静になれ」
ジェームズの手にこもった力から、シリウスは彼も怒っていることを知った。
もシリウスをなだめようと背を叩き、それからリリーの傍に寄った。
「メリーを医務室に連れて行こう。マダム・ポンフリーなら、事情を話したくないなら聞いて来ないと思う。リリー達も、診てもらったほうがいい」
「そうね……。メリー、行きましょう」
はそのままリリー達について医務室へ向かった。
医務室を訪ねるなり、マダム・ポンフリーの驚きの叫びが響き渡った。
「どうしたのですか、その怪我は! ──とにかく、あなたはこちらへ。今日は泊まっていきなさい」
真っ先にメリーはベッドへ連れて行かれた。
残ったリリー達はメリーの治療の間じっと押し黙っていたが、やがて一人が涙をこぼすと、伝染するようにすすり泣きが広がっていった。
ぎゅっと口を引き結んだリリーの目にも、涙が浮かんでいる。
初めて聞くような弱々しい声で、彼女はショックなことをに教えた。
「前に話した、人を逆さづりにする魔法よ……。そして空中でもがいている人を的代わりに、切り裂き魔法を放つの。痛がって苦しむ様を笑って……その中に、セブがいた。見ていただけだったけど、いたのよ……」
の腕を掴んだリリーの手は、震えていた。
「そんな卑劣な魔法、許されちゃいけない。絶対にだ」
リリーの手に自分の手を重ね、は強く言い切った。
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