「本当に本気?」
「しつこいな、お前ら。……毎日この話して飽きないか?」
アデル・リンゼイが寮のみんなの課題提出用の羊皮紙の束を抱えて歩いている時、どこからかボソボソとこんな会話が耳に入ってきた。3人いるようだが、そのうち1人は知った声だ。
アデルはつい足を止めて声がどこから聞こえてくるのか辺りを見回した。
「毎日空耳だったことを願ってるんだよ」
「そうそう。だって、よりによってあの寮だろ。それも、その中でも曲者のあの女」
「だいたい、キミはあいつにこっぴどく蹴られたり殴られたりしたんじゃなかったっけ? 恨むならわかるけど……」
「わかってないなぁ。去年、大広間に添削された手紙がたくさん貼り出されたことがあったろ」
「ああ。女子達が騒いでたな」
「でも、その後すぐその件に関して誰も何も言わなくなった。医務室送りも何人か出たっていうのに」
「それを起こしたのがあの人なんだよ。現場にいたから俺はわかる。あいつは怒らせると怖い。あの手紙の最初の一通を受け取った時から、あいつのシナリオ通りに結末まで行ったんだぜ。しかも、事が先生に知られても友達には問題がないようにしてたんだ」
怖いと言いながらとても嬉しそうな知った男子の声。
しかし、アデルはあの騒ぎのことはよく知らないのだ。
「俺が加勢したのは予定外だったにも関わらず、冷静だった。どうやったら敵の戦意を削げるか、すぐに判断して躊躇いなく実行した決断力。計画を確実に遂行するための用意の良さと意志の強さ……どれも敵わないな。素晴らしいよ」
「わかったわかった。何度も聞いたよ」
「お前が何度も言わせるんだろ。……どうやったら振り向いてくれるかな、は」
あの件にが関わっていたらしいことは噂で聞いていた。
が、それよりも問題は最後のセリフだ。
ショックのあまりアデルは羊皮紙の束を落としてしまった。
静かな廊下にその音は意外なほど大きく響き、ハッとしたアデルは急いで拾い集めるとその場を後にした。
マクゴナガル教授にクラス分の課題の羊皮紙を届けると、夕食時の賑わう大広間へとアデルはぼんやりした頭で向かった。
変だな、とは思っていた。
アデルがを知り好きになったのは、彼女に親切にしてもらったからだ。誤解されやすい容姿から、しばらくの間は男子だと思い恋にも似た感情を抱いたものだった。間違いに気づいた時は死ぬほど恥ずかしかったが、それでも彼女に対する憧れは変わらなかった。
その憧れの先輩の隣に、宿敵であるはずの寮の生徒がある日現れた。
仲が悪いわけではないようで、アデルにはそれが不思議だった。
それに、話してみればそのスリザリンの男子はそれほど嫌なやつではなかった。
だがまさか、そこに恋愛感情が絡んでいるとは思ってもみなかったアデル。
このことを、は知っているのだろうか、と心配になった。
アデルはまっすぐグリフィンドールの長テーブルを目指す。
かの先輩は、赤毛の先輩と2人で楽しそうに食事をしている。
足早に接近してくるアデルに気づいたが、微笑んで手を上げた。それがフォークを持っているほうの手だったため、すぐにリリーに注意されていた。
たまにと一緒に勉強することがあるため、アデルは彼女の頭脳が明晰であることを知っている。同時に、あまりお行儀が良くないことも知った。純血の、それなりの家に生まれ、躾も厳しかったアデルには絶対にできないことだ。
「一緒に食べよう」
と、誘うにアデルは嬉しくなって笑顔で頷いて彼女の隣に腰を下ろした。
しかし今は食べるよりも先に確認しておきたいことがある。
「ねぇ、」
シチューに舌鼓を打っているにアデルはやや真剣な面持ちで呼びかけた。
は目で「何?」と言ってくるものの、意識は食事のほう。
それでもかまわずアデルは質問を切り出した。
「クライブがあなたを狙っているの、知ってる?」
「んん?」
の眉間にわずかにシワが寄る。
口の中のものを飲み込んでからは低く呟くように言った。
「なに、あいつまた私にケンカふっかけようとしてんの?」
視線はスリザリンの長テーブル。
予想外のセリフにアデルは目を丸くして慌てて言い直した。
「違う、その『狙ってる』じゃなくて、えぇと、直球で言うと告白された? って聞きたいの」
前でリリーがうつむいてクスクス笑っていた。の見当違いな発言がおかしかったのだろう。
なんだ、と肩を落としたはようやくアデルが聞きたかったことに答えてくれた。
ただし、やはりそれは驚きをもたらしたが。
「あるよ。それどころか、会うたびに言ってくるよ。そのたびに断ってるけどね」
「ダメよっ、絶対ダメ!」
バンッ、とテーブルを叩いて大声で言うアデル。
サラダを盛っていたの手が止まり、きょとんとした顔でアデルを見ている。
