1.こっそりと

2年生編第1話  ロンドン郊外の、言ってしまえばド田舎にその建物はあった。
 マグル避けなどしなくても、マグルどころか野良猫さえ迷い込んで来ないだろう、一面の緑のだだっ広い敷地。北側には森が広がっている。
 そこは、魔法省が管理する敷地だ。魔法生物──中でも狼人間とヴァンパイアを保護の名目で管理・監視する施設。
 曰く「フィルチより最悪の管理人がいる」施設だ。
 そこにはさらに内側から外へ許可なく出られないよう、特別な魔法がかけられている。
「これを軟禁と言わずして何と言うか!」
「何だ突然?」
 黙々と羊皮紙に羽ペンを走らせていたはずのの突然の大声に、同室で本を読んでいたこの部屋の主が目を丸くした。
 彼はがこの施設に連れて来られてから何かと構ってくれる存在だった。
 ウィリス・ブーディロン。が年齢を尋ねたら25歳だと言っていた。狼人間だ。
 ここに来たばかりの頃のは、誰とも会話をせず毎日のように脱走を図っていたが、ことごとく失敗し、そのたびに自室の壁を殴ったりして荒れていた。そんな彼女に声をかけたのがウィリスだったのだ。
 兄貴面して構ってくるウィリスを始めのうちこそ変態かと疑っていただったが、純粋に心配されているのだとわかると、少しずつ言葉を交わすようになっていった。
 今では自室にいるよりウィリスの部屋にいるほうが多いくらいだ。
 ウィリスも拒まないので、は大いに甘えることにしている。部屋で一人、悶々としているよりずっと良い。
 は羽ペンを放ると、夏休みに入ってから一日一回は口に出している『この施設への文句』をまくし立てた。
「はいはい。わかったわかった」
 苦笑しながらそれを宥めるのがウィリスの日課だ。
 しかし今日はそれだけでは終わらなかった。
「……バイトしたいんだけど、どっか知らない?」
「またいきなりだな。お金が欲しいならちょっと言って外に出てちょっぱって来ればいいじゃないか」
 得意だろ? と意地悪げにニヤリと笑うウィリスを、きつく睨む
 馬鹿にされたと思ったのだ。
 ちなみに、基本的に管理人に一言いえば外出はできる。オマケとして嫌味が付いてくるが。
「そうじゃなくて、ちゃんとしたお金が欲しいの」
「どうやって手に入れようとお金はお金だろ。前にお前が言ってたことだぞ」
 ウィリスのニヤニヤは消えない。
 彼はが何を欲しがっているかわかっているのだ。何故なら、夏休み中からホグワーツでの出来事をさんざん聞かされたのだから。この一年間での考え方が変わったのは手に取るようにわかった。変わったというかマトモになったのだが。
 ウィリスはそれを嬉しく思いつつも、何となくからかってみたい心境になったのだ。
 案の定、は机をバンバン叩いて反発した。
「私だっていつまでも盗みなんてしてないよっ。もういい。ウィリスなんか満月に毛皮100%で暑さに苦しめばいいんだ」
「何てこと言うんだ。あの暑さは半端じゃないんだぞ。そんなこと言うなら今度体験させてやる」
「いらん、変態め」
「誰が変態だ。その変態の部屋にいりびたってるのはどこのどいつだ」
「今ここで私が泣いたら悪者はウィリスだね」
「小賢しいガキめ……」
 いつの間にか低レベルな言い合いになっていた。
 12歳の子供と同レベルになったことに少し落ち込んだウィリスだったが、すぐに立ち直りの最初の質問に答えてあげることにした。
「バイト、なくもないけど」
 の顔がパッと上がる。目は期待に輝いていた。
「雇ってくれるかはわからんよ。お前、12歳だし。仮に雇ってくれたとしても給料はお駄賃くらいかもしれない」
「それでもいい! ちょっとずつ貯めるから」