「……私にクライブと付き合えと?」
「違う、反対! 絶対付き合っちゃダメっ」
「アデルはクライブが嫌い?」
「思ってたよりは普通だったけど、でもあいつ、ちょっと変だよ。ううん、変態かも」
最後の部分は声をひそめるアデル。
しかしは、何をいまさら、と言いたげだ。
サラダを山盛りにした皿を置くと、はオレンジジュースの入った瓶と未使用のゴブレットを手に取り、中身を注ぐ。それをアデルの前に置いてから口を開いた。
「クライブの頭がちょっと変なんてこと、もう知ってるよ。変態かもってことも」
先程のアデルと同じように、最後は小声の。悪戯っぽい笑顔付きだ。
その時、リリーがとアデルの向こう側をわずかに見上げて、何かを訴えてきた。
気づいたが振り向くと、そこには変態が、いやクライブがムスッとした顔で見下ろしていた。
聞かれたか、と瞬時に悟る。
アデルは警戒心むき出しでクライブを睨むように見上げている。
「人のいないところで、悪口言うヤツはお前らかー!」
「じゃあ目の前で言う?」
「やめろよ、へこむだろ!」
「なら、どこで言えばいいのさ」
「言うなよっ」
「クライブ……人には鬱憤を吐き出すことも大事なんだよ」
やれやれと肩をすくめるの顔は笑っている。完全にからかって遊んでいるのだ。
その2人の間にアデルが割り込んだ。
「あなたみたいな危ない神経の持ち主に、は渡さないんだから!」
「誰が危ない神経の持ち主だ。人聞きの悪い」
「に痛めつけられて喜ぶような人のどこが正常だっていうの!?」
アデルのその声は、予想外に響いた。
思わず吹き出す。
それにしても話題が古いな、とは思った。
アデルは立ち上がりの姿を隠すようにクライブの前に出た。
今の彼女は、悪の魔王から愛しい人を守る騎士の気分だった。
そしてクライブは、少しばかりノリの良い性格をしていた。
彼は片方の口の端を持ち上げて笑む。まさに悪人の笑みだ。
「いいだろう。勝負しようか。勝ったほうがを得られる。勝負は何でつける?」
「チェスはどう?」
「オッケー。下級生だからって手加減はしないからな」
「そんなこと考えてると、あっという間に負けるんだから」
額がくっつきそうなほど顔を寄せて睨み合う2人。
当のの意志などまったく気にしていなかった。
置いてけぼりにされたは、途方に暮れた顔で食後の紅茶を楽しんでいるリリーに目を向けた。
「あなたの騎士になるのはどっちかしらね」
完全に楽しむ気でいるリリーはにっこり微笑む。ちょうどいい娯楽ができたといったところか。
少し頼りにしていた友人があてにならないとわかったは、ため息をついて席を立ち、まだ眼を飛ばし合っている2人を引き離した。
「2人とも、バカなことやってないで。食べないんだったら散った散った!」
投げやりに言えば、今度は声をそろえて2人はに文句を言ってくる。
「バカなことじゃないよ、私はへの愛のために戦うんだからね」
「そうとも。俺の愛がどれだけ深いか見せてやるよ」
「あなたの愛って何か偏執狂じみてるんだよね。そんな歪んだ愛ぶらさげてに近づかないで」
「お前……ほんっと口の減らねぇガキだな。いつか痛い目にあうぞ」
「あ、本当のことだからそうやって脅すようなこと言うんだ」
「ちょっと2人とも」
引き離されながらもを挟んで言い争いを続けるアデルとクライブ。
が何とかそれを止めようと口を挟むも、すぐに掻き消されてしまう。
「たまには先輩の言葉を真摯に受け止めたらどうなんだ?」
「たった1歳くらい何だって言うのよ。それに、心に留める言葉をくれる人くらい選ばないとね。あなたは失格!」
「いい度胸してんじゃねぇか……チェスなんて生温いことやめて、実際に痛い目にあわせてやらないといけないらしいな」
「自分が優位だと決め付けた言い方、おめでたいものね!」
「もう怒った! おもてに出ろ!」
「受けて立つよ!」
「、お前は審判だ!」
「クライブが卑怯な手を使わないように見張っててね」
「ちょっとちょっと!」
なす術もなくは2人に引きずられて大広間を出て行った。
アデルとクライブが決闘の場に選んだのは校庭だった。
2人は睨み合い、手はポケットの杖に添えられている。
呆れ顔でそれを眺める。
虚しく風が吹いた。
クライブが嘲笑を浮かべてアデルを見下ろす。
「謝るなら今のうちだぜ」
「学校で得意の闇の魔法なんか使ったら、即退学だってことを忘れずに」
「お前こそ、呪文が浮かばなくて素手で向かってくるような無様なことにならないようにな」
アデルの目がキリキリとつり上がる。
2人はほぼ同時にに目を向けた。
決闘の合図を促しているのだ。
もうどうでもいいや、とまったくやる気のない顔では片手を上げた。