「ふぅん。じゃあ2、3日待ってな。聞いてきてやる」
「ありがとう!」
 とたんに機嫌が良くなったはその勢いで再び宿題に取り掛かったのだった。

 3日後、は一軒の店を訪れていた。
 約束通りウィリスがバイトできそうな店を紹介してくれたのだ。
 その店はホグワーツの夏休み前に言われた注意事項の中にあった『ノクターン横丁』に構えていた。
 ノクターン横丁は危険だ。子供はおろか大人でさえ近づこうとしない。不用意に入って行方不明になっても、誰も探してくれないだろう。
 と、聞いた。
 そんなところにはいた。
(ウィリスのヤツ……本当に大丈夫なのかな)
 彼がを危険なところに追いやるとは思っていないが、それにしても何故ノクターン横丁。
 店の奥の事務室に案内されたの前に良い香りの紅茶が出されたが、とうてい口を付ける気になれない。
 はここがどれだけ危険なところかよくわかっていた。
 マグル界にいた世界と同じ匂いがしたのだ。
 あの時は仲間がたくさんいたから危険はあっても皆で乗り越えることができた。
 しかし今は一人だ。
 店主は面接の準備のために事務室を出ている。
 この店まで連れてきてくれたウィリスは、俺がバイトするわけじゃないから、と言って店内を回っている。
 じりじりしながら待っていると、ようやく店主が入ってきた。頭が半ばハゲた恰幅の良い中年男性だ。顔は人懐っこい感じだが、長年裏の世界で店を構えているのだ、ただの人ではないだろう。
「やぁやぁ、待たせたね。おや、紅茶飲まないのかい? 毒なんか入ってないよ。まぁ、ここではそれくらい用心深いほうがちょうどいいけどね。でもこの紅茶はただの紅茶だ。ちょいと高級だけどね」
 ニコニコと人の良い笑顔で店主は言う。
 しかしの耳にはその言葉のほとんどが入っていなかった。彼女の目は店主が手にしているものに釘付けになっている。
 店主もその視線に気付き、ひょいとそれを掲げてみせた。
「これが気になるかい? ちょっとした話の後、キミにこれを使ってテストをしたくてね。ほら、キミは大人ほど魔法を使えないだろう?」
「もしかして……不埒者を魔法で撃退する代わりに、それでやれと?」
「おぉ、察しが良いねぇ! じゃあ話はいいからさっそくやってみようか」
 やってみようって何を!? と、戸惑うに店主は持ってきた長剣を押し付けた。
「あ、あの、ちょっと待ってください。私を、雇ってくれるんですか? その……」
「しっかり店番をしてくれるなら、どんな人でもかまわないさ。それが子供でもね」
「はぁ……」
「でも、その前にキミに店番を任せられるかテストだ。さぁ、抜いて!」
 何だか凄いところに来てしまった、とドキドキしながらは剣を鞘から抜いた。
 よく研がれた剣は室内の照明に鋭く光を反射させる。
 ナイフは扱ったことのあるだが、こんな剣は初めてだ。
「重くはなさそうだね。それじゃ、いったん戻して。ワシが強盗役をやるから、キミは剣を抜いて威嚇するんだ」
 は店主に言われるままに剣を鞘におさめ、自分の横に立てかけた。そもそも何かを言おうにも口を挟む隙がない。
 やるしかない、とは気持ちを切り替えた。
 テーブルの少し向こうから歩み寄ってきた店主は、の前に立つと懐に手を突っ込み杖を出そうとした。その杖の先をに向ける前に、彼女は剣先を店主の喉元に突きつけた。
 相手が少しでも動けばすぐにでも切り裂ける位置。呪文を口にする間もないだろう。
 店主が杖を下ろすとも剣を下ろした。
 店主の額には、暑さのせいではない汗がうっすらとにじんでいる。彼はハンカチでその汗をぬぐいながら満足そうな笑みをこぼした。