「卑怯な手段、学生にふさわしくない魔法を使うことなく正々堂々と戦うように。では、杖を構えて……1、2、3!」
が手を振り下ろした直後、アデルとクライブは何が起こったのかしばらく把握できなかった。
かすかにわかったのは、呪文を唱えた声が3人分あったかな、ということくらい。
「……!」
「……、……!!」
2人は口をパクパクさせて何か怒鳴っているようだが、声はいっさい出ていない。
1分間くらいそうしていた後、ハッとしてに顔を向ける。
2人に向けてニヤニヤとしている。しかし、目には怒りの炎が。手にはいつの間にか杖が。
「やーっと静かになった。シレンシオ。いい呪文だねぇ」
杖の先をトントンと肩に当てながら、嫌味たっぷりの声音で言う。
3人目の呪文の声は彼女のものだったのだ。
ここには3人しかいないのだから、考えるまでもなかったのだが。
の物騒な笑顔に、アデルの背に薄ら寒いものが走った。とても怖い。
ふとクライブを見れば、青ざめた顔色なのにどこかうっとりとしている。
変態だ、とアデルは思った。
はゆっくりと2人の前を行ったり来たりする。
「よくもまあ、私の意志をとことん無視してくれたもんだ。私のことを話していたのに、当の本人の意見は聞く耳持たず? ずいぶんバカにしてくれるよね。それとも、それが2人の言う愛なのかな? ん?」
決して声を荒げず、淡々と言われるだけにアデルは恥ずかしくてうつむいた。
がついた小さなため息に、アデルの肩が震える。
嫌われたくなかった。
誰も知り合いのいない心細いまま乗ったホグワーツ特急で、初めてやさしくしてくれた人だ。その後も、笑顔を向け続けてくれた人だ。
思わず泣きそうになった時、これまでとは打って変わって明るい声でが言った。
「それじゃ、頭も冷えたようだし食事に戻ろうか。もう時間も少ないだろうから、急いで食べないとね。あ、もし間に合わなかったら、こっそり厨房に行こう。頼めば作ってくれるよ」
先程までの氷のような笑顔とは違う、いつものの笑顔にアデルの体から緊張が抜けた。
一言、に謝ろうと思ってアデルは言葉を発しようとした。
が。
「……、…………」
声が出ない。
クライブが慌てて先を歩くの肩を叩いて引き止める。
口を指さし、声が出ないことを訴えるが、はニッコリしてこう言った。
「なかなか貴重な体験だよね。ま、呪文なんていつか効果が消えるんだから、しばらくそれを楽しんだら? これを機に修行すればパントマイム大会で優勝できるかもよ」
そんな大会聞いたことねぇよ!
クライブの口は確かにそう動いていた。
アデルにもわかったのだから、きっとにもわかっただろうに、彼女はそれを綺麗に無視した。
なおも食い下がろうとするクライブの腕をアデルが突付く。
振り向いたクライブの目を見て苦笑して肩をすくめると、彼はガックリと首を落とした。
はこちらを見ることもなくどんどん進んでいく。
まさかあそこでまで参戦してくるとは思わなかった。
もっとも、3人で行う決闘なんてありはしないのだが。
それはともかくとして、アデルは少し安心していた。
これまでの様子からして、がクライブになびくことはなさそうだ、と。
アデルは、とくっつくならもっと素敵な人がいるはずだと思っている。具体的な人物はいまのところ出てこないが。
いや、もしかしたら彼女にはずっと1人でいて、みんなより一段も二段も高いところから世界を見下ろしていてほしい、なんて思っている節があるのかもしれない。
これじゃ私も変な人じゃないの……。
アデルはひっそり落ち込んだ。
「アデル、置いてくよ」
いろいろ考えている間に歩の遅くなっていたアデルを、少し離れた先から立ち止まったが呼んだ。
落ち込んでいた気分もどこへやら、に呼ばれたことが嬉しくてアデルは駆け出す。
「……、…!」
まだ魔法の効果が続いていて口をパクパクさせるだけのアデルを、はおもしろそうに見ている。
あまり良い根性とは言えないが、そんなを決して嫌いになれないアデルも、そうとう重症と言えるだろう。
■■
大変お待たせしました! あやかり様へ8228hitリクエストを捧げます。
もしもアデルがクライブが主人公へ告白したことを知ったら……という何とも危険なお話です。
時間軸は主人公が3年生の時を想定しています。
大騒ぎの末、結局自分も認めたくないあいつと同じか、という気づきたくなかったことに気づいてしまったアデル少女、という結末になりました。
傍から見れば変人が1人増えただけ、といったところでしょうか。
この2人はこれからもたまに出したいので、見守ってくださればと思います。
それでは、リクエストありがとうございました。
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