「いやいや、たいしたもんだ。どこかで剣を扱っていたのかね?」
「いえ、初めてです。せいぜいナイフくらいで……」
「ふむ。実際に傷つけたことは?」
 その瞬間、サディスティックな光の宿った目には気付いた。
 やはりこの人も普通の人ではなかったか、と確信してしまう。
「やむを得ない理由で、あります……。あ、でも刺したんじゃなくて、掠ったくらいです」
「なるほどなるほど。うんうん。では、週に3日で頼むよ。午後3時から6時の3時間ね」
 ずいぶん半端な時間の上、勤務時間も少ないなとは思った。
 が、その理由を店主は続けて説明してくれた。
 この店は午後3時開店午前2時閉店だ。店番ができるなら子供でもいい、と店主は言うがやはりそこは12歳の。そしてここはノクターン横丁。さらに言えばを紹介してきたのはお得意さんのウィリスだ。ヘタなことをして貴重な客を逃したくはない。それにノクターン横丁に店を構えているとはいえ、店主にだって良識はある。子供を遅くまで働かせる気はなかった。
 だから、明るい時間帯で週に3日としたのだ。
 この店の暖炉は『煙突飛行ネットワーク』に組み込まれていないため、通勤には『漏れ鍋』の暖炉を使う。送り迎えにはウィリスが付き添う、と店主に約束した。
 これらのことを聞き、は納得して頷いた。
 とてわざわざ危険に首を突っ込む趣味はない。
「都合の悪い日があれば遠慮なく言ってくれていいよ。あと、満月の日も来なくていい。……あぁ、大丈夫。わかってるから。心配しなくていい」
 満月という単語に腰を浮かせたを、店主は慌ててなだめた。
 この店にはそういう体質の人がよく訪れるそうだ。主に傷薬を求めて。
「答えたくなければいいが、キミはどちらかね?」
「えぇと……ヴァンパイアのほうです。四分の一ですけど」
「ほぅ。そりゃまた変わってるねぇ」
 そう言われてもには反応のしようがない。
 確かに、施設のヴァンパイアは皆100%ヴァンパイアだが、それがが変わっているということにはならないだろう。ケースは違うが、他国人同士との混血だと思えばそれほど珍しくもない。
 その日はそれで終わった。
 さっそく明日からバイトだ。
 店内で待ちくたびれていたウィリスに採用が決まったことを告げると、彼は口の端だけで笑って言った。
「せいぜい足を引っ張るなよ」
「余計なセリフ」
「それじゃ、ボウズ。明日からよろしく頼んだよ。あぁ、くんだっけ」
 店主の別れの言葉にはショックで眩暈を感じ、ウィルスは息切れを起こすほど笑った。
 その後、が女の子だと告げられた店主はしばらく言葉が出なかったとか。

 それから二週間余りが過ぎた。
 バイトにもだいぶ慣れたはカウンターに座りながら、店主に借りた本を読んでいた。
 薬草を中心に扱う店だけあって、貸してくれた本も薬草関係の本だ。
 店にはそれほど客は来ない。
 そして来るのはほとんどが常連客だ。初めて来る客もたいていは常連客に紹介された人だった。
 商品も一度に大量に買っていくので、一度来ると1ヵ月は間があくのだと店主は言っていた。
 おかげでは本を読み放題だ。薬草についてはだいぶ詳しくなった。
 せっかくだからホグワーツでのあの謎の箱の仕組みについて聞いてみようかと思ったが、もう少し自分で追求してそれでもわからなかったら聞いてみようとは思い直した。
 今のところ、近づいたという手ごたえはない。
 その時、店の扉のベルが乾いた音を立てた。
 顔を上げ、傍らの剣へ手を伸ばす
 客が来た時には必ずこうしている。仮にも店番を任されている身だ。商品に何かしようという不届き者を許すことはできない。
 が、伸ばされたその手は途中で止まった。
 扉をくぐってきた客の顔には目を丸くする。
 それは客も同じだった。
 お互いに言いたいことは一つ。
「何でここに?」
 おもしろいくらいにセリフがかぶった。
 やって来たのはスネイプだ。
 同じことを言ってしまったせいか、気まずい沈黙が流れたが先に破ったのはだった。
「私はバイト。アンタは?」
「店に来る理由など買い物しかないだろう」
「ふぅん。でもさ、こんなところで買い物?」
「同じセリフを返そうか?」
 二人はお互い詮索しあわないことにした。当然、誰かに告げ口もしない。そんなことをすれば自分のことも探られるからだ。そうでなくても学校で禁止された地区にいるのだ。けれど、見つかったのがお互いで良かったのかもしれない。
 スネイプもも人に深く干渉するタイプではないから。
「何をお求めで?」
 は営業スマイルを浮かべて仕事をすることにした。
 そのわざとらしい作り笑顔に眉をひそめながらもスネイプは一片の紙切れを差し出す。そこには薬草の名前がずらりと並んでいた。
「これ全部だね。ちょっと待ってて」
 はリストに目を通すと、くるりと身を返して事務室にいるだろう店主を呼んだ。
「すいませーん、Sランク入りましたー!」
 すると店主がグローブのような分厚い手袋を持って現れる。
 彼は重そうに体を揺すりながらの側に寄り、手の中のリストを覗き込むと、口の中で何やら呟きながら商品棚へと向かった。薬草名を復唱していたのだろう。
 この店で扱う商品にはランクがあった。
 下からC、B、A、Sだ。ランクが上のものほど危険な商品というわけだ。はSランク商品に触れることを許されていない。故にそれらを求める客が来た時は店主を呼ぶのだ。
 Aランクもそれなりに危険だが、きちんと気を付ければ心配はいらないと言われ、店主に扱い方を教えてもらった。
 バイトを始めてたった二週間だが、だいぶ危険物の扱いに慣れただった。
 注文された商品を全て箱に詰めてみれば、けっこうな重さになった。
「後で届けようか?」
 と言う店主に、スネイプは首を振りこのまま持って帰ると言った。
 店主は軽量化の魔法をかけた。
 帰り際、はスネイプに聞いた。
「実験でもするの?」
「ああ」
「いいなぁ。簡易コンロでも欲しいなぁ。そうしたら部屋で実験できるのに」
「そろそろ帰りたいのだが」
「あ、引き止めちゃったね。じゃあまたおいでよ。家を爆発させないようにね〜」
 ひらひらと手を振るに対し、スネイプはフンと鼻を鳴らしただけでさっさと店から出て行ってしまった。
 もう少し経てばの勤務時間も終わる。
「友達かね」
「はい。ホグワーツで知り合ったんです。寮は違うんですけどね」
「ほぅ。どこの寮か聞いても?」
「彼はスリザリンで私はグリフィンドールです」
「何だって? それはまた……」
「やっぱり意外ですか? まあ友好的な雰囲気じゃないですけど、話しかければ答えてくれるんですよ。律儀な人なんです」
 ヘラッと笑うを店主は珍獣でも見るような目で眺めていた。
 スリザリン生とグリフィンドール生がまともに会話をしているのも驚きだったが、真っ直ぐに正義の道を行くようなグリフィンドール生がノクターン横丁でバイトするのを厭わないというのも驚きだった。
 怖いもの見たさで入り込むグリフィンドール生はいるだろう。
 だが、ここでお金を稼ごうとは思わないはずだ。
「店長もホグワーツに通ってたんですか?」
「ああ。もうずいぶん昔のことだがね」
「どこの寮だったんですか?」
「レイブンクローだったよ。知的で楽しい寮だった」
 それから時間が来るまでは店主の思い出話に耳を傾けていた。
■■

目次へ 次へ